ガンジーは小学校の頃酒や煙草に手を染めるエライ悪だったという話は本当なんでしょうか。この種のネット情報は胡散臭いのではっきりしません。
閑話休題(あだしごとはさておき)、名言の数々。70を過ぎるこころに、グッと滲みるものから。
Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.
(明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。)
70過ぎるこころには、滲みいる言葉ですねぇ。わたしのように中途半端な生き方をしていると、先行きがなくなっているという不安だけがあるのに、明日死ぬかもしれないというほどの覚悟はない。そのくせ、目先のセコイ成果主義に駆られて、今さら何かをやった所で、たかが知れていると、何事も実行しようとしない。加齢性シンデレラ症候群に陥った人間(わたしのことだが(*^^))には目の覚める言葉ですねえ。
Each night, when I go to sleep, I die. And the next morning, when I wake up, I am reborn.
(毎晩眠りにつくとき私は死ぬ。次の朝目が覚めたとき私はまた生まれる。)
ラテン語のcarpe diemカルぺディエム今を生きるに通じますね。亡くなったロビンウイリアムズ主演の・同題の・グッとくる青春映画がありました。英語だと、seize the day(今日を生きる)。大学1年の時読んで惹かれた小説の題名でした。誰でしたっけ。
勝ち組ネット社会の中で翻弄されるわたしたちの目を覚ます言葉から。
In matters of conscience, the law of the majority has no place.
(良心に関しては、多数の法則に意味はない。)
ネット社会の数の論理は怖い。近付かないようにしないと……。
There is more to life than increasing its speed.
(人生には、効率や速度を上げること以上のものが存在する。)
自分にとってジックリかける価値のものを見つけていたいです。
You can’t change how people treat you or what they say about you. All you can do is change how you react to it.
(自分に対する相手の態度や評価を変えることはできない。変えることができるのは、それにどう反応するかだけである)
アメリカの大統領・リンカーンも似た発言をしていますね。
An error does not become truth by reason of multiplied propagation, nor does truth become error because nobody sees it. Truth stands, even if there be no public support. It is self sustained.
(広く知れ渡っていることだからと言って間違いが真実にはならないし、誰も目に留めないからといって、真実が間違いにもならない。たとえ大衆の支持がなくても、真実は立ち上がる。真実はそれ自身で屹立しているからである。)
う〜ん、そうなんですけどねぇ。propagation、昔、プロバガンダってあまりよくない意味で使われた言葉と同じラテン語由来ですね。
Freedom is not worth having if it does not include the freedom to make mistakes.
(自由に、間違いを犯す自由が含まれないのなら、自由を持つ価値などない。)
深呼吸する言葉でした。
今年の岩見沢の雪は、記録的に少ない上に、降る間隔が空いたので、除雪排雪の苦労も例年に比べると非常に少ない年でした。おや爺、去年の末に、突然左肩腱板部分断裂になったのでありがたいことでした。それもこれも、おや爺の普段からの善行の賜物でございましょう。(^-^*)
と高を括っていたら、3月も14日になって夜から突然降りはじめ、15日朝、ウォーキングで外に出ると10cmは積もっているではありませんか。14日まで道路は完全にアスファルトが顔を出していたのに……。
写真に撮って、ラインで、東京に住む友人に送りました。
『こんな風景を見ると、日本が南北に長い国だと実感するね。東京は16度だよ。』
なるほど。
朝の散歩道。6条通り。前日までアスファルトが出ていた道。左手に小さな川。勝手に瞑想の道と呼んでいます。
やはり3月、寒いとはいえ、木に纏わる雪が暖かな付き方。
レンガテラス付近。右の細い道の奥に、おや爺こころの御神木あり。
雪のレンガテラス、、結構いい雰囲気。
こころの御神木。黒い塊は、鳥の巣でしょう。ここが瞑想の道ゴール。空と樹を見上げます。そういう詩がありましたねぇ。
帰ってひと仕事します。
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昨日来店されて、またもや直々のお手紙を頂きました。直立不動のおや爺の頬に、又しても澎湃と涙が溢るるのでありまするね。
可愛らしいもやしTシャツの妹ちゃんの手紙と、筆で書かれたお姉さんの手紙。うれし〜!!
前回は厨房のこころの神棚に置きました。今度は二階のリビングにある、大学の先輩のウタントセト神社に並べて祭る所存でございます。
もやし栽培用の発芽率の高い新豆大豆が見つからないことをついお伝えしました。
いろいろ注文されたのに、毎回される、もやしナムル大盛りの注文がありません。どうしたのかと思ってお聞きすると、足りないようなので、注文を遠慮されたとのこと。うぇ〜ん、涙のちょちょぎれるおや爺でございました。
再度、お聞きすると、一つはいつも通りのもやしナムル大盛り。娘も辛い物を食べるの大人になったので、もう一つは自家栽培もやし尽くしで、と言われました。
今回のもやしは青大豆と黒大豆のブレンドです。左から、使用大豆の煎り豆。次がごま油と塩の味付け。中央が、ヤンニョムヂャン(朝鮮料理の複合調味料)の味付け。右がオリーブオイルとローストガーリック・鷹の爪のペペロンチーノ風の味付けです。大豆もやしとオリーブオイルはよく合います。
忙しくて気に入られたかどうかもお聞きできませんでしたがな。(TωT)ウルウル
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以前にも書いたことがあるが、牛の刺身・ユッケの食中毒でひとが何人も亡くなった大事件があった。当店はその事件が起こる10年くらい前から牛の刺身を出さないことにしていて、ユッケ・レバー刺しを希望するお客様から、(店が)不衛生だからだと、よく誤解を受けていた。
事件が起きる2年ほど前に、このブログに、出さない理由を、記事にした。
事件直後から、その記事にアクセスが集中して、一日4万件にもなったのだった。初めてのことだったので、オロカなわたしは、反応を明け方まで読む羽目になった。『こんな朝鮮人なら友達になってやってもいいな』から『食の神様』まであった。どれも、わたしの友人たちなら誰でも知っている、ズボラな、真のわたしの姿ではない。
それ以後その種の発言から遠ざかることにしたのだ。
店の休日にいつものように、江別蔦屋書店に行った。書棚に、好きな作家・ブレディみかこの推薦文が書かれた本があり手に取った。
『同調圧力と階層を解き明かす。数の論理で社会が動く時代だからこそ読みたい一冊』とあった。ビートルズのジョージ・ハリスンのソロアルバムに、<living in the material world>というのがある。物質主義の世界に生きてと普通訳すのだろうが、<拝金主義の世界で>とか、今なら<勝ち組世界の中に生きて>となるのではなかろうか。
スタバのコーヒーを飲みながら、その本『この国の同調圧力(山崎雅弘)』を読んでしまった。本の最後に、新保守主義の論客の本に載っているガンジーの言葉を引用している。
<無意味>という言葉に論理的に引っかかって、とりあえず英語で当たることにした。英語ではこうなっていて、腑に落ちた。
Almost anything you do will be insignificant, but you must do it. We do these things not to change the world, but so that the world will not change us.
<insignificant>は、勿論無意味と訳すときもあるし、正しい。insignificant phrase(無意味な文句)のように。でもここでは、取るに足らないを当てたい気がする。
そこに意味はある。が、現実の勝ち組社会的には取るに足らないというような……。
『我々のすることのほとんどは取るに足らないことだ。それでもしなくてはならない。それは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないためである。』
ちなみに、ガンジーは、独特のユーモアのある・こころに滲みる名言の宝庫です。o(*⌒―⌒*)o
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おぅ、とうとう出発日が決まったのね。精養軒のスタッフは、何故か歴代みんないい人ばかりですが、浦田さんはその中でも、どんな時も笑顔を絶やさない、いるだけで周りを和ませる素晴らしい人柄の持ち主でした。
どんな家庭に育ったら、こんな人になるのかしらん、ひねくれ青春期を送ったおや爺はよく思ったものです。
厨房スタッフと書きましたが、ホールの仕事もよくやってくれた、オールラウンド・プレイヤーでした。
アフリカのどこかに派遣されると聞いて、ちょうどその時おや爺が読んで感銘を受けた本『ルワンダでタイ料理店をひらく』を貸したのも思い出の一つです。
それにしても、精養軒の元女性スタッフ、世界中をひとり旅する人あり、カナダに留学する人あり、イギリスに住む人あり、アフリカで活動する人あり、多彩でありますね。日がな一日ふて寝していたヤサグレ学生生活を送ったおや爺には考えられましぇん。└( ̄^ ̄ )┐
新聞の写真では改まった様子ですが、普段はこんな感じです。出国準備に忙しい中、精養軒に来てくれました。厨房の師匠・M川さんと写真を撮り合って、笑い転げる浦田さんです。
いくら夢だったとは言え、これから遠い地へ行くというのに、この笑い様!!自分の、この笑顔のすばらしさを知らない浦田さん! あっという間にウガンダの人のこころに溶け込んでいくんだろうなぁ。
先の本は、日本人のシングルマザーが、小さな子供と共にルワンダに渡り、タイ料理店をひらく奮戦記でした。ルワンダは民族浄化の名のもとに、大虐殺が繰り広げられた地でもあります。本の中に出て来る現地スタッフの一人は、家族全員が殺され、誕生日も本名も知らない無口な青年・イノセント(無垢という意)でした。
その日本人オーナーが、異国で、先がどうなるか目の前が全く見えない状況で悩んでいた時、彼が、彼女に発した言葉があります。何の根拠もないと分かっていながら、彼の過酷な体験を経て口に出た言葉に、背中を押されたのでした。
『i think everything will be alright. 大丈夫、きっとみんなうまくいくから。』
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嬉しいことに二度目の追加注文を受けました。ホッとしました。有り難うございます、H様。
第二位:『2024年、明けましておめでとうございます。』
第4位のブログ記事と合わせてごらんくだされば、幸いです。
第三位:『 精養軒の24年度初発酵食品?:(すべて新豆による)チョングクチャン作り』
何故マイナーなチョングクチャンの記事が読まれるのか、全く想像もつきません。
珍しいから?(。-_-。)♪
第四位:『 翻訳の楽しみ?:友人と、友人の友人と、友人の友人の友人から翻訳の輪 』 『翻訳の楽しみ?:詩「小さな喜び」京都編』
こんな輪が広がるなら、誤訳も悪くないなぁと思うおや爺であります。ヾ(●>□<●)
第五位:『精養軒のキムパプ 』
まさかのコメントに驚いております。最近、関西のお店で同じ形のキムパプを見つけてビックリ。
第六位:『2023年産新豆もやし栽培実験中?:枝豆青大豆 』
極めて美味しい味でしたが、残念ながら、発芽率の低さをいかんともしがたく、諦めました。今回限り。ただし美味しいので自家製豆腐の豆乳作りに使う予定です。
第七位:『ひかく三原則とコケッコソング 』
作者の井上ひさしは今も読まれているのかしらん。いい作家でしたが……。
第八位:『spending christmas eve 2023 with back door santa 煙突いらずサンタの歌』
なかなかファンキーな曲に、お年寄りはこうあれ的な在り方に歯向かう、欧米のお姉さん。学ばせて頂きました。└|o^▽^o|┐
第九位『精養軒のチャプチェ 』
今はインスタントでも売られているくらい有名になってきた韓国料理の一つです。ただし春雨は、薩摩芋澱粉製のものをお選びください。必須の条件です。
第十位:『2024年のパイザ:一年を送る詩 』
忙しない(年末の)日々を、静かに、ゆったりと送らせる詩ですね。好きな詩人のひとりです。
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出来れば発芽率95%以上、最低でも90%が条件ですが、これがなかなか難しい。特に去年は北海道も酷暑が続いて、大豆(の発芽率)に悪影響を与えたと言われており、心配しております。
前回の枝豆青大豆は非常においしい・茎が太い・頭が大きいといいこと尽くめでしたが、如何せん、発芽率が悪いことと、頭に黒い斑点がついて、見た目がよろしくないので、今回2度生育実験をした上で、諦めました。
次に実験したのが、黒大豆二種。今回は岩見沢産と恵庭産です。
左、岩見沢産。右恵庭産です。栽培開始時期がずれているので、生育度は違います。
早速発芽率を計算しました。
1100g中、発育不良61g。恵庭産黒大豆の発芽率94.5%。新豆合格第一号。
810g中、発育不良47g。岩見沢産黒大豆、発芽率94.2%。今のところ合格圏ですが、この大豆、これから発育不良が若干増えそうな気配を、今迄の経験で感じますね。様子見です。
後は生育後の頭のサイズ・茎の太さ・頭の甘みをチェックして最終結論を出します。後実験しなければいけない大豆が、今の段階で6種類控えております。
もやしにならない大豆は、傷んだものを除いて、捨てません。発芽大豆として、自家製スンドゥブ用の豆乳大豆の一部に使われて、独特の旨味に寄与するからです。
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詩を暗唱するのは何十年振りだろう。鬱屈していた10代の学生の頃は、エリュアールや黒田三郎、李相和・朴斗鎭等好きな詩人たちの詩をよく暗唱しながら一人で夜歩いた。
韓国語と日本訳を暗唱しながら歩いていたら、原詩の持つ<やわらかな誠実さ>を関西弁で表現すると面白いかもしれないと思いついた。京都に焼肉屋をやっている友人Yがいるので、彼に、わたしの訳を京都弁に訳してもらおう。
それから彼とラインを通じて、遠く離れた二人が、考え込み感じながら会話をするような、ドキドキする楽しいやり取りが何度も続いた。夜の1時過ぎまで続いて一旦終えたのだが、学生時代に好きだったドイツ語の単語entzückendまで思い出した。
あぁ、そう言えば、若くして亡くなった我が心の師匠・石橋さんと話しているときも突然この単語が浮かんだっけ。
彼の最初の京都弁試訳。
小さな喜び
愛の遠い道を行こうとするんなら
小さい喜びと親しくしやんなら
朝に目が覚めたら
小さい喜びを呼んで
夜に目を閉じながら
幾つもの小さい喜びを呼んで
何べんも繰り返し呼んでると
幾つもの小さい喜びは
今や大きい光となって
私の内を照らして
ものすごく大きい河の水となって
私の魂に満ちてくる
私の生きてるかぎり
小さい喜びを織り込んだ
絹の服を装って
どこへでも行きたいし
誰にでも会いたい
ありがとうといいながら
何べんでも笑ろて
彼:京都弁というより普段普通に使っている京都、関西弁ですかね。 たとえば している、は しやはる。 見ている、は みやはる。と他人には京都弁らしい話し方だけど、 自分には している、は してる 見ている、は見てるとほとんど文字的には一緒でイントネーションが違うだけ。 いわゆる舞子さんが使うような不自然な京都弁は自分はほとんど使いませんね。
おや爺:『何べんでも笑ろて』、いいねぇ。<してはる>レベルの京都弁の話体で訳してみない。<親しくしやんなら>は、<仲ようしやんなら>ではおかしいですか。<親しく>が京都弁には硬い気がして。
更に何度か訳して、わたしの責任で決めた『小さな喜び』京都編訳。勿論訳の責任はわたしにあります。
작은 기쁨 李海仁
小さな喜び リ・ヘイン
사랑의 먼 길을 가려면
작은 기쁨들과 친해야 하네
愛の遠き道を行こうとするのなら
小さな喜びと仲よぅしやへんと
아침에 눈을 뜨면
작은 기쁨을 부르고
밤에 눈을 감으며
작은 기쁨들을 부르고
자꾸만 부르다 보니
작은 기쁨들은
이제 큰 빛이 되어
나의 내면을 밝히고
커다란 강물이 되어
내 혼을 적시네
朝に目覚めたら
小さな喜びを呼び
夜に目を閉じながら
幾つもの小さな喜びを呼び
繰り返し 繰り返し呼んでみると
幾つもの小さな喜びは
今や大きな光となり
私の内を照らし
大きな 大きな河の水となり
私の魂に満ちる
내 일생 동안
작은 기쁨이 지어 준
비단 옷을 차려 입고
어디든지 가고 싶어
누구라도 만나고 싶어
고맙다고 말하면서
즐겁다고 말하면서
자꾸만 웃어야지
私が生きているかぎり
小さな喜びが織り込んだ
絹の服を装い
どこへでも行きたい
誰にでも会いたい
ありがとうと言いもって
楽しいと言いもって
何べんも 何べんでも笑ろて
(京都編訳:おや爺+助っ人Y)
あ〜、楽しかった!!♪ヽ(^-^ ) でもこんなことしていいの?? 笑顔でね、と言った我がこころの師匠・石橋さん、いいよねっ!!
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去年1年は大豆もやし栽培用大豆の確保に大変苦労しました。ここ数年使っていた・美味しい青大豆が去年、どうしたことか、発芽率が悪く、使えなかったのです。(*ノω<*)アチャー
去年は20種類くらい栽培実験したと思います。最終的に一番使ったのは黒大豆でした。年間通じた発芽率はほぼ100%でした。
今年は、よく使っていた枝豆青大豆から試験しました。成育すれば、非常においしい甘い大豆もやしが出来上がります。次の栽培実験用に黒大豆と白大豆も購入しました。
右の写真の下の豆は歯で噛んで乾燥度をチェックしたものです。次の写真は青大豆を噛んでチェック。カリと歯が折れるくらいが理想です。柔らかいので自宅乾燥中です。
1週間後の栽培結果。発芽率89%。黒い変色も目立ちます。理想は95%は欲しいところです。自作のもやし栽培チャンバーに遮光幕をかぶせています。右は外したところ。
右側栽培不敵な大豆を選別。出来るだけ捨てずに発芽大豆として、自家製スンドゥブ(豆腐)用の美味しい豆乳になります。
さらに2週間後。豆の大きいこと。茎も太いですね。美味しそうです。
圧力鍋で茹でるのが精養軒流。根も捨てずに入れてスープにコクを出します。これも精養軒流と言いたいとこだけど、フランス料理の技です。
もやしナムルに味付。ふっくら!! うんまい!!┌|≧∇≦|┘ 道産新豆もやしの醍醐味は、この時期、自家栽培でしか味わえません。韓国から来たお客様も驚く北海道大豆の力です。
精養軒のもやし王女様(お客様・Y木家の、精養軒大豆もやし大好きお嬢様。勝手におや爺がもやし王女とお呼びしている)に早速献上してまいりました。
どうしよう、美味しいけど、発芽率89%。通年の大豆として使うかどうか、悩むところです。( ̄ー ̄;)
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本来加熱用調味料として使います。精養軒ではユッケジャンを始め、いろんな料理の隠し味に使われて、精養軒独自の味を構成しています。
以前朝鮮食品学の老碩学・チョンデソン博士に、チョングックチャンに関していろいろ質問した時、日本で作っているんは君んとこだけやろと言われたのも嬉しい思い出です。
さて今回は使う2023年産新豆大豆は、岩見沢産幻の超大粒大豆・たまふくら、恵庭産黒大豆、恵庭産枝豆青大豆の3種類のブレンドです。オゾン水殺菌処理後、一晩水に漬け、日本味噌作りよりやや硬めに茹でます。
一次発酵開始。好気性菌なので通風孔を作り40度から50度で保温します。4日後の写真です。日本の納豆の10倍くらい強い匂いです。
続いて2次発酵の種をヒートショックで覚醒後、先ほどの大豆の上に塗布します。左が塗布直後。右が2日後の写真。
更に3日経過して発酵終了です。12%塩分調整。
フードプロセッサーで荒くマッシュして完成。密閉アルコール殺菌して冷蔵保管します。朝鮮料理では、速成味噌ですが、精養軒では短中期熟成発酵味噌ですね。
実は2次発酵に使うチョングックチャンの菌種は、韓国の市場で購入したチョングックチャンカルを使っていました。コロナ禍で韓国にいる娘に頼んだら何とこんなものが送られてきました。
今や韓国もこんな食品工業製品ことになっているんですねぇ。これでは発酵できんとでしょう。
新たに調達しましたがや。でも私に言わせると、今や韓国のチョングクチャンは昔のチョングクチャンと比べると、個性が半分ほどなくなっている気がします。まぁ、日本の納豆も、昔に比べると、個性がなくなったという話を聞いたことがあります。
それもこれも、大量生産衛生主義・近代化の名のもとに、個性的な発酵食品が、猥雑なアジアから失われる運命なのかしらん。
なんかオモニが手作りで発酵させたチョングクチャンを子供の頃から食べている身としてはちょっと寂しい。('-'*)
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50年来の友人(在日韓国人)と、その友人の友人(韓国在住40年以上の日本人。わたしの知らない方)、さらにはその友人の友人の友人(日本の大学と大学院で研究した韓国人。わたしの知らない方)から、その翻訳の間違いを指摘されました。
?『一つ気になったのは最後の웃어야지の訳を「笑わなければ」と訳してますが、~なければと言うと何か強制的に何かをするような(ここでは無理に笑うという)意味になってしまうのではと思いました。ここで言う웃어야지は強制的に笑うのではなくて「笑っちゃおう!」っていう感じの茶目っ気のある気持ちを表しているんだと思います。「しきりに」というのもなんか固い表現なので「何度も」という意味で「しきりに」よりももっと柔らかい砕けた言葉が(思い当たらないが。)合う気がします』(その友人の友人)
?『やっぱりここでは笑おうとか笑っちゃおうでいいと思う』(その友人の友人の友人)
?を受けたわたしから友人への即答メール
『うれしい!! 多分この方の感覚が正しいんでしょうね。こころにストンと落ちたから。この返事をブログに載せていいかなぁ。わたしの翻訳のレベルを知らせるいいチャンスですがな』
辞書を片手の逐語訳で訳した場合の一般的傾向は、どうしても硬くになってしまうことだと思います。さらにわたしの訳は、いいも悪いも含めて、自分の個人的体験に重ねようとする傾向があります。
こちらの訳もそういう傾向です。毎日が きみの 初まりの日:Forever Young | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp)
強制的に笑うというほど強いつもりはないんですが、心的には笑えない鬱状況でも笑うのがいいんだ、どんなに大袈裟に見えようと、ちっぽけな喜びに世界史的な意味があるんだ、こころ寒い時代に、こころを広げて世界と繋がりたい。
指摘されて、こころにストンと落ちたのは、リヘインの<やわらかな誠実さ>をすぐ感じたからだと思います。改訳した次の訳でも誠実さは表現されているけど、<やわらかさ>はまだまだですねぇ。
작은 기쁨 李海仁
小さな喜び リ・ヘイン
사랑의 먼 길을 가려면
작은 기쁨들과 친해야 하네
愛の遠き道を行こうとするなら
小さな喜びと親しくしなければ
아침에 눈을 뜨면
작은 기쁨을 부르고
밤에 눈을 감으며
작은 기쁨들을 부르고
자꾸만 부르다 보니
작은 기쁨들은
이제 큰 빛이 되어
나의 내면을 밝히고
커다란 강물이 되어
내 혼을 적시네
朝に目覚めたら
小さな喜びを呼び
夜に目を閉じながら
幾つもの小さな喜びを呼び
繰り返し 繰り返し呼んでみると
幾つもの小さな喜びは
今や大きな光となり
私の内を照らし
大きな 大きな河の水となり
私の魂に満ちる
내 일생 동안
작은 기쁨이 지어 준
비단 옷을 차려 입고
어디든지 가고 싶어
누구라도 만나고 싶어
고맙다고 말하면서
즐겁다고 말하면서
자꾸만 웃어야지
私が生きているかぎり
小さな喜びが織り込んだ
絹の服を装い
どこへでも行きたい
誰にでも会いたい
ありがとうといいながら
楽しいといいながら
何度も 何度でも笑おう
(改訳:おや爺)
李海仁を知ったのは、茨木のり子訳編『韓国現代詩選』でした。1990年の初版をすぐ買ったので、30年以上前になります。それまで1970年以前の軍事独裁政権下の韓国詩(好きだけど)しか知らなかったので、びっくりしました。
誤訳のお詫びに、茨木のり子訳李海仁の『洗濯』を載せます。
洗濯
緑色の水槽いっぱいに
おどりたつ石鹸のあぶくのなかに
生きているわたしの どうしようもない汚れが
叫びながら消えてゆく
わたしはまったく気づかなかった
はたいてもはたいても埃まみれのわたしの内部
あまりにもながく洗わずにきて
黴さえ生えてきてしまっていたのを
生きているあいだは
ふるい罪を揉みだし洗いそそぐよう
洗濯をする
暗さをゆさぶりゆさぶり洗いそそぐ
水槽のなかでたぷたぷゆれる
天の裾をひきあげて
パリッと糊づけする
わたしの手よ
虹いろの泡のなかに
垢じみ しみったれた日々が
笑いながら消えてゆく
]]>今回も通常メニューに載っていない、コースで女性向けにお出しすることの多い料理を紹介します。
キムパプ、韓国海苔巻です。キムは韓国語で海苔のこと、パプは御飯です。比較的新しい韓国B級グルメですね。多分日本の海苔巻が発祥だと思われます。
とはいえ韓国料理の特徴は備えています。?胡麻油を海苔に塗る。酢飯は使わない。ご飯の量は、日本海苔巻より比較的少なめ。材料は次のものが一部入ります。
?キムチ?沢あん?ほうれん草ナムル?人參ナムル?牛蒡ナムル?蟹カマ?卵焼などです。
さて精養軒のキムパプの特徴は以下の通りです。
?海苔巻用韓国海苔を使わない。厚くて巻きやすいのですが、風味が足りない気がして使いません。代わりにトルかパレキムを軽く炙って胡麻油を塗ります。
?炒めた味付和牛肉を使います。
?キムチの味・色が他に移らないようにサンチュで巻きます。
?形が独特です。
という訳で、韓国のキムパプより手が込んでいて、すぐには作れません。以前韓国からいらした団体様が、気に入られて、追加注文されたのですが、出来ませんと言うと、けげんな顔をされたのが印象的でした。w(゜o゜*)w
このブログ読者で、今年初めて来店された常連さんのM口さんご夫婦に、ちょうど残った3切れ、お出ししました。喧嘩しないで下さいとお伝えしましたがな。(*゚▽゚)
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そもそも日本に3原則と言われているものは幾つあるんでしょうか。戦後生まれの日本国憲法の3原則、っていうのも中学校で習いました。覚えています?
<主権在民><平和主義><基本的人権の尊重>どれもすごいじゃないすか。それ以前の憲法にはなかったというのが不思議な感じがします。焼け野原の戦後日本の希望の柱だったのかしら。どれ一つ抜かしても、戦後日本の繁栄がない気がしますがな。
去年なし崩しになってしまった歴代自民党政権の武器輸出三原則というのもありました。共産圏・国連決議によって武器禁輸措置を決められた国・紛争地域への武器類の輸出禁止など、実質的には武器禁輸措置でした。
自民党ハト派の三木武夫首相も、もう遠い世界のお話しなのかしらん?
原子力の平和利用3原則という日本学術会議が提案し、原子力基本法に反映している3原則もありました。<自主><民主><公開>という簡潔明瞭な原則です。実は素粒子論物理学者・武谷三男博士が最初に唱えたと言われておりますね。
おう、非核三原則というのもありました。核兵器を、<持たず><作らず><持ち込ませず>。ノーベル平和賞受賞の佐藤栄作氏の<持ち込ませず>は沖縄の人には、端から信じれない話でしたが。
こうしてみると、3原則の宿命なのか、現在すべて風前の灯火です。
先日大学時代の友人と久しぶりに会ったとき、三浦じゅんの<ひかく三原則>って知っているかと振られました。
えっ、知らない何それ?
『他人(ひと)と比べない。親と比べない。過去の自分と比べない。ひかく(比較)三原則って言うんだ。』
おう、これは現在のネット評価万能社会で、自分のこころを守る3原則かも。でもよく考えてみると、比較すること自体は別に悪くはないんでしょう。
問題は、比較対象と現在の自分が、手をつなぎ合う横同士の人権的な関係ではなく、上下関係の間柄で比較することです。それが社会的・心的鬱状態を生む気がしますねぇ。
気が滅入る、そんな時には、唐突ですが、井上ひさしのこの歌を聞くのが一番です。ドンガバチョの歌声、このやけくそ感がいっそ爽やかです。
ドンガバチョ、サイコー!! コケコッコー!!♪ヽ(゜∀゜)メ
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今では結構有名になった韓国料理の一つです。チャプチェの魅力は、使う春雨(韓国語でタンミョンと言います)が、中国由来の麺だと思うんですが、中国や日本と原料澱粉が違うことですね。中国は、主に緑豆、日本は主にじゃが芋です。
韓国はサツマイモ澱粉を使います。最近では平麺のタンミョンも見かけます。何と言っても長所は、麺線の腰の強度が強く・持続するということですね。弱点は灰色で、中国や日本の麵色と比べてきれいじゃないということですか。でもチャプチェは醤油系の色になるので問題なし!(゚∀゚)
こんな感じです。
もともと奥さんの得意料理の一つで、家庭内で、また岩見沢在住の外国人と日本人の交流ホームパーティを精養軒の二階で開いていた時にもお出しして、好評の料理でした。
精養軒のチャプチェの特徴は3つ挙げられます。
?和牛肉を使うこと。旨味と味の奥行きがでます。
?普通、筍を使いますが、代わりに北海道が開発した甘く美味しいジャガ芋・キタアカリを使います。今ならインカの目覚めもいいでしょう。
?本来チャプチェのタンミョンの調理方法は、麺も炒めますが、精養軒は、昔から炒めません。この調理方法が、薩摩芋春雨の特徴を一番効果的に演出すると思います。昔韓国から来た留学生が驚いていましたね。
という訳で、自信作。精養軒のチャプチェでございます。
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ユーチューブで、その劇中歌を聞いていたら、サントリーの古いCMが横の紹介リストに流れていました。
見てしまいました。うまいですねぇ、昔からサントリー、腹が立つくらい宣伝が。思わずウイスキーを飲みたくなってしまいました。ニッカですけんど……。(*^^)
こんなたった2分ほどの短いCMです。16年前でこんな古い映像になるんですねぇ。
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작은 기쁨 李海仁
小さな喜び リ・ヘイン
사랑의 먼 길을 가려면
작은 기쁨들과 친해야 하네
愛の遠き道を行こうとするなら
小さな喜びと親しくしなければ
아침에 눈을 뜨면
작은 기쁨을 부르고
밤에 눈을 감으며
작은 기쁨들을 부르고
자꾸만 부르다 보니
작은 기쁨들은
이제 큰 빛이 되어
나의 내면을 밝히고
커다란 강물이 되어
내 혼을 적시네
朝に目覚めたら
小さな喜びを呼び
夜に目を閉じながら
幾つもの小さな喜びを呼び
しきりに呼んでみると
幾つもの小さな喜びは
今や大きな光となり
私の内を照らし
大きな大きな河の水となり
私の魂に満ちる
내 일생 동안
작은 기쁨이 지어 준
비단 옷을 차려 입고
어디든지 가고 싶어
누구라도 만나고 싶어
고맙다고 말하면서
즐겁다고 말하면서
자꾸만 웃어야지
私が生きているかぎり
小さな喜びが織り込んだ
絹の服を装い
どこへでも行きたい
誰にでも会いたい
ありがとうといいながら
楽しいといいながら
しきりに笑わなければ
訳に悩んだのは2連目です。
?2連3・4行目밤에 눈을 감으며/작은 기쁨들을 부르고 こなれた和訳にすると、<夜に目を閉じながら/小さな喜びを呼び>となるでしょう。
韓国語では、朝の目覚めでは、작은 기쁨(小さな喜び)、と単数表現で、夜は、작은 기쁨들(小さな喜びたち)と複数表現になっています。日本語の直訳では、喜び達とぎこちない表現になってしまいます。かといって、こなれた日本語訳にして単複同形にすると、この連の大事な何かを失うような気がします。
名詞ばかりじゃなく副詞・動詞などにも付いて、複数を示す単語・들は、非常に面白い韓国語です。日本語より適用範囲が広いので、訳さない方がいい時があったり、日本語の別の複数表現(例えば、々のように)を利用したりします。
朝の目覚めの小さな喜びは、目覚めそのもの(もしくは生きていること自体)が、もうそれだけで喜びとすべきだと詩人は考えていると、わたしは思いました。一方、一日を終えた夜の複数形は、どんな人にも、どんな状況でも、本人が気付きさえすれば、小さな喜びが、いくつかある、どうかそれに気づき数え出してほしいと詩人は信じているからだと思います。
実はおや爺もここ数年、心理臨床療法のひとつとして、一日の些細ないいことを、無理やりでも3つエクセルに書き続けています。
そこから次のように訳しました。<夜に目を閉じながら/幾つもの小さな喜びを呼び>
?2連9・10行目커다란 강물이 되어/내 혼 こなれた日本語訳では<大きな河となり/わたしの魂を濡らす>だと思います。커다란は、非常に大きい・より一層大きい状態をイメージしているので、ここでは、やさしく、柔らかい感じを出したくて、<大きな大きな河の水となり/私の魂に満ちる>
同じ膠着言語と言っても、当然ですが、好きだけど、訳などとんでもなく難しいという韓国・朝鮮の詩がほとんどです。以前ブログに載せた、李陸史イ・ユクサの詩もそうです。
辛く困難な時代を生きた詩人の詩が、今、悲しみと苦しみの中にいる心に届くことを。
一つの星をうたおう
一つの星をうたおう。たった一つの星を
十二星座のあのおびただしい星の群れを どうしてうたえようか
たった一つの星! 朝 消え去るときに見て 夜 現れるときに見る星
ぼくらとものすごく親しく もっとも輝かしい星をうたおう
美しい未来を切り開く 東方の大きな星を持とう
一つの星を持つことは 一つの地球を持つこと
染みだらけの悲しみよりほかに失うものとてない 古臭いこの地上で
一つの新しい地球をわがものとする 来たる日の喜びの歌を
喉も裂けよと声を張り上げ 心ゆくまでうたってみよう
乙女の瞳を感じつ帰っていく 軍需夜業の若き友たち
青いオアシスを思い描く辛い砂漠の キャラバンも心を潤すがいい
火田(かでん)に石くれを拾う農民たちも 沃野千里をわがものとしよう
だれもがおのれにふさわしい豊饒の地球の主宰者として
主(あるじ)のなき一つの星をわがものとする 歌をうたおう
一つの星一つの地球がしっかりと鍛えられたその地上に
あらゆる生産の種をわれらが手で蒔いてみよう
嬰粟(えいぞく)のような輝かしい実を穫り入れる饗宴では
礼儀にこだわることなしに半酔の歌でもうたってみよう
厭離穢土(えんりえど)し人々を治めたまう神はつねに神聖にして
新星を求めていく移民の群れに加わることはないから
新しい地球に寄せられた罪なき歌を 真珠のごとく撒き散らそう
一つの星をうたおう。たとえ一つの星であれ
一つまた一つの十二星座すべての星をうたおう
(詩:李陸史イ・ユクサ 訳:安宇植アン・ウシク)
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もしや、他のブログ読者もそう誤解している方がいるかもしれません。全く事実に反します。昔、集中して勉強したことがありますが、英語も韓国語も、20年以上は満足に話していないので、悲しいことに、もはや全く喋れません。
それならなぜ訳したりするのかというと、誤訳の可能性が高いとしても、気に入った詩を紹介したいからです。そういう意味でも、基本、好きなものしか訳しません。
訳を発表することに悩んでいた時期もありました(今も悩むけど……)が、ブログ読者の建築家argonさんからお褒めの言葉を頂いて、後押しされたこと、プロも間違うことを指摘されたのです。アーサービナードさんに、訳したものを見られて、もはや怖いもん無しの心境を体験したことも大きいかもしれません。
でも本当のところ、正直に言うと、老眼鏡をかけながら、大きな辞書をいくつも抱えて、ああだこうだとひとり悩む、こころ踊りが、ひとえに楽しいからです。
でも間違いなく誤訳の可能性は高いので、詩や歌詞を気に入られたら、是非他のまともな訳をご参照くださいませ。
さて、今回は実際どう悩んだかを、去年最後の記事に載せた<송년의 시 >を使ってチョット書いてみます。わたしのこころ踊りを一緒に感じて頂けたら幸いです。
全体的に、訳はほぼ直訳です。日本語と朝鮮語は同じ膠着言語系の上、漢字語も使うので、そういう点では英語より、構造的に相互訳しやすいとも言えます。それでも当たり前というか、だからこそと言うか、日本語と朝鮮語の違いの発見も楽しいのです。(〇>_<)
?題は普通なら<送年の詩>と訳すと思います。年を送るの漢字語です。それでもいいんですが、迷ったのは、韓国語の<送年>には、日本語が与える送年の語感ほど硬く未熟な感じがしないだろうなということです。それで、高田敏子の詩に倣って、最初<ゆく年の詩>と訳してみました。結構気に入ったんですが、<年を送る>という主体的な意思が、その訳では弱いように感じて、結局<一年を送る詩>としました。
日本語で忘年会という言葉があります。面白いのは、朝鮮語では送年会と言います。同じ中国由来の漢字語なのに、忘れると送る。語的自己表出が違うのです。中国語では何と言うのかしらん。
?1連1行目の한개と2行目の한번が韻(?)を踏んでいます。それを生かせば、<木の葉に一筋の風が吹くように>となるんでしょうが、ちょっと強すぎるので、尹東柱の序詞を訳した伊吹さんの<葉間はあい>という美しい言葉を使って、<葉あいに風が吹きぬけるように>としました。
?3連3行目눈길은 고요하게は、<雪道はひっそりと>とが正しいんでしょうが、雪道の静けさの醍醐味を知る北国の人間にとっては、もっとその感動を、北国以外の人に、はっきり感じてもらいたい気がして、<雪道は静寂の中に>としました。
こうして自分の訳す過程を書いていくと、ホント、我ながら危ないことをしているなぁ、楽しいけんど。(°◇°;)ギク
송년의 시 李海仁
一年を送る詩 イ・ヘイン
하늘에서 별똥별 한개 떨어지듯
나뭇잎에 바람 한번 스치듯
빨리왔던 시간들은 빨리도 지나가지요
空で流れ星がひとつ流れるように
葉あいに風が吹きぬけるように
速く来た時間は 早くも過ぎていきますね
나이들수록 시간들은 더 빨리간다고
내게 말했던 벗이여
어서 잊을 건 잊고
용서할 건 용서하며
그리운 이들을 만나야겠어요
歳がいくほどに時間はより速く過ぎると
私に話していた友よ
さあ 忘れるべきことは忘れ
許すべきことは許し
愛しい人々に会わなければ
목숨까지 떨어지기 전 미루지 않고 사랑하는 일
그것만이 중요하다고 내게 말했던 벗이여
눈길은 고요하게
마음은 따뜻하게
아름다운 삶을
오늘이 마지막인 듯이 충실히 살다보면
첫 새벽의 기쁨이 새해에도
우리 길을 밝혀 주겠지요
命まで失う前に 先延ばしせず愛すること
それだけで十分と私に話していた友よ
雪道は静寂の中に
こころ温かく
美しい人生を
今日が最後の一日のように 精一杯生きるなら
夜明けの喜びが 新しい年にも
私たちの道を照らしてくれるでしょう
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日本で発酵による本格的なコチュヂャンを製造し、全国販売したのは、焼肉のたれで有名なモランボンが最初でした。開発に携わった、朝鮮食品学の碩学・鄭大聲(チョン デソン)博士から、苦労話を直接お聴きしたことがあります。
さて精養軒では、60年以上前から米麹の発酵を利用したコチュヂャンを作っていました。と言うかお店ではなく家庭で使うものとして、亡くなったオモニが普通に作っていました。
大きくなって、他で食べたコチュヂャンが、美味しかったけど、うちのとは大違いなのに驚いたものです。
さてそんなコチュヂャン。米麹を、一昨年から青唐辛子の3升漬けで有名な、地元、ゆあみ農産研究会の谷口さんから分けて頂いております。
一時期以外、市販の米麹を使っていましたが、研究会の、生の米麹の美味しいことと、発酵力が強いことに驚きました。米はななつぼしを使っているそうです。
上幌向の御茶の水農産物加工所で出来たばかりの米麹をもらいに行きました。
今期(2023年11月現在)も新米ななつぼしを使用した米麹です。
米麹は、コチュヂャン用とホルモンだれに使う自家製味噌用の二つに分けて真空冷凍保存します。たれに使う味噌に、自家製を使用する焼肉店は日本全国でそうないと思いますぅ。(〃▽〃)
さてコチュヂャンに使う糯米は、新米の北海道産きたゆきもちです。炊いて、人肌に冷えたら、さっそく麹を混ぜて、数日発酵させます。適正な発酵域に達したら、塩と粉唐辛子等を入れてゆっくり冷蔵熟成し、精養軒の各種料理の味を支えます。一回の仕込みで、大体7?位の出来高ですね。
よく混ぜます。
ようやくオール新米、オール北海道産のコチュヂャンの出来上がり。米粒が残っているのが発酵コチュヂャンの印です。
うん、まっ!!♪\(≧▽≦)/\(≧▽≦)/♪
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新年早々また詩かよ、とお思いの読者も多いでしょうが……。
韓国で、誰もが知っている有名な詩があるらしい。しかも作者不祥。韓国にいる娘に今調べてもらっていますが、はっきりしないのです。
新年と言えば、初夢。という訳で、『夢を見たいなら』という題です。
始まりと終わりが、なかなかキャッチーですね。
誰かに一目惚れするまでに一分しかかからず
誰かに好感を持つまでは一時間しかかからない
誰かを愛するまでには一日しかかからないけれど
誰かを忘れようとしたら一生ずっとかかるものです
(中略)
財産に恋々としないでください
それらはいずれ消え去っていくでしょう
(中略)
微笑みだけが……
憂鬱な日を晴れの日のようにできるのです
愛は、微笑みで始まり、キスで大きくなり
涙で終わります
あなたが生まれたとき、あなただけが泣いていて
まわりの人はみんな微笑んでいました
あなたがこの世を去るとき
あなただけが微笑んでいて
まわりの人がみんな泣いている……ような
そんな人生を歩んでください
教師をしていた古い友人が何のきっかけで話したのか、印象に残って、ウォーキング中に、おはようと共に言う言葉があります。
『昔からありがとうを3回言うことにしているんだよ。その場でありがとう。この間はありがとう。あの時はありがとうってね。ひとから言われたことはないけどね。』
『おぅ、いいね。でも長〜い付き合いのオレに3回言ったことはないよね』(おや爺ココロの声(≧m≦)ぷぷぷ)
(岩見沢レンガテラス 2023年10月25日 photo:おや爺)
작은 기쁨 李海仁
小さな喜び リ・ヘイン
사랑의 먼 길을 가려면
작은 기쁨들과 친해야 하네
愛の遠き道を行こうとするなら
小さな喜びと親しくしなければ
아침에 눈을 뜨면
작은 기쁨을 부르고
밤에 눈을 감으며
작은 기쁨들을 부르고
자꾸만 부르다 보니
작은 기쁨들은
이제 큰 빛이 되어
나의 내면을 밝히고
커다란 강물이 되어
내 혼을 적시네
朝に目覚めたら
小さな喜びを呼び
夜に目を閉じながら
幾つもの小さな喜びを呼び
しきりに呼んでみると
幾つもの小さな喜びは
今や大きな光となり
私の内を照らし
大きな大きな河の水となり
私の魂に満ちる
내 일생 동안
작은 기쁨이 지어 준
비단 옷을 차려 입고
어디든지 가고 싶어
누구라도 만나고 싶어
고맙다고 말하면서
즐겁다고 말하면서
자꾸만 웃어야지
私が生きているかぎり
小さな喜びが織り込んだ
絹の服を装い
どこへでも行きたい
誰にでも会いたい
ありがとうといいながら
楽しいといいながら
しきりに笑わなければ
(訳・誤訳あり:おや爺)
日々の暮らしの中に、小さな喜びを見つけることは、鬱症状の臨床心理療法にも取り入れられていますね。(〃⌒ー⌒)
毎年書いておりますが、今年も、ゆっくりでもささやかでも、前へ進みたいと思っております。
新年は4日からの営業です。
大事な補注:この詩の訳は大きな間違いがあります。詳しくはこちらの記事をご覧ください。(翻訳の楽しみ?:友人と、友人の友人と、友人の友人の友人から翻訳の輪 | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp))指摘を受けて直してあります。ここでは直していません。わたしの訳はこの程度だというデータです。(2024年2月1日)
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韓国(朝鮮)の詩人であり、カトリックのシスターでもある人の詩です。
(岩見沢レンガテラスの冬 瞑想の道で photo:おや爺)
송년의 시 李海仁
一年を送る詩 イ・ヘイン
하늘에서 별똥별 한개 떨어지듯
나뭇잎에 바람 한번 스치듯
빨리왔던 시간들은 빨리도 지나가지요
空で流れ星がひとつ流れるように
葉あいに風が吹きぬけるように
速く来た時間は 早くも過ぎていきますね
나이들수록 시간들은 더 빨리간다고
내게 말했던 벗이여
어서 잊을 건 잊고
용서할 건 용서하며
그리운 이들을 만나야겠어요
歳がいくほどに時間はより速く過ぎると
私に話していた友よ
さあ 忘れるべきことは忘れ
許すべきことは許し
愛しい人々に会わなければ
목숨까지 떨어지기 전 미루지 않고 사랑하는 일
그것만이 중요하다고 내게 말했던 벗이여
눈길은 고요하게
마음은 따뜻하게
아름다운 삶을
오늘이 마지막인 듯이 충실히 살다보면
첫 새벽의 기쁨이 새해에도
우리 길을 밝혀 주겠지요
命まで失う前に 先延ばしせず愛すること
それだけで十分と私に話していた友よ
雪道は静寂の中に
こころ温かく
美しい人生を
今日が最後の一日のように 精一杯生きるなら
夜明けの喜びが 新しい年にも
私たちの道を照らしてくれるでしょう
(訳:おや爺)
今年一年切り取った新聞などの、気になった記事のスクラップを読むのが、毎年恒例のこの時期の行事です。
同じ日本人なのに、小さい頃から差別をうけ続けた、中国残留孤児2世のカリスマ清掃員・新津春子さんのこと。三浦光世(作家・三浦綾子の夫)さんの自伝風小説<あたたかき日光>。96歳になっても、こころ豊かな研鑽を続ける、奈井江の町医者・方波見先生のエッセイ<いのちのメッセージ>。
袴田事件・狭山事件などのデマや偏見に根ざした出来事の記事も多かったものの、今年ほど戦争に関する記事ばかりが集まった年も珍しい。それぐらい日常に戦争の足音が近づいているように感じているのかも知れません。
先の日中・日米戦争の市井の歴史を掘り起こした、北海道新聞に連載された<記者がたどる戦争>、ロシア・ウクライナ戦争の影に隠れて、わたしたちに忘れられるアフガン・イラク戦争。イスラエルとパレスチナの戦争。
戦争や、大震災の度に繰り返される外国人や、社会的被害者・弱者に繰り返されるデマ報道。<君が望めば戦争は終わる>とは、レノンとヨーコの有名な曲の一節。
『日本がかかわったイラク戦争にこれほど真摯に向き合い、自らの責任を果たしてきた人を私は他に知らない』(北海道新聞黒田理)と書かれる高遠菜穂子さんの・平和の種を、一粒、一粒、蒔くようなプロジェクト『絵本と演劇で紛争を止めよう』にも心打たれました。こんなひとにも自己責任の罵倒と非難がネット上に溢れるんですから驚きます。
二度の戦争に翻弄された両親を持つわたしが心底思うのは、敵の存在が戦争を起こすのではない、敵は戦争自体(戦争を望むこころ)なのだということに尽きます。
今年一年、苦しい時繰り返し読んだ本は、マザーテレサの『あわれみへの招き』と河野良和先生の感情の二重モニタリングに関するものでした。本の存在に感謝です。
今年も多くのご来店・ブログへのアクセス、本当にありがとうございました。また、スタッフ不足によりお断りした多数のお客様、申し訳ありませんでした。
来年、アジアが、世界が、わたしたちが、平和で、ささやかな喜びに気づくことを。
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曰く、お子様に悪い影響を与えるとか、ワルのサブスタンダードダブルネガティブ構文だとか、公序良徳に反するとか書きながら、訳すことをためらっておりましたな。←ただ、面倒くさかっただけ……。(≧m≦)ぷぷ
ですが、もうおや爺も古希を過ぎ、好いたハレたも遠い世界。ここはひとつ、歌の世界だけでもファンキーに弾けてみましょう。
読者の皆さん、2023年のイブは、バーボン片手に、妖しくもバカバカしい、60年代悪(ワル)のアメリカンブルース・ロックの世界へ。
先ずは本家本元クラレンス・カーター、68年の録音から。
back door santa
煙突いらずサンタの歌
they call me back door santa
i make my runs about the break of day
they call me back door santa
i make my runs about the break of day (oh, ho-ho)
i make all the little girls happy
while the boys are out to play (lookie here)
みんなはオレを裏口サンタって呼ぶんだ
夜明けとともに走りまわる
みんながオレを煙突いらずのサンタって言う
夜明けとともに走り回る(ホ、ホ、ホウ)
カワイ子ちゃんと宜しくやるのさ
彼氏が他で遊んでる隙にな(ざまぁ見てちょ)
i ain't like old saint nick
he don't come but once a year (oh, ho-ho)
i ain't like old saint nick
he don't come but once a year (but lookie here)
i come running with my presents
every time you call me, dear (lookie here)
オレは馴染のサンタと大違い
奴は年に一度ぽっきり来るだけ
オイラ馴染のサンタと大違い
奴は年に一度ぽっきり来るだけ
呼んでくれれば何時だって
プレゼントを持って駆けつける
i keep some change in my pocket
'case the children are at home
i give them a few pennies, so that we can be alone
i leave the back door open, so if anybody smells a mouse
and wouldn't old santa be in trouble
if there ain't no chimney in the house
ポッケに小銭は必需品
子供が家にいたってさ
数ペニーでも握らせとけ あっという間に二人っきり
勿論裏口は開けっ放し
だれかが嗅ぎ付けてもオッケーさ
煙突なんかなくたって
サンタさんは困るもんかよ
they call me back door santa
i make my runs about the break of day (lookie here)
i make all the little girls happy
while the boys go out to play
みんなはオレを裏口サンタって呼ぶんだ
夜明けとともに走りまわる(ざまぁ見てちょ)
カワイ子ちゃんと宜しくやるのさ
彼氏が他で遊んでる隙にな
that's what they call me, back door santa
that's what they call me
they call me back door santa
that's what all the girls call me
i give 'em all the presents
裏口サンタ そいつがオレの呼び名
そうさ それがオレの呼び名
みんなはオレを煙突いらずサンタって呼ぶんだ
カワイ子ちゃんはみんなオレをそう呼ぶ
プレゼントもやりまくりさ
that's what they call me
they call me back door santa
and i like when they call me that
they call me back door santa
and i like it, i like it, i like it, i like it, back door santa...
そいつがオレの呼び名さ
人はオレを裏口サンタって呼ぶ
いい気分さ 煙突いらずサンタ
裏口サンタのお通りだ
いい気分さ 最高の最高さ 煙突いらずの裏口サンタ……
(クラレンス・カーター版採譜・訳:おや爺)
ジュディス・オーエンのちょっとお年を召してもやっちゃうよ的な悪姉御、えっ、ちょっと痛々しいですって!! アメリカ初の女性国務長官・オルブライトの赤いミニスカートで足組した姿を思い出しますなぁ。政治姿勢は好きじゃなかったけど、あれはよかったなぁ。
塞ぎ込むよりいっそ爽やかですがな。アジアにこういうお年寄り欲しい!!
最後はロックンロールぽいアレンジでどうぞ。
裏口サンタ。間男サンタって訳すこともありますね。おや爺この曲好きだけど、到底、間男にはなれまへん。ま、<抜け>を抜かず、間抜け男ならドンピシャでございますぅ。♪\(≧▽≦)/\(≧▽≦)/♪
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気を取り直して。遅れましたが、この3か月で読まれた記事ベストテンでございます。
新しい蕎麦屋さんが、札幌ばかりではなく、岩見沢にも続々出来ています。高級な焼肉店も山ほどできておりますが、余りの高さにちょっと勉強しに行くのも大変です……。
食べ歩きの成果が、今の冷麺を後ろから支える形で、少しずつ反映されていると思います。
第二位:『言葉の宝箱:『不運だけど不幸ではなかった。つらいときこそ楽しく』桜井昌司』
不運だけど不幸ではなかったとは、人のこころの在り様が自由だという証明ではないでしょうか。それにしても彼ら二人を、作為的に冤罪に陥れた人たちは、今どこでどう日々を生きているんでしょう。
第三位:『 近場の温泉で:you raise me up 再び。』
どうも、わたしは正統派ではなく異端の方に無意識に惹かれる傾向があるみたいです。(。-_-。)♪
第四位:『 思い出の歌:雨に負けぬ花 サイモンとガーファンクル 』
こういう歌(アルバム)を聞くと、若さの在り様は、失意さえも眩しく映りますね。それはわたしがいい気な老年に達しているからかも……。ヾ(●>□<●)
第五位:『こころの筋トレ:若い友人・石橋さんのこと? zeitigen 今年の9月16日朝の目覚め 』
この記事の中にも出て来る江別の蔦屋書店に行って気になったのは、本の題名に馬鹿がつくものが多いことでした。う〜ん、著者や対談する人たちは自分たちは馬鹿じゃないと心底思っているんでしょうね。馬鹿の中身を見ると、空気を読めないとか、勝ち組じゃないことの言い換えみたいで、何だ、まさしくオレのことじゃないの、と納得しました。
その後この朝のような目の覚める体験はありません。でも忘れず、石橋師匠の後をゆっくりあわてず歩いていきますわ。
第六位:『夕暮れの満月 』 第七位:『どうということのない曇天の休日 』
歳をとると、放って置くと、自然に笑うことが減ってきます。歳をとっていいなぁと思うことは、自然の何気ない美しさを感じることが増えることかもしれません。何と言うことはないけれど、この記事の中の英文和訳は自分でもちょっと気に入っています。
第八位:『もやし栽培実験再開:幻の大豆・たまふくら 』『もやし栽培実験再開?:幻の超大粒大豆・たまふくら』
再開実験?も失敗しました。今継続乾燥中です。3回目は成功させたいところです。止めませんよ、おや爺、バカですからね。
第九位『今季最後の道東ロングツーリング:10年ぶりの再会 』
いい先輩、いい友人に巡り合いました。若い頃はそんなこと露も感じないバカでしたが……。└|o^▽^o|┐
第十位:『スタンドバイミーの世界 』
飽きない曲です。これからも驚くようなカバーが作られるんでしょうね。
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今回のご要望は、肉の量はそれほど増やさなくていいとのこと。前回は焼しゃぶ弁当にステーキをプラスしたものをご用意しましたが、今回は海鮮物にややシフトしました、プレミアム弁当です。
という訳で、ど〜ん!!
左から、キムチ3種(長芋・白菜・胡瓜)。北海道産鱈のムニエルと大帆立一個に、大海老。アーリオオーリオの野菜サラダ。
朝鮮・韓国料理の油と言えば、胡麻油とエゴマ油ですが、精養軒では、その他に、料理に合わせてオリーブオイル、高麗雉脂、和牛のヘッドもよく使うのが特徴です。
グレープフルーツルビー。下に降りて、甘みを抑えた黒豆の宮川煮と、今回進化したチーズ入りムチム。梅入り卵焼き。
いけない忘れていた!! メインの特選和牛焼しゃぶと和牛蒸しタンのチョヂャン添え。
肉に隠れてまるで見えない2023年産新米ゆめぴりかやや硬めの炊き加減です。
その他、弁当向けにいろいろ細工を施しております。美味しいっす。ヾ(●>□<●)
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冬の、早い夕暮れ。
雲は少しあるくらいで、家々の屋根の直ぐ上に大きな満月が浮かんでいた。
助手席で奥さんが、スーパームーンみたいに大きいね、とちょっと興奮気味で言った。王子製紙の脇道を通り、石狩川沿いの12号線を走る。満月がフロントガラス越しに、時に右に、真ん中へ、左へと位置を変える。
あぁ、そうか、普段は気づかずにいるけど、道が結構曲がりくねっているんだ。
満月は月面の隆起の影が、何かの表情を作っている。低い高さで、その大きな月があちらこちらと移動するのが、広大なこの宇宙の存在や、矮小なわたしの存在を実感させて、少し興奮してくるのが分かった。
江別大橋の緩く右にまわるコーナーの橋桁や高い照明灯の連なる景色、街の明かりも、何かいつもと違って、関わるひとの親しさを感じるのだった。
岩見沢に着き、近くの温泉に向かう。駅裏の農道で、辺りはさらに暗くなり、今度は、ポプラの高い木々のシルエットの上に、満月はいた。
138億年前に宇宙が始まり、46億年前に太陽が誕生して、およそ1億年後、地球や、月が出来たと言われている。太陽の光を浴びてひかる夕暮れの月を、車を走らせながら見ている。
45億年後プラス一日の、今日であることの不思議さ。
不可逆の時系列の中で、誰も経験したことのない最先端の今を感じるわたし(たち)の存在。
その今が、宇宙始まって以来の・初まりの一日なのだと思うと、絶え間なくおそうわたし(たち)の悩み、苦しみや喜びも、何か大事な、なにものかへのことづてのようにも感じられたのだった。
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前回の報告は、十割蕎麦でした。今回は更科蕎麦です。個人的にも更科蕎麦、大好きですね。
追及心の塊だった、日本蕎麦の一部の名もない先人たちが、世界の中で初めて(たぶん?)気付き、蕎麦粉の中から選び出した更科粉。澱粉質が作る、あの独特のコリコリとした食感。蕎麦の澱粉質の微かな味。いいですねぇ。
蕎麦ごときにのめり込む、そんな変人たちの偉大な、無名の歴史を思い浮かべなら食べるとさらに味がよくなりますな。(*o´∪`)o
お気に入りの更科蕎麦屋さん。毎回食感が微妙に違うのが蕎麦の面白いところです。
韓国や日本の一般的な手打ち冷麺の麺線は、粘弾性・可塑性・稠密性(パン生地用語らしい。大手パン屋の同級生から教えられた言葉)で特徴づけられると思われます。破断性はあまり重要視されていません。更科蕎麦は、日本蕎麦の中で、独特の可塑性や破断性を持っていると考えています。
実は手打ち冷麺の中にそれを取り入れて冷麺を拡張したい、というのが長い間にたどり着いた今のわたしの夢でございますね。←でも、また変わるかも……。♪ヽ(゜∀゜)メ(゜∀゜)ノ♪
何故惹かれるかは別の機会に書くとして、美味しい更科蕎麦を食べるたびに、ついふらふらと、かつ楽しく、破断性と可塑性の迷路に迷い込んで、ひとり悦に入るおや爺でありますね。
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いやあ、それを言ったら、当店の無煙ロースターは35年以上前のものですがな。以前他社の無煙ロースターメーカーの方が見られて、毎日こんなにきれいに掃除しているのは見たことがないと言われました。
関西興業製で、もはや製造中止のメーカー品です。丈夫でよく考えられた製品で、非常に洗いやすいけれど、部品点数が多いのが弱点。また、これは全ての無煙ロースターに共通しますが、煙と油を吸い込むための、テーブルに埋め込まれたロースター本体の掃除が結構大変です。
以前は定期的に一気に15台完全掃除、と称してキレイにしていました。今は人手不足でままなりません。方式を変更。閉店後、使用したロースターの毎日の掃除の他に、一日2台ずつローテーションを組んで完全掃除をすることにしました。全てやり遂げたスッキリ感は残念ながらありませんが、日々のきれい度は向上したと思います。
ロースター掃除用七つ道具。どこかで見たことがあるですって!!(〃゚∇゚〃) そうです。歯科用のツールを流用。精養軒流です。
完全掃除後の30年以上経った無煙ロースターテーブル埋め込み部。
今回は休みの日にバーナー部品の完全掃除です。先端と末端が特にひどい汚れです。
マジックリンで煮て荒く落とします。
左、柔らかくなった焦げをだいぶ削り落としました。右、完全に汚れを落としました。黒く変色した部分は高温による金属焼けです。
高温による金属変色以外奇麗になったバーナー。キレイな炎が出るようになりました。
厨房の主・M川さんに、帰られる時、(無煙ロースターの完全掃除)頑張りますね、と声をかけられました。始めはお客様や現バイトスタッフに、古い建物、古いロースターだけど、いつも手入れしていると思われたいので、やっていると思っていました。
でもそればかりじゃなかったんですね。先日30年前のバイトの人が来てくれて気づいたんです。長い間・短い間、不思議な縁から、店にかかわって苦労してくれた人たちにいつまでも大事にしていると喜んでもらいたいからだったんだと。
30年ぶりに来てくれたU野さんご夫婦のお陰です。有り難うねぇ。o(*^▽^*)o~♪
]]>落ち込んだ時、自分が嫌になった時、元気を回復する手っ取り早い、最も確実な手段の一つでした。
<give blood, get a life. 血やれば、気もらう>
禄でも無い自分でも即物的に、ひとのお役に立てたという実感が持てるからです。←なんて利己的な献血!!(*^^) でも結構こういう人がいるのを知りました。(give blood, get a life?:白血病で亡くなった山口さんのこと | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp))
以前、若い友人の骨髄移植がきっかけになって、ドナー登録をしましたが、55歳の年齢制限になって、何も出来ないまま登録抹消。唯一残ったのが、献血でした。
新札幌献血ルームです。スタッフの皆さん優しい方ばかり。最後の献血記念に許可を得て写真を撮りました。
中はこんな感じです。
飲み物が自由に飲めます。お菓子も若干あり。
新型コロナの影響は、献血にも出ている由。感染者の増加や外出自粛の影響で、献血者が大幅に減少。輸血用血液のが厳しくなっているというのです。
最初に自分で血圧を測ります。最高血圧127最低70台。いつもより相当高いです。前回は130台だったような……。
わたしの受付番号。
問診を受けた後に、輸血できる血液かどうかの検査採血です。見るほど痛くありません。
手指が冷たいので、保温材を握らされました。
左腕の血管が出なくて、右でやることに。
担当の看護師Sさんが写真を撮ってくれました。最後の献血ですというと、長いこと有り難うございましたと返されました。いえ、いえ、こちらの方こそ、有り難うございました。
わたしのよこしまな献血理由を伝えると、優しく笑ってらっしゃいました。
無事400ml献血終了です。その後血圧測定。いつも通りの血圧に戻っていました。低血圧ですかと聞くと、普段これで生活しているなら大丈夫です、元気でお過ごしくださいとのことでした。
こちらこそ、有り難うございました、Sさんもお元気で。
受付のHさんから、長い間有り難うございました。もうすることのない献血カードを記念に渡されて、最期なので記念にプレゼントを多くしました。元気でお過ごしください、と言われました。
こちらこそお世話になりました。Hさんもお元気で。
家に帰って、テーブルの上に広げてみました。
お茶・ウエットティッシュ・ビスケット・ティッシュ・メモ帳・幌加内蕎麦・ポケットティッシュ。
何と言っても極めつけは、焼きそば弁当。場所柄なんか似合わないような気が。(゚∀゚)
あっ、でも韓国にいる娘に送ろうか知らん。まだ小さかった頃二人で行ったカナダのホワイトホース。外は零下40℃の世界で食べた焼きそば弁当は美味しかったなぁ。
もう何年の食べていないけど、健康に悪そうだけんど、焼きそば弁当、ありがとう!!
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自家製海老の塩辛、好評を得ておりしたが、海老頭の味噌に手を加え、さらに生臭みをカット。という訳で、皆さん殻だけ残してきれいに完食です。
大きな海老を1尾ドーンと厨房の主・宮川流に盛り付けです。
コースのお客様に、肉を食べられないお客様用の刺身をご用意しました。朝鮮料理のチョヂャン(辛い酢味噌)で和えます。フルーツが隠し味兼生臭みを取ります。完食されましたぁ。やった〜!o(〃'▽'〃)o
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横で奥様がニコニコしていらっしゃいます。
マスクで顔は半分隠れておりますが、人懐っこい目と、30年前と変わらない髪型にすぐ気づきました。随分持ちがいいヘアスタイルだねぇ。(⌒_⌒) ちょっとふっくらしたけんど……。
三笠のU野さんじゃないの。一生懸命仕事してくれたっけ。三笠の奥の家まで、仕事終えて送ったなぁ。現在も女子のバイトは心配なので、家まで送ります。
三笠にセブンイレブンができたって、喜んでいたなぁ。
今年9月にバイクで近くを通ったけど、家の近くの角の小さなコンビニは閉店していて、U野さんのことを思い出したんだよ。
奥さん曰く、結婚した時から、よく店の仕事やおや爺のことを話していたんですよ。念願かなって嬉しいです。店に来るために、旭川から車で来たかいがありました。
うれしいのはわたしの方です。元バイトの人が来てくれるほどうれしいことはありません。色々不満や嫌なこともあっただろうに、許してくれたんだなぁと、ホッともします。
U野さん、当時のバイト仲間の名前や、わたし自身が忘れているわたしの話したことなどを鮮明に覚えていて、びっくりします。今でも飲食店に行くとバイトの動きが気になって、そんなことするとおや爺に注意されるぞと一人ツッコミをするそうです。
精養軒でバイトしてよかったと言われるとイケズおや爺もグッと来ちゃいますね。
手打ち冷麺を始め、あの頃になかった人気メニューが一杯あります。また来て試してくださいな。元バイトの人が来て恥ずかしくないようにいつまでもきれいな店で、その時より少しでも前進していたいです。
今思えば、一昨年からの2年越しの補修工事も、お客さん、設計士、当時携わった建築関係者の喜ぶ顔ばかりじゃなくて、辞めたバイトの皆さんに恥ずかしくない状態にしたかったからなんだと気づきましたよ。
ありがとうね、U野さん。
旭川のお土産有り難う。甘いもの好きの現バイト達が一気に食べちゃいました。
バイトの皆さんはいずれ精養軒を去って行きます。お互い、失敗や理不尽なこともあるだろうけど、お互い得るものも得たと言って、別れる場所にしたいね。
]]>40年以上かけて冤罪による無罪を勝ち取った布川事件の冤罪被害者の一人だった。
札幌のミニシアターはシアターキノが有名だ。もうひとつ、かつて独特の映画選択をする、蠍座(さそりざ)という映画館もあった。
10年以上前そこで、布川事件の冤罪被害者桜井昌司さんと杉山卓男さん二人のドキュメンタリ映画『ショージとタカオ』を観たのだった。
冤罪にかかわる色んな映画を見たが、こんなに笑った映画は初めてだった。観終わってロビーに出ると、館のオーナーがいた。痩せて気難しい方に見えた。普段は絶対にしないが、あまり感動したので、映画館を出るとき、その方にお礼をした。
『見応えのある映画を上映して頂いて、ありがとうございました。来てよかったです』
その時のオーナーの笑顔の素晴らしかったこと。いかにも映画好きの職人の笑顔で、そのことにも心打たれた。その後、高校同期のフィリップ丸尾から、彼が、同じ高校の2年先輩であることを知ってさらに驚いた。
『つらいときこそ楽しく』
よく聞く言葉だろうか。
戦争に反対して獄中にいた歴史学者の言葉だったか。真理は誰の口から出ても真理ではない。真理は痰唾でないのだから。
<不運だけど不幸ではなかった>桜井昌司さんの生涯をかけた深く短い言葉として、泥流地帯・拓一の『生きているくせに文句を言うな』と共に、今わたしの中に繰り返されている。
]]>おう、以前大学以来の親友Yから訳してくれないかと頼まれた、ケルティック・ウーマンの you raise me upじゃないか。
ブログ(友人からのメール?:you raise me up マーティン・ハーケンス | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp))にアップして、Yにずいぶん感謝されたが、ベッドに横になったまま、もう50年以上前の大学時代、彼が教えてくれたピアニスト・グールドの演奏を感謝を込めて思い出した。クラッシック音楽に何の関心もなかったわたし(中学時代音楽のテストで100点満点で2点だったこともある)が初めて心を鷲摑みされた演奏だった。
ベートベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」だった。始めは第二楽章に惹かれた。彼の演奏の中では評価はそれほど高くはないことを、後で知ったが、わたしの中では、教えてくれたYの存在を含めて、今でも特別だ。そのLPの解説には、指揮者の朝比奈隆が担当していて、音が実際に溢れ出て来るような名文に、音楽家は文章まで旋律を紡ぎを出すのかと驚いた。
ユーチューブでたまたま見つけたヴァニー・ヴァビオラさんのyou raise me up。イスラム圏の人なんだろうか。全く知らないのだが、以前紹介したマーティン・ハーケンスさんのものが、彼の歌声ばかりではなく、聴き入る街行く人々の表情に強く惹かれたとすれば、今回は彼女の声の風景に惹かれたと言うべきか。
you raise me up
あなたと生きるの
when i am down and, oh my soul, so weary;
when troubles come and my heart burdened be;
then, i am still and wait here in the silence
until you come and sit awhile with me
生きる希望も萎え 病み 座り込む
苦しみが絶え間なく襲い わたし わたしだけ こころ潰れ
そうにおもえるときには
静かに ここで待つの あなたが
姿を現し わたしを優しく見つめてくれるから
you raise me up, so i can stand on mountains;
you raise me up, to walk on stormy seas;
i am strong, when i am on your shoulders;
you raise me up to more than i can be
あなたがいるから どんな悲しみも乗り越えられる
あなたがいるなら 激しく逆巻く海にも帆を上げる
打ちひしがれるわたし わたしのなかにあなたがいる
わたしだって強くなれる あなたがいるから
you raise me up, so i can stand on mountains;
you raise me up, to walk on stormy seas;
i am strong, when i am on your shoulders;
you raise me up to more than i can be
あなたがいるから どんな苦しみも乗り越えられる
あなたがいるなら どんな険しい頂きにも立てる
打ちひしがれるわたし わたしのなかにあなたがいる
あなたの眼差しが わたしの奥の 秘めた思いをおしえてくれる
**
you raise me up, so i can stand on mountains;
you raise me up, to walk on stormy seas;
i am strong, when i am on your shoulders;
you raise me up to more than i can be
苦しみのない人生なんてない 悲しみのない人生なんてない
もがき続けるわたしのこころ
あなたがいてくれるから 未知の喜びに包まれる
あなたがいるなら 激しく逆巻く海にも帆を上げる
わたしだって強くなれる わたしの中にあなたがいるから
あなたの眼差しが わたしの秘めた思いを教えてくれるから
you raise me up, so i can stand on mountains;
you raise me up, to walk on stormy seas;
i am strong, when i am on your shoulders;
you raise me up to more than i can be
苦しみのない人生なんてない 悲しみのない人生なんてない
もがき続けるわたしのこころ
あなたがいてくれるから 未知の喜びに包まれる
あなたがいるなら 激しく逆巻く海にも帆を上げる
わたしだって強くなれる わたしの中にあなたがいるから
あなたの眼差しが わたしの秘めた思いを教えてくれるから
you raise me up, to more than i can be
あなたと共に生きる わたしの喜び
(感情のモニタリング的訳?:おや爺)
**ケルティック・ウーマンの歌詞ではここのところに以下の歌詞が入る。
there is no life, no life without its hunger;
each restless heart beats so imperfectly;
but when you come and i am filled with wonder
sometimes, i think i glimpse eternity
スープまで全て完食された後で、盛岡では、蕎麦粉入りの麺は韓国冷麺という名で売られています、と教えてくれました。手打ち冷麺を実験し始めた、40年近く前、よく盛岡に行って食べ歩きしました。蕎麦粉入りの麺(蕎麦粉含有率はそれほど高くありません)を売っているのは知っていましたが、それを韓国冷麺というのは知りませんでした。
精養軒の手打ち高麗雉冷麺は、蕎麦粉主体(蕎麦粉8割5分から9割5分)の麺です。
韓国や北朝鮮の冷麺店との環境の違いは、お客様が比較対象の麺を、身体で知っていることですね。当たり前ですが、ここ日本では、美味しい日本蕎麦の味と風味・食感を知ったうえで、精養軒冷麺を食べることになります。似た食感なら存在意義はありません。蕎麦粉の特性を生かし、日本蕎麦にないものを示さなければ、北海道の蕎麦農家に申し訳がない。
というようなことを念頭に、新蕎麦のこの時期、毎年手打ち蕎麦を食べ歩きします。まぁ、好きだと言うのもありますが……。o(〃'▽'〃)o
食べ比べしながら、精養軒の冷麺にフィードバックさせます。蕎麦の香り・味・食感。特に麺の食感は気を使います。冷麺の特徴は、粘弾性と可塑性にあると言われますが、パン会社に勤めていた、パンの生地に詳しい高校同期のKから教えられた言葉・稠密性も特徴に加えたい気がします。ただこの三つの要素ばかり気にすると、味と香りが失われるのが蕎麦粉の繊細なところです。
今スマホの調子が悪くて写真をパソコンに転送できません。一枚こっきりですが、これは10割蕎麦。蕎麦の香りと濃厚な味。日本蕎麦らしい軽い適度なざらつき、二八蕎麦のような王道の腰。香り高いつゆ。美味しいざんすね。
蕎麦の味・香りの出方・食感は、精養軒の冷麺とは全く違います。
写真は、盛りと一緒に食べた鴨せいろです。
その他に更科蕎麦の有名店など数軒行ってまいりました。美味しい更科蕎麦は、冷麺の可塑性をどの辺に落とすか考える点で参考になります。
少しでも(北海道)蕎麦(粉)の特性を拡張したいおや爺であります。♪ヽ(゜∀゜)メ(゜∀゜)ノ♪
]]>歩くことにした。
いつもの道を行く。京都・哲学の道にあやかって、勝手に瞑想の道と呼んでいる、レンガ公園までの川沿いの道を歩く。車道側のコスモスは、咲いているものはとうに僅かで、それぞれの枯れ方をして雨に当たり、風に吹かれていた。
前日、川側に、季節外れに一輪だけ満開の、名も知らぬ花があって写真を撮った。
今日、雨と風で、その花は根元から折れていた。
今は現代美術家として世界的に活躍しているKが、まだ10代の浪人時代、東京からくれた手紙を、突然思い出した。サイモンとガーファンクルの『flowers never bend with the rainfall雨に負けぬ花』の訳詞を写して、芸大を目指す思いを綴っていたのだ。
今、訳すために聴いてみると、その当時のアルバムの訳詞は、余りにポジティブ一本遣りで、若いニヒリズムの奥のおくに隠された・大ブレイクする前の、若者・ポールサイモンの希望のやるせなさが表現されてないように思える。
この曲はいくつもバリエイションがあるが、大学時代からの親友Yが教えてくれたアルバム・『ポールサイモン ソングブック』のものが一番惹かれる。まだデュオとして世に認められず、失意のうちに恋人のいるイギリスに渡り、録音したものだ。
一人で歌う、アコースティックバージョンのアルバム。どの曲も、若く、初々しい失意と魅力にあふれている。
flowers never bend with the rainfall
降る雨に花が折れても
through the corridors of sleep
past shadows dark and deep
my mind dances and leaps in confusion
眠りの回廊を巡り
暗く深い影々(かげ)を通り過ぎる
僕の思いはちりぢりに乱れたまま
i don’t know what is real
i can’t touch what i feel
and i hide behind the shield of my illusion
何が本当かなんてわからない
感じたものさえ掴めない
そうして僕は幻想の盾に逃げ込む
so i’ll continue to continue to pretend
that my life will never end
and flowers never bend
with the rainfall
だからずっと何度でも思い込もうとするんだ
僕の人生は終わることがない
花は降る雨に折れることはないんだ
と
the mirror on my wall
casts an image dark and small
but i’m not sure at all it’s my reflection
壁に掛けた鏡に
暗くちっぽけな姿が映る
でもそいつが僕なのか確信もない
i’m blinded by the light
of god and truth and right
and i wander in the night without direction
so i’ll continue to continue to pretend
that my life will never end
and flowers never bend
with the rainfall
僕の目は眩んでいる
この世界と真実のまばゆい光で
僕はあてもなく夜を彷徨う
だからずっと何度でも思い込もうとするんだ
僕の人生は終わることがない
花は降る雨に折れることはないんだ
と
it's no matter if you’re born
to play the king or pawn
for the line is thinly drawn
‘tween joy and sorrow
so my fantasy
becomes reality
and i must be what i must be and face tomorrow
何だと言うんだ
たとえ主役に立とうが 端役で舞台を汚そうが
喜びと悲しみの間(はざま)なんて衣一重じゃないか
だから僕のちっぽけな夢だって現実さ
自分になって 自分になって 明日に立ち向かうんだ
so i’ll continue to continue to pretend
that my life will never end
and flowers never bend
wth the rainfall
だからずっと何度でも思い込もうとするんだ
僕の人生は終わることがない
花は降る雨に折れることはないんだ
(アコースティックバージョン採詞・訳:おや爺 江別蔦屋書店で奥さんと)
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今回の写真も焼しゃぶ弁当DX。前回紹介した写真では、海鮮サラダに北海道産鱈のムニエルが入っていましたが、今回は北海道産帆立でお出ししました。何気ないようにみえて、今回も枝豆は、岩見沢産幻の超大粒大豆・たまふくらでございます。特選和牛の下に隠された御飯は、この時期、北海道産ゆめぴりか新米です。
ムチム(スルメ等を辛く和えたもの)は、さらに味を進化させて登場です。
材料の在庫・スタッフの確保などで、お受けできない場合もございます。ご予約はお早めにして頂ければ幸いです。ご注文は5個からです。
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蕎麦粉9割強の麺。日本蕎麦風に言うと外一ですね。嚙むと、今年のものは蕎麦粉の香りと味が濃いようです。
冷麺のスープは最新版仕様です。
夏の間、出汁の最新本を読み続けていました。和食の出汁の取り方と、うどん・蕎麦の出汁の取り方を比較検討しながら、精養軒の手打ち麺に合った出汁の取り方に行きつきました。
わかり辛いですが左の写真は、出汁の途中。和食風に取ったものと、うどん・蕎麦風。右の写真は、鰹節を入れる前の出汁。
それにしても料理は奥が深いですね。かつて、科学的知識を借りずに、自分の感性と強い意志で、今ある現状を批判的に・独力で切り開いた、世界の無数無名の革新的調理人たちの研鑽と歴史に、胸が熱くなります。安易な現状追認的ナショナリズムとは対極的な生き方です。
出汁は、岩見沢産高麗雉のスープ・岩見沢・恵庭産大豆のもやしスープ・煮干し・干し椎茸・削り節2種・昆布でとります。化学調味料は使いません。
配合の粉は、今回は5種。普段はあと一種類の蕎麦粉を加えます。日本蕎麦にならないように、冷麺としての稠密性と粘弾性・破断性のバランスを考えています。
5種類の粉が混ざる前の写真です。
麺を口に含んだ時の蕎麦の香りは、手打ち日本蕎麦の方が圧倒的に強いです。多分日本蕎麦の打ち方、打ち粉を振って、包丁で切るせいだと思われます。代わりに、冷麺は、歯で麺を噛み切った時に蕎麦の香りと味が出ることになります。また日本蕎麦にない、冷麺独特のツルツル感と腰の強さが生まれます。
何時も新蕎麦時の写真は冷麺なので、今回は手打ちピビム麺を。
ピビム麵にも同じ出汁が使われます。麺の伸びを抑えるために、以前より出汁と胡麻油を増やしています。枝豆は、ゆあみ農産会の超大粒大豆・たまふくらです。
何回か書いていますが、日本蕎麦、手打ち冷麺、どちらが美味しい、という訳ではありません。どちらも、蕎麦粉の持っている色々な特性を生かして、蕎麦粉の可能性を拡張したいい料理だとわたしには思えます。
]]>40年ぶりの再会:ウタントさんとセトさん現る | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp)
ウタントさんからのお歳暮と大学一年のおや爺 | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp)
そのウタントさんが、大学教授を退官されて、10年ぶりに、9月28日、知床の共通の友人(同学年だが、浪人していたので、高校生同然の新入生だったわたしは、当時正しく彼のしもべ扱いだった)に会いに来ると言うので、バイクで行くことにしました。
多分今季最後の道東ロングツーリングになるでしょう。(今この記事を書いている時点で、明後日石北峠は雪との予報が流れました。)
雨中走行は、肩と腰を先日痛めたわたしにちょっとキツイので、結局、旭川・遠軽経由で知床へ、一泊して帰りは阿寒・足寄・ナイタイ高原経由で岩見沢帰宅ということになりました。
行き。道央のコンビニで休憩。残り3本の煙草を一服。最近便秘にいいのでトマトジュースに凝っている。男子トイレにこのイラスト!そんな人いるのんか!!
東藻琴を越えた辺り? トラクターがゆっくり坂を上っている。
清里を越えた辺り。向日葵畑。
知床峠の頂上を目指すも、雨で峠途中で中止を決断。Uターン。その後友人のホテルへ。
ホテルの濃厚温泉と超強力電気風呂で疲れをとり、友人夫妻・ウタントさんと4人でビュッフェを美味しく頂きました。喋りまくって、ビールがぶ飲み。まだ話足らずそのまま、友人の自宅になだれ込み、宴会継続です。
わたしは途中で飲むのを止めましたが、皆さん力ありますわ。とても70過ぎの食べ飲みっぷり・喋りっぷりとは思えない。次の日の400?以上のロングツーリングがあるので、2時においとますると、わたしが言わなければ、何時になったのか。想像するだに、恐ろしい。
次の日ウタントさんと朝食を一緒にとりました。秋田の燻りガッコのタルタルソースとこはぜのコンフィチュールをお土産に頂きました。コロナで大変な時何もしてあげられなかったからと、封筒を渡されました。友人夫婦宅に二人で顔を出して、記念写真。わたしはCBR600に跨りました。
帰路。3時過ぎ。夕張紅葉峠を越えて栗山近郊。ひとは戻るために旅をするんだとは誰の言葉だったか。
台風一過のような空。
旅も終わりに近づいていきます。バイクのロングツーリングのときだけ1,2本吸う煙草。胸ポケットに仕舞っている2018年賞味期限切れの、7年前の煙草と携帯灰皿。最後の一本を吸って、わたしの煙草歴はこれで閉じることにします。
行く先々で雨が降っていたものの、普段のわたくしの善行の賜物でせう。ギリギリ雨に当たらず。走行距離850?。さすがに自宅に戻った時はヘットヘトでしたがな。
CBRの排気音に気づいて、奥さんが待っていました。
サムアップしてるけど、か、顔が笑ってねぇ!! こ、怖いっ。(^―^)
一夜明けてウタントさんの贈り物をよくみました。
『生き惜しむな』と書かれていました。。後でウタントさんにメールで確認すると、死に惜しむなはあるけれど、生き惜しむなはウタント・セトさんの造語らしい。
『生きることを惜しむな、ためらうな、歳だからと言って消極的にならずやりたいことはガンガンやりましょう。死ぬ直前まで自分の人生を精いっぱい生きましょう、といった意味を込めたつもりです。』
ウ〜、有り難うございます。有難みも幸運にも気づかない、こんな禄でも無い後輩に。
わたし、無神論者だけんど、仕事机の後ろにウタントセト神社を作って神棚に祀りますぅ。
補注:その後ウタントさんから手紙がありました。超高級一眼レフを持っている、写真好きのウタントさんが撮った写真と、筆で書かれた優しい手紙が入っていました。
どれも素敵ですが、驚きの写真は、朝食時に撮ってくれた一枚。わたしがこんなに無邪気に笑えるなんて思いもしませんでした。わたしの知らないもう一人の自己に出会えたようです。ひとは本当に自分を知らないなぁ。先輩のおかげです。辛い時に見ることにしますね。
生まれて初めて連写された後ろ姿の旅立つライダー写真です。撮られているなんで知りませんでした。
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もともと夏大根は辛いと言われておりましたが、とてもじゃないけど食べられないくらい辛い上に、ガリガリして食感が非常に悪いものに当たるのです。
精養軒のカクテキは、モルトや調味食材を増やしたり大きく変えたりすることで、ようやく納得のいく安定した味になっていました。が、これほど辛いと大根そのものに手を加えなければいけません。
調べてみました。
大根・ワサビを含めたアブラナ科の植物の辛み成分は、各種グルコシノレート(含硫芥子油配糖体、GSLと略記)が、酵素ミロシナーゼ(一部ネット上でミナシローゼと誤記されて広がっていますが……(*^^))によって加水分解されて生成する化合物イソチオシアネートの一つらしい。
?辛み成分は、根の方が、葉の方より10倍多い。
?辛み成分は中心部より皮に近いほど多い。
?耐熱上夏大根の方が辛み成分が多くなる。冬の方が耐寒上糖分が増す。
?辛み成分は揮発性である。特に熱で揮発する。
?辛み成分は水に溶けづらい。塩水には溶けるようです。
以上の知見から考えられる処理法は以下です。
カクテキ用の大根があまり辛い時は、皮を厚く剥く。大根の根の方を使わない。
また切った後しばらく放置し、辛み成分を揮発させる。切った大根を、ラップをせず、レンジで軽く加熱するなど。
さて以上のデータから、精養軒が一回目にとった処理方法は違います。
切った後大根に塩を振り、10~11sec.真空パックをして水洗いし、砂糖を加えて一晩置きました。
するとどうでしょう。噛み締めると適度に残った辛味。何より大根の食感がシャキシャキと気持ちいいのです。
その上で最新の配合カクテキモルトと調味野菜を加えて、3時間常温放置後冷蔵です。
ん、っま!! ヾ(*ΦωΦ)ノ ヒャッホゥ 思った以上の成果です。諦めてはいけませんね。
次回はやり残した実験をしてみます。
ちなみに辛み成分は、生理活性物質で、抗ガン・抗酸化・殺菌作用などがあると言う研究もありますね。
イソチオシアネート-ルーラル電子図書館―農業技術事典 NAROPEDIA (ruralnet.or.jp)
現在までの成果 | JPHC-NEXT (ncc.go.jp)
大根はなぜ辛味がある?辛味を抑える工夫と活かせる料理を解説 (kobayashi-foods.co.jp)←ところどころ間違っているかも
大根サラダの辛み抜きで水にさらすのは効果ある?辛いのを抑える下ごしらえの方法あれこれ (lucebrillante.com)
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シンプルないい歌詞です。元歌は、神に祈ったゴスペルらしい。
最初はイギリスのグループですね。ヒトの声ってすごいですねぇ。
ドイツ・ベルリンの郊外。
アラブのアブダビで。大画面でどうぞ。
昔苦手な英語を何とかしたくて不器用にやり始めた時、分りもしないのによく聞いた、アメリカのジェイ・レノのトゥナイトショーとレターマンのレイトショー。これはレターマンから、トレイシー・チャップマンのこころ滲みる歌と演奏です。以前ブログに載せましたが、今も特別ですね、わたしにとって。
stand by me
ぼくがいる きみがいる
when the night has come
and the land is dark
and the moon is the only light we'll see
no i won't be afraid, no i won't be afraid
just as long as you stand, stand by me
夜が訪れ
大地は暗闇に蔽われる
月のかぼそい明かりだけになっても
ぼくは怖くない 怖くないよ
だってきみがいるから きみがいるんだから
and darling, darling, stand by me
oh stand by me
oh stand
stand by me
だから ねぇきみ ぼくのそばにいて
いつでも ぼくのそばにいて
ぼくのそばに
if the sky we look upon
should tumble and fall
or the mountains should crumble to the sea
i won't cry, i won't cry, no i won't shed a tear
just as long as you stand, stand by me
あのいつもの空が
突然
崩れ落ちて
見上げていた山々が がらがらと
海に崩れ落ちても
泣かない ぼくは泣かないんだ 涙なんて見せない
だってきみがいるから きみがいるんだから
oh darling, darling, stand by me
oh stand by me
oh stand
stand by me
だから ねぇきみ ぼくのそばにいて
いつでも そばに
ぼくのそばに
oh darling darling stand by me
oh stand by me
oh stand
stand by me
stand by me
stand by me
stand by me
だから ねぇきみ ぼくのそばにいて
ぼくのそばに
きみはぼくだから
ぼくは
きみだから
きみ
は
ぼく
だから
(チャップマン採詞・訳:おや爺)
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若い友人・石橋さんのこと? | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp)
わたしにとって、彼はどういう人だったか。
社会的な地位・価値で値踏みすることなしに、人は人として独自の存在価値を持っていると、自身の存在そのもので教えてくれる稀有の人だった。(『病床のバリスタ』:山口雄也さんのブログから | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp))
60過ぎたあたりから鬱屈した精神状態を繰り返すようになっていた。特に朝起き掛けがひどい状態だった。本好きを超えて、さすがの活字フェッチのわたし。ひどい時には、布団の周りに本に囲まれて寝なければ朝起きられない時もあった。身から出た錆とはいえ、自分のロクでもない過去と先のない未来の両方から、精神的に、現在のわたしが激しく浸食されているようだと言えばいいだろうか。
解決を模索して、図書館や本屋で、あらためて目をやると、こころに関する本が山のように積まれているではないか。
社会的にその種のケアが進んでいるはずの北欧でも、同じように、ひとり、こころ悩む人が多いことも知った。
わたしにとって、亡くなった思想家・吉本隆明から得た、最大の知的希望は、どんなに矮小で・禄でも無く、個人的に見える体験も、この世界の現在とどこかで思想的につながるということだと思う。
わたし(たち)の老年期の、全く個的で心的体験も、同時代の、世界の名もない人々とつながっているのかもしれないのだ。
今年の9月16日の朝。先日のことだ。いつもと変わらない一日の始まりのはずだった。ここ数年、ほぼ毎日つけているこころのメモ帳に、驚いて書いた太字の文章。
『?この10年で初めて気持ちよく目覚め、それに二次的こころが気づいて、さらに良くなる心的体験をする。しかも格別変わった現実はないのに。やったー!!こころは自由だ。』
石橋さん、ありがとう! あまりに不甲斐ない弟子なので、手助けしてくれたんだろうか。
石橋さんとの交流を通して、いつか、わたしのこの身体・こころを元手に実証する、個別実践的な心理学をえたいと思うようになっていた。
音痴のわたしの代わりに、これは石橋さんへの返事です。
your song
ぼくの歌はきみの歌
it's a little bit funny this feeling inside
i'm not one of those who can easily hide
なんだかオカシイよね、こんな気持ち
ぼくは自分を隠すのが下手なんだ
i don't have much money but boy if i did
i'd buy a big house where we both could live
if i was a sculptor, but then again, no
or a man who makes potions on a travelling show
お金持ちじゃないけれど、もし、もしお金があったら
きみと一緒に住める大きな家を買うよ
ぼくが彫刻家だったら、 いや、こいつもありえないや
そうだ、ひとの心にとどく旅芸人に、なんて
i know it's not much but it's the best i can do
my gift is my song and this one's for you
and you can tell everybody this is your song
全然だ、ってわかっているけれど、ぼくにできる精一杯さ。
この歌を贈るよ、きみへ捧げる歌なんだ
きみの歌なんだって、みんなに言っていいんだよ
may be quite simple but now that it's done
i hope you don't mind
i hope you don't mind that i put down in words
単純すぎるかもしれない けど、今やっとできたんだ
こころを込めたつもり だからってそんなに気にしないでね
あんまり重たく考えないでよ
あのさ、
how wonderful life is while you're in the world
きみと一緒に生きている それをだけで、人生はなんてすばらしいんだ、って思えたんだ
i sat on the roof and kicked off the moss
well, a few of the verses, well, they've got me quite cross
but the sun's been quite kind while i wrote this song
it's for people like you that keep it turned on
屋根の上に腰掛けて、苔を蹴飛ばしたんだ
数行書いては、違う!って思って、
でも、ぼくがこの歌を書いているあいだ、太陽は優しく照らしてくれた
こころを照らすきみのような人の歌なんだ
so excuse me forgetting but these things i do
you see i've forgotten if they're green or they're blue
anyway the thing is what i really mean
yours are the sweetest eyes i've ever seen
ごめん、歌ばかり作ってなんでも忘れちゃうんだ
もうわかってるよね、ぼくが、緑色か青色かさえ覚えていないって
つまり、ぼくがホントに言いたいのは
きみの瞳が、色より何よりも、誰よりも素敵だってことなんだ
and you can tell everybody this is your song
may be quite simple but now that it's done
i hope you don't mind
i hope you don't mind that i put down in words
きみの歌なんだって、みんなに言っていいんだよ
単純すぎるかもしれない けど、今やっとできたんだ
こころを込めたつもり だからって、そんなに気にしないでね
あんまり重たく考えないでよ
あのさ、
how wonderful life is while you're in the world
きみと一緒に生きている それだけで、人生はなんてすばらしいんだ、って思えたんだ
i hope you don't mind
i hope you don't mind that i put down in words
こころを込めたつもり だからって、そんなに気にしないでね
あんまり重たく考えないでよ
あのさ、
how wonderful life is while you're in the world
きみがいる、
きみと一緒に生きている
それだけで、
人生は泣きたいくらいすばらしいんだって、思えるんだ
(ヘニング・メイ版ユアソング 訳:おや爺)
彼が病床で、心を込めて、この歌を歌ってくれた忘れられない光景を、心に深く刻まれた姿を思い出す。
カリフォルニアの、見知らぬ駅に向かう橋の上でも、石橋さんは歌っている気がする。
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今通常栽培している無肥料無農薬黒大豆もやしの栽培器内部。
きれいに育っています。発芽率98%以上です。
超大粒大豆・たまふくら栽培器内部。
やや黒ずみがあるだけに見えますが、これはまずい状況です。詳しく見てみましょう。
割れているのもありますが、問題は赤い印のヒビと、丸くなった茎です。
これらが多いと成長途中で欠けて、もやしになりません。今回調べると発芽率30%台でした。
原因は二つ考えられます。ゆあみ農産会の谷口さんがうまく発芽した理由は、噛んでカリッと音がするほど乾燥させたことだとおっしゃっていました。ところがうちに持ってきた段階の大豆を、谷口さんが齧ると、既に湿気を帯びてカリッと言うまでになっていない状態でした。それをそのまま使ったことがまずかったと思われます。
もう一つの原因は、大粒であればあるほど芽の出る前の成育初期の吸水浸透を早めなければいけません。と言って、よく書かれているように、水に豆を一晩浸漬させては、中粒大豆以上では経験上よくないと思います。今回の実験では、水やり間隔を開け過ぎたと思います。
選別したたまふくらと黒豆の7日経ったもやしの生育状況はこちらです。
手に取ると大きさとふくらみ、そのサイズの差がわかります。とても同じ栽培条件とは思われません。
現在、残りの大豆たまふくらを乾燥させているので、再度実験する予定です。
順調に生育している1/3のたまふくらは、黒大豆もやしとブレンドしてお出しする予定です。
]]>秋の栞はこんな感じです。
通常の焼しゃぶ弁当と、焼しゃぶ弁当Ð?の違いは、全体の肉と御飯の量の違いの他に、和牛蒸しタン・チョヂャン添え、海鮮サラダの海老のサイズとタラのヂョンと、より味がカラフルになっています。今回の枝豆は、幻の超大粒大豆・岩見沢産たまふくらを使っております。
おう、我ながら美味しそうざんすね。
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金継ぎ(きんつぎ) | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp)
こういう技を考案する人々って言うのは凄いと思いますね。おや爺、日本人じゃないけんど。
先ず技法まで行きつく諦めない思想がすごい。欧米・中国のように人間関係は突き詰めないけど、技をとことん追求して、道(どう)にまで行きつくのが、優れて日本的な感じがします、よく知らんけんど……。(*^^)
チョットだけ欠けた食器まで捨てるのがもったいない。あまりにバイト諸君が食器を割るのでどうしたものか考えていたのがきっかけでした。
思い出の食器が欠けてしまって、金継ぎしてほしいと、お客さまに頼まれたことがあります。何度もお断りしたのですが、どうなっても文句は言わないからと言われて、引き受けたことがあります。
喜ばれて、今でも使っていると言われました。
今回は欠けた御飯どんぶり11個・薬味入れ3個・取り皿2個・デザート皿1個です。
ガラスの金継ぎはちょっと難しい。影ができやすいからです。
見えづらいんですが、ドットで修飾しました。
このデザート皿に盛られた自家製アイスクリームは、おや爺の汗と涙でちょっとしょっぱいかも……。┌|≧∇≦|┘
金継ぎ作品………ではありません! 家庭用食品棚の奥のおくで見つけた薩摩芋。暑い夏を凌いで、アート作品になりましたがな。♪\(≧▽≦)/ どーしよー、食べらんねぇ……。
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『たまふくらの枝豆と種に取って置いたたまふくらがあるけどいるかい?』
おや爺、普段はやる気がない男ですが、即答です。何と言っても幻の超大粒大豆・たまふくらの枝豆は、その特大サイズに、独特の甘味。一度知ったら止められません。店で売ります。枝豆とチヂミ用にします。
さらにもやし栽培用のたまふくらまであるなんて!! えっへん! 多分日本で(てことは世界で)最初にたまふくらを使ったもやし栽培の成功したのは、精養軒だと思います。見た目ばかりじゃなく、甘味も濃厚。でも栽培がものすごく難しく、それ以前にも失敗し、2021・2022年と失敗しております。
2020年、今年もまた新豆の時機到来です。 | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp)
今回谷口さんによると、畑栽培用のたまふくらの苗の一回目の栽培に失敗したそうです。カビが生えたとのこと。
その後同じ豆をさらに天日乾燥させて、口に入れるとカリっとなるまで乾燥させてから苗に植えたら、ちゃんと生育したとのこと。以前精養軒が、谷口さんのたまふくらを使って、もやし栽培に失敗したのも、同じ原因じゃないのかというのが、谷口さんの見立てです。
谷口さんが持ってきてくれたたまふくら。
という訳でさっそく、実験開始。北海道農試験場の研究者から教えて頂いたのですが、理由は不明ですが、大豆は粒径が大きくなればなるほど、発芽率が低下するのです。チャレンジングなテーマです。
厨房奥のシンクに鎮座する、自作のもやし栽培器・ガラクタすくすくダブルデッカー嬢。
もやし栽培に光は禁物なので、銀色の遮光幕(遮光率85%)を2重にかけております。
幕をとってみましょう。おう! おや爺のこころを投影するそのあでやかな姿でございます。まつ毛のカールは、精養軒隣りのエステティシャン『R』さんにお願いしました。←バカ言ってんじゃないよ、おや爺!! (#-_-)ノ)゚o゚)あぅ
下の栽培容器にはたまふくら、上は、無肥料・無農薬の黒大豆を敷いております。
オゾン水殺菌装置と繋がった複雑な配管は、おや爺の無理なお願いを実現した、地元の共進工業の岩本さんの苦心作です。
栽培器の中はこの通り。1週間後には結果が出るでしょう。
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おや爺子供の頃歯を磨いたことがございません、自慢じゃないけど。高校生になって磨くようになると、何と虫歯になるではあ〜りませんか。磨くと虫歯になるじゃねぇの、等とこころの底で悪態をついて、現在に至っておりました。
そんなわたしが、今、人生で一番歯磨きに熱中しております。きっかけは定期的な歯医者さんでのクリーニングで、歯肉が腫れている、歯周病予備軍と言われたからでございます。
2か月前、普段の歯磨きの磨き残しをチェックしてくれたのです。それがこれです。
な,何ですって!! 70%の磨き残し! こ、こりはイカンとでしょう!!(゚ロ゚;)ハッ!! 担当の歯科衛生士さん曰く、目標は20%台、理想は10%台だそうです。
とりあえずは、アドバイスに注意して、一月後30%台を目指すことにしました。
ト、ホ、ホ、まだほぼ半分磨き残しです。さすがに真剣になりました。おや爺、理系です。自慢じゃありませんが、ただの理系ではありません、頭の悪い理系タイプです。
これだけ磨き残しにバラつきがあるということは、磨き方以前に、とりあえず磨き時間を均等にしてどういう結果になるかを検討する必要があります。
昔言われた3分間歯磨きでどうなるか1月実践してみました。均等な磨き時間にするために、歯並びのエリアを、奥・手前・奥の3つに分け、それを上下、裏表、で合計12エリア×15秒=3分としました。フロスは使いません。磨き残し減少の原因が、フロスか3分間歯磨きかわからなくなるからです。
とりあえず、右手に歯ブラシ、左手にストップウォッチ。鏡は見てません。丁寧な歯科衛生士さんのアドバイスを参考に1カ月。その結果がこれです。
おう、目標の20%台に到着です。歯肉の炎症も収まったそうです。こうしてみると、磨き方以前に、均等な磨き時間を与えていなかったのが最大の磨き残し原因と思われます。
相変わらず、下の歯に磨き残しが多いので、下の歯の1エリア15秒を、5秒伸ばして20秒にすることにしました。下の歯並びは、裏表それぞれ3エリアなので合計6エリア×20秒=2分かかることになります。3分間歯磨きから3.5分間歯磨きです。
さらにエリアとエリアの境目が磨き残しを生んでいるようなので、仕上げに、上の歯並びを1分通しで磨き、下の歯並びも1分通しで磨くことにしました。トータル6分間歯磨きです。磨き残しがあるかどうか、磨いた後、舌で触って、ツルツルなら磨いており、ザラザラなら磨き残しがあると言われました。
下の歯右5番と4番に、虫歯のごく初期形成が見られるので、ここだけフロスを使うことにしました。まだ全体にフロスは使いません。歯磨きだけで、磨き残し10%台に持ち込めるか調べるためです。
一月後どうなるか楽しみです。10%台に到達しなければ、フロスを使う予定です、って磨き残しが増えたりして。(>へ<)
う〜、担当の衛生士さん、めんどくさい患者で済みません。\( ̄∇ ̄)/
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今年は8月いっぱい止めておりましたが、9月8日から再開いたしました。
再開第一号のお客様は、市内の病院様でございました。急遽新米が入ったので、再開にふさわしく新米でのご提供です。
ンまぁ、美味しそうざんす。└(o゚∀゚o)┘ 細かい改良に改良を重ねて、最新作です。
後は蓋をしておしまいです。学生バイトに、ドヤ顔で、食べさせてあげたいですねぇ。
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一番の理由は、北海道のお米、ゆめぴりかが美味しいから。2番目の理由は、15分で炊きあがる強い火力のガス釜だから。3番目の理由は、御飯品切れのリスクに配慮しつつ、こまめに、ぎりぎりで炊いて、炊き立てをできるだけお出ししているからです。
精養軒のご飯は、今主流の炊き方よりやや硬め。おや爺が柔らかい御飯が嫌いだからざんすね。\( ̄∇ ̄)/ダー!
先日も歯医者さんご家族が来られて、炊き立てのご飯をお出ししたら、『ここのご飯はおいしい! オレ元米屋の息子だから間違いない。昔は米屋でも道産米は食べなかったねぇ、まずくって。大学が新潟で、どこで食べても御飯の美味しかったこと。帰省してうちで食べると美味しくないの。』と笑いながらおっしゃっておりました。
という訳で、いつもは、『ゆめぴりか、炊き立てです』と言ってお客様にお渡しするバイト達ですが、昨日からは、
『お待たせしました。新米ゆめぴりか、炊き立てです!』
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この8月の猛烈な暑さで、その蔦も、漸く伸びはじめた。
花壇の雑草は7月頃まで抜いていたのだが、小さな雑草はいじらしく見えて今はそのままにしている。
ここの蔦は、料理の飾りつけに使っている。亡くなったオモニが植えたヨモギはそのまま元気に伸びた。
ブッシュバジルも今年は暑いせいか長寿命で、店の各種料理に使われている。40年近く前に斉藤眼科さんから譲り受けた木槿の木は、去年最後の一本が枯れた。そのまま。何となくトルソーのよう。
日々の自己流メンタルトレーニングが功を奏しているのか、起き掛けは、以前より楽な気持ちのときが多くなっている。
5日午前6時。今朝は、気持ちがやや下向気味。しょうがない、そういう時もあるか。
玄関を開けると、夜半の雨で、駐車場のアスファルトがまだらに黒く濡れていた。曇天。
花壇の雑草を上から見ていたら、キラリと光る葉が目に入った。
座って横から覗き込んだ。
夜の雨がそれぞれの葉に、水滴となって乗っているではないか。分け隔てなく少し枯れてきて黄色くなった葉の上にも……。
心が軽くなったことを感じて、朝の30分ウォーキングを気持ちよく始められた。
苦手な経理を終え、江別の蔦屋書店へ、ふたりで向かった。昼食と、避暑を兼ねた読書。ゆっくり過ごして夕方岩見沢に戻る。もう6時には陽が落ち始めて、夏も終わりだ。
店の前から空を見上げた。
刻々と表情を変える空。
ヒヤ・アンド・ナウ。今ここに生きること。大切な時間を過ごせた気になったのだった。昔英語をやっていた頃出会ったワイルドとマンデラのこころ惹かれる言葉を、同時に思い出した。それは一番難しいことだが、救いでもあるよなぁ。
to love yourself is the biginning of a lifelong romance.
自分を愛してあげること、それは生涯続くロマンスの始まり。
romanceをそのままロマンスと訳したが、本当は、<トキメキ>と直したい誘惑にかられる。それは、黄色く枯れ始めた葉の上に光る雨粒を見つけた時のように、ホンのささやかなことなのだが……。
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レイモンド・カレーとは何ぞや? かつて岩見沢にあったブックカフェ『レイモンド』にあった美味しいカレーのことです。2014年11月に店を止めるとき、店主のフィリップ・丸尾氏から、レシピを教えてもらいました。
詳しい作り方はこちらをご覧ください。
バイトのKさんがすごく気に入って、また作ってほしいと言われたので、Kさんが教育実習でいないときに作ってみました。←なんて意地悪おや爺なの!( ̄^ ̄)v
和牛テールのスープが余ったので、それを贅沢に加えて、ややスープカレー風にしました。暑い夏ということで、夏野菜をふんだんに使ったカレーでございます。ハッキリ言って辛いです。これは企業秘密ですが、おや爺も辛いのに弱い。
辛い物苦手の新人バイトMさんは完食するのに30分以上かかりました。早く仕事に戻ってくれ〜。←おや爺心の叫び。o(TヘTo)
精養軒の和牛筋肉のミンチが入ったカレーにキノコ群が入っております。寸胴に2/3程も多量に作ってしまったい。
写真はボケてますが、味はボケてないはず……。(゚_゚i)
ピーマン、赤・黄色パプリカ、茄子、皮つき人参、皮つきキタアカリ、南瓜を全て素揚げします。
茹でたブロッコリー。冷凍菜の花を強火で焦げるまで動かさずに炒めます。
こんな感じにカレー具材の出来上がり。
精養軒のチョイ(賄い)はボウルに入れて食べる人が多い。御飯を入れて、カレーをかけ、夏野菜を載せて出来上がり。
ほ〜ら、実習中のKさん、美味しそうでしょ。バイトに来てくださいな!!┌(  ̄^ ̄)┘ ひ、人手不足で予約も取れませんがな。(TωT)
真面目なバイト、募集中です。( ̄ー ̄;)
]]>岩見沢近郊農家の方たちが、あんなに植えていた荏胡麻の葉。ここ数年トンと見かけないのは何故かしら。また店の花壇に植えて、来年はカムヂャタンをメニューに出そうか知らん。
第二位:『 2023年6月の詩の旅:六月 茨木のり子』
毎年6月に店に置く、わたしと社会の定点観測のための詩。理知的な言葉が、ひとへの優しい眼差しから生まれるのを感じますね。
第三位:『 精養軒前へ編:自家製ヤンニョム・セウヂャン(海老の塩辛)』
ささやかという言葉が好きですね。ささやかでも、傍からどう思われようと、自分の中で、前へ進めることができるものを見つけていたいです。
実は後戻り、と言うスリリングな可能性もオオアリ。v(。-_-。)vブイッ♪
第四位:『 最近のお料理あれこれ:旬のとうきび・枝豆のチヂミとバースデープレート 』
書き忘れておりました。とうきびチヂミで、水撥ね防止は、とうきびに、チヂミの粉を塗して、水分流失をガードしてから生地に練り込み焼きます。今年のチヂミ用枝豆は、茶豆が一番美味しかったかな。
第五位:『女性生活困窮者のシェルター・あじーる:『自立とは依存先を増やすこと』 』
社会的な弱者・虐められるものへ目を向け、守ることは、<普通の>多数派と思っている自分自身を結局は守ることになるのだと思います。
第六位:『非戦?:北海道新聞から』
ほぼテレビを見る機会がありませんが、音楽家・坂本龍一さんが亡くなった時の報道に違和感を持ったのはわたしだけではないと思います。音楽同様、あれほど力を注いでいた、非戦を含めた社会的活動に、ほとんど触れなかったから。マスメディアに登場する報道人・音楽家の、その横並びヒラメ状態には驚くばかりです。
第七位:『人を好きになるということ?:知らず知らずのうちに 』
人づきあいが苦手なだからこそなのか、ひとの縁の不思議さに、つい考えが向かいます。あっと、いうまに親しくなって、会わなくなっていった、今も思い浮かべる人たち・亡くなったひと・今も親しくしている人。尊敬する素粒子論物理学・武谷三男の『出会イダケガ人生ダ』を思います。
みんなホントにありがと〜。
第八位:『こころの筋トレ:丹田叩き 』
先日来店されたMさんもブログを見てやっているとおっしゃってました。彼女は、岩見沢でやっている、笑いヨガの教室にも、行ったと言っておりましたね。
第九位『マンガ図書館Z?:ルームメイト(近藤ようこ) ひみつのピクニック(此花 あかり・諏訪 由布子 』
まだ、まだ未知の素敵な漫画家っているんですねえ。
第十位:『ソウルの地下鉄で:生きるということ 』
ソウルの地下鉄のプラットフォームでこの詩と出会ったとき、ソウルに来れてよかったと思いました。横に立っていた地元のおっちゃんも目にも触れたんだろうか。
]]>今朝6時に起きて外へ出ると、爽やかな秋風が頬を撫でていきます。店の前の空を見上げて驚きました。
秋の、高い空。何て気持ちのいい朝。
いつもの軽い3呼1吸ウォーキング開始。10分〜15分ほど歩いて、能勢元市長の遺産・レンガテラスに到着です。30分ほどで、もう空の色も違います。
タキミカストレッチ・首周りの筋トレ・四股踏み・スクワット・笑いヨガ(傍から見ると怪しげな人に見えるヨガ。社会常識、社会的地位のある方は外で、一人でしてはいけません)・丹田たたき100回〜200回。時々<感情のモニタリング>を併用しながら、下の風景を前に20分ほどします。
通りを、お世話になっているオーツカ電気さんの作業車が通ります。が、おや爺気にせず、自作の一喜一憂笑いヨガをやるんざんすね。ヾ(*ΦωΦ)ノ ヒャッホゥ
また空の色が変わって、飽きません。空より美しいものがある、と問うた現代美術家・オノ・ヨーコの言葉を思い出しますね。
今季余市ニセコにツーリングに行ってから2か月ほどバイクに乗れませんでした。肩を痛めていたのです。ようやくよくなったので、まず30分ほどの近場の万字峠に行くことにしました。
かつてアホライダーの峠の聖地でございましたね。おや爺40年ほど前、耐久レースに出るつもりだったので、毎朝6時に起きて、峠を攻めてから店の仕込みをしておりました。攻め終えた帰り道、峠を見回るミニパトとよくすれちがったけ。
馬鹿ですねえ、人生を無駄にしておりますねぇ、生きている証拠だよ、と言っておこう。\(^ ^)/ バンザーイ
10年ぶりに行った万字峠は路面は舗装状態は良かったのですが、極めてバンピー(上下に跳ねやすい)。70?以上では極めて危険です。ご注意下さい。
頂上の風致公園は誰もいず、売店は閉鎖されておりました。
ほんとうに静かな世界です。
バイク、おや爺、夏の強い日差しに夏の雲。先ほどと同じ日とは思えない。
少しセンチメンタルに……。自分の影を入れて写真を撮ろう。
帰り、左コーナーで路面に砂が浮いてスリップ。最近のタイヤのグリップ力は凄いですね。フロントブレーキを軽く当てるとあっという間にグリップを回復。無事転倒せず切り抜けました。対向車線のロードバイクのお兄ちゃん、驚かせてごめんね。
運の良さに感謝です。ライダーに無理は禁物、アヤつけ厳禁ですがな。くれぐれも気をつけてね、黒田さん!!
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特に精養軒を特徴づけている部分は、実際バイトの皆さんに食べてもらって、説明を聞いてもらうのが一番です。
ところが、ご存知のコロナの大流行で、そんなお食事会も3年間一度も開けずじまい。今いるバイトは、大学3年生が最長なので、彼すら一度も食事会の経験がありません。皆さん、3日前から食事ををしませんと言うほど期待して食事会の日を迎えました。
精養軒は炊き立てのご飯を重視しているので、バイトにも焼肉と炊き立てのユメピリカの味を食べてもらおうと、5時開催に合わせて、炊き立てご飯を用意します。
韓国料理の特徴の一つは、胡麻油を使うことです。韓国へ行くとナムルは胡麻油か荏胡麻油を使うことが多く、美味しいんですが、バリエーションがやや狭く、胡麻油の良さも逆に解かりづらいと思いました。精養軒の味付けの特徴の一つは、いろんな種類の油を使うことです。焼肉の前にナムル7種盛りを食べてもらいました。胡麻油、ノンオイル、キャノーラ、オリーブオイル、ハーブオイルによる味の差を知ってもらおうということです。
勿論、地元大豆を使った、自家栽培大豆もやしナムルも売りの一つです。
次にキムチ4種盛りを試食。白菜・大根・胡瓜の他に、精養軒の人気メニュー長芋のキムチを試食してもらいました。
サンチュには、サムヂャン(サンチュに付ける自家製味噌)を食べてもらいます。精養軒のサムヂャンは、もち米を発酵させて作った自家製コチュヂャンに、煮干しを丸ごとミキサーにかけて作る、ちょっと珍しい魚介系のサムヂャンです。
野菜焼も、ただ専用のたれをかけているように見えて,あらかじめ自家製の水塩をスプレーしていることを説明して、食べてもらいました。
いよいよ焼肉です。まず最初に特選和牛焼しゃぶから始まります。焼しゃぶは普通、たれに卵の黄身を使いますが、精養軒は山ワサビだれです。肉は薄く切っているので、焼き方が難しい。それをお客さんに実演しなければいけないので、新人バイトの二人に、この機会に教えているところです。緑のボールに入っているのは焼しゃぶです。
今日のメインは、超特選和牛のサーロインとシャトーブリアン(ヒレの中心部)を組み合わせた、ポーターハウスステーキです。何年か前に、フランスの元首相夫妻が精養軒にいらした時、何をお出しするか迷っったことがあります。ちょっとした遊び心で、骨抜きポーターハウス・スペックでお出ししたら、非常に喜ばれて写真をビシバシ撮られていました。
半分冗談のつもりでしたが、2年くらい前から、東京でも専門店で、真面目に特産和牛のポーターハウスを出して人気を得ているとニュースになっていて、驚いたことがあります。わたしの肉の師匠なら何というかしら。邪道だと言って怒るかも知れませんね。
精養軒の独特の下処理をしたヒレの焼き加減に注意をしてもらって、異次元の軟らかさを味わってもらいました。後日バイトが親に写真を見せたら、羨ましがられたと笑っていました。次にヒレの切り落としを食べてもらいました。
続いて上タン塩焼を、精養軒の自家製梅だれで試食。創業以来(60年以上前)のメニュー、ジンギスカンとホルモンたれ焼も続きます。
塩ホルモン・上ミノ塩の精養軒の独自の味付け方法(4種類の油を使う等)も説明しました。
バイトの希望で、精養軒の和牛こってりホルモンも食べてもらいました。
皆さんお腹パンパンになったようです。次の食事会は、手打ち高麗雉冷麺、チヂミなどの料理を食べてもらうことを約束して解散です。
今回はコロナ禍でもあり、ノンアルコールでしたが、次回はアルコールも飲めたらいいですね。お疲れさまでしたぁ!!←おや爺の能書きがうるさくて、食べた気がしないって?!(#-_-)ノ)゚o゚)あぅ
という訳で、2週間くらい前から二人で毎日やっております。100回程度ですが、割とあっという間に終わるのもいいですね。でも同じサークルなのに三つとも微妙に違いますね。
注意事項に気をつけてくださいね。妊娠している方、及び食後すぐの方・夜寝る前は出来ません。って、当たり前だよ、おや爺よ。(#-_-)ノ)゚o゚)あぅ
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安藤忠雄もその一人で、瀬戸内海の直島の半地下建築まで見に行ったことがあります。そこで見た海岸までのランドスケープも印象的でしたが、今回の半地下・頭大仏は、もっとインパクトがありました。以前見た剥き出しの同じ大仏が、ものすごくツマラナイいコマーシャルなものに思われたので、その反動かも知れません。
先日行ってきた札幌滝野霊園にある、安藤忠雄の頭大仏。ユーチューブに動画を載せる練習を兼ねて、動画・写真を載せます。
入口から水路を挟んで、頭大仏までの通路を望む。
水路右手を望む。奥は博物館。
陽を浴びる水路を挟んで左手。奥はカフェ。
頭大仏までの通路。
その通路、頭大仏側から入口に向けて撮った写真。
大仏の足元の通路にいくつか像が置かれています。これは中国の文化大革命中、頭部を折られた石像。
打ちっぱなし建築の弱点? 築8年でヒビと亀裂。
写真では位置関係が分かりずらいので練習動画をアップします。
日本人より、外国人観光客の方が多いようにみえました。仏教系アジア圏だけでなく、欧米系の旅行者も多かったです。
近くの休憩所。
帰り道、あまりの暑さに、真駒内六花亭に寄りました。
冷やし白玉ぜんざいに抹茶のかき氷。美味しゅうございました。合掌!
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当店の2代目ビールサーバーも、全自動ですが、ここ半年程、連続して注出すると泡だらけになっておりました。 メーカーのホシザキさん、1か月くらいかけて、一生懸命部品を入れ替え続けたのですが、解決しませんでした。思い余って、サッポロビールさんに交換のお願いをしました。
担当のえらい方が来ておっしゃるには、何と2代目の全自動サーバーは17年も使っていたとのこと。こんなきれいな状態のサーバーは見たことがないと言われました。定期点検でも当店の洗浄管理は素晴らしいことは報告されているので、ここまで使われたらこの2代目の機械も本望でしょう。最新型に交換しましますとのお話でした。←う〜、早く言えばよかったよ。(TωT)
17年使った2代目全自動ビールサーバーと交換作業のホシザキさん。汗だくです。
取り外した2代目。有り難う!!助かったよ〜!!思わず合掌!m(_ _)m
若い頃、歩くビール排水溝と呼ばれたおや爺の兄・親じじい。洗浄を怠っているビールサーバーのビールは、臭いがついて、お・い・し・く・な・い。生ビールの味にはうるさいのでございます。(*^^*)
えへん、自慢じゃありませんが、当店は営業前と営業後に一日2回洗浄をすると言うどこもやらないことをしております。これをやると一日ビールジョッキ2杯ほど無駄になりますね。一月に何と一樽(20L)無駄にする勘定ですがな。(>へ<)
でも今回洗浄方法の秘訣を教わったので、洗浄時のビールの無駄は半分で済みそうです。
精養軒の、初代全自動ビールサーバーは、30年以上前になると思います。たしか東京に食べ歩きをした時に見つけたのでございますね。北海道ではまだ知られていない時期だったんじゃないでしょうか。現在は違いますが、当時は飲食店が直接購入出来ました。
今でも忘れません。来店された飲食店の方や、お客様が、ボタン一つでジョッキが傾き、ビールが注出されるのを見てビックリされていましたなぁ。でも初代の機械はガス制御だったので、ガスがなくなるのが早いのが欠点でした。
2代目からは、サッポロビールさんの提供で、メカニカル制御になって、ガスの消費はなくなりました。泡も驚くほどクリーミーでした。
今回の3代目最新型は、樽の温度を感知して、自動で適正ガス圧に変える装置がついております。ちょっとスリムになりました。がんばってねぇ。
さぁ、美味しい生ビール、ジャンジャンバリバリ、飲みましょう!┌|≧∇≦|┘ アッ、でも飲酒運転はNO。(゚ロ゚;)
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北海道新聞の、隣国を巻き込んだ日中・日米戦争の記憶を探る、一連の記事、記者がたどる(自分の親族を巻き込んだ)戦争、戦争体験者の投稿はどれも読みごたえのあるものだった。
安全地帯にいる政治家・軍人上層部・軍需産業(特攻作戦にかかわった旧軍人の言葉)を除けば、戦争で得する者はいない、たとえ戦争を鼓舞した者、悪名高い特高にいた者でさえ。ごく普通の人間が鬼になるのが戦争なのだ。自分にもかけがえのない人がいるように、相手の国にも同じくかけがえのない人を抱えた市井の人が生きている。わたしのように普段から禄でも無い生活を送る者など、戦争になるとどんな卑劣な人間になるか見当もつかないと言っていい。
大学生の時のことだ。夕暮れに、日本の友人が、風呂の途中で下宿先に駆け込んできた。
「お前の国(朝鮮半島)で戦争が始まったぞ! 風呂屋のテレビでガンガン流れていた。」
50年以上前、今のようにネットやSNSがあるわけもなく、驚いたわたしは、ラジオををかけた。ラジオはいつも通りの番組を流し、隣国の戦争なんてそんなものかと一瞬思った。
その直後、その日の日付けを思い出した。6月25日。1950年に朝鮮戦争が勃発した日じゃないか。テレビはその時の映像を流したのだ。だが、それでも一抹の恐怖が、心に残った。もしや同じ日にまた起きたのではないか。
やはり友人の早とちりと分かって、彼に対し、猛烈な怒りが沸き、毒づいた。毒づきながら、風呂場から駆け付けた、あわて者の友人の顔と、わたしに寄せる心配と深い友情に気づいて、胸の底が熱くなった。
6月25日にも気づかず日々を送る、在日朝鮮人の自分の生き方に毒づいた。
北海道新聞のコラム『卓上四季』(7月27日)を読んで、50年以上前の、10代の頃の記憶がふいによみがえったのだった。
その映画『パッチギ』のハイライト。北朝鮮からも、韓国からも、日本政府からも圧力がかかって発売放送禁止となった曲『イムジン河』を流そうとする番組ディレクターと、止めようとする上司の言い争うシーン。
非戦とは、国と国、政治的主義主張を超える・人権で結ばれる自由な横の繋がりのように思える。
<イムジン河>は朝鮮半島ばかりではない。それぞれの歴史を秘めながら、世界の紛争地、ウクライナ・ロシア、いたるところの国・社会に流れている。
]]>さかのぼること40年以上前になります。おや爺が東京はモランボンの味の研究所(後に東栄工業)で、牛肉の裁き(肉の解体)を修行していた頃の話でございます。10時になると、上司の中島係長が、「おっ、10時だ。チョイするか。」と言って、仕事を中断し、作業場を出て外でタバコを吸ったり、コーヒーを飲んだりする、15分程度の休憩時間がありました。
その間無駄話もしましたが、肉についての専門的な話をいろいろ聞くことも出来た、貴重な時間でした。そこから、精養軒では、スタッフの賄いの時間をチョイと呼ぶようにしたのです。おや爺が作るときもありますが、厨房の主・M川さんが、真に美味しい料理を用意してくれる時も多いのです。
さて、今、自律神経を整えることにハマっている奥さんが、安売りしているオメガ3脂肪酸エゴマの粉を買ってまいりました。1割引きとは言え800円以上しますがな。仕事を終えた夜に納豆に振りかけて食べるも……、お、おいしくない!(TωT) かけても、かけても、自己増殖しているのかと疑うほど減らないのでございます。
韓国B級グルメトップ5に入る料理に、カムジャタンが御座います。新宿新大久保にはカムジャタンで財を成した韓国人のカムジャタン御殿があると言う話までありますな。ちなみにその種の御殿の第一号は、プデチゲ御殿と言われております。┌|≧∇≦|┘
カムジャとは、韓国語でじゃが芋、カムジャタンは、じゃが芋スープとなるはず。たしかにじゃが芋が大きめで入っているので、間違いではないのでしょうが、もう一つの説に、豚の骨付き肉がじゃが芋に似ていたからだと言うのもありますね。
このカムジャタンの味は、(エゴマの葉と)エゴマの粉を大量に入れることで、決まります。という訳で処理に困った、先ほどのエゴマの粉を使って、賄いにカムジャタンを作ることにしました。
本当は骨付きロース肉なんでしょうが、手近にないので、もっと美味しい、上富良野産スペアリブを使うことにしました。
炒めた骨付き肉と一緒に、煮干しと昆布を入れて出汁を取ります。韓国の出汁の取り方は日本料理に比べると非常に大胆ですな。一緒に20分から30分煮るんですがな。ま、雑とも言えますが……。(゜ε゜ )ブッ!! 精養軒はいくらチョイでもそんなことはしません。
北海道が生んだ品種、美味しいキタアカリを皮ごと入れます。←芽だけはめんどくさいけどとりました。
味付けは、生姜・ニンニク、荒唐辛子・自家製発酵コチュヂャン、自家製テンヂャンをメインに、醤油・自家製自家製タンボクチャン・イワシの塩辛を隠し味に少々。
え〜、冷蔵庫に残っていた、ニラやら、キャベツの芯・エノキなどを何でもかんでも入れるのがおや爺のチョイ料理。(≧m≦)ぷぷぷ
エゴマの粉をたっぷり入れて、で、出来ましたがや!!
どうだ。食べ盛りの大学生バイト諸君。生まれて初めて食べるカムジャタンは!!
な、何とまた作ってほしいと言うほど大人気だったのでございます。ヾ(*ΦωΦ)ノ ヒャッホゥ 秋には季節限定メニューでお出しするかも……。
岩見沢に、カムジャタン御殿が出来まいか。←←←出来ません!!(`ヘ´)ノ☆(#>_<)ピシャ!
ここ2,3年、岩見沢の農家では荏胡麻の葉が売られていないので、今回大葉を使ってみました。ネットに紹介されていたので。←ハッキリ言って、あ・い・ま・せ・ん。
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6月なら、大仏の頭に、さぞやラベンダーがきれいだったでしょう。
正面入り口。
内部から大仏と空。
岩見沢に帰って、今年3度目のアボジとオモニの墓の掃除をしてきた。蔦を這わしているので、定期的に行かないと、よそ様のお墓まで伸びてご迷惑をかける。怠け者のわたしでも行かざるを得ないようになっているのである。掃除と言っても雑なもので、他の人の一回分の掃除にもならないだろう。
蔦を整備。座ってぼーっとする石の椅子が顔を出す。
若い頃は、自転車やウォーキングがてら仕事を終えた夜中、落ち着くのでお墓に行ったものだ。信心深いからでは勿論ない。月明かりの下のお墓もなかなかいいのである。
7月29日にこのブログでも紹介した、北海道教育大学岩見沢校の服部研究室のサマーコンサート~平和に願いを〜に、行ってきた。ゲストスピーカーのウクライナの大学准教授オルガ・ルチェンコさんが、ウクライナとロシアの現状を語られた。お店の営業が差し迫って、ルチェンコさんに聞きたいことも聞けずにそそくさと帰ったのが残念だった。
わたしのオモニ・アボジは、日本の戦争とアメリカが参戦した同族間の戦争と、二度の戦争に、丸ごと人生を翻弄されたので、親不孝で信念のかけらもないわたしと言えども、戦争だけは、死ぬまで反対し続けると思う。ルチェンコさんは、わたしが若い頃、日本人と朝鮮人の友情に悩んだように、ロシア人の友人と、ウクライナ人の友情に悩んでいるのだろうか。
戦争に苦しめられ、戦争を心底憎んだアボジとオモニのお墓の掃除を終えて、遠くの青空を見ていたら、そのコンサートで院生の中村ひな乃さんが歌った『花の街』の曲と詞が突然蘇って、胸が熱くなった。音楽の授業が苦手だった小中学生の頃、漫然と聞いていたこの曲が、団伊玖磨作曲だったことをパンフレットで初めて知った。大学時代、彼のエッセイ『パイプのけむり』シリーズをよく読んでいたのだ。
作詞の江間章子さんは、1945年、戦後の瓦礫と廃墟の街に立って、軍備のない・平和な日本の、夢の街をこの詩に託したことを、今回知って、ひとと曲の、めぐり巡る不思議な縁と、岩見沢に教育大学があることを感謝した。
花の街
七色の谷を越えて
流れてくる 風のリボン
輪になって 輪になって
駆けていったよ
春よ春よと 駆けていったよ
美しい海を見たよ
溢れていた 花の街よ
輪になって 輪になって
踊っていたよ
春よ春よと 踊っていたよ
すみれ色してた窓で
泣いていたよ 町の角で
輪になって 輪になって
春の夕暮れ
独り寂しく 泣いていたよ
油が跳ねて危険なので、ご家庭ではやらないようにね。(*^^)
夏と言えば枝豆も旬。枝豆のチヂミも精養軒ならではです、枝豆の種類は、幻のたまふくらや、夕張産枝豆等いろいろです。初回は弥彦神社で有名な、新潟の伊彌彦茶豆(八分実り←一番甘みと香りが強い)です。
調理のときから茶豆特有の香りがすごい。今季初めての茶豆チヂミに、チヂミ好きの常連T様にも、香りがすごいと大好評でした。
こちらもタレなし、枝豆だらけ。水塩だけで茶豆本来の味をお楽しみください。
先日、自家製デザートのバースディ・プレートの予約をお受けしました。左からゴールデンキューイの自家製シャーベット、自家製アイスクリーム4種盛り(抹茶・ウーロン茶・オミジャ・マダガスカル産蜂蜜)、自家製チョコレート・ババロアです。今回はハート形に挑戦。まだまだ修業中でございます。
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たまたま、今日(7月27日)の北海道新聞に、女性生活困窮者のシェルター・あじーるを運営する波田地利子さんのことが出ていました。自堕落で、どうでもいいことに悩むわたし。こういう若い素晴らしい方の姿を目にすると、こころがしゃんとなりますね。
アジールとは、ギリシャ語で、『犯すことのできない場や聖域、避難所』を意味するそうです。
少し長い記事を、フォトショップを使わず、夫婦で、手作業でスクラップ。
ここ20年くらいよく耳にする自己責任という言葉。いつも違和感を持っていました。多数派や時流に反する行動をしたときによく批判の言葉として投げつけられる、日本政治・社会の用語(バズ・ワード)。今まで自己責任という言葉に最も冷静に批判した現役の政治家は、わたしの中では、アメリカの当時の国務長官パウエルさんだったと思います。
波田地さんが記事の中で紹介している何気ない言葉、『自立とは依存先を増やすこと』は、人権と結びついた、自己責任の冷酷を打ち砕く、連帯の美しい言葉ではないでしょうか。
記事にはこんな写真も載っておりました。有田麻子記者、いい記事有り難う!(*´∀`)♪
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輸血を受ける人は体が弱っているので細心の注意が必要ということですね。昔と違って、事前チェックが厳密になっています。献血の注射針は改良されて、ほぼ痛くないですね。
何度も書いていますが、何故おや爺は献血するのか? それはもう不届きな自己救済からです。何と言っても、落ち込んだ時や元気が出ないときに、こんな自分でも、即物的に、ひとさまのお役に立っているという実感が得られるからですね。こうブログに載せたら、同好の士が結構いたのにビックリしました。
プラス、これは書き忘れていましたが、献血2週間後くらいに血液検査の内容を葉書で知らせてくれます。直近5回の記録も載って自己の健康診断の補助にもなります。シールされている葉書を開くとこんな感じ。
年齢的にもう後一回の献血しかできないので、記念に献血時の写真を撮っていいですかと聞くと、動画に撮って、youtubeにアップしている若者もいるとのこと。えらいこっちゃですわ。
写真左、血管が細いので腕を温めました。長い献血体験で初めていわれました。歳をとるとそうなるのか知らん。クーラーのせいもありますと慰められました。写真右、麗しく、たおやかなおや爺の左腕。血管も見事に出ておりますな。消毒。
献血センターの公式動画を載せます。こころささくれがちな時代です。メンタルケアも兼ねて皆さんもぜひどうぞ。
give blood, get a life?:白血病で亡くなった山口さんのこと | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp)
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