初代精養軒の内部は?

  • 2011.08.24 Wednesday
  • 01:41
  精養軒昔話の第一回は「初代精養軒はどこに?」でした。初代精養軒の内部は、明日の心だぁ、とその記事を終えて、それからすでに一年が過ぎようとしております。 おや爺の明日など一年後、出たとこ勝負でございます。 今回は内部がどうなっていたかお見せしましょう。と言っても写真などある訳もなく、オモニの話とおや爺の記憶の合体です。

 精養軒のお客様はすでに4代目に突入しております。初代のお客様が身近にいらっしゃればお聞きください。大体合っていると思います。これが初代精養軒の内部だぁ、って程でもありませんが……。



 実はこの家は、サイディングされているものの、今もそのままの骨格で現存しております。中小路は、現在もそのままあります。もちろん当時は現在のように舗装されていませんでしたが。

 奥に行ってみたい誘惑にかられるのですがちょっとコワくてまだ行ってません。駅通り寄りの荒木さんちは、確か息子さんが作詞家になったと記憶しておりますが、定かではありません。

 4丁目方面の壁続きの隣家は、おや爺の記憶では蹄鉄屋(馬のヒヅメに鉄の輪をはめる)さんで、いつも爪の焼ける強烈な匂いの記憶があるのですが、店に置いてある当時の地図(1961年版)では蹄鉄屋ではないのです。

 おや爺の子供の頃は郵便局は馬橇でしたからねぇ。ガキンチョは橇を引く人にばれないように後ろにとび乗っては叱られておりました。春になると馬糞が宙に舞って鼻や口に入ったもんです。今ならキレイ好きのうるさい親が黙っていないでしょうなぁ。

 閑話休題。初代精養軒は間口が一間(180cm)。オモニによると、狭いので右(入口から見て)の小上がりはアボジが畳を半分に切って作ったのでございます。左のカウンターは詰めて7人くらい入ったそうです。その当時はガスではなく炭火の七輪で、天気が良ければ外で、悪ければ台所で火をおこして、一酸化炭素中毒になりかけたという話でした。

 冷蔵庫は、氷で冷やす木製タイプで、安藤製氷店(6条西4丁目)で中古で買ったものです。おや爺も記憶に残っておりますね。

 当時のメニューは、ホルモン焼とジンギスカン焼で、一人前30円。
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初代精養軒はどこに?

  • 2010.10.05 Tuesday
  • 21:13
 精養軒の常連のお客様でも、初代精養軒の場所を知っていらっしゃる方は大変コアなお客様。

 ブログでも何回か書いておりますが、精養軒は操業年度が定かではありません。 創業者であるアボジ・オモニに聞いてもあやふやな答えしか返ってきません。

 一度保健所に聞きに行ったことがありました。 保健所は営業許可を出しているので記録があると思ったのです。担当の方が言うには、本店(4条西4丁目)を27年くらい前にわたしが建てかえた時、営業許可が新規になっているというのです。

 さらに古い書類は倉庫にあって、捜すのが面倒なうえ、昔は営業許可もいい加減で、営業してから随分たって許可をもらう事も多かったとのこと。

 なるほどねぇ、ありえる話です。保健所の忙しい仕事を中断するほど価値ある記録とも思えないので、すんなりあきらめることにしました。 ただ私が小学生になった時には店をやっていたので、50年は経っているでしょう。創業半世紀でございます。

 ホルモン焼・焼肉業界は、全飲食業の中では新参者ですから、現存する焼肉店の中では50年は古いほうかもしれません。

 店内に1961年度(今から49年前の)岩見沢市街地図を拡大コピーして飾っております。その中に初代精養軒が記入されております。
 ホレ、この通り。

                
 おぅ! よく見ると映画館の公楽(怪獣映画をよく見ました。怪獣ホラー映画「マタンゴ」は怖かったどすなぁ)。斎藤眼科さんにあった槿の木は、いま支店の花壇に移されて毎年満開の花を見せてくれています。

 駄菓子屋の出口さんとこにはよく一円札や1円玉を握りしめて、変わり玉(飴だま)を二個買いに行きましたな。いっ個五十銭ですがな! ある時50円玉を持っていったら、「このお金どうしたんだい。」と売ってくれなかった思い出がござりまするね。

 今のようにただ売れればいいんだという消費資本主義の時代ではなかったと言えましょう。

 店の周りに強烈な煮干しの匂いを漂わせていた白戸のラーメン屋さん。独特のファン層がございました。

 二軒右隣りの幼馴染み・孝んち(北海タイムス新聞販売所)は大きくて遊び場がいっぱいあってよく行きました。お母さんはいまも支店に来られてお元気です。残った折り込みチラシでいつも紙飛行機や船を作っては、原っぱや灌漑溝で遊んでおりました。

 当時3条通りは車道が今より狭く、歩道がもっと広かったので、牧病院の3条側には、腰高くらいの木の柵と松の木が植えたありました。その前でよくビー玉パッチ(メンコ)あそびをしました。あの頃は初代若乃花柏戸がパッチの表を飾っておりましたがな。

 というような時代に精養軒の創業店の内部はどうなって、何を売って、どういうお客様が来ておったのか? それは明日の心だぁ〜(小沢昭一風でございます。さすがに明日の続編は無理なのでいずれ書きます……)。

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