思い出の歌と旧友からのメール:若者たち ザ・ブロードサイド・フォー

  • 2019.08.22 Thursday
  • 00:22

 カレッジ・フォーク、代表曲の一つ。学生時代所属していたクラブで、集まりの前後でよく歌われていた歌。テレビ番組「若者たち」の主題歌・挿入歌だった。よくちゃぶ台(もはや死語)をひっくり返して兄弟喧嘩していた場面を覚えておりますね。1960年代後半までは生活の苦しさから、日本の家庭の中にこんな諍いが存在していたんですよね。何か在日朝鮮人の世界を見ているみたいでしたね。わたしの抱えてる問題は、必ずしも民族的な問題ではなくて、経済的なものからも来ていたんだと知らされました。

 

 今聞くと格別若者たちの歌でもなくて、幾つになろうと、幾つであろうと、ひとの在り様の歌に思えます。

 <空にまた 陽がのぼるとき>、ボブ・ディランじゃないけど、残りの人生の最初の日が、始まるんですからね。ときに立ち止まり、ささやかでも<また 歩き始める>よりほかはないんです!

 

 誰でも思うんでしょうが、この歌詞の記憶的インパクトは、<だのに 何故>ではないでしょうか。<なのに 何故>ではなく、濁音<だ>の強いインパクトが、<なのに>よりさらに強い衝撃を与える気がします。学生の頃<のに>という接続詞にいやおうなく惹かれる経験をした身としては、つい考え込んでしまいます。そういえばブログで<のにをかかえて>という記事を書いてましたわ。

 

 このフォーク・グループは、巨匠黒澤明の息子・黒沢久雄がリーダーだったような……。なんかこの写真の田中邦衛、えらくかっこいい!!←青大将(これについては加山雄三若大将シリーズをご覧ください)じゃないみたい。

 

 ブロードサイド・フォーにはもう一つ有名な曲があります。

 「星に祈りを」

 歌詞は今聞くと、語の選択が、あまりと言えば、ひどいですなぁ。なぜあんなに好きだったんだろう。きっと人を好きになることに、心底、憧れていたんだろうなぁ。恋愛経験のないマヌケな若者の、そういう思いを加速させる歌詞ではありまするね。いや〜、ホント、頓馬でばかですねぇ、10代のわたし。←今もだろう、おや爺よ! 

 作詞・作曲が、以前ブログで紹介した「あなたのすべてを」の佐々木勉だったことをすっかり忘れておりました。

 

 追補:この記事を読んだ大学以来の旧友からメールが届いた。

『学生の頃、佐藤オリエが大好きで、辛気臭い山本圭が嫌いだった。お前だけじゃないんだよ、って感じかな!石立鉄男とスクラム組んで歩くシーンで涙したものです。大好きですべて観てたよ。馬鹿でしたね〜!』

 

 わたしのリターン・メール。

『あはは、馬鹿ですね〜!!』

大学図書館の思い出:思想のドラマトゥルギー

  • 2019.08.05 Monday
  • 13:27

 8月2日の北海道新聞朝刊に、哲学者・久野収没後20年という題の記事が掲載されていた。久野収の本はほとんど読んだことがないが、60年代から70年代初頭、雑誌の対談やインタビューなどに結構出ていた知識人の一人だ。

 第二次大戦・日中戦争と日本が前のめりで戦争に向かっていたころの文学者や、学者たちの生き方が気になって、その種の本をよく読んだ時期がある。彼らが戦前・戦中を潜り抜けて、戦後民主主義と言われる戦後をどのように生きたのか。他人事のように思えなかったのだ。高村光太郎・三好達治をはじめとする詩人たち、京都学派の哲学者谷川徹や田辺元、わたしの好きだった独立の哲学者・三木清。物理学者の湯川秀樹や坂田昌一・武谷三男・朝永振一郎らの素粒子論グループの軌跡が書かれた本を読んだ。

 

 わたしがそれら知識人に、ただ憧れたからではなく、戦争に反対したり・諸手を挙げて翼賛する、または戦争を他人事のように見る普通の市井の人々が、表面的には何ごともないように、あるいはこっそりとこころの中を押し隠して・戦中戦後をくぐり抜けてきた問題が、彼らの書物を通じて、隠しようもなく、より鮮明に・露に・されてくるからだ。

 

 大学の同級生や先輩たちは、恐ろしい読書家ばかりだった(ばかりに思えた)。北杜夫や石坂洋次郎の青春小説しか読まない阿保バカ大学生(←わたしのことだが)が必死になって、フォイエルバッハだの、デカルト・サルトルだの、わかりもしない難しい本を読み始めた。大学の湿った薄暗い図書館に通い、読み始めた本の中に、林達夫と久野収の対談、『思想のドラマトゥルギー』があった。彼らの語ることが正しいというより、どれほど多くの本を読めばこういう厚みのあるバックグラウンドができるのだろうという思いに駆られた記憶がよみがえる。林の親しい友人であり・獄中で亡くなった哲学者・三木清への哀惜を込めた発言や、特攻隊の遺書にも引用された『ミケルアンジェロ』を書いた歴史家・羽仁五郎への評価、『雀百まで踊り忘れず』・『馬鹿の一つ覚え』は今も忘れることなく心に残っている。

 

 今、わたしはどう生きようとしているのだろう。二度の戦争に翻弄され、亡くなる直前まで、私達子供にも心を明かせなかったアボジとオモニを持つ在日朝鮮人二世として、これだけは守りたい。どんなに憎みあおうと国と国の位置は動かすことはできない。とするなら戦争を回避する道を選ぶほかはないのだ。少なくとも、自分の自堕落な生き方を肝に銘じて、国家を背負い、国家の威を借りる・危険な火遊び発言だけはすまい。同じアジアで、日々生き・悩み、笑う人と人とが、パイザとなって結びつくあり方を、自分たちの・何十年か考え続けてたどり着いたささやかな料理や、このブログを通じて、模索したいと願っている。

 

 東北アジアできな臭い戦争の風が吹いている気がして落ち着かない。しかし、なお、尊敬する・日本の知られざる臨床心理学者や、ならず者の時代を生き抜いたアメリカの女性劇作家や歴史学者のように、何があろうと、ひとの精神とこころは、自由快活に生きてゆけることを、自分のこころのありようを通して実証したい。

新彦六伝:林家木久扇(初代木久蔵)

  • 2019.05.26 Sunday
  • 00:13

 休日に家族みんなでユーチューブを聞くのだが、兄が、木久蔵の彦六のマネが絶品なんだと言った。奥さんも木久蔵は好きだと言ったが、わたしは笑点・大喜利の木久蔵しか知らないので、つまらなく、好きではなかった。今回初めて聞いてびっくり。長屋住まいの彦六は好きだったので、木久蔵の彦六伝に大笑いしてしまった。に、似てる!!

 

 でも彦六を知らない人にはどうでしょう。まずは聞いてみてください。

 いや〜、65歳過ぎには懐かしい名前のオンパレードでしたなぁ。

 

 さて、次は新彦六伝です。面白いんですが、映像がないので、落語に慣れていない人にはちょっと雰囲気がわかりずらいかも。始まりが彦六伝とダブっていたりするので時間のない方は、29分30秒からご覧ください。朝鮮料理の代表メニュー・キムチにかかわる、彦六師匠の・時代を感じさせる逸話が出てきます。

 

 親の代から60年以上も精養軒をやっていると同じことがありましたな。50年以上前は、キムチは朝鮮漬けと言われておりました。北海道ではキムチという言葉もあまり使われていなかったんじゃないでしょうか。そして洗って食べるお客様が結構いらっしゃいましたな。洗った後で醤油をかけるお客様もいらっしゃいました。←実はおや爺もそうでした。

 桃屋のキムチの素CMを見ると、1976年版で、まだ朝鮮漬けと言っていますね。

 <ニンニク臭い>は、子供の頃おや爺も言われた当時の囃子言葉(今ならいじめの言葉?)にもなっておりましたがや。今や日本のニンニク消費量は目を見張るものがあります。イタリア・スペイン料理もニンニクを多用しますからね。社会の表層価値に普遍性などないも同然、時代とともに変化するというのを身を持って体験しているおや爺でございます。キムチや焼肉・朝鮮料理は、昔は肉体労働者の食べるものでしたからねぇ。

 今ネットで何かといじめられて、泣いているかもしれない小・中学生の皆さん、10年経ったら、逆に皆さんが大笑いすることになるんです。涙は笑いの基、ですよね彦六師匠!! 

 he who laughs last, laughs best.

思い出の歌:とまらない汽車 中山千夏

  • 2019.05.24 Friday
  • 01:28

 中山千夏の俳優としての思い出は、わたしにはひょっこりひょうたん島の博士の声だが、彼女の歌の印象がより強く残っている。中学生の頃だと思うが、彼女の「あなたの心に」と「止まらない汽車」は好きな曲だった。当時は何もわからなかったが、今聞き直してみると、曲もさることながら、歌詞がいいことがわかる。両方とも作詞が中山千夏本人であることを今回初めて知った。才能のある人は違いますねぇ。

 「あなたの心に」を注意深く聴くと、若い少女が年上の男性を好きになった気持ちがよく表現されていると同時に、年上の男が少女の前では隠している辛さにも、その若い彼女が気づいている、大人びた賢さも持ち合わせているのが、ちょっと並みでないところでしょうか。実体験なのかしらん。

 

 「止まらない汽車」は、中山千夏本人の歌で聞きたかったけれど、ユーチューブにはないようです。全然知らないトランプというグループしか見つけることができませんでした。これはいい詩ですねぇ。ちょっと実存主義哲学者・サルトルの言葉すら思い出させます。そう、そう、人生はとまらな汽車。途中で勝手に降りることもできません。ひとは生まれたその同時代を、手を取り合って、共に生きるしかないんですよね。

 

 とまらない汽車 (作詞中山千夏 作曲都倉俊一)

 

とまらない汽車に ふたりで乗ってしまった

髪の長いムスメと 向こう見ずのこの僕と

とまらない汽車に ふたりで乗ってしまった

ムスメの歌聴きながら 僕は空を見ている

 

何かのまちがいだと思うのだけれども

汽車はもうとまらない とまらない

 

とまらない汽車の 線路は長く続く
なんだか淋しくなって ふたりはキスをする

何かのまちがいだと思うのだけれども

汽車はもうとまらない とまらない

 

とまらない汽車よ 地平線を超え走れ

まちがいだっていいんだよ この娘が好きなんだ

まちがいでもいいさ 汽車よさあ走れ

とまるなよ

 ところで、中山千夏さんは今どうしていらっしゃるんでしょうね。

いわナビで:学生書道展

  • 2019.05.18 Saturday
  • 23:03

 ずっと店の中にいると仕事や電話に追われて気が休まらないので、合間に、セブンイレブンでホットコーヒーを買い、本を持って岩見沢図書館へ行く。さらに時間がない時は、すぐ近くのいわナビのロビーの展示を見たり、椅子に座って持ち込んだ本を読むことが多い。今日行くと、夕方から始まるいわナビのロビーコンサートの準備をしていた。リハーサルの音が階下から聞こえてくる。その音を聞きながら本を読んでいると、心が非常に落ち着いてくるのだった。いわナビを街なかに作ってくれた方、どなたか知らないけど、ありがとうと言いたい気持ちになった。

 

 そのいわナビの昨日までのロビー展示は、全国の学生書道展出展作品(?)だった。掛け軸になっている。

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 なんかちょっと、小六、シュール。ほんとに今どき塩辛いんですかね、よくわかりませんが……。

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 あ、は、は。確かにねぇ。そんなわたしも六十を過ぎると朝の6時に目が覚めちゃうんですからねぇ。聞こえないうちが花かもしれませんな。

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 誰の言葉なんですかね。まさか中三で自作の言葉じゃないでしょうな。バイクのホンダスピリットを思い出しますね。no play no errorってやつです。多分に和製英語ぽいですけど、何もしなければ失敗もないが、それが最大の失敗であるくらいの意味でしょうか。

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 今どきの小六の魂の叫びでしょうか。ちょっとかわいそう。考えることも大事だけど、感じることも忘れないでね。←おや爺、魂の叫び。

 

 高一になるとちょっと偉そうですな。ジェームズって誰だ?! ちょっと禅的ではありますね。

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 わたしが一番気に入ったのはこれです。

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 今このブログのこころの道場で試みている、こころの旅(主体的感情の二重モニタリング)の在り方に通じるなぁ、と思えるからです。でも高一でこんな心境になれるなんて、おや爺が遅すぎか!! まぁ、今だ人生でやるべきことがあるってことが花、ってことにしておこう!ヾ(*ΦωΦ)ノ ヒャッホゥ

 

 帰り道の道端で。

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思い出の歌:熱き心に 小林旭

  • 2019.05.09 Thursday
  • 21:37

 いつかの休日に、家族そろって食事後、ユーチューブを観ていた。兄が突然、大滝詠一が作曲した熱き心にを聞きたいと言った。小林旭の熱き心には知っていたが、ちょっと前に亡くなった大瀧詠一が作曲とは知らなかった。でも言われると、大陸的・ロシア民謡的・まさしく大滝節ですよね。作詞があの阿久悠だと今回初めて知りました。

 阿久悠って戦後民主主義の第一世代で、平和憲法を大事に思っていたっていうのは本当の話なのかしら。

 

 でもいい曲、いい詩ですよね。俳優の小林旭は好きじゃないけど、独特の歌い方をする歌手ですねぇ。

 この歌を、北海道から、京都で闘病生活を送る若い畏友・石橋さんに心を込めて送ります。

 熱き心に

 

北国の旅の空 流れる雲 はるか
時に 人恋しく
くちびるに ふれもせず
別れた女 いずこ
胸は 焦がれるまま

熱き心に 時よもどれ
なつかしい想い つれてもどれよ
ああ 春には 花咲く日が
ああ 夏には 星降る日が
夢を誘う 愛を語る

熱き心に きみを重ね
夜の更けるままに 想いつのらせ
ああ 秋には 色づく日が
ああ 冬には 真白な日が
胸を叩く 歌を歌う 歌を

オーロラの 空の下
夢追い人 ひとり 風の姿に似て
熱き心 君に

春の少女: here comes the sun(春の陽が差しているよ!) ジョージ・ハリスン

  • 2019.04.09 Tuesday
  • 16:48

 朝、4月の一週が過ぎたのに、天気はみぞれ模様。10時頃には止んで陽が差し始めていた。いつも買い出しに出かけるスーパーからの帰り道、歩道を、母親と歩く4歳くらいの帽子をかぶった女の子が目に入った。左手に白い絵の入った、彼女には大きめの傘を抱え、右手を振り回して何が楽しいのか、お母さんの前を、嬉しそうにスキップしていた。思わず助手席の奥さんに言った、何が楽しんだろうねぇ、楽しかったこともすぐに忘れちゃうのかねぇ。彼女がそう、そう、と頷いた。

 たとえ頭で忘れても、スキップしていた足の裏で覚えていたらいいのにねぇと、思った。

 

 それは、子供を失った作家の高史明(コウ・サミョン)の言葉だ。自宅に訪ねてきた、死にたいという、見知らぬ子どもへの言葉だった。

「死にたいって、君のどこがいっているんだい?ここ(頭)かい? でも、君が死ねば頭だけじゃなく、その手も足もぜんぶ死ぬ。まず手をひらいて相談しなきゃ。君はふだんは見えない足の裏で支えられて立っている。足の裏をよく洗って相談してみなさい

 しばらく経ってその子から来た手紙には、足の裏の大きな絵とともに、「足の裏の声が聞こえてくるまで、歩くことにしました」と書かれてたのだ。

 

 少女よ、あなたの足の裏は覚えていますとも! 世界中の・見知らぬ街の・ちっぽけな国の・戦火の中の、名も知らぬ少女たちに幸あれ!!

here comes the sun 春の陽が差しているよ!

 

here comes the sun, here comes the sun
and i say
it's all right
春だよ 春の陽が差しているよ。
もぅ、大丈夫!
little darling, it's been a long cold lonely winter
little darling, it feels like years since it's been here
here comes the sun, here comes the sun
and i say
it's all right
ねぇ、長くって寒い、辛い冬だったよね。
ホント、永遠に続くって感じでさ。
春だよ! 春の陽が差しているんだ。
そうさ
もぅ、大丈夫!
little darling, the smiles returning to the faces
little darling, it seems like years since it's been here
here comes the sun, here comes the sun
and i say
it's all right
ね、みんなステキな笑顔。
ホント、ずっとそうだったみたいにさ。
春だよ! 春の陽が差しているんだ。
そうさ
もぅ、大丈夫!
sun, sun, sun, here it comes
sun, sun, sun, here it comes
sun, sun, sun, here it comes
sun, sun, sun, here it comes
sun, sun, sun, here it comes
春、春、春の陽が差している!!
春だよ!
little darling, i feel that ice is slowly melting
little darling, it seems like years since it's been clear
ね、氷もゆっくりと解け始めている感じ。
ね、ずっとそうだったかも!
here comes the sun, here comes the sun
and i say
it's all right
here comes the sun, here comes the sun
it's all right, it's all right
春だよ! 春の陽が差しているんだ。
そうさ
もぅ、大丈夫!
春、春、春の陽が差している!!
  (作詞・作曲:ジョージ・ハリスン 訳:おや爺)
 白内障手術のため10日から15日までお店はお休みします。よろしくお願いします。

休日の楽しみ:朝鮮の民謡 江原道(カンウォンド)・アリラン チョー・ヨンピル

  • 2019.03.27 Wednesday
  • 02:22

 え〜、何度も書いておりますが、休日は家族で奥さんの手料理と、生協で夜7時に半額となったお刺身を食べながらユーチューブを観るというのが定番でございます。先日のお休みに息子が教えてくれたチョー・ヨンピルのアリランが、何かと感慨深く、なかなかイケていたのでございます。

 

 アリランというのは朝鮮の代表的な民謡で、各地域にそれぞれ独自のアリランがあります。アリラン峠という、朝鮮に実際には存在しない峠を越える物語です。一度ブログで真壁仁の詩・『峠』紹介したことがあります。

 江原道(カンウォンド)アリランはその中でもとくに有名なバリエーションです。アリ、アリラン、スリ、スリランなんていう語呂のいい合いの手が入って、聴いたたことのある方もいらっしゃるかもしれません。

 

 実はわたくし,どんな曲も聞くんですが、演歌だけは苦手。『釜山港へ帰れ』で有名なチョー・ヨンピルも苦手。ですが、これはいいですなぁ。バブル時期の、今では金泥臭い躍動感・余りと言えば、あまりなイケイケ肩パッド・自信溢れる時期(?)のチョー・ヨンピル。1990年代の政治的に少しづつ自由になりつつある韓国の空気も感じられます。ちょっと音質が悪いのが玉にキズですが、どうぞお楽しみください。

 民謡版k-popです。

 

思い出の歌:卒業写真 荒井由実

  • 2019.02.07 Thursday
  • 14:49

 いつも買い物に行く、少しうらぶれたスーパーで、だれが歌っているのか知らないが、<卒業写真>のカバー・ソングが流れていた。嫌いな曲だったから、カバー曲に聞き入る自分にすこし驚いた。

 

 荒井由実は、都会的で、政治と無関係に生きていける・セレブっぽい感じが好きではなかった。この曲も学生の頃嫌いだった。何が気に入らなかったのか?

 卒業アルバムが、革(!)の表紙という小道具の出し方や、自分は変わって行くくせに、<あなたはあの頃の生き方を忘れないで>とか、<あなたは、時々、遠くで叱って>という在り方が、恥じらいもなく自分に甘えた、随分な手前勝手じゃないかと思ったのだ。女から男(本当は男女に限らないはずなのに)に対する過度の希望・要求(?)という在り方もカチンと来たような気がする。若いわたしは、この歌詞をただ若者の恋愛の歌としか読めなかったのだ。

 

 話しかけるように揺れる柳の下を

 通った道さえ今はもう電車から見るだけ

 

 こころ惹かれる詩句も入って、いい詩だったんだと、今あらためて思える。 どのみち、この地やひとの記憶から消え去ると思っていたから、写真に写るのがいやだったわたしは、今も開くようなアルバムも青春も持っていないのだが、十代のわたしは、<悲しいことがあると>の始まりと、こころの再生の意味に、日々を生きようという豊かなありかたに、気づこうともしなかったのだ。

 今回、ユーチューブで荒井由実の歌で聞くと、やはり若い時に聞いたときの気持ちがよみがえってきて、わたしには夏川りみさんのデュエットと、全然知らない青葉市子さんの歌い方が、この詩と合っている気がした。

 

クリスマス・イヴに、都会派センチメンタル掌編をどうぞ:same auld lang syne クリスマスの夜に

  • 2018.12.24 Monday
  • 00:01

 ユーチューブで音楽を聴いていたら、突然、以前クリスマス近くのブログで、ダン・フォーゲルバーグの曲のあらすじを紹介したままにしていたことを思い出しました。

 十年ぶりで、訳してみました。クリスマスイヴの夜に、ひとり、ワインを飲みながら聞くのも、大人の夜の過ごし方と申せましょう。←おや爺、大人ってよく知らないけんど……。

 ツアーをし続けた歌手・フォーゲルバーグの実際にあった話のように思えますね。それぐらいリアリティがあります、おや爺、よく知りませんが……。(^^)

 残念ながら、彼は数年前、クリスマスの頃に亡くなりました。

 ちょっと男寄りの・いい気な話に振っているところが気になりますが、上質なセンチメンタル掌編と言えましょう。女性の方はどう思うのかなぁ。

 

 原題・same auld lang syne 。日本語題が『懐かしき恋人の歌』 これはちょっとうまい訳ですね。原題を生かしています。でもちょっと大袈裟感がおや爺には感じるかなぁ。sameのもっている、よくあるお話的な・フォーゲルバーグの、自分の体験を覚めた目線で見てしまう的語感がないのが物足りないところです。(auld lang syneは、古いスコットランド民謡、日本名『蛍の光』です。)

 おや爺的にはあっさり行きたい。それでは、はじまりはじまり〜。

 

 same auld lang syne 『クリスマスの夜に』

met my old lover in the grocery store
the snow was falling christmas eve
i stole behind her in the frozen foods
and i touched her on the sleeve
グロサリー・ストア(食料品店)で、 昔の彼女を見かけた

雪の降る 、クリスマス・イヴの夜だった。

冷凍食品売り場で 、後ろからそっと近づき

彼女の

うでに触れた
 

she didn't recognize the face at first
but then her eyes flew open wide
she went to hug me
and she spilled her purse
and we laughed until we cried.

最初 ぼくを分からなかったけれど
気づいたとたん、その目が大きく見開いたんだ
彼女が思わずぼくに抱きついた

時 

財布を落として中身が散らばった
ふたり拾いながら、笑いあった、彼女が涙声に変わるまで。


we took her groceries to the checkout stand
the food was totalled up and bagged
we stood there lost in our embarrassment
as the conversation dragged.
ふたり、彼女の食料品を持ってレジに向かった

買い物は精算され、バッグに入れられたけど

ぼくらはばかみたいに その場に立っていた

話しを終えることができずにいたから


we went to have ourselves a drink or two
but couldn't find an open bar
we bought a six-pack at the liquor store
and we drank it in her car.
少し飲もうとふたり外に出たけれど

開いているバーは一軒も見つからなかった

ぼくらは6本パックを酒屋で買い

彼女の車の中で飲むことにした。


we drank a toast to innocence
we drank a toast to now
and tried to reach beyond the emptiness
but neither one knew how.
ふたり、若く、無邪気だったころに乾杯し

おたがいの今にも祝杯を挙げた

それからふたりの歳月をうめようとしたけれど

ぼくらにどうするすべもなかった


she said she'd married her an architect
who kept her warm and safe and dry
she would have liked to say she loved the man
but she didn't like to lie.
彼女は建築家と結婚をしているといった

温かくなに不自由のない暮らしを送っているけど、と。

彼を愛しているといいたかったに違いない。

でも彼女は自分に嘘をつきたくなかったのだ。


i said the years had been a friend to her
and that her eyes were still as blue
but in those eyes i wasn't sure if i saw
doubt or gratitude.
ぼくは会わない間に、もっとすてきになったと告げた

瞳はあの頃のように 碧いままだと伝えたけれど

ぼくの言葉をそのまま受けとめてくれたのかどうか

その瞳は何も語っていなかった


she said she saw me in the record stores
and that i must be doing well
i said the audience was heavenly
but the traveling was hell.
彼女は、何度か ぼくをレコード店で見かけたと言った
そして ぼくが順調にやっているに違いないと

ライブは天国みたいだけど、

ぼくは言った。

でも ツアーは 地獄なんだ。


we drank a toast to innocence
we drank a toast to now
and tried to reach beyond the emptiness
but neither one knew how.
ぼくらは若く、無邪気だったころに乾杯し

ふたりの今にも祝杯を挙げた

それからふたりの歳月をうめようとしたけれど

ぼくらにどうするすべもなかったんだ


we drank a toast to innocence
we drank a toast to time
reliving in our eloquence
another 'auld lang syne'...
ぼくらは若く、無邪気だったころに乾杯し

たがいの過ぎ去った日々に祝杯を挙げた

ぼくらのおしゃべりは 続き

また再会を誓った。


the beer was empty
and our tongues were tired
and running out of things to say
she gave a kiss to me
as i got out
And i watched her drive away.
ビールは 空になり、

 ぼくらは話し疲れていた

言うべきことは 話し尽くして

ぼくが 外に出た

彼女は ぼくにキスをした。

車が 走り去るのを、ぼくはじっと見ていた。


just for a moment i was back at school
and felt that old familiar pain
and as i turned to make my way back home
the snow turned into rain

一瞬 学生時代に戻ったみたいだった

そしていつもの あの胸の痛みを感じていた

振り向いて 家路をたどり始めると

雪は 雨に変り始めていた……。

 

 山下達郎・『クリスマス・イヴ』の歌詞では、雨が雪に変わり、想いが、積み重なるようです。フォーゲルバーグは、二人の想いが実際は何も残らないかのように、雪が雨となって流れていきますね。こころと言葉というのは面白いもんですねぇ。

 

 この歌を聞くとつい最後のシーンから次の曲も思い出すんですよね。僕らの世代ではカスケーズで有名です。邦題『悲しき雨音』 アレンジもしゃれてますなぁ。ビートルズの『レイン』が最後に入るのもいいですがな。フォーゲルバーグの相当幅広い音楽知識と才能を感じます。

 これもいつか訳してみたいです。

 ダン・フォーゲルバーグを知らない方でも、60代以上の方は、このCMをご存知じゃないでしょうか。

 

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