久しぶりのお食事会

  • 2018.01.31 Wednesday
  • 11:34

 新しいバイトが来たり、長くいてくれたバイトが去るときやご苦労様会などを名目に、お店の休みにときどきお食事会をしておりましたが、ここしばらく忙しく、またバイトの日程が合わず、なかなか開けませんでした。今回も国家試験の勉強や学校の授業などで二人ほど欠席でございます。29日のお店の休みの日にようやくやることができました。包丁を贈ってくれた元バイト・Iさんも参加です。

 

 左、お食事会とはいえ、新人にジュース類の取り換え指導。右、世界一周中の元バイト・Aさんがハンガリーから送ってくれたワインも頂きます。高校生のMさんは持つだけね。手

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 ロースターに置いているのはワインと一緒に送ってくれたハンガリーのお菓子です。

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 まずは出村店長の挨拶から。辞められたT橋さんと国家試験勉強中のKさんは遅れるとのことで先に始まります。

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 お食事会で店のものを食べてもらって、実際の味を知り、お客様に自信を持って説明できるようになってもらうのも目的の一つです。和牛焼しゃぶと特選和牛に、「うっまっ!」の声が上がっておりました。自家栽培もやしナムルも喜ばれておりましたね。

 

 最近精養軒では特選和牛のサーロインとヒレの組み合わせ・ポーターハウス・ステーキ(この写真は位置が違います)をお任せでお出ししておりますが、アメリカ産との肉質の違いを見てもらいました。左がアメリカ産です。写真ではありませんが、オースト産も食べました。

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 仕入れ業者のFさんからエゾ鹿肉のロースをもらったので、東京でイタリアンを経営している・元バイトのWさんから調理方法を聞いてやってみました。Wさんの話では、表面を焼いて、レンジ低温で加熱しないと硬くて食べられないとのこと。ハニーマスタードソースを作って食べてみました。焼肉には匂いが強くて食べられないんじゃないかなとのことでしたが、まったくそんなことはなくやわらかく臭いもない感じです。ただ食後に微かにラム臭がするかもって言う感じです。たぶん、完全なジビエではなく、後肥育をかけた鹿肉のせいだと思いますね。でも最上級A5ランクの背ロース並の値段ですからね。値段に対応する素材そのものの価値はないかなって言うのが大衆焼肉店主の率直な感想ですね。多分都会のイタリアンやフレンチで、少しの量を物語を込めて調理しなければ売れないと思いました。

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 皆さんバイト中は無駄口もせず真面目で、歴代バイトの中でもお褒めの言葉をかけられることが多いメンバーばかりです。でも、でも、お食事会のときはどうでもいい恋ばなに盛り上がるただの高校生・大学生であることがよっく解りましたがな。←おや爺にはとんとわからない話しになってしまいました。ぐすんぐすん

精養軒前へ編:手打ち高麗雉冷麺の出汁

  • 2018.01.17 Wednesday
  • 09:20

 手打ち高麗雉冷麺は、商品化まで、15年、メニューとしてお出しして約15年経ちました。早いもので実際に実験を初めて約30年経ちましたね。初めてお出した頃とは麺もスープも全く別物になっています。今思い返すと、特に最初の1年間の手打ち麺は蕎麦粉7割、ただ腰が硬いだけのお恥ずかしいものでしたが、店長、家族・初代のバイトの皆さんをはじめ、喜ばれたお客様、ご不満なお客様、残されるお客様の顔を見ながら色々改良して行ったのを思い出します。

 石臼挽き自家製粉も挑戦したいことのひとつです。

 

 スープは、岩見沢産高麗雉をベーススープに五種類の出汁が入っています。化学調味料は使いません。今いろいろな割合で実験を続けております。もともと朝鮮の冷麺は、ピョンヤンが有名です。そのスープは、歴史的に言えば、トンチミ(水キムチ)と言われる辛くないキムチの汁でした。その後宮廷料理では高麗雉が使われ、現在は北も南も牛か、鶏のスープですね。日本で発展した盛岡冷麺は牛のスープが大半です。

 

 さて当店の現在のスープは、岩見沢の清丘園さんが高麗雉を育てているという縁と、もともと宮廷麺料理に高麗雉のスープだったことから、高麗雉をベースにすることにしました。たぶん北朝鮮や韓国、日本でも他にないのではないかと思っております。でもこれだけだと日本であらたに冷麺スープをやる意味としては物足りない。という訳で、岩見沢産の大豆もやしスープ・冷麺専用トンチミを加え、焼肉を食べた後にさっぱりするように、魚介系の煮干しを加えています。そして、なんと言っても日本でやる以上、日本独特の出汁・鰹節も使いたい。でも、これが難しい。味香りとも非常に強く・個性的なのでどこまで主張させればいいのか迷うところです。

 

 話しは突然変わりますが、高校同期の建築家が、同級生たちを巻き込んで、蕎麦を自分で育てています。手摘み・ニオ積み・天日干した蕎麦を石臼で手挽きし、自分で打っています。毎年新年の蕎麦会をしていますが、週末なので行ったことはありません。

 

 今年ちょっと差し入れしに行ったら、蕎麦つゆと打ち立ての蕎麦をくれました。それがこれです。

 蕎麦に蕎麦つゆ、ロイズの少し早目のバレンタイン・デイ。沸いて60秒と言われたけど。、業務用のガスは火力が強いので、50秒で上げました。見た目少し細めの田舎蕎麦風。

 出村店長を始め、兄、奥さんで頂きました。

 パンチのある蕎麦に、がっぷりよつに組んだ蕎麦つゆでした。美味しい出汁とは何かをあらためて考えさせられる組み合わせでした。昔、肉の修行をしていた頃、肉業界はいまよりさらに独特の世界で、肉屋の美学みたいなものがぷんぷんしていました。肉の評価は、調理人がするのではなく、ましてや客でもなく、プロの肉屋の絶対的な美的評価がある、みたいな感じでした。今は調理人がどういう使い方をするのかによって肉の評価をマルチに評価するようになっている気がします。

 

 友人の蕎麦つゆを食べながら同じことを考えました。美味しい出汁の取り方はあるでしょう。でも絶対的な唯一無二の出汁はない。それぞれの蕎麦に、どう調和・または戦わせる出汁にするのかということだと思います。

 

 現在の精養軒の蕎麦粉九割の麺の味・食感を邪魔しない・鰹節の旨味と香りを軽く感じさせながら、背後に何層もの出汁の旨味と香りをなんとなく感じさせる・主張しないスープというのが今のテーマです。←おや爺同様、はっきりしない味だな。hirasanhirasan

こ、今度はご家族からのお年玉?

  • 2018.01.08 Monday
  • 20:58

 今度は、お子様とご夫婦の3名様のご家族ずれのお客様が置いていかれました。こ、これって今ブームなのかしら?そ、それともこのブログ記事を見て、精養軒のお客様だけで異常なブームになったりして?!

 

 う〜ん、わかりまへん。微妙におしぼりの折りたたみ方が違うんですよね。ぐすんぐすん

 またしても、美味しかったねぇ〜、と言っているような、いないような。手アセアセ

元バイト・Wさん来店

  • 2018.01.05 Friday
  • 17:24

 もう元バイトというにはすっかり立派になって、東京で活躍されているWさん。年に一、二回、盆と正月に顔を出してくれます。会うとずっとしゃべりまくり・話し続けるWさん、相変わらずエネルギッシュでありますね。体格が一段と大きくなったと思ったら、仕事を終わって2時過ぎにジムへ通ってトレーニングをしているとのこと。今年は100kg上げると云っております。おや爺は長いことやっておりますが、せいぜい最大で50kg。いつもは30kg5回を4セットですわ。

 

 イタリアンのお店をやっておりますが、すべておまかせ・値段のないお店です。お客様の顔を見ての勝負だそうです。精養軒もおまかせのコースがありますが、お客様のご予算に合わせての勝負。それでもすべてお出しした後は、お客様の反応がどうか、緊張しますね。

 

 精養軒の和牛肉の部位別設定や値段の安さにいつも驚いております。冷麺や自家栽培もやしなど、独特のサイドディッシュの魅力と併せて、倍以上の値段でも東京で十二分にやっていけます言われました。でもわたしたちは、大都市や韓国・北朝鮮相手に、田舎で大衆店として勝負したい。

 東京・埼玉でカフェなどのプロデュースや、ケータリング、地方都市首長とコンサルタントも始めているWさんに、大衆店としてのジレンマを話しました。東京の熟成肉事をはじめいろいろ面白い話がいっぱい出て来ます。 

 

 閉店後、出村店長と外で朝の4時まで話したそうです。わたしがいると店長も話しずらいので遠慮したのですが、wさんの独擅場になったみたいです。たぶん東京でえらいさんや有名人の聞き役に回っているので、たまりにたまったトークが炸裂したんだろうなぁ。

 

 来年はミシュランを取りに行きますと力むことなく話すWさん。刺激的な話を聞かせてください。どんどん世界を広げるWさん。今度東京に言ったら必ず寄りますね。おや爺はモグラです。hirasanアセアセ

女子会のお年玉(?)と、新年最初の収穫・自家栽培大豆もやし

  • 2018.01.03 Wednesday
  • 01:39

 新年最初の営業日・二日。椅子席に若い女子会3名・T柳様がいらっしゃいました。ゆっくりお食事をされて行かれた後で、テーブルの上にお土産を残されてました。店のおしぼりです。

 かわいらしかったのでツーショット。(←和製英語です。男女二人であることが特別な感覚の・非英語的な価値観ですかね。couple shootというネット英語が最近出ていますが……。)

 あ〜、美味しかったね、なんて言い合っていたりして。晴れ

 

 今年最初の収穫です。松本さんちの岩見沢産手摘み・天日干し大豆を精養軒の厨房と二階でもやし栽培しました。力強く育ちましたよ。

 おう、秋田のなまはげ見てぇ!hirasanhirasan

 太くて豆もしっかり大きく、美味しそうですな。

2018年初まりの詩の旅:遠い日 白鳥省吾

  • 2018.01.01 Monday
  • 00:01

 

                       (岩見沢 初雪のポプラ並木)

 雪の多い、北国に住む人間にとって、その価値に気づかずに送った日々を思いながら、あぁ、そうだよなと確かな実感をもって感じさせる詩ですね。

 詩人とは、言葉とはすごいものです。蜜柑をこのように細微に心をこめて描写した詩もないんじゃないかしら。<雪は溶けきれぬ喜びに鼓動しながら歌ひ連れながら>とは、溶けるのでもなく、凍っているのでもなく、今現在のありようを一期一会のように感じているのです。

 確かにたれにでもありながら、はっきりとした像として、こころに刻んではいなかったゆたかな時間。今、現在もあるはずの・過去と未来を結ぶ、唯一生きている時間。

 

 どんな日であろうと、日々の小さな喜びに気づきますように。そしてその喜びをこころに感じれば感じるほど、現状を追従するのではなく、あらためる生き方と結びつく、真の力となりますように。

 

 明けましておめでとうございます。本年も、変わらない、新しい精養軒をお見せします。どうぞよろしくお願いします。

 新年は2日4時半からの営業です。

2018年のパイザ:迷子のこころ i shall be released ボブ・ディラン

  • 2017.12.31 Sunday
  • 00:01

 もともとよく見られてはいたのだが、いっときどういう訳か、工藤直子の詩・あいたくての記事にヒットが集中した。その詩の中に、<おつかいの とちゅうで /迷ってしまった子どもみたい>と<みえないことづけをにぎりしめて>と云う句がある。

 この詩に、わたしが今惹かれるのは、まいごの子供と、大人の<こころの迷子>の二重構造にある。

 

 おつかいを頼まれて、迷うとき、大人は通常、目的を忘れることはない。ところがこの詩は、冒頭で、たれに、いつ会うのかわからない、あるべきはずの目的地を失っている・目標地がはっきりしていない設定である。これは、現代に生きる大人の<こころの迷子>の構造と同じと云っていい。

 

 まいごの子どもは、普通、どうやって道を知るのか? <見えることづけ>を見せ、人に尋ね、地図をたよりに、目的地を探す。 

 そのための第一歩は、当然だが、現在地を知ることだ。

 では、こころが迷子になった時の一歩は、どうするか? <みえないことづけ>を頼りに、こころの目的地を探すことではない。やはりこころの現在地(その場その時here and now)を知ることが第一歩なのだ。ひとの目的は、現在の、自己の主体的条件(とくに主体的感情)と密接にかかわるものだから、<こころの現在地>を確認し続けることが、<みえないことづけ>を見えるものにする重要な一歩であり、最終歩でもある。

 この、書けば当たり前の真理を、まぬけなわたしは、世界に誇る、日本の独創の心理臨床家・河野良和氏とその弟子・大多和二郎両氏の理論と長年の実践・<感情の二重モニタリング>から身をもって教えられたのだ。

 

 わたしの読書の特徴の一つは、何度も読み返すことだが、この一年いつも持ち歩き、雲の柱・火の柱のように、毎日何度も繰り返し読んだのは、彼らの著作と、地下鉄サリン事件の河野義行『今を生きる喜び』、毎日出かけお世話になった岩見沢市立図書館で出会った・ユダヤ人哲学者による・「わたしは命令に従っただけだ」と述べたナチスドイツのアウシュビッツ強制収容所の所長アイヒマンの・息子への公開書簡の形の哲学書・『われらみな、アイヒマンの息子』(ギュンター・アンダース)だった。

 

 今年お店に来ていただいたお客様、直接お目にかかった皆さん、そしてブログを通して縁をつないだ名も知らぬ・信じられないほど多くの・遠くの、近くの皆さん、コメントを送ってくださった方々、facebookを通じて、感情の観念的二重化の議論をしてくれた京都の、尊敬する若いIさん・美佐子さん・希望さん、ありがとうございました。

 60年代に作られた、ボブ・ディランの、この代表作と、その歌詞の・わたしのつたない訳を、こころからのお礼とパイザのこころを込めて、同時代を共に生きる皆さんに、送ります。

 来年が、東北アジアや世界で、戦争と災害のない一年であることを。精養軒が、皆さんとともに、出村店長を先頭にバイトの皆さん、家族とともに、ささやかでもさらに一歩、歩むことができることを。 

 

 この曲が使われている映画『any day now 邦題チョコレートドーナツ』は、ゲイの売れない歌手とゲイを隠して生きる弁護士、家族に捨てられたダウン症の子供、3人が周囲や社会・制度の偏見の中で家族として生きる物語です。

I shall be released
いますぐにも

 

’y say ev'rything can be replaced
’y say  ev'ry distance is not near
i remember ev'ry face
of ev'ry man who put me here

なんだって代わりがきくって言う
どんなに近くても 遠いんだって
僕はおぼえているよ ひとりひとりの顔
ここに追い込んだみんなの顔を

'y tell you ev'ry man must've protection
then they tell you ev'ry man is bound to fall
me, i swear i see my own reflection

somewhere far beyond these walls

どんなひとでも守ってあげなくちゃいけないって言う

どんな人だって落ちていってしまうからって

僕には 僕には自分のホントの姿が見えるんだ

閉ざされたこの壁

ずっと向こう側に
i see my light come shining
from the west unto the east
any day now, any day now
shall be released

ぼくはみえる 光が
西から東へ 輝きながら降り注ぐ
いますぐにも こころも

この身も
自由になるんだ

yonder stands in this lonely crowd
a man who swears he's not to blame
all day long i hear him calling
crying out that he's been framed

あそこに きょうも男がいる ひとり 孤独な群れの中で

うめいている
わるいのか、ぼくは悪いのか!
一日中 男の呼ぶ声が耳に焼きつく

ずっと ずっと はめられていたんだ!

but i see my light come shining come shining
from the west unto the east
oh, any day now, any day now
i shall be released
でも、ぼくには見える 光りが

輝きながら 輝きながら
西から東へ 降り注ぐ  
いますぐにも こころも

この身も
自由になるんだ

they tell you they tell youev'ry man must've protection
then they tell you they tell you ev'ry man must fall

 i swear i swear i see my own reflection

 far beyond these walls

どんなひとでも守ってあげなくちゃいけないって言うくせに

どんな人だって落ちて行ってしまうからって

本当なんだ 僕には、僕のホントの姿が見えるんだ

閉ざされたこの壁

ずっと向こう側に
that's right i see my light come shining come shining come shining
from the west unto the east
i know, my god

any day now, any day now
i shall be released

 ほんとうさ ぼくには 見える 自由が輝きながら降り注ぐ

輝きながら 輝きながら光りとなって
西から東へ降り注ぐ 
ぼくはわかっているんだ 未来よ

いますぐ いますぐにも 僕は
自由につつまれる

いまこそ

こころをひろげるんだ

yes, i see my light come shining
from the west unto the east
and i swear, i swear, i swear my love,
we shall be released

ほんとうさ ぼくには見える 光りが

輝きながら 
西から東へ輝きながら 降り注ぐ 
いますぐ いますぐにも 僕らは
手を結ぶ

いまこそ

こころをひろげるんだ

    (アラン・カミング版アイ・シャル・ビー・リリースト 訳おや爺)

補注1:詩人のアーサー・ビナードさんにお会いした時、帰りがけに、ディランのi shall be releasedをぜひ訳して下さいとお願いしました。少し驚いたように言われました。ディランは版権が難しいんだよね。どう訳されているの?解放されるとかですかね。

 そういう訳し方に否定的な様子でした。

 そのことが、訳しながら、ずっと頭に浮かびました。

 

補注2:ディラン作曲・作詩とこの映画にありますが、アラン・カミングの歌う歌詞とディランのものとは違うところが幾つもあります。最もディラン自身もコンサートによって歌詞が変わるけど……。

 わたしにとって違いを感じるのは、wallをアランは複数にしているところですね。彼にとって世界は閉塞感がもっと強い感じなんでしょう。孤独な群れの中で叫ぶ男は、アラン版では、孤立感を深める向こうの方におり、ディラン版では、ディラン自身の<汝ら兄弟姉妹>のように、横にいる設定になっています。

 

補注3:この映像の訳も素敵なんですが、any day nowの訳が、「いつの日か」となっています。普通イギリス英語、アメリカ英語どちらの意味・用法とも、期待・願望を込めた(any dayであっても今という言語イメージですか)very soonの意味になってます。『今すぐにも』の日本語訳が一番近いニュアンスのような気がしますが、英語に詳しい方、教えていただけますか?

 

補注4:<感情の二重モニタリング>については、ブログ左のカテゴリー欄最後の、<こころの実験>をご覧ください。

 

  この、i shall be releasedを聴くと、若い女性二人の日常に、歌詞が自然に入っていることに、希望と、深い感動を覚える。

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