アフリカ人女性と結婚した日本人文化人類学者が語る差別について i shall be released

  • 2018.03.02 Friday
  • 00:02

 京都に住む若い友人がフェイスブックで紹介していた記事に興味をひかれた。アフリカ人女性と結婚した日本人文化人類学者が語るコラム・<「差別」とは何か?アフリカ人と結婚した日本人の私がいま考えること>だ。

 

 ずいぶん違うもんだなぁ、というところもある。文化人類学者の本を読んだときに感じる、人間がつくった社会制度の成り立ちやあり方を、動物社会などと陸続きでつなげてしまうところが引っ掛かってしまうのだ。人間の観念的自己疎外が国家意思や法・社会を作り上げるというヘーゲルの流れをくむ言語学者・三浦つとむや、先年亡くなった独創の国家論学者・滝村隆一の論考に深く感動したためなんだろうか。

 

 それでもこの学者の・自分たちの結婚を含む実体験からくる差別に対する考えに引き寄せられるのだ。それはわたしの実体験とつながっているからだろう。彼の論考は以下で終えている。

 

あらゆるレベルでの差別を告発し、社会の仕組みを変えてゆくことは必要であろう。だが、制度よりも「心の動き」が大切であることを忘れてはならない。

差別を生みだす精神構造は私たちみなが持っている。ヒトはその置かれた環境におおきく左右される動物であるから、差別主義者を攻撃するのではなく、差別が生みだされる環境を理解しなければならない。

人の心には、善も悪もある。天使も悪魔も、仏も鬼も棲んでいる。それらをどう飼いならすか。差別という「憑き物」をどう落とすか。

必要なのは抽象的な理念でも大袈裟なイデオロギーでもなく、人と人とのコミュニケーションの中で「落ちる」瞬間を具体的に体感し、その経験を積み重ねて、自身の心の中に自由な空間を広げてゆくことなのだ。

ジャマイカのガンコ爺さんと、パリの女性職員の笑顔を思い出しながら、私はそう確信するのである。』

 

 わたし自身は、<制度よりも「心の動き」が大切である>とは思えない。両者ともに大切と言うほかはないとおもっている。<差別主義者を攻撃するのではなく>ではなく、差別主義者を批判しないで、よりよい社会が生まれるとも思えない。ただわたしはこの文化人類学者の言うように、たとえ批判するときにも、おのれ自身も別の場面で差別する程度の人間である事実を忘れないでいたい。

 

 <必要なのは抽象的な理念でも大袈裟なイデオロギーでもなく、人と人とのコミュニケーションの中で「落ちる」瞬間を具体的に体感し、その経験を積み重ねて、自身の心の中に自由な空間を広げてゆくことなのだ。>

 あらゆる科学理論同様、わたしは<抽象的な理念>も必要だと思っている。ただ<抽象的な理念>と<「落ちる」瞬間>をつなぐ論理的・心理的回路を作りながら、<自身の心の中に自由な空間を広げてゆくこと>が重要なのではないだろうか。

 尊敬する友人が教えてくれた、素晴らしいコラムを読みながらそんなことを思った。

 差別をなくすことはできるのだろうか? わたしにはわからない。 

 『もし、私たちが空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、“その通りだ”と。』は、よく引用される、チェ・ゲバラの有名な言葉だ。でも弱いわたしは、あの勁いゲバラが言った・それ以後に続く・あまり知られていない言葉の方に<屈せざる希望>をかけたくなるのだ。

『……できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、“その通りだ”と。全ての人間が自分の卑しさを乗り越えながら、前進することが可能なのだと答えよう。』

  i shall be released

 こころをひろげるんだ

they say everything can be replaced,
they say every distance is not near.
so I remember every face
of every man who put me here.

なんだって代わりがきくって言う
どんなに近くても 遠いんだって
僕はおぼえているよ ひとりひとりの顔
ここに追い込んだみんなの顔を
i see my light come shining
from the west onto the east.
any day now, any day how,
i shall be released.

ぼくはみえる 光が
西から東へ 輝きながら降り注ぐ
いますぐにも こころも

この身も
自由になるんだ

they say every man needs protection,
they say every man must fall.

i swear i see my own reflection
somewhere so high above this wall.

どんなひとでも守ってあげなくちゃいけないって言う

どんな人だって落ちていってしまうからって

僕には 僕には自分のホントの姿が見えるんだ

眼の前の壁

ずっと高みに
i see my light come shining
from the west onto the east.
any day now, any day how,
i shall be released.

ぼくはみえる 光が
西から東へ 輝きながら降り注ぐ
いますぐにも こころも

この身も
自由になるんだ

standing there in these lonely crowd,
is a man who swears he's not to blame.
all day long i swear i hear him shouting so loud,
crying out that he was framed.

あそこに 男がいる ひとり この孤独な群れの中で

うめいている
わるいのか、オレは悪いのか!
一日中 男の呼ぶ声が耳に焼きつく

オレは、はめられたんだ!
i see my light come shining
from the west onto the east.
any day now, any day how,
i shall be released.

ぼくには 見える 自由が輝きながら降り注ぐ

輝きながら 輝きながら光りとなって
西から東へ降り注ぐ 

いますぐ いますぐにも 僕は
自由につつまれる

いまこそ

こころをひろげるんだ

i see my light come shining
from the west onto the east.
any day now, any day how,
i shall be released.

any day now, any day how,
i shall be released.

ほんとうさ ぼくには 見える 自由が輝きながら降り注ぐ

輝きながら 輝きながら光りとなって
西から東へ降り注ぐ 
ぼくはわかっているんだ 

いますぐ いますぐにも 僕は
自由につつまれる

いまこそ

こころをひろげるんだ

 (kesiena版採詞・訳:おや爺)

コメント
鈴木裕之さんのコラム読みました。
安易にコメントで触れることのできない重たさを感じています。

<人と人とのコミュニケーションの中で「落ちる」瞬間を具体的に体感し、その経験を積み重ねて、自身の心の中に自由な空間を広げてゆくことなのだ。>

「その通りだ。」と、言いたいのですが、微妙な違和感を感じました。
「落ちる」ことを感じない、差別を差別と感じない「心のマヒ」を解決できるのかなと・・・・


おや爺さんの言葉です。
「たとえ批判するときにも、おのれ自身も別の場面で差別する程度の人間である事実を忘れないでいたい。」

そうありたいのです。
差別をを差別と感じる柔軟さを保ちたい。


  • ワイン好きの料理おたく
  • 2018/03/03 7:43 AM
 <差別をを差別と感じる柔軟さを保ちたい。>そうですね。それが難しいんですよね。そのためには、原始キリスト教じゃありませんが、真理は少数にある、という視線を忘れないことが大事なのかもしれませんね。新しいまだ見ぬ真理ということですが……。
  • おや爺
  • 2018/03/04 2:01 AM
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