春の少女: here comes the sun(春の陽が差しているよ!) ジョージ・ハリスン

  • 2019.04.09 Tuesday
  • 16:48

 朝、4月の一週が過ぎたのに、天気はみぞれ模様。10時頃には止んで陽が差し始めていた。いつも買い出しに出かけるスーパーからの帰り道、歩道を、母親と歩く4歳くらいの帽子をかぶった女の子が目に入った。左手に白い絵の入った、彼女には大きめの傘を抱え、右手を振り回して何が楽しいのか、お母さんの前を、嬉しそうにスキップしていた。思わず助手席の奥さんに言った、何が楽しんだろうねぇ、楽しかったこともすぐに忘れちゃうのかねぇ。彼女がそう、そう、と頷いた。

 たとえ頭で忘れても、スキップしていた足の裏で覚えていたらいいのにねぇと、思った。

 

 それは、子供を失った作家の高史明(コウ・サミョン)の言葉だ。自宅に訪ねてきた、死にたいという、見知らぬ子どもへの言葉だった。

「死にたいって、君のどこがいっているんだい?ここ(頭)かい? でも、君が死ねば頭だけじゃなく、その手も足もぜんぶ死ぬ。まず手をひらいて相談しなきゃ。君はふだんは見えない足の裏で支えられて立っている。足の裏をよく洗って相談してみなさい

 しばらく経ってその子から来た手紙には、足の裏の大きな絵とともに、「足の裏の声が聞こえてくるまで、歩くことにしました」と書かれてたのだ。

 

 少女よ、あなたの足の裏は覚えていますとも! 世界中の・見知らぬ街の・ちっぽけな国の・戦火の中の、名も知らぬ少女たちに幸あれ!!

here comes the sun 春の陽が差しているよ!

 

here comes the sun, here comes the sun
and i say
it's all right
春だよ 春の陽が差しているよ。
もぅ、大丈夫!
little darling, it's been a long cold lonely winter
little darling, it feels like years since it's been here
here comes the sun, here comes the sun
and i say
it's all right
ねぇ、長くって寒い、辛い冬だったよね。
ホント、永遠に続くって感じでさ。
春だよ! 春の陽が差しているんだ。
そうさ
もぅ、大丈夫!
little darling, the smiles returning to the faces
little darling, it seems like years since it's been here
here comes the sun, here comes the sun
and i say
it's all right
ね、みんなステキな笑顔。
ホント、ずっとそうだったみたいにさ。
春だよ! 春の陽が差しているんだ。
そうさ
もぅ、大丈夫!
sun, sun, sun, here it comes
sun, sun, sun, here it comes
sun, sun, sun, here it comes
sun, sun, sun, here it comes
sun, sun, sun, here it comes
春、春、春の陽が差している!!
春だよ!
little darling, i feel that ice is slowly melting
little darling, it seems like years since it's been clear
ね、氷もゆっくりと解け始めている感じ。
ね、ずっとそうだったかも!
here comes the sun, here comes the sun
and i say
it's all right
here comes the sun, here comes the sun
it's all right, it's all right
春だよ! 春の陽が差しているんだ。
そうさ
もぅ、大丈夫!
春、春、春の陽が差している!!
  (作詞・作曲:ジョージ・ハリスン 訳:おや爺)
 白内障手術のため10日から15日までお店はお休みします。よろしくお願いします。

休日の楽しみ:朝鮮の民謡 江原道(カンウォンド)・アリラン チョー・ヨンピル

  • 2019.03.27 Wednesday
  • 02:22

 え〜、何度も書いておりますが、休日は家族で奥さんの手料理と、生協で夜7時に半額となったお刺身を食べながらユーチューブを観るというのが定番でございます。先日のお休みに息子が教えてくれたチョー・ヨンピルのアリランが、何かと感慨深く、なかなかイケていたのでございます。

 

 アリランというのは朝鮮の代表的な民謡で、各地域にそれぞれ独自のアリランがあります。アリラン峠という、朝鮮に実際には存在しない峠を越える物語です。一度ブログで真壁仁の詩・『峠』紹介したことがあります。

 江原道(カンウォンド)アリランはその中でもとくに有名なバリエーションです。アリ、アリラン、スリ、スリランなんていう語呂のいい合いの手が入って、聴いたたことのある方もいらっしゃるかもしれません。

 

 実はわたくし,どんな曲も聞くんですが、演歌だけは苦手。『釜山港へ帰れ』で有名なチョー・ヨンピルも苦手。ですが、これはいいですなぁ。バブル時期の、今では金泥臭い躍動感・余りと言えば、あまりなイケイケ肩パッド・自信溢れる時期(?)のチョー・ヨンピル。1990年代の政治的に少しづつ自由になりつつある韓国の空気も感じられます。ちょっと音質が悪いのが玉にキズですが、どうぞお楽しみください。

 民謡版k-popです。

 

思い出の歌:卒業写真 荒井由実

  • 2019.02.07 Thursday
  • 14:49

 いつも買い物に行く、少しうらぶれたスーパーで、だれが歌っているのか知らないが、<卒業写真>のカバー・ソングが流れていた。嫌いな曲だったから、カバー曲に聞き入る自分にすこし驚いた。

 

 荒井由実は、都会的で、政治と無関係に生きていける・セレブっぽい感じが好きではなかった。この曲も学生の頃嫌いだった。何が気に入らなかったのか?

 卒業アルバムが、革(!)の表紙という小道具の出し方や、自分は変わって行くくせに、<あなたはあの頃の生き方を忘れないで>とか、<あなたは、時々、遠くで叱って>という在り方が、恥じらいもなく自分に甘えた、随分な手前勝手じゃないかと思ったのだ。女から男(本当は男女に限らないはずなのに)に対する過度の希望・要求(?)という在り方もカチンと来たような気がする。若いわたしは、この歌詞をただ若者の恋愛の歌としか読めなかったのだ。

 

 話しかけるように揺れる柳の下を

 通った道さえ今はもう電車から見るだけ

 

 こころ惹かれる詩句も入って、いい詩だったんだと、今あらためて思える。 どのみち、この地やひとの記憶から消え去ると思っていたから、写真に写るのがいやだったわたしは、今も開くようなアルバムも青春も持っていないのだが、十代のわたしは、<悲しいことがあると>の始まりと、こころの再生の意味に、日々を生きようという豊かなありかたに、気づこうともしなかったのだ。

 今回、ユーチューブで荒井由実の歌で聞くと、やはり若い時に聞いたときの気持ちがよみがえってきて、わたしには夏川りみさんのデュエットと、全然知らない青葉市子さんの歌い方が、この詩と合っている気がした。

 

クリスマス・イヴに、都会派センチメンタル掌編をどうぞ:same auld lang syne クリスマスの夜に

  • 2018.12.24 Monday
  • 00:01

 ユーチューブで音楽を聴いていたら、突然、以前クリスマス近くのブログで、ダン・フォーゲルバーグの曲のあらすじを紹介したままにしていたことを思い出しました。

 十年ぶりで、訳してみました。クリスマスイヴの夜に、ひとり、ワインを飲みながら聞くのも、大人の夜の過ごし方と申せましょう。←おや爺、大人ってよく知らないけんど……。

 ツアーをし続けた歌手・フォーゲルバーグの実際にあった話のように思えますね。それぐらいリアリティがあります、おや爺、よく知りませんが……。(^^)

 残念ながら、彼は数年前、クリスマスの頃に亡くなりました。

 ちょっと男寄りの・いい気な話に振っているところが気になりますが、上質なセンチメンタル掌編と言えましょう。女性の方はどう思うのかなぁ。

 

 原題・same auld lang syne 。日本語題が『懐かしき恋人の歌』 これはちょっとうまい訳ですね。原題を生かしています。でもちょっと大袈裟感がおや爺には感じるかなぁ。sameのもっている、よくあるお話的な・フォーゲルバーグの、自分の体験を覚めた目線で見てしまう的語感がないのが物足りないところです。(auld lang syneは、古いスコットランド民謡、日本名『蛍の光』です。)

 おや爺的にはあっさり行きたい。それでは、はじまりはじまり〜。

 

 same auld lang syne 『クリスマスの夜に』

met my old lover in the grocery store
the snow was falling christmas eve
i stole behind her in the frozen foods
and i touched her on the sleeve
グロサリー・ストア(食料品店)で、 昔の彼女を見かけた

雪の降る 、クリスマス・イヴの夜だった。

冷凍食品売り場で 、後ろからそっと近づき

彼女の

うでに触れた
 

she didn't recognize the face at first
but then her eyes flew open wide
she went to hug me
and she spilled her purse
and we laughed until we cried.

最初 ぼくを分からなかったけれど
気づいたとたん、その目が大きく見開いたんだ
彼女が思わずぼくに抱きついた

時 

財布を落として中身が散らばった
ふたり拾いながら、笑いあった、彼女が涙声に変わるまで。


we took her groceries to the checkout stand
the food was totalled up and bagged
we stood there lost in our embarrassment
as the conversation dragged.
ふたり、彼女の食料品を持ってレジに向かった

買い物は精算され、バッグに入れられたけど

ぼくらはばかみたいに その場に立っていた

話しを終えることができずにいたから


we went to have ourselves a drink or two
but couldn't find an open bar
we bought a six-pack at the liquor store
and we drank it in her car.
少し飲もうとふたり外に出たけれど

開いているバーは一軒も見つからなかった

ぼくらは6本パックを酒屋で買い

彼女の車の中で飲むことにした。


we drank a toast to innocence
we drank a toast to now
and tried to reach beyond the emptiness
but neither one knew how.
ふたり、若く、無邪気だったころに乾杯し

おたがいの今にも祝杯を挙げた

それからふたりの歳月をうめようとしたけれど

ぼくらにどうするすべもなかった


she said she'd married her an architect
who kept her warm and safe and dry
she would have liked to say she loved the man
but she didn't like to lie.
彼女は建築家と結婚をしているといった

温かくなに不自由のない暮らしを送っているけど、と。

彼を愛しているといいたかったに違いない。

でも彼女は自分に嘘をつきたくなかったのだ。


i said the years had been a friend to her
and that her eyes were still as blue
but in those eyes i wasn't sure if i saw
doubt or gratitude.
ぼくは会わない間に、もっとすてきになったと告げた

瞳はあの頃のように 碧いままだと伝えたけれど

ぼくの言葉をそのまま受けとめてくれたのかどうか

その瞳は何も語っていなかった


she said she saw me in the record stores
and that i must be doing well
i said the audience was heavenly
but the traveling was hell.
彼女は、何度か ぼくをレコード店で見かけたと言った
そして ぼくが順調にやっているに違いないと

ライブは天国みたいだけど、

ぼくは言った。

でも ツアーは 地獄なんだ。


we drank a toast to innocence
we drank a toast to now
and tried to reach beyond the emptiness
but neither one knew how.
ぼくらは若く、無邪気だったころに乾杯し

ふたりの今にも祝杯を挙げた

それからふたりの歳月をうめようとしたけれど

ぼくらにどうするすべもなかったんだ


we drank a toast to innocence
we drank a toast to time
reliving in our eloquence
another 'auld lang syne'...
ぼくらは若く、無邪気だったころに乾杯し

たがいの過ぎ去った日々に祝杯を挙げた

ぼくらのおしゃべりは 続き

また再会を誓った。


the beer was empty
and our tongues were tired
and running out of things to say
she gave a kiss to me
as i got out
And i watched her drive away.
ビールは 空になり、

 ぼくらは話し疲れていた

言うべきことは 話し尽くして

ぼくが 外に出た

彼女は ぼくにキスをした。

車が 走り去るのを、ぼくはじっと見ていた。


just for a moment i was back at school
and felt that old familiar pain
and as i turned to make my way back home
the snow turned into rain

一瞬 学生時代に戻ったみたいだった

そしていつもの あの胸の痛みを感じていた

振り向いて 家路をたどり始めると

雪は 雨に変り始めていた……。

 

 山下達郎・『クリスマス・イヴ』の歌詞では、雨が雪に変わり、想いが、積み重なるようです。フォーゲルバーグは、二人の想いが実際は何も残らないかのように、雪が雨となって流れていきますね。こころと言葉というのは面白いもんですねぇ。

 

 この歌を聞くとつい最後のシーンから次の曲も思い出すんですよね。僕らの世代ではカスケーズで有名です。邦題『悲しき雨音』 アレンジもしゃれてますなぁ。ビートルズの『レイン』が最後に入るのもいいですがな。フォーゲルバーグの相当幅広い音楽知識と才能を感じます。

 これもいつか訳してみたいです。

 ダン・フォーゲルバーグを知らない方でも、60代以上の方は、このCMをご存知じゃないでしょうか。

 

Tocchiamo:北海道教育大学岩見沢校学生による声楽重唱発表会

  • 2018.12.05 Wednesday
  • 21:47

 北海道教育大学岩見沢校は、スポーツ系と芸術系に特化したコースでできているなかなか個性的な学校でございます。過去わたしも仕事をさぼり、大学院のゼミを何年か受けて、非常に楽しい時を過ごしました。

 このブログを含めた精養軒のホームページもそこの学生に作ってもらったものです。また精養軒の評判のバイトたちも、歴代教育大学の学生たちであります。今年卒業のK川さんは声楽研究室専攻です。お店でもお客様の誕生会があると、happy birthdayを、それはそれはきれいな声で歌って評判を得ております。

 

 今日6時から岩見沢駅舎のセンターホールで発表会が行われました。

 曲目はあのお菓子の家で有名なオペラ『ヘンゼルとグレーテル』 わがK川さんは男の子役で登場です。いや〜、驚きましたなぁ、あんなきれいな声が出るんだぁ!!とても人間の声とは思えない。声も楽器とはよく言われる言葉ですが、ほんとうにそうですね。呼吸する美しい楽器です。なんか感動しちゃいました。何を歌っているのかよくわからないくせにねぇ。(^^) こんな学校が岩見沢にあってよかったって思いましたねぇ。

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 はじまりはじまり〜。

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 わがK川の勇姿。

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 ヘンゼルとグレーテル,お母さん・お父さん・魔女・ピアニストの皆さん。よかったですよ〜。地元の人にもっと知られるといいのにね〜。市役所の皆さんよろしくね〜。

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 音楽系すべての発表会がマナミールであります。

 帰り。夕暮の駅舎。

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思い出の歌:青春時代 森田公一とトップギャラン

  • 2018.11.15 Thursday
  • 01:54

 先日洞爺へ行く途中の、北海道らしいさわやかな田園風景の中をドライブしておりました。なんでそうなったのか、奥さんと、『青春時代』という40年以上前のヒット曲の話になりました。

 

 『青春時代』ってさぁ、なかなかいい歌詞なんだよね。いい曲なのに、あんなにヒットもしたのに、誰もあまり話題にしないよねぇ。どうしてかなぁ。森田公一がおっさんくさい顔をしていたからかなぁ。編曲が古臭いからかなぁ。誰が作詞したのかしら。作曲は森田公一で、たしか北海道の田舎出身なんだよね。大体、トップギャランていうのも一周回遅れのグループサウンズっぽい名前だよねぇ、などと失礼この上ないことを話しておりました。

 

 ユーチューブを見て驚きました。詩は、あの阿久悠だったのです。すごいひとだったんですねぇ、やっぱり。この映像は紅白歌合戦のものらしいですね。なんか全体が昭和のキャバレーっぽい気もするけんど、いい歌詞であることには変わりありません。

 

青春時代が夢なんて
あとからほのぼの 想うもの
青春時代の 真ん中は
道に迷って いるばかり

 

あなたは少女の 時を過ぎ
愛に悲しむ 女(ひと)になる

 

青春時代が 夢なんて
あとからほのぼの 想うもの
青春時代の 真ん中は
胸に棘刺す ことばかり

 

 あれ、65過ぎてんのに、未だ道に迷いに迷っているおや爺って、どゆこと!!

 

金沢21世紀美術館 まちなか展覧会:北海道新聞の記事より

  • 2018.10.08 Monday
  • 09:19

 今日の北海道新聞朝刊に、金沢21世紀美術館 まちなか展覧会の記事が出ていた。『変容する家』展のキュレイターのインタビューが載っていて興味を惹かれ、是非見たいと思った。

 10年前との違いはと尋ねる記者へのこたえ。「社会的なコンセンサスの部分で、違和感のあるものを受け入れるレンジが狭くなってきたの感じました。」勿論これは現代に生きる人のこころの問題と密接に結びついているといっていい。めずらしいものを、面白いものではなく危険なもの(ネガティブなもの)としてとらえる社会的空気を語っている。だからこそ街中で現代美術をやる意義があるというのだ。このふたりの記者とキュレイターの存在に、わたしはほっとする気持ちをぬぐえない。

 

 三笠出身の川俣正さんも出展するのは、今年夏に会った時に、聞いていたのだが、記事に出ていた作品名に驚いた。

『金沢スクオッターズプロジェクト2018』

 スクオッターズとはずいぶん懐かしい。わたしには、半世紀近くぶりに聞く言葉じゃないだろうか。川俣さんもずいぶん古い言葉を探し出してきたものだと思った。道新の記事には、簡単に、「スクオッターズとは、土地や家を所有しない人々や彼らが暮らす場所のこと」と書かれていたが、わたしの印象は違う。60年後半から70年代のイギリスの学生や、職のない若者が、ある種の反社会的・反資本主義的運動として、廃屋や空きビル、所有者のはっきりしない建物に占拠するというものだ。当時の世界的なヒッピームーブメントとつながっていたのかもしれない。

 ちょっと気になってネットで調べてみると、道新記事と同じ解説が書かれていた。さらに驚いたことに、というかわたしが不勉強なだけだが、現在も非常によく使われている・第三世界を中心とした現実の問題であることを知った。

 

 わたしのかつての言語イメージは間違いだったのかと思って英語版のウィキペディアに当たった。イギリスとウェールズの事情について詳しく解説している。Squatting in England and Wales(イギリスとウェールズのスクオット運動)

 なんと14世紀からあったんですね、イギリスじゃぁ。わたしの半世紀前の言語イメージは、70年当時としては正しかったみたいだが、現在は変わってきているということなんだろう。

 川俣さんはスクオッターにどういう解釈を加えているんだろうか。是非見てみたい。

 

 下は同記事に紹介されていた中国の現代美術家の作品。

芸術家は大変?

  • 2018.07.15 Sunday
  • 21:38

 今年『万引き家族』で、カンヌ国際映画祭最高賞を受賞した是政監督の発言も、さらにその発言に対してネット上で批判がわきあがっていることも、北海道新聞の7月8日版を見るまでちっとも知らなかった。

 

 「補助金をもらっていながら呆れた発言だ」とツイッター上で個人の批判が相次いでいると下の記事にあるが、本当にそんな批判があるんだろうか。にわかには信じられない気がする。なにも欧米のあり方がすべていいとは思わないが、こういう発言が力をもつことが、いまだに欧米先進国でもありうるんだろうか。日本は超高度消費社会の先進国の先端であると思うけど、監督の発言を巡る情況そのものが、学生の頃読んだ世界史の中のアジアについて書かれた・まったく無関係な言葉を急に思い出させた。<アジア的停滞>という言葉だ。

 ナチスによって追いやられた・わたしの好きなパウル・クレーや、マックス・エルンストの(退廃)芸術追放の歴史が頭をかすめた。

 わたしは、是政監督の、ネット上やこの道新の記事の最後の落ち着いた・穏やかな発言をいいなぁと思っている。林文部科学相の、「助成しているからと言って、義務や発言の制約がかかるものではないと思っている」の発言も、理論的な・大人の政治家だと思える。

 かつて、素粒子論の湯川秀樹や武谷三男が、ビッグサイエンス(ひも付きの金)が健全な物理学精神を歪める可能性に言及していた。こういう発言を巡るあり方を見ると、科学ばかりではなく芸術も同じことなのだろう。金が怖いというべきではない。「補助金をもらっていながら呆れた発言だ」は、つまるところ、作品(表現)がモノを言うのではなく、金だけがモノを言う・ものを言える社会と言っていいのだ。

 芸術家は大変、とはこのブログ記事の題だが、芸術家は表現を通してその事実が露わになるだけで、ほんとうは、無意識下で、このネット社会に住むすべての個人が、既に同じ情況の元にあるということなのだろう。

ロック・ピクニック イン イワミザワ:井上陽水ライブ

  • 2018.06.22 Friday
  • 02:00

 20日岩見沢で井上陽水のコンサートがあった。開場前から<まなみーる>に、続々とひとが集まる。精養軒のお客様も結構いらしている。

 今回の井上陽水ライブは、田舎を巡ると、兄が言っていた。デビューしたての井上陽水は、若い頃のわたしにとって、別格の存在だった。勿論、そんな若者は当時日本中に山ほどいただろう。

 まだ学生運動が盛んだった大学にいて、在日朝鮮人のわたしは、国家・民族とは何か、言語とはどういうことか、なぜ日本人ではないのか、自分は何者なのか、子どもの頃から悩んでいたことに、皆目解決の糸口が見つからないままの状態にいた。呑気な新入生のふりをしていたが、毎日心の中は必死の形相になっていた。分かりもしない難しい哲学書や政治の本を読んでは先輩や友人に話し、ようやく築き上げた、自分の生きる根拠を崩されたり、崩したりの繰り返しをしていた。

 陽水の歌詞<列についていけない者にまた来る明日が来るかどうかは誰も知らない、ただひたすらの風まかせ>や、<都会では自殺する若者が増えている。けれども問題は今日の雨。傘がない。>にほんとうは否応なく惹かれている心を、学生運動をしている学生たちには言えない気がした。

 

 

 ファースト・アルバム<断絶>、セカンド<センチメンタル>の陽水の曲や、かれの身を切るような歌声は、当時、わたしの思想的あり方を、逆なでするように、それでいて感情では引きつけてはなさないのだった。レコードを買うとのめり込むことはわかっていたので、一度もレコードは買うことはなかったが、友人から何度もなんどもレコードを借りては聴き続けていた。どんなに立派な哲学・政治的な論理を築いたとしても、お前のへその下の本音はそこにはないはずだと、こころの底を見透かされている気になるのだった。

 わたしがいまだに人の信念とか論理のあり方に信頼と希望をもちながら、違和感を同時に持ってしまうのは、もともとのわたしの資質なのか、育った環境のせいなのかわからない。

 

 ユーチューブで、中年以降のかれのライブ映像を見て、実はずっと好きになれなかった。若い頃の切実感がすっかりなくなって、成熟した大人のように見えたのだ。(記事に載せるためにユーチューブの映像をいろいろ見たが、やはり実際のライブの素晴らしさが感じられない気がする)

 今日初めて70歳になった陽水のライブを聴いて、わたしのような素人は、テレビやユーチューブの映像では本当のところは全く分からないんだと思った。若いバックバンドと、お互い心底楽しそうに、ある時は静かに、2時間フルに、ある時は驚くほど激しく歌い続ける姿に、歳をとるのもなかなか一筋縄にいかない、いいもんだな、と思った。最後の曲は、若い頃腹を立てて嫌いだった・「傘がない」だった。アンコールに答えて、「氷の世界」と、「夢のなかへ」を歌った。「夢の中へ」で、ブルースハーモニカを力強く吹いて、とても七十過ぎとは思えない。最後になればなるほどパワフルになるのだった。

 

 優れたことを長く続ける人や、天才を目の前に見る、凡人の喜びは、自分のやっていることなどまだまだだ、まだやることがある、及ばずながらもやってみよう、という気になることだと言った歴史家がいたっけ。

 

 ライブの次の日、奥さんが、朝、犬を連れてサンプラザの前を散歩していたら、煙草を吸いに外へ出てきた陽水さんに会った。昨日のライブはすごくよかった。楽しかったと伝えたら、笑顔で、「そう言われるとうれしい。同じ世代の人に、元気をあげたいんです」と答えたという。

 これも今回のライブで歌った。アレンジは相当違うけど、実際の・ライブの歌の雰囲気が感じられる。若い頃夏が嫌いだと言っていた彼が、こんな夏の歌を作るんですからね。

 

 岩見沢でのライブを企画された皆さんに、こころから感謝します。

 

 以前の記事です。

札幌のパスタ屋で:『能古島の片思い』 井上陽水

 

海街diaryぁУ△譴覆い佞燭蝓ゝ氾捗生(よしだあきみ)

 

十五夜:神無月にかこまれて(作詞・作曲 井上陽水)

 

紅葉の季節:冷たい部屋の世界地図

 

スーパームーン:おやすみ 井上陽水

 

思い出の歌:500マイルも離れて DDT

ロンドン・ハイドパークのライブ

  • 2018.03.27 Tuesday
  • 22:53

 店の休みの日は、夕飯で鍋をすることが多い。今日は、兄が持ってきた日本酒と、生協で半額になった豚肉と牡蠣を使って兄や家族みんなで、奥さんの手料理の豚しゃぶと牡蠣の鍋をした。ユーチューブを見ながらワイワイ発泡酒やニッカシードル・ワインを飲み、息子が買ってきた誕生祝いのケーキを食べて楽しく時を過ごした。

 

 たまたまアメリカのロックンローラー、ブルース・スプリングスティーンとイギリスのロックンローラー、ポールマッカートニーのロンドンでの楽しいライブを見つけた。

 いや〜、大御所のスプリングスティーンが、憧れの元ビートルズのポールと一緒に歌えるのがうれしくてたまらい感が半端じゃない。いい歳して大きな子供みたい。おや爺もこうなりたいもんざんす。手手 ポールが、一瞬ちょっと引くくらい幸福感が画面にダダ漏れ状態で、いいんですよね。気もちいい時間にさらに、なんか美味しいお裾分けをもらったような気分。

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