3回忌:お墓の掃除

  • 2015.08.05 Wednesday
  • 09:19
 オモニの3回忌なので、ってわけでもないけど、7月末に両親のお墓の手入れをしてきました。蔦を植えているので、定期的に行かないとご近所様に迷惑をかけるのですね。わたしら社会常識知らずのアンポンタン(よく親に言われていた)なので、お菓子も花も添えません。お菓子はどうせ食べてもらえないし、花は枯れたまま置いておくのが嫌なので。 
t4.jpg
 う〜ん、このままでもちょっと荒れ果てた感じでいいけど。掃除用具も持ってきたことだし、やりましょう。
t2.jpg t.jpg
 去年植えた槿の木もつぼみを抱えています。
 刈り取るところは刈り取って、さっぱりしました。
t3.jpg
                青空が広がっています。

       

 先日『ラフ」さんに、つれあいと食事に行きました。聞き覚えのある歌が流れて来ました。
 『この素晴らしき世界』だ。この女性ボーカルいいなぁ、だれだろう。ステイシー・ケントとのこと。おや、元歌と違って、歌詞をリフしているところがあるぞ。わたしがけっこう悩み楽しんだ日本訳のところが2度歌われている。なるほど、ネイティヴのこの歌手も、ここが気に入ったんだ。
I see friends shaking hands.
Saying, “How do you do?”
They’re really saying,
“I love you”.
友らが手を握り 初めての出会いのように あいさつをかわす 
「ご機嫌いかが?」 ほんとうは
泣きたいくらい
アイ・ラブ・ユーと言いたいのに。

I hear babies cry,
I watch them grow,
They’ll learn much more,
Than I’ll ever know.
And I think to myself,
What a wonderful world.
わたしにはきこえる 赤ん坊たちの元気な声が
おおきくなるのを わたしは祈るようにみている 
かれらは多くをつかみとるだろう わたしの経験することよりもずっと ずっと
そうして ひとりおもう
この世界はなんて素晴らしいことか。


 日中戦争と朝鮮戦争という二つの戦争のために、大人になるまで息子にも言えない過酷な人生を歩んだ・戦争をこころの底から憎んだオモニ。ふだんは声を荒げない彼女が、戦争につながる道を進める連中を、朝鮮人であれ、日本人であれ、アメリカ人であれ、どの国の人間にも、口をきわめて罵っていました。
 『この素晴らしき世界』は、ヴェトナム侵略戦争の泥沼でもがいていたアメリカで、当時作られたものです。オモニの三回忌に、お供えは何もないけれど、ステイシー・ケントさんの、二度繰り返す、この歌い方が、アジアは互いに手をたずさえ、平等に結びあうよりほか生きる道はないのだと歌っているようで、何よりふさわしいように思え、この歌手に出会えたことを、ラフさんに感謝しました。

 
what a wonderful world
  この世界は素晴らしい。

I see trees of green,
red roses too.
I see them bloom,
for me and you.
And I think to myself,
what a wonderful world.
わたしには見える 木々の緑が
赤いいろんなバラが
わたしには見える わたしやあなたにむかって
やがて花咲くのが
そうして ひとりおもう
この世界はなんて素晴らしいことか

I see skies of blue,
And clouds of white.
The bright blessed day,
The dark sacred night.
And I think to myself,
What a wonderful world.
わたしにはみえる いろんな空の青さが
雲たちの白さの違いが
キン色に輝く 恵みの日
漆黒の おごそかな夜
そうして ひとりおもう
この世界はなんて素晴らしいことか

The colors of the rainbow,
So pretty in the sky.
Are also on the faces,
Of people passing by,
I see friends shaking hands.
Saying, “How do you do?”
They’re really saying,
“I love you”.
描かれている あんなにあざやかな虹が 空に 
映っている 行きかう人々の顔に
友らが手を握り 初めての出会いのように あいさつをかわす 
「ご機嫌いかが?」 ほんとうは
泣きたいくらい
アイ・ラブ・ユーと言いたいのに。

I hear babies cry,
I watch them grow,
They’ll learn much more,
Than I’ll ever know.
And I think to myself,
What a wonderful world.
わたしにはきこえる 赤ん坊たちの元気な声が
おおきくなるのを わたしは祈るようにみている 
かれらは多くをつかみとるだろう わたしの経験することよりもずっと ずっと
そうして ひとりおもう
この世界はなんて素晴らしいことか。


Yes, I think to myself,
What a wonderful world.
そうだ、
この世界はなんて素晴らしいことか


I see friends shaking hands.
Saying, “How do you do?”
They’re really saying,
“I love you”.
友らが手を握り 初めての出会いのように あいさつをかわす 
「ご機嫌いかが?」 ほんとうは
泣きたいくらい
アイ・ラブ・ユーと言いたいのに。

I hear babies cry,
I watch them grow,
They’ll learn much more,
Than I’ll ever know.
And I think to myself,
What a wonderful world.
わたしにはきこえる 赤ん坊たちの元気な声が
おおきくなるのを わたしは祈るようにみている 
かれらは多くをつかみとるだろう わたしの経験することよりもずっと ずっと
そうして ひとりおもう
この世界はなんて素晴らしいことか。


Yes, I think to myself,
What a wonderful world.
素晴らしい世界を
    
              (スティシー・ケント版・訳:おや爺)

 お墓の掃除を終えて 、夜はオモニが好きだった寿司健さんの鉄火巻きを3人で食べに行きました。 

槿(むくげ)の花を植えてきました。

  • 2014.09.02 Tuesday
  • 23:18
 オモニ(店の創業者)が亡くなって一年経ち、きのう納骨しました。わたし(わたしの兄も)は社会的慣習を知らないので、家族が亡くなっていつまでに納骨するものかわかりませんが、すぐには納骨する気持ちになれませんでした。わたし自身遺灰に意味があるとは思っていないので、自分のそんな感覚に戸惑ってもいました。
 かと言ってこの一年こまめに線香をあげるとか、花を添えるなどということは何もしていません。頻繁に遺灰に拝みに行くということもありませんでした。ときどきこころの中が何か立ちいかないときに、なんということもなく行ったり、オモニの好きだったジョンレノンのイマジンを聞くというだけのいいかげんなものです。それなのにどういうものか納骨する気になれなかったのです。

 周りに迷惑をかけることを嫌ったオモニは、亡くなる前に、わたしたちに身辺整理をやらせ、自分にかかわるものはすべて捨てること、亡くなったら家に戻さず、即刻火葬すること、暗い所は嫌いなので墓の中に入れないこと、山か海にでも散骨することなどを晩年よく繰り返していました。

 亡くなる少し前は、それもどうでもよくなったのか、墓のなかでもいいよ、おまえたちが一番楽なようにしたらいい、どうせ自分にはわからないんだからと笑って言うのでした。そういう時のオモニの冗談めかした言い方が好きで、わたしも、じゃぁ好きにするよと答えたりしました。

t11.jpg t9.jpg
 今年7月頃、雨があまり降らず暑い日が続き、お墓に植えていた雪で痛めつけられていたつつじとツタが枯れそうになっていました。つつじを掘り起し、店の花壇に移し替えます。ツタを植えた理由は、お墓にお参りに行っても、季節が変わったのに墓の風景が同じことが不自然に思えたからでした。わたしたちのように自堕落でオロカな兄弟は、ほっておくと伸びるツタを植えれば、ほかの墓に迷惑にならないよう刈り取りに嫌でもお墓詣りに行かざるを得なくなるという究極の親不孝な考えもあったのです。←なんてサイテイな息子たち!_| ̄|○
t10.jpg
 つつじを抜いた所に、オモニが好きだった槿(むくげ・ムグンファ)を植え、その下に散骨しました。それからオモニが北海道にわたって最初に住んだ美流渡(みると)にみんなで行ってきました。

t5.jpg t4.jpg 
 帰り道、オモニが生きていた頃何回か一緒に昼を食べた、美流渡の近くの喫茶店・人生の途中(たびのとちゅう)に寄りました。オモニが好きでよく食べた昔のナポリタンやチキンライス、昔風ラーメン、コーヒーをみんなで取り分けて食べました。
t2.jpg

      t1.jpg 
 いつもは吉田拓郎の、70年代はじめの曲ばかりを流していたはずなのに、その日の人生の途中(たびのとちゅう)は、学生時代よく聞いた、カルロス・サンタナの『samba for you あなたへ送るサンバ』が小さく流れていました。



 若いときの病気で、晩年耳が聞こえなくなったオモニ、この歌はあなたにも届きますか。

t8.jpg
 去年もう切ることになるかもしれないと思っていた店の槿が、今年はびっくりするぐらい咲いています。

精養軒の創業者が亡くなりました。

  • 2013.07.31 Wednesday
  • 23:55
 記事の題には、母(オモニ)が亡くなりました、と最初書いたのですが、あまりに個人的すぎるので書き改めました。でも母が生きていたらなにが創業者だと、間違いなく大笑いするでしょう。生業でやっている個人店に大袈裟に創業者と書きましたが、正確なありようは、50数年前に焼肉・ホルモン屋を始めたオモニが、昨日亡くなりました。89歳でした。お店が忙しい正月とお盆は迷惑をかけるから死にたくないと言っていた母の望みどおり、店の二日続きの休みの初日の朝でした。
 今年に入って、外出も少なくなりましたが、朝と夕方二回、杖をついて支店にきては、花壇のところで休んで本店に帰るということをしていました。店がいつまでもきれいで、見るのがうれしいというのです。

 若い頃に、街中の3条西5丁目でちいさな小さな店を創業したころのことを思い出していたのだと思います。朝、新聞を取りに外へ出た時、オモニが花壇に座っていたのでびっくりして、中に入ったら、と言うと、「いや、忙しいのに迷惑かけるからいいよ」と入りませんでした。
 夕方、店の厨房に立っていると、店のガラスドア越しに中を覗いているオモニを見かけることがありました。中に誘うと、たいていは断るか、たまに入ってきて働いている人に挨拶してそそくさと帰るのでした。迷惑をかけるのが嫌いで、八十を過ぎてからは、いつもボケたくない、迷惑をかけたくない、孫がやさしい子どもたちだ、嫁を大切に、家族仲良く店をやってくれてありがたい、うれしいが、話しの最後の口癖でした。

 ボケるのを心配する母のために、兄が買ってきてくれた脳を活性化させるという算数の計算本をやるのでした。

 亡くなる前の夜に、店が終わって、12時過ぎにしばらくぶりで本店に行くとオモニが布団で休んでいました。部屋の切れた電球を兄と二人で替え、足首が痛いというので、足首をさすり、湿布薬を貼りました。いろいろ話した後、オモニは明日も仕事で疲れるだろうから早く帰って寝なさいといつものセリフを言います。右手を握り1時半頃、それじゃぁまた、と言って別れました。
 翌朝、駆けつけてもらった救急隊の話しでは身体の暖かさから4時から5時ころの間に亡くなったようです。急性心不全でした。

 亡くなったオモニを布団に寝せ、いつも居間に貼ってみていた・孫たちの子どものころ、耳の聞こえないオモニとやり取りした黄色く変色したファックスや、孫たちの色あせた賞状や写真を布団の上や周りにいっぱいのせました。母が何度も何度も読んでいた本・神谷美恵子のこころの旅を枕元に置いて、一緒の部屋で寝ました。

次の日の朝、布団にのせきれない孫たちとのファックスを入れ替えした後、オモニの足元の畳に寝転ぶと、開けた窓から雲の浮かんだ四角のうす青い空が広がっています。気持ちもまとめることもできず、しばらくぼんやり見ていると、静かなピアノの音が上の階から聞こえてきました。オモニの好きな曲だと、以前兄が言っていた・(三階にいた兄が、レコードをかけたのか、)わたし自身何千回と聞いたジョン・レノンのイマジンが、今まで経験したことのないほど染み透るように流れてきました。兄弟そろって、バカな息子だな、朝鮮人の親が亡くなった時にかける奴は日本中に5人もいないだろうよ。10年以上前に亡くなったアボジが、生前、わたしたちのことを常識を知らないホルロチャシク(親なし子)のようだと言っていたっけ(そういう息子たちに育てたくせにネ)。
 あっ、まずいなと思ったら、畳に寝転んで青空をぼんやり見ていただけなのに涙が溢れてきました。

 けれどよく考えてみると、日中戦争と朝鮮戦争、ふたつの戦争に翻弄され、戦争を憎んだオモニの波乱に満ちた人生に、だれもが平和に生きることを想ってごらんとうたった、この単純な曲ほど送るのにふさわしい曲もないんじゃないか、ホルロチャシクらしい兄の絶妙の選曲だよな、と滲んだ空と雲を見ていました。
続きを読む >>

『さよならを言うのは少しだけ死ぬことだ』 : リフレインが叫んでる

  • 2010.10.18 Monday
  • 13:11


 この曲で歌われているのは恋愛なのだろうが、わたしにはもっと広い意味で、わたしのまわりの人にすべきだった・すべきでなかった多くのことを思い出させる。本当を言うと松任谷はあまり好きではないのだが、何曲か、引っ掛かってしまうものがある。

 『さよならを言うのは少しだけ死ぬことだ』と書いたのは、レイモンド・チャンドラーだ。村上春樹がフィリップ・マーロウを訳す前に、映画字幕の大御所として有名な清水俊二のものを読んで出くわした、わたしの記憶の中の台詞だ。

 その後英語をやるようになって、いくつかチャンドラーを読んだが、そんな台詞はまだ出てこないので、もしかしたら清水独特の・字幕的な訳かもしれない。

 さよならを言うことが<少しだけの死>ならば、<死そのもの>は<さよなら>とどうつながるのだろう。亡くなった父の、写真の中の笑顔や若くして逝った友人の最後の顔が浮かぶ。ひとにとって、死があまりに大きいので<さよなら>を・ほんとうの別れをいつまでも告げることが出来ないのだろうか。別れではないふりをするのだろうか。

 どんなに長い闘病や交流の道のりがあろうと、残されたものには、死はいつも突然だと思える。死が人に、常にやり残したものを意識させるからなのか。たとえそれらが、触れるほどそばにあったのに握ることのなかった手のことや・また来るからと言って果たさなかった約束のような、ほんの小さなことだったとしても。

 4年ほど前、北海道新聞の『朝の食卓』というコラムに、司法書士の藤田さんが年老いた父と家族で、祖父の故郷へ温泉旅行した時のことを書いた記事が、わたしの手元にある。


 いつになればわたしは、ほんとうに大切なものを、失う前に気づくのだろう。愚かではなくなるのだろう。

『リフレインが叫んでる』 1989年
松任谷由美『delight slight light kiss』 
収録 

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM