こころの筋トレぁД蹈ぅ筌襦ΕΕД妊ングstand by meから

  • 2018.05.21 Monday
  • 19:32

 

 イギリスのロイヤルウエディングに何の興味もなかったのだが、奥さんが、式でスタンド・バイ・ミーを歌って評判になっていると教えてくれた。

 

 スタンド・バイ・ミーはアメリカのベン・イー・キングがオリジナルだが、わたしの大好きな映画のタイトル()や挿入歌になったり、カバーが世界中の有名歌手によってされている。その中でもジョンレノンや忌野清志郎のものが、わたしには別格に好きで、ブログにも紹介したことがある。ストリートミュージシャンのものも友人のフィリップ丸尾から教えられて気に入り、ブログに載せた。後にTVCMに使われたらしい。

 

 今回ユーチューブでロイヤルウェディングの映像を見たが、それよりもわたしのこころに沁みたのは、アメリカのトレイシー・チャップマンのライブ版だった。昔英語を勉強していた頃、アメリカのトークショウをよく見ていた。その中でもデビット・レターマンはジョークが面白くて、よく分かりもしないのに見ていた。そこに彼女が出て歌っていた。ジョンレノンのカバーを最初に聴いた時、これ一曲でスタンドバイミーの映画一本分の中身を表現している気がしたが、チャップマンのはまるで違う。

 チャップマンの・普通なら盛り上げるところを、感情の高ぶりを抑えたカバーを聞いたら、驚いたことに涙がこぼれそうになったのだ。ふつうstand by meは、そばにいて、くらいに訳される。その通りなのだが、静かに、高ぶりをわざと抑える誠実な歌い方に、今わたしが練習している心理臨床技法・こころの筋トレの<感情のモニタリング>の主体自己のありようを思い出させたのだ。

 

 ひとは悩みを抱えはじめるとき、悩みの種があるから悩むが、それはただのきっかけにすぎない。問題は、つぎつぎに悩みの種を見つけだして、悩むこと自体すら悩みになるという二重構造を伴いながら、雪だるまのように悩みを主観的に加速化させる。いわば悩みの多重債務が常態化することなのだ。

 悩みを抱える者だけが努力すると言ったのはゲーテだったか。これは至言だが、かと言って、努力で悩みをなくすことはできない。

 

 日本の誇る、独創・実践の老碩学・河野良和氏は、人間の持つ最大の能力・観念的自己疎外(観念的二重化)を、感情のあり方に用いて、感情をコントロールする技法を発見した。感情に振り回される対象自己を、観念的主体自己が<ゆるく気づく>ままに意識することで、<自分の身体と心と向き合う時間>を豊かにできる、意識効果の原理だ。わたしはこれを、その場その時(here and now)の生きている感情のキャッチ・アンド・リリース(釣りで魚を捕まえて海や渓流に流す行為)と、勝手に呼びたい気がする。

 

 悩みを持つものは、誰も助けてくれる人がいないと思いがちだ。だが、本当は、見えていないだけかもしれないし、とうの自分が助けてくれる場合も確かにありうるのだ。

 チャップマンの抑えた静かなギター、誠実で・感情ゆたかな歌声と、歌い終えた後の少し後ずさるような笑顔が、こころを込めて、そう歌っているようにわたしには聞こえる。

stand by me

ぼくがいる きみがいる

 

when the night has come
and the land is dark
and the moon is the only light we'll see
no i won't be afraid, no i won't be afraid
just as long as you stand, stand by me
夜が訪れ

大地は暗闇に蔽われる

月のかぼそい明かりだけになっても

ぼくは怖くない 怖くないよ

だってきみがいるから きみがいるんだから
and darling, darling, stand by me
oh stand by me
oh stand
stand by me
だから ねぇきみ ぼくのそばにいて

いつでも ぼくのそばにいて

ぼくのそばに


if the sky we look upon
should tumble and fall
or the mountains should crumble to the sea
i won't cry, i won't cry, no i won't shed a tear
just as long as you stand, stand by me
あのいつもの空が

突然

崩れ落ちて

見上げていた山々が がらがらと

海に崩れ落ちても

泣かない ぼくは泣かないんだ 涙なんて見せない

だってきみがいるから きみがいるんだから

oh darling, darling, stand by me
oh stand by me
oh stand
stand by me
だから ねぇきみ ぼくのそばにいて

いつでも そばに

ぼくのそばに


oh darling darling stand by me
oh stand by me
oh stand
stand by me
stand by me
stand by me
stand by me

だから ねぇきみ ぼくのそばにいて

ぼくのそばに

きみはぼくだから

ぼくは

きみだから

きみ

ぼく

だから 

 (チャップマン採詞・訳:おや爺)

 

こころの筋トレ:隔てるもの、つながるもの

  • 2018.02.12 Monday
  • 13:37

 1月26日の道新コラム・今日の話題に、イギリスで孤独をなくす政策を練る孤独担当相を新設したと出ていた。

 

 広告のチラシでもいいから活字にかこまれると安心するという、活字フェチなので、去年からほぼ毎日のように市立図書館にお邪魔している。建物は能勢元市長のいくつも残してくれた建築遺産の一つだ。吹き抜けの気もちのいい空間で、老後を快活に生きるための・一つの心理臨床手段として、感情の二重モニタリング(臨床心理学的瞑想)をしている。←傍から見ればただ口を開けて寝ているアホ面のおっさん。hirasan

 

 先進国の中で、韓国とともに日本は、若年層や中高年の自殺が飛び抜けて多いと聞いたことがある。年間2万から3万の自殺者がいるのだ。毎日毎日80人以上自死していることになる。とても他人事とは思えない。

 図書館の書架にも、自己啓発本・エッセイ風なものまで含めると、心理学関係の本がかなりのスペースを割いているのに驚かされる。フロイトと激しく対立したアドラ―の流れをくむアメリカ流の心理学が多いのだが、それほど今の生活や人間関係・将来に、何とも言えない不安を抱えている人が多いということなんだろう。自殺について書かれた専門書の序文の中に、海外に住む日本人高齢者が、日本に里帰りをして驚くのは、街中の同じ高年齢層の力のない姿だとあった。

 海外から里帰りできる人はそれなりの富裕層だから、そういう人たちの目には、とりわけそう見えるだけだろう、とまず思った。体験的に言えば、高年齢者に共通の心理的・構造的孤立感があり得るはずだから、日本だけの問題とも思われない。そんな中で目にふれたコラムなので、余計考えさせられたのだ。

 

 最後に出て来る、ジョン・ダンは、シェイクスピア・エリオットやイギリス文学にちょっとでも関心を持った者ならだれでも知っている有名な詩人だ。ヘミングウェーの『誰がために鐘は鳴る』はこの詩からとっているし、これは、わたしの勝手な想像だが、サイモンとガーファンクルの名曲『アイ・アム・ア・ロック』の中のこころの叫び「ぼくは岩、ぼくは孤島だ。i am a rock. i am an island.」は、このジョン・ダンの頭に浮かべて書いたのだと思う。

 この「誰がために鐘は鳴る」は、他人事ではなく、汝ら兄弟姉妹のことだという、如何にもキリスト教的世界観という気がする。

 

For Whom the Bell Tolls

 

No man is an island, entire of itself;
every man is a piece of the continent,
a part of the main.
If a clod be washed away by the sea,
Europe is the less,
as well as if a promontorywere,
as well as if a manor of thy friend's or of thine own were:
any man's death diminishes me,
because I am involved in mankind,

and therefore never send to know
for whom the bells tolls;
it tolls for thee.
なんびとも一島嶼(とうしょ)にてはあらず。
なんびともみずからにして全きはなし。
人はみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)。本土のひとひら。
そのひとひらの土塊(つちくれ)を、波のきたりて洗い行けば、
洗われしだけ欧州の土の失せるはさながらに岬の失せるなり。
汝(な)が友だちや汝(なれ)みずからの荘園の失せるなり。
なんびとのみまかり(死ぬ)ゆくもこれに似て、みずからを殺(そ)ぐにひとし。
そは、われもまた人類の一部なれば、
ゆえに問うなかれ、誰(た)がために鐘は鳴るやと。
そは汝(な)がために鳴るなれば。
      (大久保康雄訳)

 

人は離れ小島ではない
一人で独立してはいない
人は皆大陸の一部
もしその土が波に洗われると
ヨーロッパ大陸は狭くなっていく
さながら岬が波に削られていくように
あなたの友やあなたの土地が
波に流されていくように
誰かが死ぬのもこれに似て
我が身を削られるのも同じ
なぜなら自らも人類の一部
ゆえに問う無かれ
誰がために弔いの鐘は鳴るのかと
それが鳴るのはあなたのため
      (浜野聡訳)

 そういえば中国史家・オーエン・ラティモアだったか、海は隔てるものではなく、つながるものでもあるという言葉がありますね。隣人・隣国も同じ。戦争ではなく、この社会に、人々や島々をつなげる海は必ずあるはず。

 学生の頃、そばプン少年というあだ名(ひと月は風呂に入らないので、側に行くとプンとにおうから。わたしがつけたんだけど……ちゅん)の・いまも親友の・Yから教えてもらったLP。サイモンが、有名になる前、一人でイギリスで出したアルバム「ポールサイモン ソングブック」から、アコースティック・バージョンの『アイ・アム・ア・ロック』

 学生の頃、何だか必死になって聴いていたっけ。←馬鹿ですねぇ〜、十八のおや爺よ! 絶って〜、戻りたくねぇ。hirasanパンダ

 

こころの筋トレ◆Т蕎陲瞭鷭泥皀縫織螢鵐

  • 2017.10.30 Monday
  • 18:05

 わたしのいまの<こころの筋トレ>の水準は、車の免許で言えば、仮免を終え、ようやく免許をとったところです。まだまだ日常の実際の実践的運転ではちょっと難しいところではギクシャクしているけれど、運転のコツを身につけつつあり、あまり込まない道では運転できている状態と言えますね。手

 

 前回の<こころの筋トレ で書いたように、還暦を過ぎた3年くらい前から感情のコントロールが非常に難しくなってきました。普段はグ〜タラ・ぼんやり生きているはずなんですが、簡単に言うと、朝起きるのが非常に辛い(精神的日内変動)、ちょっとしたことで自信を失い・落ち込んだり、元気が出ない・どうでもいいことにも不快な気持ちになり、かといって、仕事でそれを見せるわけにはいかないため、頭から離れなくなってさらに不安になるといった症状です。心配・悩み・不快の加速的雪だるま感情ですね。

 

 なぜこんなことを開陳するのかと言うと、新聞などでも、わたしのような人が増えて、カウンセリングの本や雑誌がブームになっているという記事が出ているからです。←おう、おや爺も、とうとう流行の大波に乗ったか!hirasan 


 碌でもない生き方をしてきたので、もともと何年か周期で、気持ちが極端に落ち込むことがあったのですが、精神的肉体的若さの力でそれを乗り越えてきたのが、今になってわかりました。このままでは快活に老後を送ることができなくなるのは明らかなので、理論的・実践的に納得できる方法で取り組んできたのが、<こころの筋トレ>とわたしが勝手に名付けている、感情のコントロール技法です。

 

 正しくは<感情の二重モニタリング法>と言われるものです。専門家に軽視され、世間でもあまり知られていない日本の生んだ独創・練達の心理臨床家・河野良和氏が発見・開発した臨床心理療法ですね。もともとはノイローゼや心身症などのために開発されたものです。
 

 はじめに禁忌事項を書きますね。

 

−吃臓精神分裂症などの診断を受けた人は独習できません。必ずこの技法のトレーニングを受けた専門家の指導のもとでしなければ、悪化する危険があります。観念的自己主体に自然体で気づくことが格段に難しいからです。ネット上では何人か二重モニタリングの専門家として検索されますが、共著のある大多和二郎氏以外信頼できる方がわたしには見当りませんでした。

 

∋劼匹發呂任ません。観念的自己主体(自己のアイデンティティ)を意識するのは、18歳以上の思春期を過ぎなければならないからです。

 

A六麓圈Σ鰐郢瓩硫鰐鄂翰教育研究所のホームページはありますが、ご高齢・ご病気で、もう研究・臨床カウンセリングは止められております。電話などをかけたりしてご迷惑をかけないようにしてくださいね。
 

 なんかめんどくさそうですが、とはいえ、わたしでも本による独習は十分可能だとおもいました。実際河野・大多和両氏は独習紹介本を出版するにあたって集団の臨床データをとっています。

ヾ蕎陬皀縫織螢鵐案門編 大多和二郎著 河野良和監修 河野心理教育研究所

感情モニタリング実践編 河野良和著 河野心理教育研究所

G困澆防蕕韻覆ぁ_鰐醂貧唾 PHP出版

た┫胸彪稻,農格が変わる 大多和二郎著 祥伝社

 

 こう書いてどうなのって、言われそうですが、全部絶版です。が、アマゾンの古本から購入できます。ぁΝが一番低価格、感情モニタリングの中で一番新しい書籍です。なんか安っぽいハウツー物みたいな題ですし、誤解させやすいところもあるし、成果が出るまでの日数を短めに書いている傾向がある(←ただ単におや爺がどんくさいので時間がかかっただけかも……暑い)という弱点はありますが、お勧めです。これは言語過程説を唱えた東大教授・時枝誠記を正しく継承した言語学者・三浦つとむの場合と似ていますね。彼の『日本語とはどういう言語か』は素晴らしい内容なのに、装丁が軽いので、内容の独創性が誤解されている気がします。

 

 出来れば、,梁臑刃造気鵑遼椶畔四僂垢譴弌↓・い亮綸世亙箒されて、すばらしく独習向きになる、と言うのがおや爺の考えです。△睫滅鬚い鵑任垢、古本市場で相当高くぼったくっているので、どうしてもという方以外はお薦めしません。

 これから書くことは、素人の独断とバイアスに満ちていますから、眉に唾をつけて読んでください。ヤッタv←おや爺の記事ってみんなそうですが……。お願い

 素人のわたしが、この何年、精神医学や心理学のカテゴリーの本をざっと読んだ印象は次のようなものでした。

続きを読む >>

こころの筋トレ 友人への手紙

  • 2017.05.22 Monday
  • 10:51

 

『Eさん、今晩は! 今日はずっと考えていたことを含めて書きます。長くなるのでお許しくださいね。

 前に書いたかもしれないけど、結局商売のストレスの90%以上は人間関係だというのは本当だね。英語でも昔は人事部を、human resource(いわば人材部門) と言っていたのを、今はhuman relations(人間関係部門)ていうくらいだからね。ぼくも、あほな人間と一緒に仕事するくらいなら、ひとりでやる!って昔は思っていたんだ。だけど、自分の子供が大きくなり、奥さんの生き方に影響を受けたのもあるんだけど、人に対する見方がちょっと変わったかもしれない。

 

 何度言っても同じ失敗はするし、前もって勉強しようとしていないように思えて、誠実じゃぁないって最初は思ったんだけど、彼独特のまじめさもあることに気づいたんだよね。それから彼も変わり周りのバイト達も変わってきた気がする。

 

 <気力が衰えてる感じ。もう商売はいいやって思っちゃう。残り少ないんだから、もっと楽に生きたい>って、Eさんも書いているけど、たぶん僕らの年代の共通の想いなような気がする。大学時代の友人たちが同じように言っているからね。でもね、客観的に、商売・仕事をやめて、これからもっと楽な生き方をしたにしても、多分同じ精神(感情)状態なら、ぼくらは<楽に生きる>という感じになれない気がするんだ。先の見えない社会だし、戦争の足音は確実に聞こえるし、ぼくのような人間の居場所なんてなくなるんだろうなという気がひしひしとする一方で、自分自身の命の先は逆に暗算できる引き算のような気になっているからなんだと思うんだ。

 ひとは死を目的とすることができない、といったのは誰だったかな、同じようにひとは本当は、絶望することもできないんじゃないかって思うんだよ。言葉では言えてもね。今日本で、毎年3万人以上の人たちが自死しているよね。とても他人事と思えない。大変な数だと思うんだ。

 ひとも類的生命体の一つだから、他の生物と同じように人間の内部に生存本能があるはずだから、自分が嫌になって、死にたくなる・もしくはそういう属性を持つほど自分を追いつめるのは、本来的にありえないはずなのに、現実は、なぜそうなってしまうのか。
 それは、感情的主体自己(感情の観念的二重化)を見失っているからなんだというのが世に知られていない・独創の・日本の心理臨床家・K先生の発見なんだと僕は思っています。


 観念的自己疎外(観念的二重化)を法や国家論に観念論的に応用したのはドイツの巨人哲学者ヘーゲルですが、それを唯物論的に改作したのがマルクスだと最初に指摘したのは、独学・独創の学者、三浦つとむです。
 三浦は言語学者として、東大の時枝誠記教授の言語過程論を発展させ、表現と認識・意思論に観念的自己疎外の働きが持つ重要性を指摘したんですよ。K先生は、たぶんマルクスやヘーゲルのことは何にも知らないから(本当はわたしも知らない……)、観念的自己疎外(観念的二重化)とは言っていないけれど、彼は、ノイローゼなどへの感情コントロールの実践的療法に、それを知らず知らずに応用し、心理臨床学の分野であらたな解明をしたんだというのがぼくの考えです。

 3年くらい前に精神的に結構追い詰められた状態になった時があってそのとき、学生の頃読んだ・シュルツ自律訓練法の日本の最初の導入者として知っていた熟練の心理臨床家の、最新の研究を知ったのです。ぼくは骨の髄まで科学理論の信奉者なので、宗教や、瞑想・禅やヨガみたいなものを、尊敬はしていますがそのまま認めることはないんだけれど、かれの理論は独創的で、三浦や時枝とともに、いずれ世界的認められる学者だと思っています。前回Eさんのところに寄ったとき、実は、かれにお会いするのも主要な目的の一つでした。残念ながらその時はK先生は80歳ををとうに過ぎて・もうすでに学者として・心理臨床家としての存在ではなくなっておりましたが、お会いできてよかったと思っています。なにかとりとめのない話になりました。Eさんの手紙に触発されていろいろ書いてしまいました。ではまた。ご自愛ください。』

 

 古い友人たちから手紙が来て、その内容が同じことに驚きます。 時間に追われ、生きる時間も限られてきたのに、もう少し楽に生きたい、仕事をやめたいというのです。多分年齢的なこともあるのでしょう。息苦しい時代になり、先が見えない気がしてきます。先が見えないことは若いときも同じでしょうが、自分の年齢的な先が見えているのがちがうということでしょうか。

 

 お前はどうなんだと言われれば、似たようなものですが、おや爺の場合、歳をとってひどくなったものの、若いころから時々ヘンテコになっていますからね。気分的な変動が激しくなり、それを止めることが年々難しくなってはいました。歳をとった今になって、若い頃はまだ若さの力で、それを克服していたことを知ったのです。さすがにこのままでは気持ちよく・快活に年をとれなくなってきたので、去年から本腰を入れて自分で何とかする方法を探し始めました。

 題して<こころの筋トレ>です。 楽しめない自分を楽しむ迷走(科学的瞑想)をやり始め、記録をとってきました。どういう点に注意してトレーニングいるのかを書きとめていこうと思っています。皆さんのお役にたてればうれしいんだけど、さてどうなりますか。←でもこれって、焼肉屋のブログと何か関係があるの?hirasan←何もねぇよ!!!(・∀・)○

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM