怒りと感謝を日々の糧に:ここが家だ 絵ベン・ジャーン 構成・文アーサー・ビナード

  • 2012.05.19 Saturday
  • 21:06
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 1954年3月1日、日本のマグロ漁船(第5福竜丸)が、南太平洋上でアメリカの水爆実験で被ばくし、日本で大規模な抗議行動がおきました。そこから題材をとった絵本です。北海道新聞の卓上四季にも紹介されていました。コラムの最後は、『1945年8月6日を、54年3月1日を、そして2011年3月11日から続く日々をー忘れてはならない。忘れられようか。』で終わっています。道新の最近の原発記事を読むと、こんな〆の言葉なんて、読者に対する上から目線の説教としか思えません。
 物理学者の武谷三男でしたか、広島の碑文「安らかにお眠りください。過ちは二度と繰り返しはしませんから」に対して、「安らかに眠らないでください。過ちは繰り返されそうです』と書いていました。 

 この絵本を構成したアーサー・ビナードは、作家・リービ英雄と同じくらい好きな詩人で、尊敬する在日外国人です。以前書いた記事があるので、興味のある方は
こちらをご覧ください。  テレビがないので、今はどうか知りませんが、日本に文句をつける・わざとヒステリックに演ずる在日外国人たち(彼らを演出するのは、日本のディレクターに他ならない!)に、テリー伊藤や日本人のコメンテータと司会のビートたけしが、やりこめるという・討論にもならない番組を見て、恥ずかしさで身がろくろ首のように天井までよじれたことがありました(ホント、後生だからカンベンしてほしい)。

 何が恥ずかしいって、サクラで呼んだ外国人と結末をしっているコメンテーターたちが、口泡飛ばす姿や、知らざぁ、言って聞かせやしょうとばかりに最後に決め台詞を言う、出来レースのビートたけしを見せられては、見たくもないヒトの思想的下半身を丸見せさせられたようで、思わず目をそむけてしまいますがな。  

 もちろんアーサー・ビナードさんやリービ英雄さんはこれらと全く違って、自国や日本を相対化しつつなおかつ日本に魅せられた人たちです。

 話を戻して……。これは、「毛筆で描くときでも、石に刻む線を描いている」という石版工ベン・ジャーンの画です。

 ビキニ環礁でアメリカの水爆実験により死の灰をもろに浴びながら、第五福竜丸の無線長・久保田愛吉は、自分たちが軍事秘密に遭遇してしまったことを察知します。経験豊かな彼は仲間に言います。「船や飛行機が見えたら知らせよ。その時はすぐに焼津に無線を打ち、自分たちの位置を知らせる。そうでなければ無線は打たない。」

 発信が傍受されれば、自分たちがアメリカの攻撃目標にされかねないこともわかっていたのです。奥さんとかわいい3人の娘がいた久保田さんは、半年後の9月23日に亡くなります。かれのさいごの言葉が残っています。
「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい。」

 ベン・ジャーンが久保田を描いた絵について語っています。
「放射能病で死亡した無線長は、あなたや私と同じ、ひとりの人間だった。……彼を描くというよりも、私たちみなを描こうとした。久保田さんが息を引き取り、彼の奥さんの悲しみを慰めているひとは、夫を失った妻の悲しみそのものと向き合っている。亡くなる前、幼い娘を抱きあげた久保田さんは、わが子を抱き上げるすべての父親だ。」

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 ラッキー・ドラゴン(福竜丸を英訳したと思われる)というシリーズのこの絵が、福島県立美術館に所蔵されていたことをいま改めて知って驚いています。 

『ここが家だ ベン・ジャーンの第五福竜丸』 絵ベン・ジャーン 構成・文アーサー・ビナード 
集英社1600円
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