詩の旅:2019年の六月(茨木のり子)とスカボロ・フェア(サイモン&ガーファンクル)

  • 2019.06.01 Saturday
  • 00:41

                       (美唄アルテピアッツアで。2019年5月)

 毎年6月になると店に置く・社会や世界が、わたし自身がどう変わってゆくのか、定点観測のように読み直す詩。

 

 北方領土のビザなし交流で領土返還のためには戦争しないとどうしようもなくないですかと国会議員が発言したことが話題になった。国会議員の中にはそういう人も何割かいるだろうなと思っていたのでそれほどの驚きもなかった。ただわたしには、丸山議員を支える無名の大きな層がネット上にいるであろうことにより一層苦しい思いを抱く。

 

 北海道新聞の日曜版(5月19日)・<時を訪ねて>で、関東大震災の時、陸軍の部隊と流言飛語に乗った群衆による、東京大島で起きた中国人虐殺事件を初めて知った。、元兵士の日記から明るみに出た・当時の資料によると、刃物や竹やりを持った群衆が地面に伏せた中国人200人に襲い掛かったという。その「大島町事件」中に、あの<国民的スター>王貞治氏の父が巻き込まれ、九死に一生を得たことも、恥ずかしながら初めて知った。甥の川口俊幸さんは回想している。「(仕福さんは)周りには気を使っていたね。警察や消防にはただで出前したり。日本語の不自由さもあり寡黙だったが、震災時のことも含め胸の内にいろいろな思いがあったのでは」

 

 サイモンとガーファンクルの曲で有名なスカボロ・フェア(スカボロ市場)は、イギリスの古い民謡だ。大学生の時、ボブ・ディランの二枚目のアルバム・フリーホイーリンを買った。中に『北国の少女』という曲が入っていて、スカボロ・フェアの元歌になっていることを知った。ずっと、ただきれいな曲だと思っていた。兄からその歌詞が、スカボロ市場の日々の情景と戦争に行った兵士の日常が重なるように歌われていると教えられた。イギリスが戦争に明け暮れた時代の・日常の中の戦争や、戦争の中の日常を思った。

 

 王仕福さんは、警察や消防におべんちゃらを使ったのか? そうではあるまい。 

 仕福さんは自分のささやかな日々の行動を通して、中国人が、日本人と同じく・ごく普通の(殺す対象ではない)人であることを伝えたかったのではないかとわたしは思った。

 

 わたしの両親は、日中戦争と朝鮮戦争の・二度わたる戦争に丸ごと翻弄され、ひとに言えない過酷な人生を送ったから、どんな理由であれ、北朝鮮であれ、韓国・日本であれ、アメリカ合衆国であれ、ホームレスから国家官僚を含めて、戦争に加担する発言に、口を極めて罵っていた。戦争が起きること自体、生きている市民(生きていた個人・生き延びた者たち)にとって負け戦だということを身に染みて知っていたからだ。 わたしはというと、自分の過去すら満足に背負えない自堕落なわたしのような者が、国家を背負って発言することなど、おのれの生き方を思えば、恥ずかしくて想像することもできない。

 

 2014年、イラクで人質となった3人のうち、二人が北海道出身者だった。高遠菜穂子さんと今井紀明さんだ。日本国内で、個人の自己責任という激しいバッシング(集団暴行)にあった。「税金泥棒」・「非国民」などと匿名の手紙やメールが殺到し、あの季節の美しい札幌市内を歩いていて、殴りかかられたこともあったと言う。

 

 今年5月16日の北海道新聞木曜ワイドに、「15年後の自己責任論」の記事でその後の二人の生き方が載せられていた。イラクで今も難民支援の活動をしている高遠さん。誠実な彼女をよく知る記者は、彼女ほど一貫してイラクの人たちと深くかかわってきた日本人はいるだろうかと書いている。彼女のどこが非国民なのかわたしにはよくわからない。その彼女が大学生へ向けた言葉。『何回もやめたくなるよ。でも、やめるという選択肢はない。地獄を見てきたイラク人が頑張っているから。isや空爆でひどい目にあわされた翌日から、片付けしている。それを手伝いたいし、そこから力をもらえるから』

 

 今井さんは、今、悩み生きる高校生支援の団体を立ち上げて活動している。かつてのバッシングで受けた恐怖が体に染みついていることを語っている。「つらい体験を乗り越える、とよく言いますが、そういうものではないと思う。」少しずつ呪縛から解き放たれ、自由を取り戻していく。きれいに傷口が直るのではなく、かさぶたになって、自分の体の一部となっていく。そんな感覚ではないか、と。

「自己責任と言って、ひとを切り捨てていくのは長期的な失策です。挑戦する人や弱い立場の人をつぶしてしまう。それを繰り返す悪循環を断たねばなりません」

 

 当時、ジャーナリスト金平茂紀のインタビューに答えた、現役のパウエルアメリカ国務長官の言葉に驚いた。当たり前だが、全てに同意しているわけではない。北海道新聞の取材で、ある自衛官の奥さんが答えた,<命令に従わなければならない自衛隊員>というアジア的あり方を、彼は知らないだろう。けれど、パウエルという人の、骨太い・奥行きの深さに、こういう人はネットのバッシングなどにふらつくことのない政治家なんだろうと思った。

 

Well, everybody should understand the risk they are taking by going into dangerous areas. But if nobody was willing to take a risk, then we would never move forward. We would never move our world forward.And so I'm pleased that these Japanese citizens were willing to put themselves at risk for a greater good, for a better purpose. And the Japanese people should be very proud that they have citizens like this willing to do that, and very proud of the soldiers that you are sending to Iraq that they are willing to take that risk.But even when, because of that risk, they get captured, it doesn't mean we can say, "Well, you took the risk. It's your fault." No, we still have an obligation to do everything we can to recover them safely and we have an obligation to be deeply concerned about them. They are our friends. They are our neighbors. They are our fellow citizens.
 危険地域へ行くことによって生じるリスクは誰もが理解すべきだ。だが、誰かがすすんでリスクをとろうとしなければ、わたしたちは決して前へは進めない。わたしたちは世界を前進させることができなくなる。あの(拘束された)日本の市民たちが、より大きな善のため、より良き目的のために、すすんで自分たちを危険に晒したことを、好ましく思う。日本の人々は、そういうことをすすんでしようとする市民を持っていることを、おおいに誇りに思うべきだ。同時に、あなたたちがイラクに送った・そういう危険をすすんで引き受ける自衛隊員(soldiers)をおおいに誇りに思うべきだ。

 

 そして例え、そのリスク故に、彼らが拘束されたとしても、「危険を承知で引き受けたのだから、自分が悪い、自己責任だ。」などと、わたしたちが言えるわけがない。断じて言えない。わたしたちには、それでもなお、彼らの安全を取り戻すために、できることを全てやる義務がある。そして、彼らのことを深く心配する義務があるのだ。彼らはわたしたちの友人であり、隣人であり、同じ市民(パイザ)なのだから。

 

 人と人が交流すれば、わかる。ひとは、いいところも悪いところもある、神でも悪魔でもない・社会的存在なのだ。

 

 若い高遠さんや今井さんに精神的肉体的暴行を加えた人々は、その後、新たな標的を求めて、ネット空間を彷徨っているのだろうか。

 

 若い尊敬する日本の友人が、ネットなどのヘイト・スキャッター達について語った言葉を、噛み締めるように思い出す。「偏見とか、固定概念とか、そういうものが人々を守っている側面も大きいと思うんです」と続けて、偏見や固定観念で、バランスをとらざるを得なかったと言う方が良いかもしれません/心底、必要なかった、と思うまではその人のバランスに必要なんだと思います/悪いとわかっている事でも、代わりにより良い事を得られる自信がないと、なかなか手放せないものなんじゃないでしょうか/なので、僕自身も、より良い未来の可能性を感じさせる事にフォーカスして生きていきたいと思ってるんです」 

 

 次の記事は、北海道新聞の、去年5月28日のいずみ欄のものだ。

 

 人がしてはいけないことが一つある。人を殺すこと。後は、せざるを得ない場面もある。とは戦場写真家でアル中の故・鴨志田穣の、今も忘れられない言葉。人と人とが結びつく・国を超える、美しい足し算の論理(人権の論理)と、人と人を引き裂く引き算の論理(特権の論理)が、確かに、ある。自分が小さく見えるときほど、足し算の心をいつも忘れずにいたいと思う。大きなことではない、わたしにできることはささやかなことだ。いつもとは言えないが、料理を通して語ること。そして、ひと付き合いの苦手なわたしにも少数だが、国籍を問わず・年齢も問わない親しい付き合いの人たちがいた(いる)ことを誇りに思っている。

コメント
 ワイン好きの料理おたく様、いつも心のこもった・暖かいコメントありがとうございます。
 す、すみません!! 今寝ぼけて操作ミスからコメントを消してしまいました。(泣き)
  • おや爺
  • 2019/06/03 1:28 AM
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