昨日来店されて、またもや直々のお手紙を頂きました。直立不動のおや爺の頬に、又しても澎湃と涙が溢るるのでありまするね。
可愛らしいもやしTシャツの妹ちゃんの手紙と、筆で書かれたお姉さんの手紙。うれし〜!!
前回は厨房のこころの神棚に置きました。今度は二階のリビングにある、大学の先輩のウタントセト神社に並べて祭る所存でございます。
もやし栽培用の発芽率の高い新豆大豆が見つからないことをついお伝えしました。
いろいろ注文されたのに、毎回される、もやしナムル大盛りの注文がありません。どうしたのかと思ってお聞きすると、足りないようなので、注文を遠慮されたとのこと。うぇ〜ん、涙のちょちょぎれるおや爺でございました。
再度、お聞きすると、一つはいつも通りのもやしナムル大盛り。娘も辛い物を食べるの大人になったので、もう一つは自家栽培もやし尽くしで、と言われました。
今回のもやしは青大豆と黒大豆のブレンドです。左から、使用大豆の煎り豆。次がごま油と塩の味付け。中央が、ヤンニョムヂャン(朝鮮料理の複合調味料)の味付け。右がオリーブオイルとトーストガーリック・鷹の爪のペペロンチーノ風の味付けです。大豆もやしとオリーブオイルはよく合います。
忙しくて気に入られたかどうかもお聞きできませんでしたがな。(TωT)ウルウル
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以前にも書いたことがあるが、牛の刺身・ユッケの食中毒でひとが何人も亡くなった大事件があった。当店はその事件が起こる10年くらい前から牛の刺身を出さないことにしていて、ユッケ・レバー刺しを希望するお客様から、(店が)不衛生だからだと、よく誤解を受けていた。
事件が起きる2年ほど前に、このブログに、出さない理由を、記事にした。
事件直後から、その記事にアクセスが集中して、一日4万件にもなったのだった。初めてのことだったので、オロカなわたしは、反応を明け方まで読む羽目になった。『こんな朝鮮人なら友達になってやってもいいな』から『食の神様』まであった。どれも、わたしの友人たちなら誰でも知っている、ズボラな、真のわたしの姿ではない。
それ以後その種の発言から遠ざかることにしたのだ。
店の休日にいつものように、江別蔦屋書店に行った。書棚に、好きな作家・ブレディみかこの推薦文が書かれた本があり手に取った。
『同調圧力と階層を解き明かす。数の論理で社会が動く時代だからこそ読みたい一冊』とあった。ビートルズのジョージ・ハリスンのソロアルバムに、<living in the material world>というのがある。物質主義の世界に生きてと普通訳すのだろうが、<拝金主義の世界で>とか、今なら<勝ち組世界の中に生きて>となるのではなかろうか。
スタバのコーヒーを飲みながら、その本『この国の同調圧力(山崎雅弘)』を読んでしまった。本の最後に、新保守主義の論客の本に載っているガンジーの言葉を引用している。
<無意味>という言葉に論理的に引っかかって、とりあえず英語で当たることにした。英語ではこうなっていて、腑に落ちた。
Almost anything you do will be insignificant, but you must do it. We do these things not to change the world, but so that the world will not change us.
<insignificant>は、勿論無意味と訳すときもあるし、正しい。insignificant phrase(無意味な文句)のように。でもここでは、取るに足らないを当てたい気がする。
そこに意味はある。が、現実の勝ち組社会的には取るに足らないというような……。
『我々のすることのほとんどは取るに足らないことだ。それでもしなくてはならない。それは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないためである。』
ちなみに、ガンジーは、独特のユーモアのある・こころに滲みる名言の宝庫です。o(*⌒―⌒*)o
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おぅ、とうとう出発日が決まったのね。精養軒のスタッフは、何故か歴代みんないい人ばかりですが、浦田さんはその中でも、どんな時も笑顔を絶やさない、いるだけで周りを和ませる素晴らしい人柄の持ち主でした。
どんな家庭に育ったら、こんな人になるのかしらん、ひねくれ青春期を送ったおや爺はよく思ったものです。
厨房スタッフと書きましたが、ホールの仕事もよくやってくれた、オールラウンド・プレイヤーでした。
アフリカのどこかに派遣されると聞いて、ちょうどその時おや爺が読んで感銘を受けた本『ルワンダでタイ料理店をひらく』を貸したのも思い出の一つです。
それにしても、精養軒の元女性スタッフ、世界中をひとり旅する人あり、カナダに留学する人あり、イギリスに住む人あり、アフリカで活動する人あり、多彩でありますね。日がな一日ふて寝していたヤサグレ学生生活を送ったおや爺には考えられましぇん。└( ̄^ ̄ )┐
新聞の写真では改まった様子ですが、普段はこんな感じです。出国準備に忙しい中、精養軒に来てくれました。厨房の師匠・M川さんと写真を撮り合って、笑い転げる浦田さんです。
いくら夢だったとは言え、これから遠い地へ行くというのに、この笑い様!!自分の、この笑顔のすばらしさを知らない浦田さん! あっという間にウガンダの人のこころに溶け込んでいくんだろうなぁ。
先の本は、日本人のシングルマザーが、小さな子供と共にルワンダに渡り、タイ料理店をひらく奮戦記でした。ルワンダは民族浄化の名のもとに、大虐殺が繰り広げられた地でもあります。本の中に出て来る現地スタッフの一人は、家族全員が殺され、誕生日も本名も知らない無口な青年・イノセント(無垢という意)でした。
その日本人オーナーが、異国で、先がどうなるか目の前が全く見えない状況で悩んでいた時、彼が、彼女に発した言葉があります。何の根拠もないと分かっていながら、彼の過酷な体験を経て口に出た言葉に、背中を押されたのでした。
『i think everything will be alright. 大丈夫、きっとみんなうまくいくから。』
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嬉しいことに二度目の追加注文を受けました。ホッとしました。有り難うございます、H様。
第二位:『2024年、明けましておめでとうございます。』
第4位のブログ記事と合わせてごらんくだされば、幸いです。
第三位:『 精養軒の24年度初発酵食品?:(すべて新豆による)チョングクチャン作り』
何故マイナーなチョングクチャンの記事が読まれるのか、全く想像もつきません。
珍しいから?(。-_-。)♪
第四位:『 翻訳の楽しみ?:友人と、友人の友人と、友人の友人の友人から翻訳の輪 』 『翻訳の楽しみ?:詩「小さな喜び」京都編』
こんな輪が広がるなら、誤訳も悪くないなぁと思うおや爺であります。ヾ(●>□<●)
第五位:『精養軒のキムパプ 』
まさかのコメントに驚いております。最近、関西のお店で同じ形のキムパプを見つけてビックリ。
第六位:『2023年産新豆もやし栽培実験中?:枝豆青大豆 』
極めて美味しい味でしたが、残念ながら、発芽率の低さをいかんともしがたく、諦めました。今回限り。ただし美味しいので自家製豆腐の豆乳作りに使う予定です。
第七位:『ひかく三原則とコケッコソング 』
作者の井上ひさしは今も読まれているのかしらん。いい作家でしたが……。
第八位:『spending christmas eve 2023 with back door santa 煙突いらずサンタの歌』
なかなかファンキーな曲に、お年寄りはこうあれ的な在り方に歯向かう、欧米のお姉さん。学ばせて頂きました。└|o^▽^o|┐
第九位『精養軒のチャプチェ 』
今はインスタントでも売られているくらい有名になってきた韓国料理の一つです。ただし春雨は、薩摩芋澱粉製のものをお選びください。必須の条件です。
第十位:『2024年のパイザ:一年を送る詩 』
忙しない(年末の)日々を、静かに、ゆったりと送らせる詩ですね。好きな詩人のひとりです。
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出来れば発芽率95%以上、最低でも90%が条件ですが、これがなかなか難しい。特に去年は北海道も酷暑が続いて、大豆(の発芽率)に悪影響を与えたと言われており、心配しております。
前回の枝豆青大豆は非常においしい・茎が太い・頭が大きいといいこと尽くめでしたが、如何せん、発芽率が悪いことと、頭に黒い斑点がついて、見た目がよろしくないので、今回2度生育実験をした上で、諦めました。
次に実験したのが、黒大豆二種。今回は岩見沢産と恵庭産です。
左、岩見沢産。右恵庭産です。栽培開始時期がずれているので、生育度は違います。
早速発芽率を計算しました。
1100g中、発育不良61g。恵庭産黒大豆の発芽率94.5%。新豆合格第一号。
810g中、発育不良47g。岩見沢産黒大豆、発芽率94.2%。今のところ合格圏ですが、この大豆、これから発育不良が若干増えそうな気配を、今迄の経験で感じますね。様子見です。
後は生育後の頭のサイズ・茎の太さ・頭の甘みをチェックして最終結論を出します。後実験しなければいけない大豆が、今の段階で6種類控えております。
もやしにならない大豆は、傷んだものを除いて、捨てません。発芽大豆として、自家製スンドゥブ用の豆乳大豆の一部に使われて、独特の旨味に寄与するからです。
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詩を暗唱するのは何十年振りだろう。鬱屈していた10代の学生の頃は、エリュアールや黒田三郎、李相和・朴斗鎭等好きな詩人たちの詩をよく暗唱しながら一人で夜歩いた。
韓国語と日本訳を暗唱しながら歩いていたら、原詩の持つ<やわらかな誠実さ>を関西弁で表現すると面白いかもしれないと思いついた。京都に焼肉屋をやっている友人Yがいるので、彼に、わたしの訳を京都弁に訳してもらおう。
それから彼とラインを通じて、遠く離れた二人が、考え込み感じながら会話をするような、ドキドキする楽しいやり取りが何度も続いた。夜の1時過ぎまで続いて一旦終えたのだが、学生時代に好きだったドイツ語の単語entzückendまで思い出した。
あぁ、そう言えば、若くして亡くなった我が心の師匠・石橋さんと話しているときも突然この単語が浮かんだっけ。
彼の最初の京都弁試訳。
小さな喜び
愛の遠い道を行こうとするんなら
小さい喜びと親しくしやんなら
朝に目が覚めたら
小さい喜びを呼んで
夜に目を閉じながら
幾つもの小さい喜びを呼んで
何べんも繰り返し呼んでると
幾つもの小さい喜びは
今や大きい光となって
私の内を照らして
ものすごく大きい河の水となって
私の魂に満ちてくる
私の生きてるかぎり
小さい喜びを織り込んだ
絹の服を装って
どこへでも行きたいし
誰にでも会いたい
ありがとうといいながら
何べんでも笑ろて
彼:京都弁というより普段普通に使っている京都、関西弁ですかね。 たとえば している、は しやはる。 見ている、は みやはる。と他人には京都弁らしい話し方だけど、 自分には している、は してる 見ている、は見てるとほとんど文字的には一緒でイントネーションが違うだけ。 いわゆる舞子さんが使うような不自然な京都弁は自分はほとんど使いませんね。
おや爺:『何べんでも笑ろて』、いいねぇ。<してはる>レベルの京都弁の話体で訳してみない。<親しくしやんなら>は、<仲ようしやんなら>ではおかしいですか。<親しく>が京都弁には硬い気がして。
更に何度か訳して、わたしの責任で決めた『小さな喜び』京都編訳。勿論訳の責任はわたしにあります。
작은 기쁨 李海仁
小さな喜び リ・ヘイン
사랑의 먼 길을 가려면
작은 기쁨들과 친해야 하네
愛の遠き道を行こうとするのなら
小さな喜びと仲よぅしやへんと
아침에 눈을 뜨면
작은 기쁨을 부르고
밤에 눈을 감으며
작은 기쁨들을 부르고
자꾸만 부르다 보니
작은 기쁨들은
이제 큰 빛이 되어
나의 내면을 밝히고
커다란 강물이 되어
내 혼을 적시네
朝に目覚めたら
小さな喜びを呼び
夜に目を閉じながら
幾つもの小さな喜びを呼び
繰り返し 繰り返し呼んでみると
幾つもの小さな喜びは
今や大きな光となり
私の内を照らし
大きな 大きな河の水となり
私の魂に満ちる
내 일생 동안
작은 기쁨이 지어 준
비단 옷을 차려 입고
어디든지 가고 싶어
누구라도 만나고 싶어
고맙다고 말하면서
즐겁다고 말하면서
자꾸만 웃어야지
私が生きているかぎり
小さな喜びが織り込んだ
絹の服を装い
どこへでも行きたい
誰にでも会いたい
ありがとうと言いもって
楽しいと言いもって
何べんも 何べんでも笑ろて
(京都編訳:おや爺+助っ人Y)
あ〜、楽しかった!!♪ヽ(^-^ ) でもこんなことしていいの?? 笑顔でね、と言った我がこころの師匠・石橋さん、いいよねっ!!
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去年1年は大豆もやし栽培用大豆の確保に大変苦労しました。ここ数年使っていた・美味しい青大豆が去年、どうしたことか、発芽率が悪く、使えなかったのです。(*ノω<*)アチャー
去年は20種類くらい栽培実験したと思います。最終的に一番使ったのは黒大豆でした。年間通じた発芽率はほぼ100%でした。
今年は、よく使っていた枝豆青大豆から試験しました。成育すれば、非常においしい甘い大豆もやしが出来上がります。次の栽培実験用に黒大豆と白大豆も購入しました。
右の写真の下の豆は歯で噛んで乾燥度をチェックしたものです。次の写真は青大豆を噛んでチェック。カリと歯が折れるくらいが理想です。柔らかいので自宅乾燥中です。
1週間後の栽培結果。発芽率89%。黒い変色も目立ちます。理想は95%は欲しいところです。自作のもやし栽培チャンバーに遮光幕をかぶせています。右は外したところ。
右側栽培不敵な大豆を選別。出来るだけ捨てずに発芽大豆として、自家製スンドゥブ(豆腐)用の美味しい豆乳になります。
さらに2週間後。豆の大きいこと。茎も太いですね。美味しそうです。
圧力鍋で茹でるのが精養軒流。根も捨てずに入れてスープにコクを出します。これも精養軒流と言いたいとこだけど、フランス料理の技です。
もやしナムルに味付。ふっくら!! うんまい!!┌|≧∇≦|┘ 道産新豆もやしの醍醐味は、この時期、自家栽培でしか味わえません。韓国から来たお客様も驚く北海道大豆の力です。
精養軒のもやし王女様(お客様・Y木家の、精養軒大豆もやし大好きお嬢様。勝手におや爺がもやし王女とお呼びしている)に早速献上してまいりました。
どうしよう、美味しいけど、発芽率89%。通年の大豆として使うかどうか、悩むところです。( ̄ー ̄;)
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本来加熱用調味料として使います。精養軒ではユッケジャンを始め、いろんな料理の隠し味に使われて、精養軒独自の味を構成しています。
以前朝鮮食品学の老碩学・チョンデソン博士に、チョングックチャンに関していろいろ質問した時、日本で作っているんは君んとこだけやろと言われたのも嬉しい思い出です。
さて今回は使う2023年産新豆大豆は、岩見沢産幻の超大粒大豆・たまふくら、恵庭産黒大豆、恵庭産枝豆青大豆の3種類のブレンドです。オゾン水殺菌処理後、一晩水に漬け、日本味噌作りよりやや硬めに茹でます。
一次発酵開始。好気性菌なので通風孔を作り40度から50度で保温します。4日後の写真です。日本の納豆の10倍くらい強い匂いです。
続いて2次発酵の種をヒートショックで覚醒後、先ほどの大豆の上に塗布します。左が塗布直後。右が2日後の写真。
更に3日経過して発酵終了です。12%塩分調整。
フードプロセッサーで荒くマッシュして完成。密閉アルコール殺菌して冷蔵保管します。朝鮮料理では、速成味噌ですが、精養軒では短中期熟成発酵味噌ですね。
実は2次発酵に使うチョングックチャンの菌種は、韓国の市場で購入したチョングックチャンカルを使っていました。コロナ禍で韓国にいる娘に頼んだら何とこんなものが送られてきました。
今や韓国もこんな食品工業製品ことになっているんですねぇ。これでは発酵できんとでしょう。
新たに調達しましたがや。でも私に言わせると、今や韓国のチョングクチャンは昔のチョングクチャンと比べると、個性が半分ほどなくなっている気がします。まぁ、日本の納豆も、昔に比べると、個性がなくなったという話を聞いたことがあります。
それもこれも、大量生産衛生主義・近代化の名のもとに、個性的な発酵食品が、猥雑なアジアから失われる運命なのかしらん。
なんかオモニが手作りで発酵させたチョングクチャンを子供の頃から食べている身としてはちょっと寂しい。('-'*)
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50年来の友人(在日韓国人)と、その友人の友人(韓国在住40年以上の日本人。わたしの知らない方)、さらにはその友人の友人の友人(日本の大学と大学院で研究した韓国人。わたしの知らない方)から、その翻訳の間違いを指摘されました。
?『一つ気になったのは最後の웃어야지の訳を「笑わなければ」と訳してますが、~なければと言うと何か強制的に何かをするような(ここでは無理に笑うという)意味になってしまうのではと思いました。ここで言う웃어야지は強制的に笑うのではなくて「笑っちゃおう!」っていう感じの茶目っ気のある気持ちを表しているんだと思います。「しきりに」というのもなんか固い表現なので「何度も」という意味で「しきりに」よりももっと柔らかい砕けた言葉が(思い当たらないが。)合う気がします』(その友人の友人)
?『やっぱりここでは笑おうとか笑っちゃおうでいいと思う』(その友人の友人の友人)
?を受けたわたしから友人への即答メール
『うれしい!! 多分この方の感覚が正しいんでしょうね。こころにストンと落ちたから。この返事をブログに載せていいかなぁ。わたしの翻訳のレベルを知らせるいいチャンスですがな』
辞書を片手の逐語訳で訳した場合の一般的傾向は、どうしても硬くになってしまうことだと思います。さらにわたしの訳は、いいも悪いも含めて、自分の個人的体験に重ねようとする傾向があります。
こちらの訳もそういう傾向です。毎日が きみの 初まりの日:Forever Young | おや爺のブログ (seiyouken.moo.jp)
強制的に笑うというほど強いつもりはないんですが、心的には笑えない鬱状況でも笑うのがいいんだ、どんなに大袈裟に見えようと、ちっぽけな喜びに世界史的な意味があるんだ、こころ寒い時代に、こころを広げて世界と繋がりたい。
指摘されて、こころにストンと落ちたのは、リヘインの<やわらかな誠実さ>をすぐ感じたからだと思います。改訳した次の訳でも誠実さは表現されているけど、<やわらかさ>はまだまだですねぇ。
작은 기쁨 李海仁
小さな喜び リ・ヘイン
사랑의 먼 길을 가려면
작은 기쁨들과 친해야 하네
愛の遠き道を行こうとするなら
小さな喜びと親しくしなければ
아침에 눈을 뜨면
작은 기쁨을 부르고
밤에 눈을 감으며
작은 기쁨들을 부르고
자꾸만 부르다 보니
작은 기쁨들은
이제 큰 빛이 되어
나의 내면을 밝히고
커다란 강물이 되어
내 혼을 적시네
朝に目覚めたら
小さな喜びを呼び
夜に目を閉じながら
幾つもの小さな喜びを呼び
繰り返し 繰り返し呼んでみると
幾つもの小さな喜びは
今や大きな光となり
私の内を照らし
大きな 大きな河の水となり
私の魂に満ちる
내 일생 동안
작은 기쁨이 지어 준
비단 옷을 차려 입고
어디든지 가고 싶어
누구라도 만나고 싶어
고맙다고 말하면서
즐겁다고 말하면서
자꾸만 웃어야지
私が生きているかぎり
小さな喜びが織り込んだ
絹の服を装い
どこへでも行きたい
誰にでも会いたい
ありがとうといいながら
楽しいといいながら
何度も 何度でも笑おう
(改訳:おや爺)
李海仁を知ったのは、茨木のり子訳編『韓国現代詩選』でした。1990年の初版をすぐ買ったので、30年以上前になります。それまで1970年以前の軍事独裁政権下の韓国詩(好きだけど)しか知らなかったので、びっくりしました。
誤訳のお詫びに、茨木のり子訳李海仁の『洗濯』を載せます。
洗濯
緑色の水槽いっぱいに
おどりたつ石鹸のあぶくのなかに
生きているわたしの どうしようもない汚れが
叫びながら消えてゆく
わたしはまったく気づかなかった
はたいてもはたいても埃まみれのわたしの内部
あまりにもながく洗わずにきて
黴さえ生えてきてしまっていたのを
生きているあいだは
ふるい罪を揉みだし洗いそそぐよう
洗濯をする
暗さをゆさぶりゆさぶり洗いそそぐ
水槽のなかでたぷたぷゆれる
天の裾をひきあげて
パリッと糊づけする
わたしの手よ
虹いろの泡のなかに
垢じみ しみったれた日々が
笑いながら消えてゆく
]]>今回も通常メニューに載っていない、コースで女性向けにお出しすることの多い料理を紹介します。
キムパプ、韓国海苔巻です。キムは韓国語で海苔のこと、パプは御飯です。比較的新しい韓国B級グルメですね。多分日本の海苔巻が発祥だと思われます。
とはいえ韓国料理の特徴は備えています。?胡麻油を海苔に塗る。酢飯は使わない。ご飯の量は、日本海苔巻より比較的少なめ。材料は次のものが一部入ります。
?キムチ?沢あん?ほうれん草ナムル?人參ナムル?牛蒡ナムル?蟹カマ?卵焼などです。
さて精養軒のキムパプの特徴は以下の通りです。
?海苔巻用韓国海苔を使わない。厚くて巻きやすいのですが、風味が足りない気がして使いません。代わりにトルかパレキムを軽く炙って胡麻油を塗ります。
?炒めた味付和牛肉を使います。
?キムチの味・色が他に移らないようにサンチュで巻きます。
?形が独特です。
という訳で、韓国のキムパプより手が込んでいて、すぐには作れません。以前韓国からいらした団体様が、気に入られて、追加注文されたのですが、出来ませんと言うと、けげんな顔をされたのが印象的でした。w(゜o゜*)w
このブログ読者で、今年初めて来店された常連さんのM口さんご夫婦に、ちょうど残った3切れ、お出ししました。喧嘩しないで下さいとお伝えしましたがな。(*゚▽゚)
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そもそも日本に3原則と言われているものは幾つあるんでしょうか。戦後生まれの日本国憲法の3原則、っていうのも中学校で習いました。覚えています?
<主権在民><平和主義><基本的人権の尊重>どれもすごいじゃないすか。それ以前の憲法にはなかったというのが不思議な感じがします。焼け野原の戦後日本の希望の柱だったのかしら。どれ一つ抜かしても、戦後日本の繁栄がない気がしますがな。
去年なし崩しになってしまった歴代自民党政権の武器輸出三原則というのもありました。共産圏・国連決議によって武器禁輸措置を決められた国・紛争地域への武器類の輸出禁止など、実質的には武器禁輸措置でした。
自民党ハト派の三木武夫首相も、もう遠い世界のお話しなのかしらん?
原子力の平和利用3原則という日本学術会議が提案し、原子力基本法に反映している3原則もありました。<自主><民主><公開>という簡潔明瞭な原則です。実は素粒子論物理学者・武谷三男博士が最初に唱えたと言われておりますね。
おう、非核三原則というのもありました。核兵器を、<持たず><作らず><持ち込ませず>。ノーベル平和賞受賞の佐藤栄作氏の<持ち込ませず>は沖縄の人には、端から信じれない話でしたが。
こうしてみると、3原則の宿命なのか、現在すべて風前の灯火です。
先日大学時代の友人と久しぶりに会ったとき、三浦じゅんの<ひかく三原則>って知っているかと振られました。
えっ、知らない何それ?
『他人(ひと)と比べない。親と比べない。過去の自分と比べない。ひかく(比較)三原則って言うんだ。』
おう、これは現在のネット評価万能社会で、自分のこころを守る3原則かも。でもよく考えてみると、比較すること自体は別に悪くはないんでしょう。
問題は、比較対象と現在の自分が、手をつなぎ合う横同士の人権的な関係ではなく、上下関係の間柄で比較することです。それが社会的・心的鬱状態を生む気がしますねぇ。
気が滅入る、そんな時には、唐突ですが、井上ひさしのこの歌を聞くのが一番です。ドンガバチョの歌声、このやけくそ感がいっそ爽やかです。
ドンガバチョ、サイコー!! コケコッコー!!♪ヽ(゜∀゜)メ
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今では結構有名になった韓国料理の一つです。チャプチェの魅力は、使う春雨(韓国語でタンミョンと言います)が、中国由来の麺だと思うんですが、中国や日本と原料澱粉が違うことですね。中国は、主に緑豆、日本は主にじゃが芋です。
韓国はサツマイモ澱粉を使います。最近では平麺のタンミョンも見かけます。何と言っても長所は、麺線の腰の強度が強く・持続するということですね。弱点は灰色で、中国や日本の麵色と比べてきれいじゃないということですか。でもチャプチェは醤油系の色になるので問題なし!(゚∀゚)
こんな感じです。
もともと奥さんの得意料理の一つで、家庭内で、また岩見沢在住の外国人と日本人の交流ホームパーティを精養軒の二階で開いていた時にもお出しして、好評の料理でした。
精養軒のチャプチェの特徴は3つ挙げられます。
?和牛肉を使うこと。旨味と味の奥行きがでます。
?普通、筍を使いますが、代わりに北海道が開発した甘く美味しいジャガ芋・キタアカリを使います。今ならインカの目覚めもいいでしょう。
?本来チャプチェのタンミョンの調理方法は、麺も炒めますが、精養軒は、昔から炒めません。この調理方法が、薩摩芋春雨の特徴を一番効果的に演出すると思います。昔韓国から来た留学生が驚いていましたね。
という訳で、自信作。精養軒のチャプチェでございます。
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ユーチューブで、その劇中歌を聞いていたら、サントリーの古いCMが横の紹介リストに流れていました。
見てしまいました。うまいですねぇ、昔からサントリー、腹が立つくらい宣伝が。思わずウイスキーを飲みたくなってしまいました。ニッカですけんど……。(*^^)
こんなたった2分ほどの短いCMです。16年前でこんな古い映像になるんですねぇ。
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작은 기쁨 李海仁
小さな喜び リ・ヘイン
사랑의 먼 길을 가려면
작은 기쁨들과 친해야 하네
愛の遠き道を行こうとするなら
小さな喜びと親しくしなければ
아침에 눈을 뜨면
작은 기쁨을 부르고
밤에 눈을 감으며
작은 기쁨들을 부르고
자꾸만 부르다 보니
작은 기쁨들은
이제 큰 빛이 되어
나의 내면을 밝히고
커다란 강물이 되어
내 혼을 적시네
朝に目覚めたら
小さな喜びを呼び
夜に目を閉じながら
幾つもの小さな喜びを呼び
しきりに呼んでみると
幾つもの小さな喜びは
今や大きな光となり
私の内を照らし
大きな大きな河の水となり
私の魂に満ちる
내 일생 동안
작은 기쁨이 지어 준
비단 옷을 차려 입고
어디든지 가고 싶어
누구라도 만나고 싶어
고맙다고 말하면서
즐겁다고 말하면서
자꾸만 웃어야지
私が生きているかぎり
小さな喜びが織り込んだ
絹の服を装い
どこへでも行きたい
誰にでも会いたい
ありがとうといいながら
楽しいといいながら
しきりに笑わなければ
訳に悩んだのは2連目です。
?2連3・4行目밤에 눈을 감으며/작은 기쁨들을 부르고 こなれた和訳にすると、<夜に目を閉じながら/小さな喜びを呼び>となるでしょう。
韓国語では、朝の目覚めでは、작은 기쁨(小さな喜び)、と単数表現で、夜は、작은 기쁨들(小さな喜びたち)と複数表現になっています。日本語の直訳では、喜び達とぎこちない表現になってしまいます。かといって、こなれた日本語訳にして単複同形にすると、この連の大事な何かを失うような気がします。
名詞ばかりじゃなく副詞・動詞などにも付いて、複数を示す単語・들は、非常に面白い韓国語です。日本語より適用範囲が広いので、訳さない方がいい時があったり、日本語の別の複数表現(例えば、々のように)を利用したりします。
朝の目覚めの小さな喜びは、目覚めそのもの(もしくは生きていること自体)が、もうそれだけで喜びとすべきだと詩人は考えていると、わたしは思いました。一方、一日を終えた夜の複数形は、どんな人にも、どんな状況でも、本人が気付きさえすれば、小さな喜びが、いくつかある、どうかそれに気づき数え出してほしいと詩人は信じているからだと思います。
実はおや爺もここ数年、心理臨床療法のひとつとして、一日の些細ないいことを、無理やりでも3つエクセルに書き続けています。
そこから次のように訳しました。<夜に目を閉じながら/幾つもの小さな喜びを呼び>
?2連9・10行目커다란 강물이 되어/내 혼 こなれた日本語訳では<大きな河となり/わたしの魂を濡らす>だと思います。커다란は、非常に大きい・より一層大きい状態をイメージしているので、ここでは、やさしく、柔らかい感じを出したくて、<大きな大きな河の水となり/私の魂に満ちる>
同じ膠着言語と言っても、当然ですが、好きだけど、訳などとんでもなく難しいという韓国・朝鮮の詩がほとんどです。以前ブログに載せた、李陸史イ・ユクサの詩もそうです。
辛く困難な時代を生きた詩人の詩が、今、悲しみと苦しみの中にいる心に届くことを。
一つの星をうたおう
一つの星をうたおう。たった一つの星を
十二星座のあのおびただしい星の群れを どうしてうたえようか
たった一つの星! 朝 消え去るときに見て 夜 現れるときに見る星
ぼくらとものすごく親しく もっとも輝かしい星をうたおう
美しい未来を切り開く 東方の大きな星を持とう
一つの星を持つことは 一つの地球を持つこと
染みだらけの悲しみよりほかに失うものとてない 古臭いこの地上で
一つの新しい地球をわがものとする 来たる日の喜びの歌を
喉も裂けよと声を張り上げ 心ゆくまでうたってみよう
乙女の瞳を感じつ帰っていく 軍需夜業の若き友たち
青いオアシスを思い描く辛い砂漠の キャラバンも心を潤すがいい
火田(かでん)に石くれを拾う農民たちも 沃野千里をわがものとしよう
だれもがおのれにふさわしい豊饒の地球の主宰者として
主(あるじ)のなき一つの星をわがものとする 歌をうたおう
一つの星一つの地球がしっかりと鍛えられたその地上に
あらゆる生産の種をわれらが手で蒔いてみよう
嬰粟(えいぞく)のような輝かしい実を穫り入れる饗宴では
礼儀にこだわることなしに半酔の歌でもうたってみよう
厭離穢土(えんりえど)し人々を治めたまう神はつねに神聖にして
新星を求めていく移民の群れに加わることはないから
新しい地球に寄せられた罪なき歌を 真珠のごとく撒き散らそう
一つの星をうたおう。たとえ一つの星であれ
一つまた一つの十二星座すべての星をうたおう
(詩:李陸史イ・ユクサ 訳:安宇植アン・ウシク)
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もしや、他のブログ読者もそう誤解している方がいるかもしれません。全く事実に反します。昔、集中して勉強したことがありますが、英語も韓国語も、20年以上は満足に話していないので、悲しいことに、もはや全く喋れません。
それならなぜ訳したりするのかというと、誤訳の可能性が高いとしても、気に入った詩を紹介したいからです。そういう意味でも、基本、好きなものしか訳しません。
訳を発表することに悩んでいた時期もありました(今も悩むけど……)が、ブログ読者の建築家argonさんからお褒めの言葉を頂いて、後押しされたこと、プロも間違うことを指摘されたのです。アーサービナードさんに、訳したものを見られて、もはや怖いもん無しの心境を体験したことも大きいかもしれません。
でも本当のところ、正直に言うと、老眼鏡をかけながら、大きな辞書をいくつも抱えて、ああだこうだとひとり悩む、こころ踊りが、ひとえに楽しいからです。
でも間違いなく誤訳の可能性は高いので、詩や歌詞を気に入られたら、是非他のまともな訳をご参照くださいませ。
さて、今回は実際どう悩んだかを、去年最後の記事に載せた<송년의 시 >を使ってチョット書いてみます。わたしのこころ踊りを一緒に感じて頂けたら幸いです。
全体的に、訳はほぼ直訳です。日本語と朝鮮語は同じ膠着言語系の上、漢字語も使うので、そういう点では英語より、構造的に相互訳しやすいとも言えます。それでも当たり前というか、だからこそと言うか、日本語と朝鮮語の違いの発見も楽しいのです。(〇>_<)
?題は普通なら<送年の詩>と訳すと思います。年を送るの漢字語です。それでもいいんですが、迷ったのは、韓国語の<送年>には、日本語が与える送年の語感ほど硬く未熟な感じがしないだろうなということです。それで、高田敏子の詩に倣って、最初<ゆく年の詩>と訳してみました。結構気に入ったんですが、<年を送る>という主体的な意思が、その訳では弱いように感じて、結局<一年を送る詩>としました。
日本語で忘年会という言葉があります。面白いのは、朝鮮語では送年会と言います。同じ中国由来の漢字語なのに、忘れると送る。語的自己表出が違うのです。中国語では何と言うのかしらん。
?1連1行目の한개と2行目の한번が韻(?)を踏んでいます。それを生かせば、<木の葉に一筋の風が吹くように>となるんでしょうが、ちょっと強すぎるので、尹東柱の序詞を訳した伊吹さんの<葉間はあい>という美しい言葉を使って、<葉あいに風が吹きぬけるように>としました。
?3連3行目눈길은 고요하게は、<雪道はひっそりと>とが正しいんでしょうが、雪道の静けさの醍醐味を知る北国の人間にとっては、もっとその感動を、北国以外の人に、はっきり感じてもらいたい気がして、<雪道は静寂の中に>としました。
こうして自分の訳す過程を書いていくと、ホント、我ながら危ないことをしているなぁ、楽しいけんど。(°◇°;)ギク
송년의 시 李海仁
一年を送る詩 イ・ヘイン
하늘에서 별똥별 한개 떨어지듯
나뭇잎에 바람 한번 스치듯
빨리왔던 시간들은 빨리도 지나가지요
空で流れ星がひとつ流れるように
葉あいに風が吹きぬけるように
速く来た時間は 早くも過ぎていきますね
나이들수록 시간들은 더 빨리간다고
내게 말했던 벗이여
어서 잊을 건 잊고
용서할 건 용서하며
그리운 이들을 만나야겠어요
歳がいくほどに時間はより速く過ぎると
私に話していた友よ
さあ 忘れるべきことは忘れ
許すべきことは許し
愛しい人々に会わなければ
목숨까지 떨어지기 전 미루지 않고 사랑하는 일
그것만이 중요하다고 내게 말했던 벗이여
눈길은 고요하게
마음은 따뜻하게
아름다운 삶을
오늘이 마지막인 듯이 충실히 살다보면
첫 새벽의 기쁨이 새해에도
우리 길을 밝혀 주겠지요
命まで失う前に 先延ばしせず愛すること
それだけで十分と私に話していた友よ
雪道は静寂の中に
こころ温かく
美しい人生を
今日が最後の一日のように 精一杯生きるなら
夜明けの喜びが 新しい年にも
私たちの道を照らしてくれるでしょう
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