詩の架け橋◆東日本大震災以後

  • 2016.11.24 Thursday
  • 12:16

 昨日福島を震源とする大きな地震があった。

 福島原発事故後、福島を自主避難して旭川に住む詩人・曳地奈穂子さんを詩集をひょんなきっかけで手にした。彼女の詩集・あの日からを読みながら、<詩の架け橋>と言う言葉が浮かんだ。

 曳地さんは福島から自主避難した方だが、自主避難せず、留まることを決意した方もいる。強制避難した場所に暮らさざるを得なかった方もいらっしゃるだろう。そういう方たちの詩も読みたいと思った。ひとのこころの架け橋のための詩などと言うのはないが、それぞれの詩をつうじて、世界が無数のこころの架け橋でつながる光景をおもい浮かべた。

 11月20日北海道新聞の日曜文芸短歌欄で、田中綾北海学園大教授が紹介している。現代短歌にとって、『3・11以降』が非常に大きなテーマになっているという。次の歌は仙台市在住の留まることを決意した(<逃げないひと>)歌人・佐藤通雅さんのもの。

逃げるひとは逃げないひとを、逃げないひとは逃げゆくひとを深く傷つける

 同じ仙台市から、子どもを連れて九州に移住を決めた女性歌人・大口玲子さんの歌。
なぜ避難したかと問はれ「子が大事」と答へてまた誰かを傷つけて

 福島県いわき市在住の女性歌人・高木圭子さんの歌。
その人は明日逃ぐる人明日想ひ明日を信じて明日逃ぐる人

この最後にあげた歌に対して、「さまざまな事情で土地を離れる人たちにもそれぞれの『明日』があり、その明日を『信じて』選択したのだから、一概に傷を問うべきではない、という歌だろう。同調圧力の強い日本社会において、短歌はむしろ、個の言葉、発想を保ち続けていることに、勇気づけられる。」と解説している。

 「自主(強制)避難した」、「留まる」、「逃げるひと」、「逃げないひと」、と書きながらこころが泡立つのを感じてしまうのは、どちらにしてもこういう言葉を使わざる得ない、非日常の体験を強いられ続けたすえの、自身の決断なのだ、という思いだ。だとするなら、強いたものとは何かを、誰かに問うてもらうのではなく、わたしたちがこころの論理とともに問うことが、<詩の架け橋に>、<同調圧力の強い日本社会において、短歌はむしろ、個の言葉、発想を保ち続けていることに>なるのだろう。

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