2018年のパイザ:迷子のこころ i shall be released ボブ・ディラン

  • 2017.12.31 Sunday
  • 00:01

 もともとよく見られてはいたのだが、いっときどういう訳か、工藤直子の詩・あいたくての記事にヒットが集中した。その詩の中に、<おつかいの とちゅうで /迷ってしまった子どもみたい>と<みえないことづけをにぎりしめて>と云う句がある。

 この詩に、わたしが今惹かれるのは、まいごの子供と、大人の<こころの迷子>の二重構造にある。

 

 おつかいを頼まれて、迷うとき、大人は通常、目的を忘れることはない。ところがこの詩は、冒頭で、たれに、いつ会うのかわからない、あるべきはずの目的地を失っている・目標地がはっきりしていない設定である。これは、現代に生きる大人の<こころの迷子>の構造と同じと云っていい。

 

 まいごの子どもは、普通、どうやって道を知るのか? <見えることづけ>を見せ、人に尋ね、地図をたよりに、目的地を探す。 

 そのための第一歩は、当然だが、現在地を知ることだ。

 では、こころが迷子になった時の一歩は、どうするか? <みえないことづけ>を頼りに、こころの目的地を探すことではない。やはりこころの現在地(その場その時here and now)を知ることが第一歩なのだ。ひとの目的は、現在の、自己の主体的条件(とくに主体的感情)と密接にかかわるものだから、<こころの現在地>を確認し続けることが、<みえないことづけ>を見えるものにする重要な一歩であり、最終歩でもある。

 この、書けば当たり前の真理を、まぬけなわたしは、世界に誇る、日本の独創の心理臨床家・河野良和氏とその弟子・大多和二郎両氏の理論と長年の実践・<感情の二重モニタリング>から身をもって教えられたのだ。

 

 わたしの読書の特徴の一つは、何度も読み返すことだが、この一年いつも持ち歩き、雲の柱・火の柱のように、毎日何度も繰り返し読んだのは、彼らの著作と、地下鉄サリン事件の河野義行『今を生きる喜び』、毎日出かけお世話になった岩見沢市立図書館で出会った・ユダヤ人哲学者による・「わたしは命令に従っただけだ」と述べたナチスドイツのアウシュビッツ強制収容所の所長アイヒマンの・息子への公開書簡の形の哲学書・『われらみな、アイヒマンの息子』(ギュンター・アンダース)だった。

 

 今年お店に来ていただいたお客様、直接お目にかかった皆さん、そしてブログを通して縁をつないだ名も知らぬ・信じられないほど多くの・遠くの、近くの皆さん、コメントを送ってくださった方々、facebookを通じて、感情の観念的二重化の議論をしてくれた京都の、尊敬する若いIさん・美佐子さん・希望さん、ありがとうございました。

 60年代に作られた、ボブ・ディランの、この代表作と、その歌詞の・わたしのつたない訳を、こころからのお礼とパイザのこころを込めて、同時代を共に生きる皆さんに、送ります。

 来年が、東北アジアや世界で、戦争と災害のない一年であることを。精養軒が、皆さんとともに、出村店長を先頭にバイトの皆さん、家族とともに、ささやかでもさらに一歩、歩むことができることを。 

 

 この曲が使われている映画『any day now 邦題チョコレートドーナツ』は、ゲイの売れない歌手とゲイを隠して生きる弁護士、家族に捨てられたダウン症の子供、3人が周囲や社会・制度の偏見の中で家族として生きる物語です。

I shall be released
いますぐにも

 

’y say ev'rything can be replaced
’y say  ev'ry distance is not near
i remember ev'ry face
of ev'ry man who put me here

なんだって代わりがきくって言う
どんなに近くても 遠いんだって
僕はおぼえているよ ひとりひとりの顔
ここに追い込んだみんなの顔を

'y tell you ev'ry man must've protection
then they tell you ev'ry man is bound to fall
me, i swear i see my own reflection

somewhere far beyond these walls

どんなひとでも守ってあげなくちゃいけないって言う

どんな人だって落ちていってしまうからって

僕には 僕には自分のホントの姿が見えるんだ

閉ざされたこの壁

ずっと向こう側に
i see my light come shining
from the west unto the east
any day now, any day now
shall be released

ぼくはみえる 光が
西から東へ 輝きながら降り注ぐ
いますぐにも こころも

この身も
自由になるんだ

yonder stands in this lonely crowd
a man who swears he's not to blame
all day long i hear him calling
crying out that he's been framed

あそこに きょうも男がいる ひとり 孤独な群れの中で

うめいている
わるいのか、ぼくは悪いのか!
一日中 男の呼ぶ声が耳に焼きつく

ずっと ずっと はめられていたんだ!

but i see my light come shining come shining
from the west unto the east
oh, any day now, any day now
i shall be released
でも、ぼくには見える 光りが

輝きながら 輝きながら
西から東へ 降り注ぐ  
いますぐにも こころも

この身も
自由になるんだ

they tell you they tell youev'ry man must've protection
then they tell you they tell you ev'ry man must fall

 i swear i swear i see my own reflection

 far beyond these walls

どんなひとでも守ってあげなくちゃいけないって言うくせに

どんな人だって落ちて行ってしまうからって

本当なんだ 僕には、僕のホントの姿が見えるんだ

閉ざされたこの壁

ずっと向こう側に
that's right i see my light come shining come shining come shining
from the west unto the east
i know, my god

any day now, any day now
i shall be released

 ほんとうさ ぼくには 見える 自由が輝きながら降り注ぐ

輝きながら 輝きながら光りとなって
西から東へ降り注ぐ 
ぼくはわかっているんだ 未来よ

いますぐ いますぐにも 僕は
自由につつまれる

いまこそ

こころをひろげるんだ

yes, i see my light come shining
from the west unto the east
and i swear, i swear, i swear my love,
we shall be released

ほんとうさ ぼくには見える 光りが

輝きながら 
西から東へ輝きながら 降り注ぐ 
いますぐ いますぐにも 僕らは
手を結ぶ

いまこそ

こころをひろげるんだ

    (アラン・カミング版アイ・シャル・ビー・リリースト 訳おや爺)

補注1:詩人のアーサー・ビナードさんにお会いした時、帰りがけに、ディランのi shall be releasedをぜひ訳して下さいとお願いしました。少し驚いたように言われました。ディランは版権が難しいんだよね。どう訳されているの?解放されるとかですかね。

 そういう訳し方に否定的な様子でした。

 そのことが、訳しながら、ずっと頭に浮かびました。

 

補注2:ディラン作曲・作詩とこの映画にありますが、アラン・カミングの歌う歌詞とディランのものとは違うところが幾つもあります。最もディラン自身もコンサートによって歌詞が変わるけど……。

 わたしにとって違いを感じるのは、wallをアランは複数にしているところですね。彼にとって世界は閉塞感がもっと強い感じなんでしょう。孤独な群れの中で叫ぶ男は、アラン版では、孤立感を深める向こうの方におり、ディラン版では、ディラン自身の<汝ら兄弟姉妹>のように、横にいる設定になっています。

 

補注3:この映像の訳も素敵なんですが、any day nowの訳が、「いつの日か」となっています。普通イギリス英語、アメリカ英語どちらの意味・用法とも、期待・願望を込めた(any dayであっても今という言語イメージですか)very soonの意味になってます。『今すぐにも』の日本語訳が一番近いニュアンスのような気がしますが、英語に詳しい方、教えていただけますか?

 

補注4:<感情の二重モニタリング>については、ブログ左のカテゴリー欄最後の、<こころの実験>をご覧ください。

 

  この、i shall be releasedを聴くと、若い女性二人の日常に、歌詞が自然に入っていることに、希望と、深い感動を覚える。

30年ぶり!? モランボン調理師学校時代の先生突然勝手口に現る!

  • 2017.12.24 Sunday
  • 23:47

 いや〜、何てことでございましょう! かつて駒大生バイトの鈴どんに、クリスマスイブに焼肉屋になんか行くカップルはいませんよ!!と吐き捨てるように言われて20年以上経ちます。が、年々店は忙しくなり、カップルのお客様がいらっしゃるようになりました。去年は9割以上がカップルでございましたね。今年は日曜日に当たったせいか、大きなクリスマス・パーティあり、ご家族連れあり、それでもカップルのお客様は通常より多かったですね。女子高生バイトは帰り心配なので、車で家まで送るのですが、車内で、「カップルが多かったねぇ。うらやましいねぇ。」などと話しておりますね。

 

 そんなこんなで開店準備にてんてこ舞いな4時頃、バイトに、勝手口におや爺の知り合いのI川さんという方がいらっしゃっている、と言われました。えっ、そんな人知らねぇし!

 出てみたものの、逆光になってよくお顔が見えない。

 

 え〜っつ!!モランボン調理師学校のI川先生じゃぁないの? なにしてんのこんなとこで!!!がーん というくらい驚きました。30年ぶりくらいと言われました。すっかり忘れていましたが、本店に一度食べに来られて以来だそうです。いや〜、わたくし、社会的常識のない男と、日本人、朝鮮・韓国人、ニュージーランド人、問わず、各方面から、常々言われ続けております。この間も電話で、韓国料理研究家のチョン・ギョンファ先生の旦那さん・ゴン先生から、最後に、くぎを刺されました。

 「お前は社会常識がないから言っとくけど、来るときは絶対電話しろよ!」

 ゴンせんせえ〜、社会常識のない元部下がきましたよ〜。元先生がそう言う社会常識のないことじゃぁいかんとでしょう。なんかおや爺のブログを読んで生きているようなので、札幌の桑田圭祐のライヴの後で寄って見たとのこと。何十年かぶりでも、話せる相手がいるのはいいもんだねぇ、などと、なにをのんきなことをおっしゃるI川先生!火 いまは虎ノ門にある会社の栄養管理部門でiso習得のための指導をしているとのこと。

 

 せっかく来ていただいたので、お店の中をご案内しました。待合で写真を撮り、少し話しました。5時オープンと同時に6組様ほどご予約が入っていたので落ち着いて話せませんでしたが、お互いの近況を確認して、ブログで連絡を取り合う約束をして別れました。

 

 おや爺は調理師学校時代、間抜けな上、へんてこりんな生徒だったので、まさか来ていただけるとは思ってもいませんでしたよ。死ぬ前にもう一度会いましょう!! それにしてもドイツに住むクリフといい、大阪に住むargonさんといい、突然現れる人ばっか!! 普通の人はいないのか!ムスっムスっ 勘弁してくだせぇ〜。hirasanhirasan

何十年ぶりの再会 アテネとローマの想い出:Rさん、チャヒョンのRさんとYさん

  • 2017.11.10 Friday
  • 01:09

 市立図書館の吹き抜けの閲覧室で、携帯をマナーモードにして、いつものように、しばし瞑想に耽っておりました。突然の電話。Rさんからでした。おや爺のブログを読んで、おまかせのコース料理を食べたくなったから、3人で行くからという予約でした。

 

 予約の日、店で会った途端、彼に『昔もっと大きくなかったっけ』と言われてしまいました。人間歳をとると、器が小さくなるの、身も心もね、Rくん!!火  結婚式などでお会いしているので、正確に言えば何十年ではないけれど、こんなに話すくらいに会うのは何十年ぶりです。Rさんとは、彼が10代の頃、経理を学んでいた頃の付き合いでした。

 

 18の頃から将来をしっかり考えているので、わたしはただただ驚くばかりでした。今でも忘れられない彼が教えてくれた言葉。『つねにその場に必要な人間であれ。』彼のアボジが、長男の彼に語った言葉といいます。オロカモノのわたしが、素通りできそうでできなかったのは、つねにその場その時を、そんな思いがなければ生きてゆけなかった彼のアボジの過酷な歴史が思い浮かんだからでした。彼のチャヒョンのRさん(韓国語で義理の兄。以後チャヒョンのRさんと書きます。)とYさんは、20代の頃朝鮮語を勉強しようとして非常にお世話になったお二人でございました。わたしのあまりにトンチンカンな当時の振る舞いにみんなで大笑いしながら、他にもいろいろお世話になった人の顔が思い浮かんできます。寮に候していたので、わたしの部屋が学生のたまり場になって怒られたこと、彼らが持ってきてくれた雑誌や本、特別親しくなったボイラー室のオジサンと二人でこっそり読んだり話したこと。戻るつもりで急に寮を出て行ったこと。数えきれないたくさんのこと。どうしてこんなに泣きたいくらいわたしは恩知らずなんだろう。

 

 Yさん突然、君はギリシャやイタリアが好きだったものなぁと話を振ってきます。確かに好きだけど何のことだろう、Yさんとそんな話をしたんだろうか。Yさん続けて言います。『何しらばっくれているの。一緒に行ったアテネとローマだよ。』え〜、何のこと!! Rさんが助け船を出してくれます。「この店に来るまでの車の中で、アテネとローマというキャバレーに連れて行ったら、キミがどんなに興奮して、あやしくいかがわしい振る舞いをしたか、Yさんが大笑いして話し続けていたよ」

 思い出しました。店の名前なんか覚えちゃいないけど……。YさんとKさんに社会勉強だと突然連れて行かれて、次の日事務員の年上の女性に、「あんまり変な所に行っちゃだめよ。癖になんないようにね。」と妙なことを言われたのはそのせいだったのかぁ。40数年後に気づきましたよ。さんざん話しを、もりに盛りましたね、あの時から、Yさん!!

 

 真相はどうであったか? とりあえずRさんとチャヒョンのRさんだけにはるる説明しましたよ、ええ、ええ。

 店に入るや否や、YさんとKさんは、恐るべき速さで、二人の若い女性の手をとって、わたしを置いて勝手に話し込んでいるではありませんか。残った一人の女性は20代のわたしから見たら、きらきらしたドレスを着た、ただの小太りのおばあちゃんです。おばあちゃんがわたしの横に移ってきました。わたしの目の前の低いテーブルの上には、皿に白い沢庵が載っております。

 ムリ、絶対ムリ!!Docomo_kao18Docomo_kao18 何がどうムリなのか、それすら分からないまま、とりあえずこの状況、ムリ!がーん

 仕方がないのでわたし黙々とその沢庵を食べましたよ、えぇ、えぇ。オ・イ・シ・ク、ない。すると、もてあましたおばちゃんは仕事をしなくっちゃと思ったのでしょう。突然、「坊や、沢庵好きねぇ〜」と言って、わたしの頬から顎にかけて、すっと手で撫でて、「たくあん、持ってくる?」hirasan

 『いらない』←こころの中の声。0口0

 

 読者の方が誤解されるかもしれませんが、わたしは決してうぶでも堅物でもありません。一人や二人のときは非常にワ・イ・セ・ツでございますね。わたしの友人はみんな知っちょります。でもあれはムリ。ムスっ

 一度韓国クラブに連れて行かれそうになった時も拒否、仕事上の関係から、恋愛へ、というのも無理、中年おや爺が若い娘とという失楽園発想もムリ。思想的貧乏性ってやつですね。

 

 さておまかせコースは、60代50代の三人には多めの量のコースをお出ししました。今の精養軒を知ってもらいたくて。喜んでいただきましたが、何よりも店のバイトや店長を激賞してくれたのはうれしかったですねぇ。早速みんなに伝えましたよ。働く全員の仕事ぶりを褒めてくれるのです。後ろの席で一生懸命掃除している専門学生のTKさん、料理の説明をきちんとする大学生のTさん、北海道の学生サッカー選手として有名なSさんの人柄と仕事ぶり、こまネズミのように働く高校生のMさん、と一人一人ほめてくれるのです。今どきこんな仕事をする人たちはいないよ、とまでおっしゃっていました。

 お出ししたキムチの9種盛りです。さすがイタリアンに詳しいRさん、ミニトマト・アイコのキムチにバジルが入っていることを見抜きましたな。

 最後に新豆の自家栽培大豆もやしを3人に持って行っていもらおうと袋に入れて準備していたのに、外まで見送った後、案の定忘たことに気づくおや爺でありました。_| ̄|○_| ̄|○

 

補注1:北海道教育大サッカー部、ここ数年、ものすごい活躍でございます。この3名様はサッカー大好き。基本、朝鮮・韓国人の99.9%の男はサッカー大好き。おや爺、サッカーのルールすら分からないカワリモノでございますが……。Sさんは何度かテレビや新聞で活躍ぶりが紹介されておりますね。

 体脂肪12%の男であります。←う、うらやまし〜。体脂肪20代、内臓脂肪要注意領域を切れないおや爺。Docomo_kao18Docomo_kao18

 3人とお話ししながら、(仕事やサッカーの)モチベーションあがりますねぇ〜、と言っておりました。サッカー好き・チャヒョンのRさん曰く、「スポーツで頭を使うやつは、どこでも使えるものなの!」

 

補注2:Rさんのアボジとわたしのアボジの思い出。生前アボジは、一泊の北海道の同胞の集まりを楽しみにしていました。本貫(ポングァン:東アジア全体にある言葉ですが、朝鮮の場合は、名字の初代創始者の生まれた場所ということになりますか。朝鮮名は、金・李・朴の三つで名字の50%くらいを占めると言われています。ただし金と言っても本貫が違うと同じ金とは言えないということになります。金の場合、金海・金とか慶州・金とか100以上に分かれています。)

 

 まぁ、歴史的な神話みたいなもんですが……。そうすることで、少ない名字の数に違いのタグをつけて区別したんでしょうね。よくアボジは、うちのポンガンは開城(ケソン)なんだと言っていました。そのことを韓国・朝鮮人に言うとみんな否定して、そんなものはない、済州だと言われたそうです。

 一泊温泉良旅行の部屋で、Rさんのアボジが分厚い本貫の韓国本を持ってきてみんなで盛り上がったときです。やはりそこでもみんなに、アボジのケソンポンガン説は否定されたのですが、Rさんのアボジがよく調べたら見つけたのです。

 小さいけどちゃんとあったんだ、とアボジは少し得意そうな、嬉しそうな顔で話したのを今でも思い出します。

韓国から、はじめての団体様

  • 2017.10.28 Saturday
  • 00:35

 今まで、個人のお客様で韓国からいらしたお客様はいました。先日初めて、団体の韓国からのお客様の受け入れでございます。招待された日本のお客様は、北海道に住む韓国・朝鮮人の料理を、韓国人のお客様にお見せしたいということでございます。唯一のご希望は,ジンギスカン焼を多めに入れてくださいとのことでした。おぅ、それはそうですね、北海道と云えばジンギスカンですがな。

 税抜き3000円のおまかせのコースが御希望でした。

 

 う〜ん、何を入れよう、迷うおや爺でありました。でも日本でわざわざ焼肉を食べてもらうとなると、A5ランクの特選和牛の一つでもお召し上がりいただいて、ぶいぶい言わせたいのが北海道で焼肉屋を営む者の人情というものでありましょう。と言う訳で作った日本語のメニュー表と、奥さん直筆の韓国語のメニューでございますね。

ヾ攅颪梁臚Δ發笋靴蓮日本と同様に、ほとんどが中国産の大豆を使っているので、ここはまず岩見沢産青大豆を使った精養軒自家栽培もやしで、大豆の甘味を味わっていただきたい。味付けも、いつもより辛いヤンニョムを使った味付けと、韓国にはない味付けもございます。

 

△海了期北海道と云えば長芋でございましょう。韓国でも珍しい長芋キムチを、普段より辛めの味付けでお出ししました。なんと言っても韓国人は辛いのが好きですからねぇ。でもやや甘みの強い味付けでもあるので心配しておりましたが、美味しいと追加注文のオーダーがありました。やった〜、大丈夫なんだぁ……。

 

精養軒の人気の自家製豆腐。日本中に自家製豆腐はよくありますが、豆乳から作っているところはそう多くはありません。今回は地豆の中でも北海道らしい黒千石を加えました。

 

ぢ緝重な韓国料理のひとつ、チャプチェ。韓国のものと何が違うのでしょう? 筍の代わりに、北海道が開発したジャガイモ・キタアカリを使い、和牛肉の風味を加えた味付けでございます。

 

テ本の食材・梅干し(本当は中国由来だけど韓国は経由していない)ベースのタレを使って食べる塩焼です。

 

ΑΝГ妊ツンと特選和牛を目と舌で堪能していただきたい。おぅ、写真を撮っておりますね。でも韓国のお客様によると良い肉は何も味付けず、焼いた後塩をつけて食べたいとのこと。それも一理あるけど、いい肉を日本の醤油を使ったもみタレで食べると独特の香ばしさが出ることも知ってほしいところです。

 

╂才楔創業以来(60年前)の味付けでございます。

 

韓国ではホルモン系は丸チョウが多いので、豚の胃を使ったものは珍しいようすでした。

 

韓国のキムパプと何が違うのかと言うと、味で言えば、韓国はカニカマを入れますが、精養軒は和牛肉を使うので旨味が違いますね。海苔も違います。韓国では海苔巻用の厚手の海苔を使いますが、これが不味い。見た目がよく巻きやすいのですが、安売りしている日本の海苔みたいに海苔の風味がしないのです。精養軒では見た目は薄くてしょぼいのですが、海苔の香ばしい香りと味がする、韓国のパレトルキムを使います。そして、宮川さんが開発し、出村店長がスキルアップした、ティアドロップ形のキムパプをきれいに盛り付けます。

 絶賛の嵐ですがな!! 出村、鼻た〜かだかでございますが、韓国キムパプのようにすぐ作れない。もっと食べたいと、追加をたくさん頂いたのですが、出来まへん。なぜすぐ作ってくれないのか不思議がる韓国のお客様でございました。

 

精養軒が15年以上かけて開発した手打ち冷麺。韓国冷麺や北朝鮮のピョンヤン冷麺と何が違うか? 一番の違いは、湯練りしないことです。(←日本の手打ち蕎麦理論から学びました。でもに日本蕎麦とは食感はまるで違いますが……。)2番目の違いは麺線の太さ。精養軒の麺線は、昔の冷麺の太さです。現在の韓国・北朝鮮の冷麺よりかなり太い。さらにスープが違います。李朝時代の冷麺のように高麗雉(岩見沢産)を使います。さらに日本が独自に作り上げた出汁・鰹節も使います。韓国人に受け入れられるのか? 

 食べ残しなし!! 皆さん残さず食べて頂きました。韓国語のメニューも5冊中4冊持って行かれました。日本語メニューも5冊中3冊持って行かれました。

 

 奥さん直筆の韓国語のメニューでございます。本当は息子から韓国語入力もできるようにしてもらったのですが、フォトショップに入れることができず、次回の課題となりました。

 料理に本場なし。現代美術同様、その場その時・ヒア・アンド・ナウ(here and now)の<現在を味わうことで、過去と未来を見ることができる>精神でございます。朝鮮・韓国料理も、韓国や北朝鮮ばかりではなく、ロシア・中国・アメリカをはじめ世界中に色々な形で、その時代、その時々に存在します。お互いに、おれがオレがと、狭い了見で、いがみ合わず、健闘を認め合いながら存在すれば、世界は争いもなく平和になると思う、なんちゃっておや爺でございます。

 

 実は次の日、韓国から、たどたどしい日本語で電話がかかってきました。北海道で韓国料理を食べたいということらしいのです。でも電話の状態が悪く何回か掛かってきて、すぐ切れてしまいます。もしやこの団体様のお客様から広がったのではと推測するおや爺でございました。

 

元バイトのCさんのこと。

  • 2017.10.10 Tuesday
  • 22:20

 5日、大きな宴会の準備で店を休んで、特選和牛のヒレを捌いていた。もう25年くらい前に、大学生で本店のバイトをしてくれたCさんの弟さんから、突然電話があった。

 Cさんが、風邪が引き金の心不全で昨日亡くなった。心臓移植でしか治らない拡張型心筋症で数年前から闘病生活を送っていたのを初めて知った

 

 Cさんは真面目を絵にかいたような青年だった。わたしのような者から見ると、真面目すぎるとも思えた。まだ3歳くらいだったわたしたちの子どもにもやさしく、子どもも、まだよく回らない舌で、「Cシャン、Cサン」と呼んで親しんだ。

 有名国立大学を出て研究生活も送った後、焼肉屋をやることになったわたしの兄の、社会的にはずれた生き方が、堅物のCさんにとって、たぶん新鮮だったのだろう。兄と一緒に仕事をするようになって、少し吹っ切れたように、あかるくなったと思えた。

 仕事も一生懸命にやってくれたCさんは、東京に戻った後も、大雪や地震など、何かあるたびに、兄に電話をくれるのだった。

 

 亡くなる2週間ほど前の9月19日、岩見沢が集中豪雨に襲われたときもCさんから兄に電話があった。店が大丈夫か心配してくれていたのだ。本人もわたしたちも、まさか亡くなると思いもしないで。

 

 Cさんはこのブログもよく読んでくれていたらしい。わたしのへたくそな日本語訳に勇気づけられると書いてくれることもあった。そんなんふうに言われたことがなかったので、ヘタでも、年をとって英語をやってよかったと、逆にかれに感謝したい気持ちになったのだった。

 

 Cさん、あなたが生前一番気に入ってくれたブログの記事・『足の裏の声が聞こえて来るまで』を送る言葉にします。いま読み返すと、訳し直したいところがいっぱいあるけど、あなたが亡くなった以上、もう直すこともできなくなりました。

 ブログや電話だけで、長く会えないままだったけど、ありがとう。Cさん、いい思い出しかないよ、ゆっくりおやすみください。

 

『足の裏の声が聞こえるまで』

 以前映画『ヘアスプレー』の挿入歌『i know where i've been.』をこのブログで紹介しました。黒人が公民権運動に初めて参加する時に歌う曲でした。

 I know where I’ve been
わたしは わたしのたどってきた道を知っているから


There’s a light in the darkness
Though the night is black as my skin
There’s a light burning bright
Showing me the way
But I know where I’ve been

暗い闇の中にあかりがみえる
夜はわたしの肌と同じように黒いけれど
燃えるように輝く一筋のひかりが
私にあるべき道を示す
そしてわたしには分かっていた わたしのたどってきた道が


There’s a cry in the distance
It’s a voice that comes from deep within
There’s a cry asking why
I pray the answer’s up ahead, yeah
‘Cause I know where I’ve been

遠くから叫びが聞こえる
心の奥深くからの声が
何故と苦しむ叫びが
わたしは信じている まだ見ぬ応えが確かに私たちの明日にあると
なぜならわたしはずっとどこにいたか分かっていたのだから


There’s a road we’ve been travelin’
Lost so many on the way
But the riches will be plenty
Worth the price, the price we had to pay

私たちが遠く歩んできた道がある
多くをうしない続けた道が
けれどやがて 失くしたものたちは立ち上がり 希望は満ち溢れるだろう


There’s a dream in the future
There’s a struggle that we have yet to win
And there’s a pride in my heart
‘Cause I know where I’m going, yes I do
And I know where I’ve been

夢は 来るべき日々のなかに
誇りは 胸に刻まれ
ゆくてに 勝ちとるべき闘いがある なぜなら
私は自分がどこに行くのか分かっているから
ずっとどこにいたのか知っているから


There’s a road we must travel
There is a promise that we must make
But the riches will be plenty
Worth the risk and the chances we take

歩まねばならない一つの道がある
果たすべき約束が 絶望と
祈りの数だけ やがては希望が満ち溢れることだろう


There’s a dream in the future
There’s a struggle that we have yet to win
Use that pride in our hearts
To lift up tomorrow
‘Cause just to sit still would be a sin

かなたに夢はあり いまは勝利の見えぬ闘いがある
胸に刻まれた誇りが
明日へと歩みを進める 
ただそこにいるだけでは 生きてはいないから


Lord knows I know
Where I ‘ve been

あなただけは 知っている
私は 私がたどってきた道をわかっていると

Oh! When we win
I’ll give thanks to my god
‘Cause I know where I’ve been

克ちえた闘いに
私はあなたに感謝をささげよう

私は私がどこにいたのかわかっているから

                (訳:おや爺)


 非常に好きな曲でよく聞くんですが、いつも引っ掛かっていました。

 この歌のように、わたし(たち)は自分のたどった道を知っているんだろうか? という疑問です。いつも答えは、知らないよな、われながらテンでお話にならないぜ、というものでした。
 そんな折、わが子を自死で失った作家の高史明(こう・さみょん)の言葉が北海道新聞に出ていました。

 頭で知っていることが、知っていることの全てではない。死を頭で考えるな、「自分の足の裏の声を聞け」というものです。

 よく考えてみるとこれは死だけに言えることではないですよね。生まれてはじめて地上に下りた時、生まれて初めて這った時、生まれて初めて立ったとき、そこに誰がいて、何に包まれていたのか、頭では知らないことをみんな足の裏が知っているはずだというのです。足が、頭が気づかないうちに、わたしやあなたを支えてきたはずなんですよね。

 高史明が朝日新聞に書いた文章があります。

   自分支える足の声、聞いて    


 ぼくだけは
 ぜったいにしなない
 なぜならば
 ぼくは
 じぶんじしんだから

 31年前、ひとり息子の真史(まさふみ)は、人知れず詩を書きためた手帳の最後にこう書いて、自死(じし)しました。12歳でした。

 「なぜ!」という自問をくりかえしながら、息子が残した詩を妻とともに「ぼくは12歳」という詩集にまとめました。読者から多くの手紙が届き、訪ねてくる中高生も後を絶ちませんでした。

 ある日、玄関先(げんかんさき)に現(あらわ)れた女子中学生は、見るからに落ち込んだ様子でした。「死にたいって、君のどこが言ってるんだい。ここかい?」と頭を指さすと、こくりとうなずきます。私はとっさに言葉をついでいました。

 でも、君が死ねば頭だけじゃなく、その手も足もぜんぶ死ぬ。まず手をひらいて相談しなきゃ。君はふだんは見えない足の裏で支えられて立っている。足の裏をよく洗って相談してみなさい。

 数カ月後、彼女からの手紙には大きく足の裏の線が描かれ、「足の裏の声が聞こえてくるまで、歩くことにしました」と書かれてありました。

 思えば、真史が最後までこだわった「じぶんじしん」とは、足の裏で支えられた自分ではなかった。そのことに気づかせてあげていれば……。

 彼も学校でいじめなどのトラブルにあっていました。いじめは許されない。しかし、それと向き合うことで、人は今より強い自分になれます。

 命は一つだから大切なのではなく、君が家族や友人たちと、その足がふみしめる大地でつながっている存在だから貴重(きちょう)なのです。切羽(せっぱ)つまった時こそ、足の裏の声に耳を傾けてみてください。

(補注:曲は映像2分10秒から始まります。)

東京から来られたK山様

  • 2017.09.16 Saturday
  • 23:55

 今日ご予約されたK山様は、カウンター席しか空いておらず、おばあ様、お母さま、お孫さんの3名様で詰めて座られました。おばあ様、お母さまは、本店のときからの常連様です。以前チゲを作りたいというので、キムチの汁をお分けしたことがあります。カウンター前で仕事をしている者によると、楽しそうにお話しされていたとのことでした。

 

 東京にいるお孫さんが、サプライズで突然岩見沢に来て、お母様とおばあ様をうちに招待したとのことです。敬老の日に合わせたのでしょう。嬉しいですねぇ、数多くの店の中から精養軒を選んで頂いて。その上、東京でおや爺のブログをよく見ているとのこと。帰りのレジでも、相変わらずうまくご挨拶ができないままでしたがhirasan、本当は非常にうれしいおや爺でありました。懲りずにまたいらして下さいまし。お願い

 

 まだ20代、お若いので、おや爺のブログのどこを見られるのか(『思い出の歌』だったりして(・∀・)○)不思議な気もしますが、ブログ読者の中には、岩見沢を離れて、岩見沢を偲んでいらっしゃる方もいるのかもしれないなぁと気付きました。岩見沢の情報をもう少し発信していかなきゃ、と遅まきながら思うおや爺であります。晴れ

 

2017年、山形のRアジョシ(おじさん)からの自家菜園野菜

  • 2017.09.15 Friday
  • 23:55

 今年も山形のRアジョシから野菜が送られてきました。

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 さわやかきんりゅう、聞いたこともない山形の焼酎の箱に入れられて……。

早速開けてみましょう。

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ズッキーニと南瓜、南蛮とエゴマの葉。おぅ、電話で小ぶりと言っていた、ニンニクもたくさん入っていますな。手 いっぱい野菜を作っては、いろんな所にただでやるから、送り賃ばかりかかるんやで、とアジュモニ(おばさん・奥さん)が嘆いてたっけ。早速料理にとりかかりましょう。

 ズッキーニは、ナムルとキムチでお店に出してひと儲け。残ったズッキーニはオモニがよく作ってくれたけど、子供の頃は大嫌いだった、瓜ののスープを作ってバイト達の賄いに。カボチャはホックホクのわたし好みのもの。品種は不明です。和牛のスープに煮干しと干しシイタケ・昆布で出汁を引きます。メンドーなので煮干しはとらずにそのまま。

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 あとは焼き豆腐を入れて出来上がり。

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 エゴマの葉は、小ぶりで柔らか。香りよくエゴマの葉の食感が苦手な人でも食べやすい。

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 エゴマの醤油漬けを作ります。作り方を少し変えてコチュヂャンを入れることにしました。

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エゴマのキムチ。さらに残りはエゴマ味噌に。小さいエゴマの葉は、お客様のサンチュに添えることにしました。

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 表面がツヤツヤで、果肉が厚く、甘くて風味のある韓国風激辛ナンバンです。非常においしい。日本で市販の激辛ナンバンは、多くは皮が薄くただただいたずらに辛い。それはそれでいいんですが、韓国でよく見る風味のある激辛ナンバンも作ってほしいですねぇ。胡麻油で炒めた後、南蛮の4升漬け(日本の3升漬けに朝鮮の調味料を加えて、おや爺が勝手にでっち上げた料理)にしました。うんまいですがな。

 

 アジョシ、今年もありがとうございました。

 あぁ、でもこんな息苦しい社会になっても、昔のようにアジョシとビールを飲んで話ができれば、どんなに心が軽くなるだろう。今年もバイクで山形へ行けなかった。_| ̄|○ 来年こそバイクで行くぞぅ。火 でも今度はたまりにたまったビール代持ちますからね。hirasan

元バイト・ゆりさんの世界一周ブログ:紺碧Journey

  • 2017.09.09 Saturday
  • 10:26

 知り合いの大学教授が言うには、最近の学生は内向きで留学する人が少なくなっているとのこと。当店のバイト達は何故か留学する人がけっこう多い。韓国、ノルウェー、ドイツ、中国、オーストリア、カナダと行先はいろいろでございますね。バイトをしているときもゆりさんは、旅行好きとは知っておりました。東南アジア、韓国、アメリカとお金をためては、学生時代に何度も海外に行っていました。でも、でも、大学を卒業して3年間お金をためバック・パッカーになって、世界一周旅行に出るほどとは!!

 

 世界旅行に出る数日前(?)に精養軒に顔を出してくれたゆりさん、元気でやってや!! 次に精養軒に顔を出したときの変わったゆりさん・変わらないゆりさんを楽しみにしているよ。わたしも変わらず・変化し続けたいよ。応援してるからねぇ。手

 おや爺のブログの読者のみなさん、よろしかったら彼女のブログをご覧ください。インドで40日の滞在を終えたばかりです。出来れば一日だけで評価しないで、本のようにじっくり継続してみると発見がありますよ。まぁ、渡り歩く人は多くても、ブログをそんなふうに見る人は少ないんでしょうが……。

 どうか、どうか、世界がこれ以上争いに向かわぬように。

 紺碧Journey3年間の勤労をを経て世界へ!!北海道発、26歳の世界一周!!

 

 

 

後編:えっつ、クリフさんてば、突然過ぎ!! i have itchy feet.

  • 2017.07.15 Saturday
  • 12:05

 待合いでマックスプランク研究所の話や、スコットランドの話をしました。研究所には日本人ばかりじゃなく韓国人も数人、中国人も多いとのことです。韓国人の研究はどうと聞くと、あまりに一生懸命(目の前の)仕事をしすぎで、imagination(創像力)に目をやる余力がないかな。でもそれは、朝鮮戦争以後の発展だから、(物理研究の)発展途上(国)で、これからでしょう。

 『えっ、でもドイツ人って仕事すごくするんじゃないの?」いや、いや、ちゃんと休みをとって、夜遅くまで仕事し続けないよ。

 

 聞きながら、素粒子論の坂田昌一博士や武谷三男博士が、明治以降から戦前の日本の物理研究についてよく語っていたことと重なるなぁ、と思い浮かべました。

 教授の意向通りの研究・オリジナリティの軽視(オリジナルなものは外国にある)・権威主義・自由な議論が欠けているというものです。有名な明治の物理学者・長岡半太郎は、彼の原子模型仮説を、物理学ではなく空論とみなすまわりの先輩科学者たちから激しい非難を浴びて、その独創の研究を断念します。

 けれど湯川秀樹によれば、後のノーベル物理学賞をとる・海のものとも、山のものとも分からない湯川の中間子論の初期の研究を、長岡は、自分の研究を続けられなかった苦い体験から、エンカレッジしてくれたと感謝していますね。そうやって歴史は進んで行くもんなんでしょうね。

 

 クリフさん、アスパラチヂミを食べながら何やら難しい顔をしながら一生懸命書いておりました。

 手渡してくれたのがこの詩。いろんな恋をしたけどと云いながら、人生も残り少なくなってきた、特に最終連がいいですよね。kegsとdregsで韻を踏みながら、樽の縁から底の澱までも香り高く澄み切った味わいがした。ビンテージ・ワインのような人生だと思えるなんてね。でもこれって本当はさみしいのかな?

 

 なぜ日本に来たのかを聞いたら、クリフさん、自分は、itchy feet(イチィ・フィート:足がむずむずする)だと答えてくれました。itchy noseと云えば鼻がむずむずする、itchy throatと云えば喉が痒いですが、足がむずむずするところからイディオムで旅行好きと辞書に書かれていますね。

 でも正しいかどうか分かりませんが、わたしの感じるニュアンスは、ただの旅行好きというより、ひとところに落ち着けない・同じところにいられない。デラシネ(学生時代に五木寛之が流行らせた言葉です。ちゅん 随分惹かれたっけ、馬鹿ですね〜。_| ̄|○ 根無し草・故郷を無くした人。フランス語?)っぽい語感のする熟語ですね。

 もしそうならわたしも間違いなく、itchy feetですね。家にいると安心と思いながら、家にいると落ち着かないタイプです。←メンドーな奴!!Docomo_kao18Docomo_kao18

 学生の頃から、下宿を半年に一回変わりたいと思っていましたね。部屋にいるのが嫌で、用もないのに友達・先輩の所や大学の図書館に居ついておりましたがな。←ホント、いま思えば、われながら腹の立つくらい、ハタ迷惑な奴でした。御免なさい、あのころの諸先輩方。我ながら腹の立つくらい、今も、ほ・と・ん・ど変わっておりません!!お願いお願い

前篇:えっつ、クリフさんてば、突然すぎ!! 9年ぶりの再会だそうな。

  • 2017.07.11 Tuesday
  • 01:31

 7月2日の日曜日は、新人バイトばかり。店はごった返し。込んだ上にも込んだ日でございました。一番込んだ夕食時。おや爺の兄・親ぢぢいが汗だくで厨房に顔を出し、「あんたの友達が来てる」というではありませんか。

ホールに行くと、にこにこ笑っている懐かしい顔、えっつ、でもなんで岩見沢に、イギリスにいるんじゃぁないの。

でもとりあえず、思わずハグ。ごめんねぇ、メールアドレス知っていると思ったら、ハードディスクがクラッシュしてメールも送れなかったんですよと言い訳おや爺。もっとも彼もメールで連絡するのが苦手なんだと答えて、黙ってこちらに来た言い訳をします。彼が教えてくれた英単語・introverted(内省的な・内向的な)を思い出しました。このブログの読者はおや爺のことを社交的とか人づきあいがいいと誤解している方が、万に一人おるやも知れませぬ。

 ち・が・い・ま・す! ひととしゃべるのが苦手、特に社交的な話ができない。さらに女性や年上男性が苦手です。出来ればバイトの面接もしたくない!!

 

 さてクリフさんは岩見沢にいたのはほんの少しの間でしたが、美唄に住む英語の先生と一緒にクリフさんから英語のレッスンを受けていました。そう言えば、9年前に突然店に来たときは、常連の0さん、アメリカに戻っているはずのクリフさんを見てびっくりしていました。何で岩見沢、なんで精養軒?? Oさんもクリフさんからいっとき習っていたそうです。世の中ほんと狭いですわ。悪いことはできまへん。

 

 クリフさんによると9年ぶりの再会の由。岩見沢を去った後アメリカにもどり、ノーベル賞受賞者がいっぱいの・あの有名なスタンフォード大学に行きます。さらにスコットランドの大学に行き、いまはドイツにいるとのこと。

「えっつ、ドイツで何してんの?」 

「マックスプランク研究所で超伝導(superconductivity)の研究してる。」

 マ、マックスプランクですってぇ!物理好きの皆さんなら忘れることは許されない高貴なお名前。あのプランク常数を発見し、量子論の父とまで言われる大物理学者。

 

ε= 

 

 こ〜んな中学生の算数に出て来るような簡単な式の中に、自然界にエネルギーが不連続に存在すること、物理学の新分野・量子論の一大発見に導いたんですからねぇ。理系小僧には、バイクのステップの火花を散らし、リアタイヤの端から端まで使って大垂水峠を攻めているような、そんな心躍る話じゃないですか。おや爺、この頃のキラ星のごとく現れる天才物理学者たちの話になると、初恋の人に出会ったように、いまだについ興奮しちゃいますね。勿論その後戦中戦後にかけて怒涛の活躍をする湯川秀樹をはじめとする日本の素粒子論グループがおりますね。えっと、何の話だっけ、閑話休題。

 

 前日まで北大で学会があり、明日ドイツに帰る前に会いに来たクリフさん。教育大生でサッカー選手として何度も新聞に出ているSさんが落ち着いて英語で注文をお聞きします。精養軒のお薦め料理、自家製倍もやしづくしとアスパラのチヂミをお出しします。クリフさんから手打ち高麗雉冷麺の注文が入ります。

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 以前とカウンターが変わったことに気づいたみたい。さすが注意深いクリフさん。でも写真を撮ると変なポーズをとるのはどうして? こういうヘンテコなところはおや爺と似てるなぁ。

9時近くなっておや爺は栗沢までバイトの女の子を家に送らなければなりません。小一時間ほどカウンターで、金属学専攻のおや爺の兄・Dr.親ぢぢいが、好きな物理の話をクリフさんと英語でしていたようです。

 

 戻ってきて11時半の札幌行き最終電車の時間まで待合でお話し。最後におや爺が80歳になるまで少なくても2回は会いましょうというと、とりあえず来年しばらく東大で実験するのでそのとき会おうという話になりました。でもまた突然現れるんだろうなぁ。

 次の名刺はありがたくも賢くも、マックスプランク研究所の名刺でございますね。額に入れておこう!

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 でもなんでマヌケな上にも間抜けなおや爺と友人なのかなぁ? 多分お互いイントロバートな気質が似ている・家族が南アフリカ出身の彼と、親が朝鮮人のわたしに同じにおいを感じているのかもしれません。突然だったけど来てくれてありがとう。わたしも、ときどき、突然、思い出していたんだよ。

 そう言えば二日前に東京で修業時代にお世話になったゴン先生(韓国料理研究家として有名な全京華先生の旦那)から電話があり、東京に来たら会おうと言われたすぐ後に慌ててくぎを刺されたっけ。『オマエなぁ絶対ゼッタイ電話してから来いよ!もう突然来るなよ、いいオトナ(いいオトナって、通り越してもういいぢぢいです)なんだから。』←おや爺、クリフさんと同じじゃん!hirasan手

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