若い友人・石橋さんのこと

  • 2019.09.18 Wednesday
  • 23:24

 16日、仕事を終え、エルトン・ジョンのyour songと、ディランのi shall be releasedの若い音楽家のカバーを聴いていた。午前1時25分、京都の友人から、メッセンジャーに伝言が入った。

 難病で長い間療養中だった若い共通の友人が今亡くなった、と。

 

 若い友人と書いたが、尊敬する・こころについて議論しあう若い先達だった。

 なんて言うことだろう。よく死ぬことは、よく生きることだ、とは、若くして癌で亡くなったジャーナリスト・千葉敦子の本で知った言葉だった。ずっとよくわからなかったこの言葉が、彼の訃報に接して突然こころに浮かんだ。石橋さんの穏やかな笑顔が最初に浮かんでくる。不謹慎だろうか、最後まで全力で生きようとする友人の死によって、こころが晴れる気がするのは。

 

 遠く離れていたから、彼とのメールのやり取りは、まるで病気の重さを知らないように、わたしは書きたいことを彼に書いた。彼も何も病気はないように答えた。

 わたしの長いメールに、書きたいことがいっぱいあって、返事ができなくなるんです、でも長いメール送ってくださいね、と優しく言われた。

 

 いくつも大切なことを教えてくれてありがとう。ぼくに人生の宿題を残してくれてありがとう。落ち込んだり、悩んだり、相変わらず無駄な時間を過ごしながら、ささやかでも、大切な宿題、解いていくからね。

 

 石橋さんの死で、心が激しく揺れ動くのを抑えることができず、大学時代の友人にメールを送った。

 「人は思い出されているかぎり、死なない。思い出すとは呼び戻すこと」という山田稔の言葉が返ってきた。

 そうだ、僕は科学を信奉するので、この世以外、天国も地獄もないけれど、僕のこころが思う限り、親しく思う限り、亡くなった人たちは存在する。

 最後の最後まで必死で生きようとした石橋さん。石橋さん、いないのに、石橋さんと声を掛けるように書くだけで、こころが落ち着いてくるんだよね。

 2か月前、病室で話した中で、永い、病室内だけの時間・一秒が十集まって十秒、それが六回で一分、さらにそれを六十回数えてようやく一時間、さらに二十四回繰り返して一日が過ぎるという目の眩むような時間の過ごし方で、生の哲学・治安維持法で獄死した若き哲学者:三木清の好きだったドイツ語の話が出ましたね。そのドイツ語を、石橋さんへのお別れの言葉と、再会の挨拶とします。

 石橋さん、ツァィティゲン(Zeitigen:時を、今を、生をともに刻もう)

 

 7月、石橋さんが病室で歌ってくれたユア・ソングに、気絶するほど音痴な僕が選んだアンサーソングを送ります。

your song

ぼくの歌はきみの歌

 

it's a little bit funny this feeling inside
i'm not one of those who can easily hide

なんだかオカシイよね、こんな気持ち

ぼくは自分を隠すのが下手なんだ

i don't have much money but boy if i did
i'd buy a big house where we both could live

if i was a sculptor, but then again, no

or a man who makes potions on a travelling show

お金持ちじゃないけれど、もし、もしお金があったら

きみと一緒に住める大きな家を買うよ

ぼくが彫刻家だったら、 いや、こいつもありえないや

そうだ、ひとの心にとどく旅芸人に、なんて

i know it's not much but it's the best i can do
my gift is my song and this one's for you

and you can tell everybody this is your song

全然だ、ってわかっているけれど、ぼくにできる精一杯さ。

この歌を贈るよ、きみへ捧げる歌なんだ

きみの歌なんだって、みんなに言っていいんだよ

may be quite simple but now that it's done
i hope you don't mind

i hope you don't mind that i put down in words

単純すぎるかもしれない けど、今やっとできたんだ
こころを込めたつもり だからってそんなに気にしないでね

あんまり重たく考えないでよ
あのさ、
how wonderful life is while you're in the world

きみと一緒に生きている それをだけで、人生はなんてすばらしいんだ、って思えたんだ

 

i sat on the roof and kicked off the moss
well, a few of the verses, well, they've got me quite cross

but the sun's been quite kind while i wrote this song

 it's for people like you that keep it turned on

屋根の上に腰掛けて、苔を蹴飛ばしたんだ

数行書いては、違う!って思って

でも、ぼくがこの歌を書いているあいだ、太陽は優しく照らしてくれた

こころを照らすきみのような人の歌なんだ

so excuse me forgetting but these things i do
you see i've forgotten if they're green or they're blue

anyway the thing is what i really mean

yours are the sweetest eyes i've ever seen

ごめん、歌ばかり作ってなんでも忘れちゃうんだ

もうわかってるよね、ぼくが、緑色か青色かさえ覚えていないって

つまり、ぼくがホントに言いたいのは

きみの瞳が、色より何よりも、誰よりも素敵だってことなんだ

and you can tell everybody this is your song
may be quite simple but now that it's done
i hope you don't mind

i hope you don't mind that i put down in words

きみの歌なんだって、みんなに言っていいんだよ

単純すぎるかもしれない けど、今やっとできたんだ
こころを込めたつもり だからって、そんなに気にしないでね

あんまり重たく考えないでよ

あのさ、
how wonderful life is while you're in the world
きみと一緒に生きている それだけで、人生はなんてすばらしいんだ、って思えたんだ
i hope you don't mind

i hope you don't mind that i put down in words

こころを込めたつもり だからって、そんなに気にしないでね

あんまり重たく考えないでよ

あのさ、
 

how wonderful life is while you're in the world

きみがいる、

きみと一緒に生きている

それだけで、

人生は泣きたいくらいすばらしいんだって、思えるんだ

            (アリー・シャーロック版ユアソング 訳:おや爺)

 

京都食べ歩き:ホテルビュッフェと韓国料理店 二日目

 

アフリカ人女性と結婚した日本人文化人類学者が語る差別について i shall be released

 

京都の11月:紅葉 光悦寺で。

 

思い出の歌:クリスマスをゆっくりとお過ごしください。let it be me

 

2017年のパイザ:あなたがいたから If not for you. ジョージ・ハリスン/ボブ・ディラン

 

こころの筋トレ─Т蕎陲瞭鷭泥皀縫織螢鵐鯵仆顱淵◆

 

京都まで:ユア・ソング レディ・ガガ

 

岩見沢から京都3日間

 

思い出の歌:熱き心に 小林旭

 

2019年、8年経った3月の新聞から

 

2019年のパイザ:こころの筋トレΑ〆ここに生きる here and now

 

稚内、往復730卞帰りツーリング:石橋師匠と12時間

 

石橋師匠とこころの旅 5月27日◆美瑛・青の池と十勝岳パノラマライン、なのに岬巡りって

 

追補:最初石橋さんのことを記事にしたとき名前を載せず、次はイニシャルにした。石橋さんは名前を書いていいですよと言った。生きるためにやるべき手は、どんな小さなことでもすべて打つという石橋さんだったから、名前を載せることも自分への力にしようとしていたんだと思う。

こころの筋トレ─Т蕎陲瞭鷭泥皀縫織螢鵐鯵仆顱淵◆

  • 2019.07.30 Tuesday
  • 00:36

 日本では十代から40代までの自殺者が年間2万人に上るという。最近のニュースは、読むほどに、確かに気の滅入ることが多い。六十を過ぎたあたりから、わたしを含めて、元気が出ないと言う同世代がずいぶん多い。高齢者の自殺も多いのではなかろうか。新聞や図書館に置いている本を見ると、軽鬱とか、セミ・ノイローゼとでも言うような現象は、個人的体験を貫く社会事象のように思える。健康や老後の悩みもあるだろう。わたしのように禄でもない生き方をしてきた者には、過去と未来の両方から、現在の自己存在が激しく浸食されている気がする。

 

 人は類的生命体の一つだから、生存本能があり・真に絶望したり・死自体を目的とすることができないはずなのだ。だとすれば、本来、ひとは現在を快活に生きることができるはずである。

 日本の生んだ心理臨床の実践家であり老碩学・河野良和さんが開発した技法、感情二重モニタリングを体系的に紹介する力はわたしにはないので、何をやっても時間のかかる実習初心者の覚書として紹介し、やってみようかなという方や、悩む人のこころを、こんな感じ方もあるんだと、すこしでも落ち着かせるための参考になればいいなと思っている。

 河野さんの本については、こころの筋トレをご覧ください。もちろん臨床心理の技法は好みもあります。

 

 40年以上にわたる・数万人の相談者を診た、河野さんの実証的結論は、「人は思った通りの人間になる」・「人は現在の主体的自己の感情に気づくことが、迷い悩む自己を開放する」・「いいも悪いも、自然に思ったことは自己暗示(トランス・瞑想)になる」ということに尽きる。

 

 ひとの悩みや不快感情はなぜ存在するのか? 70年代以降急速に表れた・いわゆる新人類世代の、悩みを感じない人たちやアレキシサイミア(感情認知障害)に接する過程で、悩むこと不快感の臨床心理の重要性を実感した河野さんは、生存本能から、ひとに必須の危険回避警報装置として、悩みや不快感情があると考えるようになった。火災警報装置がうるさいからと言って、スイッチを消してしまえば、警報の意味がなくなるように、悩みや不快感をなくしてはいけない。問題は、観念的自己疎外が無限に拡大し、悩みや不快感情が雪だるま式に膨らんで、かえって生存本能から逸脱してしまうことだ。それを本来の・もともとあらゆる人に備わっている警報装置(生存本能機能)として適正に働くように、感情の二重モニタリングで実習するのである。

 

 「人は思った通りの人間になる」とは、こころの中では、人は自分の思った通りになるという原理をさす。物理現象とは違う構造と言っていい。(この考えはデカルトの情念論と似ている。)なんだ、こころの中だけが思った通りになるだけで、現実とは違うのであれば意味がないとわたしは考えていた。魯迅の小説・阿Q正伝の馬鹿げた精神勝利法と全く同じじゃないかと誤解していた。だが、こころの中で思った通りになるとは、自分の感情を、不快感情に振り回されることなく、自由にコントロールすることが可能ということなのだ。

 

 不安や悩みの道に入りこみ、(こころの)迷子になったということは、<こころの現在位置>を見失ったと言うことだから、現在位置・主体自己の今現在の感情・感覚に気づくことが、自己主体の回復の第一歩になる。したがって感情モニタリングの最初のステップは以下のようになっている。

 

 ここで感情に応じて二つの対応をするのが極めて大事なことになる。

1)不快感情の時は1、2秒程度の短い対応を3回繰り返す。それを無理しない程度に2〜3回繰り返すことで治療効果を得る。

2)明確に不快ではない・はっきりしない・快適な感情の時はゆっくり、2回繰り返す。それを無理しない程度に2〜3回繰り返す。

3)一日3〜4回無理しない程度に続ける。大体一日5分もあれば実習は終えることになる。この実習1を1週間続けて次の実習2のステップに進む。

 

 河野氏は、1)の対応を、根治療法の薬の効果に置き換えて、終えた後、必ずしも不快感情が収まるわけではないが、不快感情の雪だるま化を防ぎ、じわじわゆっくり効いてくると述べている。2)は対処療法的な薬の効果に置き換えて、自分の感情の中に、不快でない感情があるということに、何となく気づくことが効果を高めると述べている。この実習で、トランス状態になると、眠くなる・ぼうっとしてはっきりしない状態になる・ゆったりした状態になるなどの現象が現れることがある。が、それは結果であって、その効果を求めては逆効果になる。筋トレも即効的な筋力増強を求めて無理をすると身体を痛める。こころの筋トレも全く同様と言っていい。

 特に過度緊張型のタイプは、あまり深刻・真面目に考えず、無理せず、大体こんなもんでいいんだってさという程度の気持ちで臨むと、より習得しやすくなる、と河野先生はおっしゃっていました。

 

 この記事は、京都で闘病生活を送る若い友人・石橋さんとの対話に触発されて書きました。

京都まで:ユア・ソング レディ・ガガ

  • 2019.07.04 Thursday
  • 09:40

 先日家族とエルトンジョンのユア・ソングを聴いた。偶然レディ・ガガも歌っているのを見つけた。彼女の歌声を聞いていたら、京都で入院生活を送る若い友人で、こころの道場師匠・石橋さんに聞いてもらい、同じ空気の中で歌を訳したくなった。

 ちょうど宴会の予約が次の週に延期になったので臨時に休んで行くことにした。

 

 いつものように少し迷ったが、無事病院に着いた。感染防止のためマスクをし、階の入り口と、部屋の入り口で二度ほど手をアルコール消毒して、部屋に入った。何年ぶりだろう。FBで会ってはいるけど。

 妹さんが来ていた。わたしはひとの気持ちがわからない人間なので、妹さんに、石橋さんに無理がかかりそうなら退出するので率直に言ってくださいと伝えた。

 

 こころの自由や電力の鬼・松永安左衛門、二人の出会いを話して、あっという間の2時間だった。途中でレディ・ガガのユア・ソングの話をしたら、すでに知っていた。早速ユーチューブで、3人で聴いた。石橋さんは両腕を動かし目を閉じて、こころを込めて歌い始めた。

 声は出さなかったが、かれの声が聞こえた。奥さんへの歌なのかなと、ふと思った。

 彼の昔からの持ち歌だと、教えてくれた。

 

 聴き終えた後、でも今の気分は、エルトンジョンのライブの方がいいかなと、彼は言った。そうなんだよね、歌ってそういうところがあると思う。

your song

ぼくの歌はきみの歌

 

it's a little bit funny this feeling inside
i'm not one of those who can easily hide

なんだかオカシイよね、こんな気持ち

ぼくは自分を隠すのが下手なんだ

i don't have much money but boy if i did
i'd buy a big house where we both could live

if i was a sculptor, but then again, no

or a man who makes potions on a travelling show

お金持ちじゃないけれど、もし、もしお金があったら

きみと一緒に住める大きな家を買うよ

ぼくが彫刻家だったら、 いや、こいつもありえないや

そうだ、ひとの心にとどく旅芸人に、なんて

i know it's not much but it's the best i can do
my gift is my song and this one's for you

and you can tell everybody this is your song

全然だ、ってわかっているけれど、ぼくにできる精一杯さ。

この歌の訳を贈るよ、きみへ捧げる歌なんだ

きみの歌なんだって、みんなに言っていいんだよ

it may be quite simple but now that it's done
i hope you don't mind

i hope you don't mind that i put down in words

単純すぎるかもしれない けど、今やっとできたんだ
こころを込めたつもり だからってそんなに気にしないでね

あんまり重たく考えないでよ
あのさ、
how wonderful life is while you're in the world

wooh
きみと一緒の時代にいるだけで、人生はなんてすばらしいんだ、って思えたんだ

本当さ。

 

i sat on the roof and kicked off the moss
well, a few of the verses, well, they've got me quite cross

but the sun's been quite kind while i wrote this song

 it's for people like you that keep it turned on

屋根の上に腰掛けて、苔を蹴飛ばしたんだ

数行書いては、違う!って思って

でも、ぼくがこの歌を書いているあいだ、太陽は優しく照らしてくれた

こころを照らすきみのような人の歌なんだ

so excuse me forgetting but these things i do
you see i've forgotten if they're green or they're blue

anyway the thing is what i really mean

yours are the sweetest eyes i've ever seen

ごめん、歌ばかり作ってなんでも忘れちゃうんだ

もうわかってるよね、ぼくが、緑色か青色かさえ覚えていないって

つまり、ぼくがホントに言いたいのは

きみの瞳が、色より何よりも、誰よりも素敵だってことなんだ

and you can tell everybody this is your song
it may be quite simple but now that it's done
i hope you don't mind

i hope you don't mind that i put down in words

きみの歌なんだって、みんなに言っていいんだよ

単純すぎるかもしれない けど、今やっとできたんだ
こころを込めたつもり だからって、そんなに気にしないでね

あんまり重たく考えないでよ

あのさ、
how wonderful life is while you're in the world
きみと一緒の時代にいるだけで、人生はなんてすばらしいんだ、って思えたんだ
i hope you don't mind

i hope you don't mind that i put down in words

こころを込めたつもり だからって、そんなに気にしないでね

あんまり重たく考えないでよ

あのさ、
 

how wonderful life is while you're in

you're in, you're in,

you're in the world
きみといる、

きみと一緒の時代にいる

それだけで、

人生は泣きたいくらいすばらしいんだって、思えたんだ

            (レディ・ガガ版ユア・ソング 訳:おや爺)

 

 このエルトン・ジョン版を聞くと石橋さんが病室で歌った声と重なる気がする。

こころの筋トレАЩ実と意識 感情には感情で

  • 2019.04.14 Sunday
  • 14:59

 片方ずつ目を閉じてみると、視野がまるで違う。左目はくっきり見えるのに、右目は、白く薄い幕がかかったように見えるのだ。真冬の運転が非常に怖かった。吹雪になると道路左端の車道と雪山の境界がわかり辛くなるのだった。今思えば左肩と首の左側が異常に凝っていたのも、左目に無意識に負担をかけすぎていたせいかもしれない。右目が加齢性白内障だったのである。

 四日前の10日に、白内障の手術を受けた。(このブログを読んでいる方もいづれ受ける機会があると思うので、白内障の手術の体験は別の機会に書きます。)

 

 手術を終えて眼帯を外したたときの驚きは忘れない。目の前の70過ぎのお医者さんの肌の色のきれいなこと!! 誤解のないように言うが、先生の肌がきれいなのではない(失礼!) 先生はお年を召しているから、相応にしわがあり、シミもある。(再度失礼!!) わたしが感動したのはそれにもかかわらず、ひとの肌の色というものが、年齢や男女とはかかわりなく、こんなに鮮明で、きれいなのかということだった。多分目の前に黒人や白人の医者が座っていたら、その黒さや白さに感動したと思う。そうしてゆっくり頭を回して世界がくっきり鮮やかに見えることに驚いたのだ。片目ずつ閉じて世界を見ると、以前とは違って人工の眼内レンズを入れた右目の方が、くっきりと見えるのだった。サイボーグ009にでもなった気分だった。←古すぎ!!

 

 さらに驚いたのは時間の経過とともに次の日には、脳の視覚野のせいなのかどうかわからないが、あっという間に、その左右の鮮明さのズレに慣れてしまうのだった。もしかしたらこれはわたしだけなのかもしれない。脳(わたしの)の慣れというのは偉大(?)ともいえるし、いくばくか悲しいともいえる思いになった。

 

 これだけ短期間で、同じものを見ているのに違う体験をすると、事実と意識(思い)とは何かを考えさせられてしまう。同じものを見ても、ひとは同じ意識(認識)の仕方をするわけではない。思い違いということもあるだろう。当たり前だが、意識(認識)はその意識(認識)対象によっても規定される。そうは言っても、ある一つの事実に対して、ある人の意識では喜び(や悩み)となり、ある人は悲しみ(や心的ニュートラル)となることもあり得る。心理学者のグレゴリーの有名な言葉『わたしたちは、ものごとをあるがままに見ているのではなく、(そのひとが)知っているように、思っているように見るのだ』を引用しながら、心理臨床家の河野さんは、唯物論者と唯心論者の両方をこう揶揄している。

 

「私としては、唯物論者に対しては、『あなたの見ている物はだれが見ているのか。その物が見る人によって違う見方がなされていることをどう説明するのか』とたずね、ものを意識する心の働きに関心を誘ってみたいし、唯心論者には『あなたは何を見ても全く違いがないとでもいうのか。それならあなたの持っている1万円札とわたしの持っている1円玉を交換してくれるのか』とたずね、意識対象になっているものの存在にも目を向けることを促してみたい。」

 

 いかにも心理臨床の・洒脱で・骨の髄からの実践家・河野さんらしい啖呵といえようか。自然科学好きとしては、ここで唯物論の立場を少し弁護したい気もする。河野氏が挙げた唯物論者は、言語学者・三浦つとむ風に言うと、唯物論者(ゆいぶつろんしゃ)ではなく、唯物論者(タダモノロン者)になろうか。ものと認識(意識)をつなぐ必須の反映論(観念的二重化の論理)がないからだ。だが唯物論哲学者たちは、感情の、実践的な・大事な役割をだれも論じていないのではなかろうか。<感情は不分明な知>なんて言われますからね。

 

 河野さんは、この事物と認識(意識)の反映論に、感情の持つ、ひとにとって大事な役割を位置付けて、いまを生きる個々の人々の悩みや喜びに即した・生きるための実践的個別心理学を作り出そうとしたように思える。

 彼が発見し開発した感情モニタリングを支える論理を要約すると以下になろうか。

 

,劼箸里△蕕罎覦媼院頁Ъ院砲砲牢蕎陲鯣爾Α

 

⊆己のこころの現在位置を知るためには、現在の感情の流れに気づくことが決定的に重要である。

 

4蕎陲呂錣るものではなく、感じることこそが重要である。

 

ご蕎陲砲牢蕎陲蚤弍する。(ネガティヴな)感情に、意志や努力・論理で対応する(抑え込もうとする)とさらに悪化する。それらは感情にとって二義的な要素である。

 意思を実践的認識と規定したのは、唯物論の主体性論争に投じた素粒子論物理の武谷三男だったと思う。10代の学生の頃初めて目にしたとき、その簡潔な定義にスゲ〜なぁと思ったものだ。だが感情の大事な実践的役割は語られていなかった気がする。

 

イ劼箸隆蕎陲蓮∋物によって引き起こされる反応性感情と、それに対応する主体的感情がある。

 

Δ罎襪気づいた主体的感情によって、ネガティヴな反応性感情の、ひとにとって本来持っている積極的意義を、自然に自覚しうる。

 

Г劼箸麓己の心の主体となれる。

 

 こう列挙すると、なにを当たり前のことを、と思うかもしれない。河野さん自ら言っているように、当たり前では、ある。当たり前のことを当たり前にやるのが心理臨床だとも書かれている。けれどこれらを技法に忠実に取り込みながら心理臨床として実践しているのは、他にないのではないか。

 例えば、似ているように見えて、アメリカの心理学者ジェンドリンのフォーカシングと決定的に違うのは、現在の感情の流れに感情の意義を置くために、感情を言葉で無理に理解しようとはしないことだ。言葉による概念化によって、こころの現在地(いま)を知る上で最も大切な、今現在の生きた感情を感じられなくなる恐れがあるからだ。

 また感情を観念的二重化と関連付けその臨床意義の重要性を発見したことも大きいように思える。

 言葉・文章による概念化(論理化)によって、心理的解決を図るというのは、哲学者であり心理学者でもあったウイリアム・ジェイムズなども娘への手紙で、確信を込めて言っているところをみると、歴史的にゆるぎない・西欧的考えなんでしょうね。そういう点では、この感情モニタリングは、方法的には、東洋と西洋の精妙な合体ということになるだろうか。

2019年のパイザ:こころの筋トレΑ〆ここに生きる here and now

  • 2018.12.31 Monday
  • 00:13

 日々を快活に生きる方法について書かれた古今の本を集約すると、いくつかの共通する基本原則があることがわかる。その中でも、もっとも大事な原則は、『今を生きる』と言うことになろうか。ラテン語で、カルペディエム(今日を生きる)は英語(seize the day)になっているところをみると、人間が思索してきた初期から、気づかれ、ギリシャなどの当時の先進国の不安を抱えた人々・宗教・哲学者に広がっていったのだろう。

 

 過去のロクでもない自分の生き方や、出来事・未来の不安があるから、すこしは現状に甘んじない、まともな生き方ができると、おろかなわたしは思っていた。日々の何気ない小さな幸せを大事にして生きるとは、現状に甘んじる小市民的な生き方だと思い込んでいたのだ。

 感情の二重モニタリングは、対象自己が感じた・今生きている不快感情を、あるがままに主体自己が気づくと、不快感情の過剰債務化する感情をコントロールできるという感情意識効果を原理としている。もちろんそこに行きつくには、現在いろいろな方法がある。ヨガで言えば各種のポーズ・呼吸法があり、禅は、座禅・呼吸法を通じて獲得する。感情モニタリングは、わたしたちになじみやすい、最も科学的な方法の一つだと思える。

 

 感情モニタリングの場合、それを体得するために人間の五感と感覚感情、精神医学者・シュルツが開発した自律訓練法を利用している。河野良和氏が発見し開発した感情モニタリングが、有名な臨床心理技法フォーカシングと最も異なっている点は、過去でも未来でもなく、今現在生きている感情だけを意識する・感情を分析理解・認識するのではなくただ眺める点にある。

 

 どんなに後悔しようと、過去を生きることはできない。どんなに渇望しようと、今だ来ない未来を生きることもできない。ただこの瞬間のかけがえのない現在以外生きることはできない。こころが迷子になった時、こころの現在地(いまこの瞬間の感情の流れ)に気づくことが第一歩であり、最終歩なのだ。

 過去は過ぎ去った現在であり、未来はいずれ来る現在だ。 過去・現在・未来。今現在の感情に気づくと、この時系列が不思議に思えてくる。どの時間の流れにも現在だけが、ひとにとって唯一実在する。

 

 オウム真理教のサリン事件で、警察やマスコミ、日本中から犯人扱いされたごく普通のサラリーマン・河野義行さんは、オウム事件の疑惑を晴らした後、サリン中毒で奥さんを長い看病の末亡くされている。そうした壮絶な体験をしながら、オウム真理教の元信者たちと交流したり、犯人扱いした刑事たち・警察やマスコミとごく自然体で関係を続けている。そのことについて著書・『今を生きるしあわせ』でこう書いている。

 

 このAとBの部分を読むと一見矛盾したように思えるかもしれないが、感情モニタリングを体感すると、まさにAの部分が、対象自己(ある出来事・事態に反応する自己)の感情で、Bの部分がそれを見つめる主体自己の感情・気づきであることがわかる。ここで普通、Bの主体自己の感情は、Aのネガティヴな反応性感情に引きずられて、緊張し・悲しみ・気にする感情になる場合が多い。そうなるとBの感情がアクセルの役目をはたして、Aのネガティヴ感情を無意識に雪だるま化させることになる、というのが心理臨床家・河野良和氏の指摘だ。

 

 自分の感情を見つめなおす体験をすると、今の生きている状態に自然に感謝する感情に気づく。それをゆがめる社会や情況、戦争への動きに怒りがわいてくる。未来に対しても本質的な喜びが持てなくなるのは、今の現在の感情に喜びを感じられない時ではないかと思える。

 

 ボブ・ディランのforever young(毎日が初まりの日)も考えてみれば、今この時を生きるということではないだろうか。

 

May God bless and keep you always
May your wishes all come true
May you always do for others
And let others do for you

世界が きみを祝福し
いつも見守ってくれますように
きみの とおい願いがすべてかないますように
いつも くるしむ誰かのために尽くし
くるしむ誰かが いつも きみの力になりますように
May you build a ladder to the stars
And climb on every rung
May you stay forever young

星空へと続く梯子を組み立て
一段 一段 きみが しっかり登っていけますように
いつだって毎日が きみの 初まりの日
May you grow up to be righteous
May you grow up to be true
May you always know the truth
And see the lights surrounding you

ほんとの義侠心をはぐくみ
新しい真理の人に育ちますように
真理の淵に立ち いつもきみが
自由の輝きに包まれますように
May you always be courageous
Stand upright and be strong
May you stay forever young

流れに立ち向かい いつも
背筋を伸ばして歩めますように
いつだって きみの毎日が 初まりの日
Forever young, forever young
May you stay forever young.

生まれたての きみ 初まりの日
毎日が きみの 初まりの日
May your hands always be busy
May your feet always be swift
May you have a strong( firm) foundation
When the winds of changes shift

きみの手が いつも忙しく働き
その両足で 遠くまでいけますように
流れに抗する
きみに勁い礎(いしずえ)がありますように
May your heart always be joyful
And may your song always be sung
May you stay forever young

心がいつも喜びに溢る
きみのこころの歌がいつも歌われますように
いつだって きみの毎日が 初まりの日
Forever young, forever young
May you stay forever young.

生まれたての きみ 初まりの日
毎日が きみの 初まりの日
     (訳:おや爺)

 

 日本で唯一悲惨な地上戦を経験した沖縄の人々の感覚を、わたしはひととして深く信頼する。

 本当を言うどんなに本気だとしても、中学生が、大人が語るべきことを、語るのは好きでは、ない。優れた子役の少年少女たちが、成長期に重圧にさいなまれるように、真摯であればあるほど、大人になる過程で、辛い時期を送る気が、どうしてもしてしまうのだ。

 沖縄の・ひとの深い思いを伝えてくれてありがとう。倫子さん、この日語ったことは、みんな忘れていいんだよ。そのために、わたし(たち)大人が忘れずにいるから。

 

 先日研修先でテレビを見ていたら、サッカーの若い選手で、海外で活躍する人がインタビューされていた。信条を聞かれて、かれは、「今を生きる」と答えていた。先のことを悩まず、今できることをするんですと続けて、「これを言うとみんなに冷やかされるんですよね。友達から、『いまをいきろよ!』って。」と笑っていたのがさわやかでした。

 

 今年もまた、信じられないほど多くのアクセスがありました。書くのが苦手なので、投稿する間隔があくこともありますが、来年もまたスクリーンを通じてお会いできることを楽しみにしております。一年間有り難うございました。

 来年がアジアで、世界で、平和で災害のない日々であることを願いながら。

 この記事は、京都に住む・わたしのこころの先達であり、入院中の若い友人Iさんとの協力でできたものです。記して感謝します。

こころの筋トレァГ劼箸里發辰箸盒力な武器とは何か?(感情の二重モニタリングの構造 

  • 2018.10.23 Tuesday
  • 23:01

 あらゆる生物にはそれぞれ生存するための武器がある。ある動物にとっては牙であり、ある生物は強い筋力であったりする。では、牙も、強い膂力(りょりょく)もないひとにとって、最大の武器とは何か? 

 

 ドイツの哲学者ヘーゲルは、国家や社会・法体系の成り立ち・構造を意志論から組み立て、マルクスはそれを唯物論的に改作した、と独創独学の言語学者・三浦つとむは言う。

 意志・認識・表現論は、人間の観念的二重化(観念的自己疎外)を出発点とするから、人間の最大の武器とは何かと問うなら、その答えは、観念的自己疎外の能力ということになるのだろうか。難しげな言葉だが、ひとは誰でも日常で無意識にやっているものだ。簡単に図式化すればこういうことになるだろうか。←あまりの下手さに笑わないで下され。(TT)

 上の絵の吹き出しの中は、Aが道順を教えるために地図を書こうとして、頭に浮かんだ光景だ。A’は頭に浮かんだ自己(観念的二重化による自己)である。⇔は、その自己が行ったり来たりしながら現実の自己が地図を描き、迷った人に教えるということになる。

 下の図は、吾輩は猫であるを書く時の夏目漱石のあり方を図にしてみた(三浦つとむがやっていた気がするが、手元に彼の著作がないのでわからない)。現実の夏目が、Aで、観念的自己疎外で生み出された夏目猫がA’。こちらも⇔(相互移行)をしながら吾輩は猫であるを創作していく。人にとって普遍的な、この能力の相互移行に齟齬ができたときに、精神分裂症になるというのが、三浦の主張で、精神分裂症患者が、ひととして、特殊・異常の存在ではないとした。今では当たり前の考えかもしれないが、50年以上前のこの論考で示された、科学的思考の奥行きの深さとヒューマニズムの結びつきに、若いとき強い感銘を受けた。

 

 <感情の二重モニタリング>を発見した独創の碩学・河野良和は観念的自己疎外という言葉を使っていないが、<感情のモニタリング>とは、この観念的二重化を、感情や心のあり方に適用して、実践的に開発した、臨床心理療法に、わたしには思える。

 

 端的に言えば、悩み・苦悩が多重債務化する現実自己を、観念的自己が、現実に動いている感情の流れの中で気づいてあげる(ぬるく意識する・神的に意識する・上司的に意識する・共感的に意識する)ということになるだろうか。以前私は、このあり方を、観念的自己が、悩む現実自己の感情を、キャッチアンドリリース(渓流釣りで、捕まえた魚をまた渓流に流すこと)することだと思っていた。けれど感情は捕まえること=理解・分かる(キャッチ)はできない。現実に流れ刻々と動く感情の帯は、分かるものではなく、感じるものなのだ。この書けば当たり前のことを体得することで、初めて臨床的効果を上げることができる。感情モニタリングは、よく練られた・その段階的体得方法と言える。

 

 え〜、かのブルース・リー大先生が映画の中で言っていた決め台詞がありますね。

 『do'nt think, feel! 分かろうとするな。感じるんだ。』

 刻々と動く現実感情の流れに関して言えば、まさしく至言であります。

こころの筋トレぁД蹈ぅ筌襦ΕΕД妊ングstand by meから

  • 2018.05.21 Monday
  • 19:32

 

 イギリスのロイヤルウエディングに何の興味もなかったのだが、奥さんが、式でスタンド・バイ・ミーを歌って評判になっていると教えてくれた。

 

 スタンド・バイ・ミーはアメリカのベン・イー・キングがオリジナルだが、わたしの大好きな映画のタイトル()や挿入歌になったり、カバーが世界中の有名歌手によってされている。その中でもジョンレノンや忌野清志郎のものが、わたしには別格に好きで、ブログにも紹介したことがある。ストリートミュージシャンのものも友人のフィリップ丸尾から教えられて気に入り、ブログに載せた。後にTVCMに使われたらしい。

 

 今回ユーチューブでロイヤルウェディングの映像を見たが、それよりもわたしのこころに沁みたのは、アメリカのトレイシー・チャップマンのライブ版だった。昔英語を勉強していた頃、アメリカのトークショウをよく見ていた。その中でもデビット・レターマンはジョークが面白くて、よく分かりもしないのに見ていた。そこに彼女が出て歌っていた。ジョンレノンのカバーを最初に聴いた時、これ一曲でスタンドバイミーの映画一本分の中身を表現している気がしたが、チャップマンのはまるで違う。

 チャップマンの・普通なら盛り上げるところを、感情の高ぶりを抑えたカバーを聞いたら、驚いたことに涙がこぼれそうになったのだ。ふつうstand by meは、そばにいて、くらいに訳される。その通りなのだが、静かに、高ぶりをわざと抑える誠実な歌い方に、今わたしが練習している心理臨床技法・こころの筋トレの<感情のモニタリング>の主体自己のありようを思い出させたのだ。

 

 ひとは悩みを抱えはじめるとき、悩みの種があるから悩むが、それはただのきっかけにすぎない。問題は、つぎつぎに悩みの種を見つけだして、悩むこと自体すら悩みになるという二重構造を伴いながら、雪だるまのように悩みを主観的に加速化させる。いわば悩みの多重債務が常態化することなのだ。

 悩みを抱える者だけが努力すると言ったのはゲーテだったか。これは至言だが、かと言って、努力で悩みをなくすことはできない。

 

 日本の誇る、独創・実践の老碩学・河野良和氏は、人間の持つ最大の能力・観念的自己疎外(観念的二重化)を、感情のあり方に用いて、感情をコントロールする技法を発見した。感情に振り回される対象自己を、観念的主体自己が<ゆるく気づく>ままに意識することで、<自分の身体と心と向き合う時間>を豊かにできる、意識効果の原理だ。わたしはこれを、その場その時(here and now)の生きている感情のキャッチ・アンド・リリース(釣りで魚を捕まえて海や渓流に流す行為)と、勝手に呼びたい気がする。

 

 悩みを持つものは、誰も助けてくれる人がいないと思いがちだ。だが、本当は、見えていないだけかもしれないし、とうの自分が助けてくれる場合も確かにありうるのだ。

 チャップマンの抑えた静かなギター、誠実で・感情ゆたかな歌声と、歌い終えた後の少し後ずさるような笑顔が、こころを込めて、そう歌っているようにわたしには聞こえる。

stand by me

ぼくがいる きみがいる

 

when the night has come
and the land is dark
and the moon is the only light we'll see
no i won't be afraid, no i won't be afraid
just as long as you stand, stand by me
夜が訪れ

大地は暗闇に蔽われる

月のかぼそい明かりだけになっても

ぼくは怖くない 怖くないよ

だってきみがいるから きみがいるんだから
and darling, darling, stand by me
oh stand by me
oh stand
stand by me
だから ねぇきみ ぼくのそばにいて

いつでも ぼくのそばにいて

ぼくのそばに


if the sky we look upon
should tumble and fall
or the mountains should crumble to the sea
i won't cry, i won't cry, no i won't shed a tear
just as long as you stand, stand by me
あのいつもの空が

突然

崩れ落ちて

見上げていた山々が がらがらと

海に崩れ落ちても

泣かない ぼくは泣かないんだ 涙なんて見せない

だってきみがいるから きみがいるんだから

oh darling, darling, stand by me
oh stand by me
oh stand
stand by me
だから ねぇきみ ぼくのそばにいて

いつでも そばに

ぼくのそばに


oh darling darling stand by me
oh stand by me
oh stand
stand by me
stand by me
stand by me
stand by me

だから ねぇきみ ぼくのそばにいて

ぼくのそばに

きみはぼくだから

ぼくは

きみだから

きみ

ぼく

だから 

 (チャップマン採詞・訳:おや爺)

 

こころの筋トレ:隔てるもの、つながるもの

  • 2018.02.12 Monday
  • 13:37

 1月26日の道新コラム・今日の話題に、イギリスで孤独をなくす政策を練る孤独担当相を新設したと出ていた。

 

 広告のチラシでもいいから活字にかこまれると安心するという、活字フェチなので、去年からほぼ毎日のように市立図書館にお邪魔している。建物は能勢元市長のいくつも残してくれた建築遺産の一つだ。吹き抜けの気もちのいい空間で、老後を快活に生きるための・一つの心理臨床手段として、感情の二重モニタリング(臨床心理学的瞑想)をしている。←傍から見ればただ口を開けて寝ているアホ面のおっさん。hirasan

 

 先進国の中で、韓国とともに日本は、若年層や中高年の自殺が飛び抜けて多いと聞いたことがある。年間2万から3万の自殺者がいるのだ。毎日毎日80人以上自死していることになる。とても他人事とは思えない。

 図書館の書架にも、自己啓発本・エッセイ風なものまで含めると、心理学関係の本がかなりのスペースを割いているのに驚かされる。フロイトと激しく対立したアドラ―の流れをくむアメリカ流の心理学が多いのだが、それほど今の生活や人間関係・将来に、何とも言えない不安を抱えている人が多いということなんだろう。自殺について書かれた専門書の序文の中に、海外に住む日本人高齢者が、日本に里帰りをして驚くのは、街中の同じ高年齢層の力のない姿だとあった。

 海外から里帰りできる人はそれなりの富裕層だから、そういう人たちの目には、とりわけそう見えるだけだろう、とまず思った。体験的に言えば、高年齢者に共通の心理的・構造的孤立感があり得るはずだから、日本だけの問題とも思われない。そんな中で目にふれたコラムなので、余計考えさせられたのだ。

 

 最後に出て来る、ジョン・ダンは、シェイクスピア・エリオットやイギリス文学にちょっとでも関心を持った者ならだれでも知っている有名な詩人だ。ヘミングウェーの『誰がために鐘は鳴る』はこの詩からとっているし、これは、わたしの勝手な想像だが、サイモンとガーファンクルの名曲『アイ・アム・ア・ロック』の中のこころの叫び「ぼくは岩、ぼくは孤島だ。i am a rock. i am an island.」は、このジョン・ダンの頭に浮かべて書いたのだと思う。

 この「誰がために鐘は鳴る」は、他人事ではなく、汝ら兄弟姉妹のことだという、如何にもキリスト教的世界観という気がする。

 

For Whom the Bell Tolls

 

No man is an island, entire of itself;
every man is a piece of the continent,
a part of the main.
If a clod be washed away by the sea,
Europe is the less,
as well as if a promontorywere,
as well as if a manor of thy friend's or of thine own were:
any man's death diminishes me,
because I am involved in mankind,

and therefore never send to know
for whom the bells tolls;
it tolls for thee.
なんびとも一島嶼(とうしょ)にてはあらず。
なんびともみずからにして全きはなし。
人はみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)。本土のひとひら。
そのひとひらの土塊(つちくれ)を、波のきたりて洗い行けば、
洗われしだけ欧州の土の失せるはさながらに岬の失せるなり。
汝(な)が友だちや汝(なれ)みずからの荘園の失せるなり。
なんびとのみまかり(死ぬ)ゆくもこれに似て、みずからを殺(そ)ぐにひとし。
そは、われもまた人類の一部なれば、
ゆえに問うなかれ、誰(た)がために鐘は鳴るやと。
そは汝(な)がために鳴るなれば。
      (大久保康雄訳)

 

人は離れ小島ではない
一人で独立してはいない
人は皆大陸の一部
もしその土が波に洗われると
ヨーロッパ大陸は狭くなっていく
さながら岬が波に削られていくように
あなたの友やあなたの土地が
波に流されていくように
誰かが死ぬのもこれに似て
我が身を削られるのも同じ
なぜなら自らも人類の一部
ゆえに問う無かれ
誰がために弔いの鐘は鳴るのかと
それが鳴るのはあなたのため
      (浜野聡訳)

 そういえば中国史家・オーエン・ラティモアだったか、海は隔てるものではなく、つながるものでもあるという言葉がありますね。隣人・隣国も同じ。戦争ではなく、この社会に、人々や島々をつなげる海は必ずあるはず。

 学生の頃、そばプン少年というあだ名(ひと月は風呂に入らないので、側に行くとプンとにおうから。わたしがつけたんだけど……ちゅん)の・いまも親友の・Yから教えてもらったLP。サイモンが、有名になる前、一人でイギリスで出したアルバム「ポールサイモン ソングブック」から、アコースティック・バージョンの『アイ・アム・ア・ロック』

 学生の頃、何だか必死になって聴いていたっけ。←馬鹿ですねぇ〜、十八のおや爺よ! 絶って〜、戻りたくねぇ。hirasanパンダ

 

2018年のパイザ:迷子のこころ i shall be released ボブ・ディラン

  • 2017.12.31 Sunday
  • 00:01

 もともとよく見られてはいたのだが、いっときどういう訳か、工藤直子の詩・あいたくての記事にヒットが集中した。その詩の中に、<おつかいの とちゅうで /迷ってしまった子どもみたい>と<みえないことづけをにぎりしめて>と云う句がある。

 この詩に、わたしが今惹かれるのは、まいごの子供と、大人の<こころの迷子>の二重構造にある。

 

 おつかいを頼まれて、迷うとき、大人は通常、目的を忘れることはない。ところがこの詩は、冒頭で、たれに、いつ会うのかわからない、あるべきはずの目的地を失っている・目標地がはっきりしていない設定である。これは、現代に生きる大人の<こころの迷子>の構造と同じと云っていい。

 

 まいごの子どもは、普通、どうやって道を知るのか? <見えることづけ>を見せ、人に尋ね、地図をたよりに、目的地を探す。 

 そのための第一歩は、当然だが、現在地を知ることだ。

 では、こころが迷子になった時の一歩は、どうするか? <みえないことづけ>を頼りに、こころの目的地を探すことではない。やはりこころの現在地(その場その時here and now)を知ることが第一歩なのだ。ひとの目的は、現在の、自己の主体的条件(とくに主体的感情)と密接にかかわるものだから、<こころの現在地>を確認し続けることが、<みえないことづけ>を見えるものにする重要な一歩であり、最終歩でもある。

 この、書けば当たり前の真理を、まぬけなわたしは、世界に誇る、日本の独創の心理臨床家・河野良和氏とその弟子・大多和二郎両氏の理論と長年の実践・<感情の二重モニタリング>から身をもって教えられたのだ。

 

 わたしの読書の特徴の一つは、何度も読み返すことだが、この一年いつも持ち歩き、雲の柱・火の柱のように、毎日何度も繰り返し読んだのは、彼らの著作と、地下鉄サリン事件の河野義行『今を生きるしあわせ』、毎日出かけお世話になった岩見沢市立図書館で出会った・ユダヤ人哲学者による・「わたしは命令に従っただけだ」と述べたナチスドイツのアウシュビッツ強制収容所の所長アイヒマンの・息子への公開書簡の形の哲学書・『われらみな、アイヒマンの息子』(ギュンター・アンダース)だった。

 

 今年お店に来ていただいたお客様、直接お目にかかった皆さん、そしてブログを通して縁をつないだ名も知らぬ・信じられないほど多くの・遠くの、近くの皆さん、コメントを送ってくださった方々、facebookを通じて、感情の観念的二重化の議論をしてくれた京都の、尊敬する若いIさん・美佐子さん・希望さん、ありがとうございました。

 60年代に作られた、ボブ・ディランの、この代表作と、その歌詞の・わたしのつたない訳を、こころからのお礼とパイザのこころを込めて、同時代を共に生きる皆さんに、送ります。

 来年が、東北アジアや世界で、戦争と災害のない一年であることを。精養軒が、皆さんとともに、出村店長を先頭にバイトの皆さん、家族とともに、ささやかでもさらに一歩、歩むことができることを。 

 

 この曲が使われている映画『any day now 邦題チョコレートドーナツ』は、ゲイの売れない歌手とゲイを隠して生きる弁護士、家族に捨てられたダウン症の子供、3人が周囲や社会・制度の偏見の中で家族として生きる物語です。

I shall be released
いますぐにも

 

’y say ev'rything can be replaced
’y say  ev'ry distance is not near
i remember ev'ry face
of ev'ry man who put me here

なんだって代わりがきくって言う
どんなに近くても 遠いんだって
僕はおぼえているよ ひとりひとりの顔
ここに追い込んだみんなの顔を

'y tell you ev'ry man must've protection
then they tell you ev'ry man is bound to fall
me, i swear i see my own reflection

somewhere far beyond these walls

どんなひとでも守ってあげなくちゃいけないって言う

どんな人だって落ちていってしまうからって

僕には 僕には自分のホントの姿が見えるんだ

閉ざされたこの壁

ずっと向こう側に
i see my light come shining
from the west unto the east
any day now, any day now
shall be released

ぼくはみえる 光が
西から東へ 輝きながら降り注ぐ
いますぐにも こころも

この身も
自由になるんだ

yonder stands in this lonely crowd
a man who swears he's not to blame
all day long i hear him calling
crying out that he's been framed

あそこに きょうも男がいる ひとり 孤独な群れの中で

うめいている
わるいのか、ぼくは悪いのか!
一日中 男の呼ぶ声が耳に焼きつく

ずっと ずっと はめられていたんだ!

but i see my light come shining come shining
from the west unto the east
oh, any day now, any day now
i shall be released
でも、ぼくには見える 光りが

輝きながら 輝きながら
西から東へ 降り注ぐ  
いますぐにも こころも

この身も
自由になるんだ

they tell you they tell youev'ry man must've protection
then they tell you they tell you ev'ry man must fall

 i swear i swear i see my own reflection

 far beyond these walls

どんなひとでも守ってあげなくちゃいけないって言うくせに

どんな人だって落ちて行ってしまうからって

本当なんだ 僕には、僕のホントの姿が見えるんだ

閉ざされたこの壁

ずっと向こう側に
that's right i see my light come shining come shining come shining
from the west unto the east
i know, my god

any day now, any day now
i shall be released

 ほんとうさ ぼくには 見える 自由が輝きながら降り注ぐ

輝きながら 輝きながら光りとなって
西から東へ降り注ぐ 
ぼくはわかっているんだ 未来よ

いますぐ いますぐにも 僕は
自由につつまれる

いまこそ

こころをひろげるんだ

yes, i see my light come shining
from the west unto the east
and i swear, i swear, i swear my love,
we shall be released

ほんとうさ ぼくには見える 光りが

輝きながら 
西から東へ輝きながら 降り注ぐ 
いますぐ いますぐにも 僕らは
手を結ぶ

いまこそ

こころをひろげるんだ

    (アラン・カミング版アイ・シャル・ビー・リリースト 訳おや爺)

補注1:詩人のアーサー・ビナードさんにお会いした時、帰りがけに、ディランのi shall be releasedをぜひ訳して下さいとお願いしました。少し驚いたように言われました。ディランは版権が難しいんだよね。どう訳されているの?解放されるとかですかね。

 そういう訳し方に否定的な様子でした。

 そのことが、訳しながら、ずっと頭に浮かびました。

 

補注2:ディラン作曲・作詩とこの映画にありますが、アラン・カミングの歌う歌詞とディランのものとは違うところが幾つもあります。最もディラン自身もコンサートによって歌詞が変わるけど……。

 わたしにとって違いを感じるのは、wallをアランは複数にしているところですね。彼にとって世界は閉塞感がもっと強い感じなんでしょう。孤独な群れの中で叫ぶ男は、アラン版では、孤立感を深める向こうの方におり、ディラン版では、ディラン自身の<汝ら兄弟姉妹>のように、横にいる設定になっています。

 

補注3:この映像の訳も素敵なんですが、any day nowの訳が、「いつの日か」となっています。普通イギリス英語、アメリカ英語どちらの意味・用法とも、期待・願望を込めた(any dayであっても今という言語イメージですか)very soonの意味になってます。『今すぐにも』の日本語訳が一番近いニュアンスのような気がしますが、英語に詳しい方、教えていただけますか?

 

補注4:<感情の二重モニタリング>については、ブログ左のカテゴリー欄最後の、<こころの実験>をご覧ください。

 

  この、i shall be releasedを聴くと、若い女性二人の日常に、歌詞が自然に入っていることに、希望と、深い感動を覚える。

こころの筋トレ◆Т蕎陲瞭鷭泥皀縫織螢鵐

  • 2017.10.30 Monday
  • 18:05

 わたしのいまの<こころの筋トレ>の水準は、車の免許で言えば、仮免を終え、ようやく免許をとったところです。まだまだ日常の実際の実践的運転ではちょっと難しいところではギクシャクしているけれど、運転のコツを身につけつつあり、あまり込まない道では運転できている状態と言えますね。手

 

 前回の<こころの筋トレ で書いたように、還暦を過ぎた3年くらい前から感情のコントロールが非常に難しくなってきました。普段はグ〜タラ・ぼんやり生きているはずなんですが、簡単に言うと、朝起きるのが非常に辛い(精神的日内変動)、ちょっとしたことで自信を失い・落ち込んだり、元気が出ない・どうでもいいことにも不快な気持ちになり、かといって、仕事でそれを見せるわけにはいかないため、頭から離れなくなってさらに不安になるといった症状です。心配・悩み・不快の加速的雪だるま感情ですね。

 

 なぜこんなことを開陳するのかと言うと、新聞などでも、わたしのような人が増えて、カウンセリングの本や雑誌がブームになっているという記事が出ているからです。←おう、おや爺も、とうとう流行の大波に乗ったか!hirasan 


 碌でもない生き方をしてきたので、もともと何年か周期で、気持ちが極端に落ち込むことがあったのですが、精神的肉体的若さの力でそれを乗り越えてきたのが、今になってわかりました。このままでは快活に老後を送ることができなくなるのは明らかなので、理論的・実践的に納得できる方法で取り組んできたのが、<こころの筋トレ>とわたしが勝手に名付けている、感情のコントロール技法です。

 

 正しくは<感情の二重モニタリング法>と言われるものです。専門家に軽視され、世間でもあまり知られていない日本の生んだ独創・練達の心理臨床家・河野良和氏が発見・開発した臨床心理療法ですね。もともとはノイローゼや心身症などのために開発されたものです。
 

 はじめに禁忌事項を書きますね。

 

−吃臓精神分裂症などの診断を受けた人は独習できません。必ずこの技法のトレーニングを受けた専門家の指導のもとでしなければ、悪化する危険があります。観念的自己主体に自然体で気づくことが格段に難しいからです。ネット上では何人か二重モニタリングの専門家として検索されますが、共著のある大多和二郎氏以外信頼できる方がわたしには見当りませんでした。

 

∋劼匹發呂任ません。観念的自己主体(自己のアイデンティティ)を意識するのは、18歳以上の思春期を過ぎなければならないからです。

 

A六麓圈Σ鰐郢瓩硫鰐鄂翰教育研究所のホームページはありますが、ご高齢・ご病気で、もう研究・臨床カウンセリングは止められております。電話などをかけたりしてご迷惑をかけないようにしてくださいね。
 

 なんかめんどくさそうですが、とはいえ、わたしでも本による独習は十分可能だとおもいました。実際河野・大多和両氏は独習紹介本を出版するにあたって集団の臨床データをとっています。

ヾ蕎陬皀縫織螢鵐案門編 大多和二郎著 河野良和監修 河野心理教育研究所

感情モニタリング実践編 河野良和著 河野心理教育研究所

G困澆防蕕韻覆ぁ_鰐醂貧唾 PHP出版

た┫胸彪稻,農格が変わる 大多和二郎著 祥伝社

 

 こう書いてどうなのって、言われそうですが、全部絶版です。が、アマゾンの古本から購入できます。ぁΝが一番低価格、感情モニタリングの中で一番新しい書籍です。なんか安っぽいハウツー物みたいな題ですし、誤解させやすいところもあるし、成果が出るまでの日数を短めに書いている傾向がある(←ただ単におや爺がどんくさいので時間がかかっただけかも……暑い)という弱点はありますが、お勧めです。これは言語過程説を唱えた東大教授・時枝誠記を正しく継承した言語学者・三浦つとむの場合と似ていますね。彼の『日本語とはどういう言語か』は素晴らしい内容なのに、装丁が軽いので、内容の独創性が誤解されている気がします。

 

 出来れば、,梁臑刃造気鵑遼椶畔四僂垢譴弌↓・い亮綸世亙箒されて、すばらしく独習向きになる、と言うのがおや爺の考えです。△睫滅鬚い鵑任垢、古本市場で相当高くぼったくっているので、どうしてもという方以外はお薦めしません。

 これから書くことは、素人の独断とバイアスに満ちていますから、眉に唾をつけて読んでください。ヤッタv←おや爺の記事ってみんなそうですが……。お願い

 素人のわたしが、この何年、精神医学や心理学のカテゴリーの本をざっと読んだ印象は次のようなものでした。

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