モランボン本店5月3日オープン

  • 2017.04.27 Thursday
  • 23:41

 おや爺は、30年以上前に、焼肉のたれジャンで有名なモランボンが経営していたモランボン調理師学校の朝鮮料理専攻科にかよっておりました。その後、モランボンの会社で、肉の勉強を始め、とてつもなくお世話になったのでございます。その間の事情についてはブログにも何回か記事にしております。その時の縁で、料理研究家のジョン・キョンファ先生や朝鮮食文化のチョン・デソン先生といまも時々お世話になっております。と云っても自分に用事のある時だけ突然連絡するという不届きな上にも不届きな馬鹿者でありますが……。

 

 さて、朝鮮飯店モランボン(いまは朝鮮飯店はつけないようです)には、ミシュラン二つ星を連続でとり続けた・目先の商売を度外視した高級店・神宮前店がありましたが、その営業(?)を終えて、今度は創業の地・府中に、5月3日本店を新たにオープンすることになりました。そのスタッフの顔ぶれを見て仰天したのでございますね。

 わ、わたしがいた頃の諸先輩ではございませんか!! な、なんてこったい〜!!詳をご覧ください。

 でっかく顔写真まで出ておりますがな!

 竹内さん、小向さんに上村さん。

 竹内さんは、モランボン味の研究所で肉の勉強をしていたのときにお世話になりました。一月ほど彼の部屋に居候したことがありますな。その間失敗したチヂミを毎日嫌になるほど食べさせ続けたので、いまも恨みを抱いているらしく、去年会った時にもいまだにしつこく言っておりましたな。

 

 小向さんは、神宮前店の総料理長のとき、わたしの肉の師匠の中島先生ご夫妻・竹内ご夫妻と一緒にお会いしました。以前突然店に小向さんから電話があって、肉の修行をしていた頃の・わたしがすっかり忘れていた話をされて、驚いたことがありました。あれはうれしかったです。そんなふうに思われていたなんて知りませんでしたよ。上村さんは、その当時の朝鮮飯店モランボンの旗艦店・新宿店のチーフでした。調理師学校同期の・京都のOが、上村さんのもとでしごかれておりましたね。厳しいと、いつも愚痴を言っていましたっけ。あっ、これヒミツだっけ、ヨンギ?ちゅんセリザワさん

 近いうちにぜひ行きます!!手

 

 

モランボン本店
住所 〒183-0055 東京都府中市府中町1-7-2
さくら食品館 4F

電話番号:042-365-4121

 

 

 

 

 

 

 

 

リムディ奨学会:Kさんからのメール

  • 2017.03.02 Thursday
  • 10:56

 東日本大震災と東電の原発事故で被災した学生たちのための・民間の奨学金制度にリムディ奨学会があります。会員に定期的にメールが送られてきます。これが励みになったり、う〜ん、と考えさせられ、歳をとり日々を自堕落に生きがちなわたしにとっては、日々のこころの健康に非常にいいのです。

 

 大学生Kさんは留学も経験し、さらにいまは政府のプロジェクトに参加してタイに行っています。今月はタイからのメールでした。

 

『(中略)チェンマイは北部を山に囲まれ、ミャンマーやラオスとの国境地帯になっています。
そこでは以前からアヘンが違法に作られ、山岳民族の生業になっていたそうです。
しかし、昨年お亡くなりになられたプミポン前国王によって、ロイヤルプロジェクトという名の下、
農業で生計を立てていくシステムが導入されています。
その一環で、チェンマイ大学は山岳民族と共同でコーヒー農園を運営し、
フェアトレードで輸出することによって、山岳民族の方々の経済的自立を支援しているそうです。
その他にも、隣町チェンライの広大な水田地帯にも足を運び、タイの農業経済について勉強しました。
チェンマイでの学習は受け身の授業だけでなく、英語でのプレゼンテーションもあるので、
徹夜でのプレゼン準備で寝不足になりながらも、なんとか乗り越えることができました。
あとは、何といっても外 国人の学生との交流が面白いです。
自分にはない考え方を吸収することは今でもとても新鮮です。
タイの人々はいつも笑顔でホスピタリティに溢れています。
「なんでそんなに他人に優しくできるの?」とタイ人学生に尋ねたところ、
「日本では他人に迷惑をかけないようにと小さなころから教わるかもしれないけど、タイでは他人に迷惑をかけるのは当たり前だから、その代わり他人に迷惑をかけられても見捨てず尽くしなさいと教わるんだ」と言われ、日本との考えの違いをすることが実感するとともに、個人的にはタイの考え方はとてもいいなと思いました。
タイと言えばバンコクやプーケットというイメージが強いですが、チェンマイもとても素敵な町でした。

明日からはバンコクのチュラロンコン大学でアジア経済や日系企業のタイ進出について勉強する予定です。(略)』

 

「日本では他人に迷惑をかけないようにと小さなころから教わるかもしれないけど、タイでは他人に迷惑をかけるのは当たり前だから、その代わり他人に迷惑をかけられても見捨てず尽くしなさいと教わるんだ」と言われ、日本との考えの違いをすることが実感するとともに、個人的にはタイの考え方はとてもいいなと思いました。

 

 なるほどねぇ、そういう考え方もあるんだぁ。他人に迷惑をかけないというのも大事な思想だけど、このタイの学生の考え方は、日本の迷惑思想の弱点を突くなぁ、と思いました。素粒子論の武谷三男風に言えば、横同士のつながり(人権の結びつき)に結びついた<迷惑論>はいいけど、タテ社会にひきづられた(特権に結びついた)<迷惑論>は、結果的に弱い立場の人権を奪うことになりますからね。勿論タイの学生の考えも同じことが言えます。留学がお互いの視野を広くすると言っても、そうできる人は、留学者の中でも限られている気がします。結局ひととひとは相互浸透によって出来上がっているからその区別と関連の構造を理解しなければいけないという三浦つとむの理論まで思い出しましたよ。

 

 Kさん、いつも素晴らしいメールありがとうね。おや爺、日々の・縮小再生産される小さな生活にうつつを抜かさないよう勉強します。

 

新豆・岩見沢産青大豆の自家栽培もやしナムル:「埼玉のもやしかい?」

  • 2017.01.24 Tuesday
  • 15:06

 精養軒の自家栽培大豆もやしは今が一番旬。ただ、一番寒い時期なので、成長が遅く需要に追い付いていない状況です。そのためまだ茎(胚軸)が短い段階で、収穫して味付けしております。そうした大豆もやしは、特に頭の部分(子葉)が甘くおいしいものが出来上がります。←当然原価率が高くなって、お店にとっては苦しいかも……。

 

 さてそんなこんなの今日この頃。先日多分会社の新年会だと思いますが、大豆もやしナムルだけの注文がありました。もやしナムルを食べられたお客様が、バイトに聞いたそうです。「すごくおいしいもやしだけれど、埼玉から送ってもらっているのかい?」もやしが岩見沢産青大豆を使った・精養軒で自家栽培したもやしであることを、バイトがお客様に告げると驚いていたというのです。

 

 わたしのほうこそびっくりしました。埼玉のもやしと云えば、安売りもやしのあり方(スーパーの販売業者ばかりではなく、栽培者や消費者のあり方まで含めた現在の経済)に戦いを挑み続ける深谷のもやし屋・飯塚商店以外にありません。わたし、大豆もやし栽培の知識を根本から増やそうと調べている時に、飯塚さんのブログに出会ったのでした。今はフエイスブックを主にやってらっしゃいます。先日東京にお会いしに行きましたが都合がつけなかった方です。←いつものおや爺のやり方!! ひとに合うのが苦手なので前もって準備するのが得意ではないのです。

 

 早速お客様のところにお礼の挨拶かたがたお伺いしました。やはり深谷の飯塚さんのところのもやしを食べていらっしゃる方でした。お客様も岩見沢の焼肉屋が、深谷の飯塚さんを知っていることに驚いてらっしゃいましたが、わたしのほうもまさか、飯塚もやしの経験者が、岩見沢にいらっしゃるとは思いもしませんでした。おばあちゃんが埼玉に住んでいらして、よく食べたそうです。精養軒のもやしがあまりおいしいので深谷のもやしかと思ったというのでした。

 

 実はまだわたし、飯塚さんの大豆もやしを食べたことがありません。飯塚さんのところに来る大豆が、もやし栽培に向かない時期になっていたからです。フェイス・ブックを通してはコンタクトをとりましたが、今年こそお伺いしてお話しを聞くぞ〜、と思うおや爺であります。

 世の中狭いなぁ、という驚きと、うれしさがこみ上げた、仕事の疲れが吹っ飛んだ夜でした。←ひとの気持ちとからだって、単純だぁ!hirasan←お前だけだろうよ、おや爺よ。ムスっムスっ

2017年のパイザ:あなたがいたから If not for you. ジョージ・ハリスン/ボブ・ディラン

  • 2016.12.31 Saturday
  • 00:00

 子どもの頃見た、今も忘れられない光景を、この記事で思い出した。おぼろげで、何かテレビの残像の様に間違って記憶しているだけなのかといぶかりながら、だがあまりに鮮明な記憶。わたしは戦後10年近く経って生まれたのだが、ときどき汚れたネズミ色の浴衣のような服を着てベニヤに滑車をつけた自製の台車に乗って杖で押しながら敗れた軍帽をかぶった男が物乞いをしている光景だ。それを近所のこども達が冷やかしているか、何も見えないふりをして歩く大方の大人たち。

 

 後に、ジャーナリスト辺見庸の本を読んだ時、戦後、国から保障を切られたため、視野の外に隠されていた戦傷軍人が日本各地の町に現れたと書いていて、その光景の背景を知った。

 

 いま福島からの自主避難者の住宅支援援助が打ち切られるという。

 歴史を学ぶと、と語った哲学者の言葉を知ったのは、英語を勉強するために買った、野末珍平の世界の名言集だった。

 人は歴史を学ぶと、歴史から何一つ学んでいないことが分かる。We learn from history that we do not learn anything from history.

 本当にそうなのだろうか。

 

 11月20日の北海道新聞に、講談社ノンフィクション賞を受賞したジャーナリスト・安田浩一の講演抄「差別のない社会を目指して」が載っていた。ヘッド・ラインは、「無視や黙認は、加担することと同じです」とあった。

 

 各地で増殖したヘイトスピーチについて、2013年在日コリアンが多く住む大阪・鶴橋で、『在日特権を許さない市民の会』などのデモで、女子中学生が「南京大虐殺でなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ」と声を張り上げました、と紹介しながら、差別の対象は外国人だけではありません、と続けている。

  「偏見」について、きびしい闘病生活を送りながら快活に生きる・若い尊敬する日本の友人が、「偏見とか、固定概念とか、そういうものが人々を守っている側面も大きいと思うんです」と書いていたので、真意がよく分からなくて聞き返した。

 

偏見や固定観念で、バランスをとらざるを得なかったと言う方が良いかもしれません/心底、必要なかった、と思うまではその人のバランスに必要なんだと思います/悪いとわかっている事でも、代わりにより良い事を得られる自信がないと、なかなか手放せないものなんじゃないでしょうか/なので、僕自身も、このフリーハグの様に、より良い未来の可能性を感じさせる事にフォーカスして生きていきたいと思ってるんです」 

 

 そうなのだ。えらそうなことを言ったって、わたしだってこころの底は、差別や偏見に溢れている。

 こころのやさしいかしこい友人を持つのは幸せなことだとしみじみ感ずる。

 

 今年ほどいろんな方との出会いもなかったと思います。杉山さんをはじめ、新聞や本を通してだけの方々や実際お店に来ていただいた方、このブログを通じて知り合えた方、世界に誇る・独創の心理臨床家・河野先生、詩人アーサービナードさんを始め、長年の想いが通じて、ようやくお会いできた方々、引っ込み思案なわたしには考えられなかったことです。今年も一年ありがとうございました。

 常連の方、見知らぬ方と、このスクリーンを通じてお会いできるのを楽しみにしております。←えっと、実際にお客様としてお店に来ていただけると、さらにうれしいおや爺であります。←急に商売するなよ、おや爺よ。hirasan手

 来年が、福島や熊本、沖縄のひとびとに、世界のどこかの・苦しみの中にある人々に、精養軒に来ていただいているお客様に、平和で、普通に生きる日々が訪れることを願いながら。

 

If not for you
あなたが いたから


If not for you,
Babe, I couldn't even find the door,
I couldn't even see the floor,
I'd be sad and blue,
If not for you.
きみがいなければ

あの部屋で 今日も ヒザを抱えて、

ひとり 出口にも気づかない

立ちあがるなんてムリ

クズだって思ってた

もしきみがいなければ


If not for you,
Babe, the night would see me wide awake
The day would surely have to break
But it would not be new,
If not for you.

きみがいなければ

一晩中眠ることもできないまま

朝の陽射しを迎えたのに

初まりだ って感じれない

もしきみがいなければ


If not for you
My sky would fall,
Rain would gather too.
Without your love I'd be nowhere at all,
I'd be lost if not for you,

きみがいなければ
ぼくの空はがらがらと崩れ

雨が瓦礫のように降りしきる

きみのふかい悲しみにふれなければ

ぼくはいまだに居場所のないまま

あてどないまま

もしきみがいなければ

 

If not for you,
The winter would hold no spring,
Couldn't hear the robin sing,
I just wouldn't have a clue,
If not for you.

きみがいなければ

長い冬がたとえ終わっても

春を告げるツグミの歌だってぼくには虚しいだけ

何一つ気づかず わからないまま

生きる価値などないって思ってた

もしきみがいなければ

 

If not for you
My sky would fall,
Rain would gather too.
Without your love I'd be nowhere at all,
I'd be lost if not for you,

きみがいなければ
ぼくの空はがらがらと崩れ

雨が瓦礫のように降りしきる

きみの愛をしらなければ

ぼくはいまだに居場所のないまま

あてどないまま

もしきみがいなければ

 

If not for you,
The winter would hold no spring,
Couldn't hear the robin sing,
I just wouldn't have a clue,
If not for you.

きみがいなければ

長い冬がたとえ終わっても

春を告げるツグミの歌だってぼくには虚しいだけ

何一つ気付かず わからないまま

生きる価値などないって思ってた

もしきみがいなければ

      (ボブ・ディラン作詞作曲 ジョージ・ハリスン版訳:おや爺)

 

注:ビートルズが解散して、ジョージが出した3枚組のソロアルバムの中のナンバー。一番気に入っていた曲。当然ジョージの自作だと思っていた。ある時レコードのラベルを見てボブ・ディラン作詞作曲とあるのを発見して驚いた。

寿し健さんがなくなって一年。

  • 2016.12.26 Monday
  • 13:53

 年も押しせまった、去年(2015年)12月27日に、岩見沢のヘンな寿司屋・寿し健の主人・健さんは突然亡くなりました。亡くなる前日には、退院したら好きな競馬をやるんだと言っていたといいます。

 

 健さんが亡くなり、しばらくしたある日、建築屋さんと親しいお客さんが店の中のものを解体したり片づけていました。ちょうど精養軒の前で顔を合わせたわたしに、そのお客さんが、「ガリいっぱい余っているんだけど持ってくかい?」う〜ん、健さんとこのガリ、えらいこと立派でおいしかったけど、もらってもなぁ。

 いいですわ、と答えました。かれは、頷いて、独り言のように、そうだよな、焼肉屋がガリいっぱいあっても困るよな、と呟いて、車に乗り込みました。

 

 アオキ電気に行く途中で、解体中の寿し健さんの中を覗くと、傾いていて有名だったカウンターを取り壊わしていました。何回そこでビール瓶を倒したっけ。健さんとカウンターに狭く座った常連さんたちの、その時の共犯者の様な・妙にうれしそうな顔が思い浮かびます。

 中に妹さんがいました。残念です、と声をかけると、何か持って行きませんか?と聞かれました。

 そうだ、奥さんが、寿し健さんとこの寿司ネタ仕掛けの柱時計をおもしろがっていたっけ、それを想い出に、毎年12月に焼肉屋に飾ろう。健さんも笑うだろうなぁ。妹さんに時計を申し出ると、喜んでいただけました。

 常連客と健さんの煙草の煙とヤニで表面がコテコテになっていたのを、何とか拭きとりました。ごめんなさいね、健さん、精養軒ちょっときれい好きなんで……。という訳でこんな時計を今年も、今飾っています。去年は誰も気づかなかったなぁ、いや一人だけ気づいたか知らん。

 健さん、遅れるんですよね、この時計。

 なんか、焼肉屋にシュールだ。ちゅん手

 好きでしたよ、健さんのこと。

落語好き詩人のアーサー・ビナードさん:旭川のお寺で講演する。

  • 2016.10.29 Saturday
  • 17:17

 初めてアーサーさんの講演を聞きました。旭川の専証寺で24日、「言の葉寺ライブ」というトーク・ライブがあったのです。旭川のkさんから前もって情報を得ていたので、24・25日はお店を休みました。←う〜、当日精養軒にいらしたお客様、お許しくださいませ。尊敬する詩人・アーサーさんの講演を聞いて、元気を得たいおや爺でありました。

 

 アーサーさんは、ボブディランの「フォー・エバー・ヤング」の絵本『はじまりの日』を日本語訳しているので、ノーベル文学賞と、時の人・ディランについて語ったり、福島原発の未来、北海道農業に深くかかわるTPP(アーサーさん、三文字未熟語と厳しく批判しておりましたが。)や、日本の憲法に関わる、現政府が言う自衛隊の<駆け付け警護>という言葉の矛盾、沖縄の米軍基地の現状、コピーライター(アーサーさん、媚ライターと言っております)と本物の詩人の違い等、小熊秀雄的に<喋りまく>ります。実際に講演を聞いていない人に内容を紹介すると、脈絡がないほど多岐にわたっている印象を与えるかもしれません。が、そうではありません。

 

 詩人アーサーさんにとって、言葉と事実を詐欺的に乖離させる全てのものが、何より耐えられないと言います。いかにも言葉(表現)と事実(認識)の深い森へ、多言語で分け入るアーサーさんらしい。

 講演をする横顔をはじめて拝見しながら、アーサーさん、やっぱり日本(語)が本当に切ないくらい好きなんだと、本で読んだ印象が正しかったことが、改めてわかりました。でも、ユーモアを交えながらも、厳しい批判をしているアーサーさんのこころの底が、おおくの日本の人に伝わることができるのか、わたしにはわかりません。わたしも在日外国人ですが、正直に言うと、子どもの時の体験からか、アーサーさんより、もっと感情がよじれて、日本(語)に対して<嫌よ、嫌よも好きのうち>的アムビバレンスな状態になっちょります。

 

 知らない韓国人・朝鮮人に、無批判に日本を批判されると、反論したくなり、知らない日本人に、無批判に日本を自慢されると反論したくなるみたいな……。そんないびつな自分に照らし合わせると、なおさらアーサーさんのような方は、日本の歴史や伝統にとって、本当に希少な、宝のようなひとだよなと思えるのです。

 日本を褒めるにしろ貶すにしろ、テレビに出て、ただ時流に沿って発言する芸人・評論家(外国人・日本人)に、何の歴史的意義がありましょうや。その程度には歴史の審判を信じたいおや爺であります。

 

 トーク・ライブの後、交流会に参加しました。詩人は詩人の立場から、焼肉屋は自分の求める焼肉屋像を通してきちんと世界を見、世界に参加することががだいじなことなんだと言われたような気がしました。泊まるように勧められましたが、夜中の零時に帰ることにしました。そこはちょっと山奥のうえ、当日は雪が降っていて完全に冬道状態。前もって帰り道を聞きました。「大丈夫、一本道ですよ。」←多分普通の人ならダイジョーブでしょうが、筋金入りの方向音痴おや爺であります。はたして無事岩見沢に着けるのか?Docomo_kao18Docomo_kao18

 

 ほ〜ら、案の定間違えましたがや。夜の夜中に、行けばいくほど見知らぬ細い道。芭蕉は奥の細道。おや爺は、奥は細道ですがな。そのうえどんどん登り勾配、明かりすらない・Uターンすらできない雪道です。おや爺、ここで遭難か?がーん アーサーさ〜ん、おや爺、社会に迷うどころか、ただの山道に迷っているざんすよ〜。←おや爺こころの叫び。がーんがーん

 ようやく標識が出て来てひと安心。

 幌加内まで◎km。←ひと安心じゃねぇよ、おや爺よ!工具 旭川市内とはまるっきり反対方向じゃん!! と、ほ、ほ、岩見沢に着いたのは高速道路を使って夜中3時近くになっておりましたとさ。_| ̄|○←一時間以上放浪したバカおや爺工具工具

 

おまけの話:お店に来られた時、おや爺の奥さんが、アーサーさんの大きなバッグをお預かりしようとすると、「飛び道具が入っているから」と言われたとのこと。粋ですねぇ、わたし(たち)もちゃんと生活をかけた飛び道具を持って、日々戦わなくっちゃね。

 

おまけの話:『京都で講演した時、片桐ユズルさんが来られていたんですよね。一緒にディランの歌を訳そうと言ったんです。』(お店でアーサーさんの絵本に自らサインしながら)

 おや爺ひっくり返るほど驚きました。わたしがプロの訳詩家なら、恥ずかしさのあまり憤死するに違いありません。片岡ユズルさんはボブディラン全詩集を訳されて有名な方ですが、おや爺が読んでも、摩訶不思議な日本語訳です。フォーエバー・ヤングをアーサーさんが『はじまりの日』と日本語にするまで、片桐さんをはじめとする英語の専門家たちは、みな疑問も持たず「永遠に若く」とか「いつまでも若く」としていたのです。それについて、専門家から言い訳・反論を含めて、話が出たのを見たことがありません。ハリウッドのヘンテコ脇役・ウォーレン・オーツのフォー・エバー・ヤングに関する発言に絡めて聞いてみたいおや爺であります。

 

おまけの話:帰りがけ、アーサーさんにお願いしました。ボブ・ディランの『アイ・シャル・ビー・リリースト』と『マイ・バック・ペイジズ』のアーサーさんの日本語訳を是非見たいと。全国のディランファンのみなさん、そう思いませんか?

 

おまけの話:講演の最後に、福島原発の凍土壁の将来について、予想を話すアーサーさん。この話に証拠はありません、と話しながら、自分は詩人だから、証拠はないと続けて、この論理は、すでに石原慎太郎がやっていますと笑いを誘っていました。アーサーさんは、自分と石原氏の違いを言ってはいませんでしたが、アーサーさんのそれは人権と結びつき、横に・未来に広がるもので、石原氏のそれは、特権と結びつき、縦に・過去につながる点で全く違うものだと思います。

 現代アメリカの作家・カート・ヴォネガットの『芸術家の炭鉱カナリヤ理論』ではありませんが、一体いつの頃から、ジャーナリストや文学者・学者に、誰も気づかない危機を知らせる敏感なカナリヤではなく、ただ現象を追認する三流の裁判官になれと脅すようになったんざんしょう。

 

おまけの話:あ〜、アーサーさんに、『本場の味』を英語でどういうのか聞くのを忘れていた。残念!!hirasanhirasan

落語好き詩人のアーサー・ビナードさん 突然の来店

  • 2016.10.25 Tuesday
  • 11:16

 このブログをきっかけに、ときどき摩訶不思議な縁が生まれることがあります。なにがあってこのブログにヒットしたのか、建築家のargonさんこと平山明義さんは突然吹雪の中、お店に来られ、のちに自身が作られた絵本を送ってくださいました。『目のひみつたんけん』と言う素晴らしい科学絵本でした。

 

 ブログに『北海道は今素晴らしい季節です。福島からもお越しください。』と書いたら、しばらくして、福島から家族3代でT様が来られました。札幌に泊まりわざわざ電車で岩見沢まで来られたのです。何故当店のことを知ったのですかとお尋ねするとツイッターに書いてあったそうです。駅までの道のりがお年を召したお母様に辛いかもしれないので、当店の車で駅までお送りしました。

 今でも忘れられない嬉しい、そしてお出ししたメニューで悔やんでもいる出来事であります。

 

 神奈川から来られたご夫婦は、わたしの学生時代からの友人の親友で、このブログの読者でした。札幌に来られたのを機会に来店されたのでした。冬に来られて、札幌で転倒して骨を折られて帰られたことを後で知りました。う〜、皆さん冬の北海道の道は気をつけてください。

 東京から来られたブログの読者の方もいらっしゃいます。

 

 詩人のアーサー・ビナードさんの絵本を三冊、以前ブログで紹介しました。(『ここが家だ』『はじまりの日』『すばらしいみんな』)そのうちの一つ記事に、「何かうれしくて」と、旭川のkさんがコメント送ってくれました。そしてわたしの記事にアーサーさんがすごく喜んでくれたということでした。嬉しいと同時にわたしの日本語訳したものがアーサーさんに見られたかもしれないと思うと、ヤドカリのように気の弱いおや爺は、恐ろしさで肝がつぶれそうでございました。

 kさんとの縁が広がり旭川から突然、お任せコースでご来店されるお客様も何回かいらっしゃいます。23日もそんなお任せのコース、4名様のご予約でした。

 その中のお一人が、なんとアーサーさんだったのです。

 は、早く前もって知らせて〜!! 

 親の後を継いで30年以上経ちます。その間各界から有名人も何人もいらっしゃいましたが、こんなに緊張したのは初めてでございますがな。何せ、アーサーさんはわたしの数少ない<屈せざる希望>のお一人ですから。詩人や思想家・科学者でわたしの尊敬する方がどんどん亡くなられてしまいました。まぁ、わたしが年をとったということですけど……。

 

 理論物理学者の湯川秀樹・坂田昌一・武谷三男・早川幸男、言語学者・独学の科学者・三浦つとむ、数学者の遠山啓、気骨の自民党政治家(statesman)・宇都宮徳馬、詩人の黒田三郎・茨木のり子、劇作家の井上ひさし……書いているだけでさびしくなってきます。それらの方が亡くなられたあと、いろんな出来事が世界に起こるたび、かれらの答えを切実に知りたくて、ほんとうに泣きたいほど途方に暮れるばかりです。

 

 アーサーさん、店の待合で、自分の絵本を見つけられて、サインをしてくれているじゃぁ、あ〜りませんか。

 カムイ伝の白戸三平さんからおや爺の奥さんが頂いた自作の花瓶と並ぶ、精養軒の家宝でございます。とにかく小熊秀雄の詩のように話し続けるアーサーさん。今度いらっしゃるときは、アーサーさんの口をお止めするほどの料理をお出ししたいものです。手手←納豆好きで自ら名前を漢字で朝美納豆(あさ・びなっとう)とまで書くアーサーさんに、朝鮮食文化の誇る・過激な上にもカゲキな匂いの納豆系味噌、自家製のチョングックチャンの入ったチゲ(まずは小手調べに。数%だけちゅん)を食べていただきましたがや。お願いhirasan

詩の架け橋:詩集『あの日から』 曳地奈穂子

  • 2016.09.06 Tuesday
  • 13:29

 世に知られている職業詩人は掃いて捨てるほどいるし、彼女よりうまい詩人は、多いかもしれない。製本技術を凝らした、豪華な詩集も世にたくさんあるだろう。

 曳地奈穂子さんは、2011年の福島原発の過酷事故で、夫を福島に残し、子供二人と旭川の実家に移り住むことになった詩人だ。

 

 こういう詩をなんというのか。詩集を読み終えて、この、白く、あっさりとした(せざるを得なかった)つくりの詩集を手にすると、これ以上この詩集にぴったりの製本もないのではないかと思えてくる。

 初めて曳地さんを知ったのは、北海道新聞の日曜文芸欄の詩「改札」を目にした時だった。2012年の11月だったと思う。すぐに好きな朝鮮の抒情詩が思い浮かんだ。それまで読んだことのある日本の抒情詩(好きだけど)とは全く違う、植民地下朝鮮の抒情詩を、二十歳の頃はじめて読んだ感動がよみがえった。ブログの記事に載せた。(こちらの詩もご覧ください。)

 何と言えばいいのだろう、<外に開かれた抒情>、読む人々に静かな怒りがわく、無意識の社会性を持つ抒情と言おうか。今回詩集を読みとおして、何よりもその誠実さにこころをうたれた。うまい詩は日本にいくらでもあるだろうが、これより誠実な内省をもつ現代詩集はそうざらにはないのではないか。それだけでも、同時代の詩のなかに、この詩がもつ固有の場所がたしかにあると思う。

 うまい詩人・才能豊かな詩人とは、例えば、谷川俊太郎をあげることができる。魅かれる詩もじつはたくさんあるのだが、好きで信頼を寄せる詩人かと問われると、社会に無自覚に・もしくは自覚的におもねる、こころの底では詩すら信じないまま、自分の詩的才能を乱用している詩人のように思えるときが、わたしには、ある。かれの詩友・故茨木のり子の詩を選定する仕方や、「詩ってなんだろう」を読んだ時の激しい違和感に出会った後に彼の詩を読むと、特にそう感じるのだ。さだまさしの歌詞を読んだ時にも同様の感慨をおぼえるのは何故なんだろう。ひっかかりの多すぎるわたしには、けっきょく詩はわからない、というだけのことなのか。

 独特の詩人でありジャーナリストである辺見庸が、「半透明の灰汁(あく)のようなものを感じ、考えこんだ」と書いた、谷川の「たんか」を引用してみる。

あきののに さきたるはなを ゆびおりて 

  かきかぞうれば ななくさのはな   山上憶良

 

 わがきみは ちよにやちよに さざれいしの

  いわおとなりて こけのむすまで

 

 かすみたつ ながきはるひを こどもらと

  てまりつきつつ このひくらしつ   良寛

 

 たんかは、はいくよりながい。五、七、五、七、七のおとのくみあわせ。

 こえにだしてよんでみると、いみはよくわからなくても、きもちがいい。

 たんかも、はいくもにほんにむかしからある、詩のかたち。」 

  

 辺見はこの谷川の文章を、「猫なで声でしいる」「押しつけがましい情緒」と書いて、「結構ドスのきいた脅し」のように聞こえてくるとして、谷川の論理を精密に解析し、「こえにだしてよんでみると、いみはよくわからなくても、きもちがいい』という谷川の短歌の規定を、戦後短歌の巨人・宮柊二の二首を引用して、これらも、<こえにだしてよんでみると、いみはわからなくてもきもちがいい>のかと書いた。

この夜泪おちて偲ぶ

  雪中にひたひ射抜かれて死にたる彼

 

 応答に抑揚ひくき日本語よ

  東洋の暗さを歩み来しこゑ」(第一首:日中戦争前線での記憶 第二首:極東国際軍事裁判の被告人の答える声)

 

 谷川はほんとうは、ただ日本語の等時的リズムや、少ないゆえの母音の心地よさを言っただけかもしれない。それにしても、とわたしは思う。伊勢神宮を詠んだ平安の僧・西行の一首(なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる)を読む人々の・無意識の靠れ合いを同時に思い浮かべてしまうのだ。

 

 曳地さんの詩はこういう情緒と遠く隔たっている。

 

 注:曳地奈穂子詩集『あの日から』は、旭川のこども富貴堂(北海道旭川市7条通8丁目左1電話0166-25-3169)にあります。在日アメリカ人詩人・アーサー・ビナードさんのことをブログに載せたことが縁で旭川の方と知り合いになり、さらに縁は広がって、曳地さんの詩集を手にすることができました。不思議な上にも不思議なむすびつきに驚いています。

山形のRアジョシからの自家農園野菜

  • 2016.09.05 Monday
  • 10:03

 尊敬する山形のRアジョシ(末尾注参照)から、今日、野菜が届いた。数日前、奥さんのCアジュモニから送ると電話があった。

 自分で収穫したチョソン・ホバック(韓国カボチャどちらかと言うとズッキーニに近い)、エゴマの葉、サンチュ、なす、幻のダダ茶豆。

 

 ふたりは30年ほど前に岩見沢で焼肉屋をやっていた。もともとは関西出身の、わたしと同じ在日朝鮮人だ。10歳は上だと思う。東京のモランボン味の研究所(東栄工業)で肉の修行をして、本店を新築するために岩見沢に戻ってきたわたしは、岩見沢や北海道の焼肉・牛肉事情をまったく知らなかったから、バイクに乗って岩見沢市内(のちに北海道の主要な都市)の店を回ろうと考えていた。

 

 Rさんの店に最初に行った時のことだ。のちに会うたびに冷やかされることになるのだが、さんざん食べた後、お金を持っていないことに気付いた。←こういうマヌケなことをよくやるのである。しょうがないので、免許証を置いてあとでお金を持ってきますと言った。名前を見て、Rさんは笑い、わたしのアボジを知っていると言った。

 

 それから兄も巻き込んで、店が終わると毎日のように、何年間も、Rさんの店に行っては、出たばかりのアサヒスーパードライ瓶ビールを3人で1ケースくらい飲み続けた。政治の話から社会の話・哲学や科学、ありとあらゆる話題が出た。農道が何故規則的に盛り上がるのかという話までした。いつも笑いの絶えない楽しい飲み会だった。

 Rさんは、生きる知識がみっちり詰まった・ひとの信頼の厚い人だったけれど、どんなことでも自分の考えを持ち、どんな時でもはっきりものをいう人だったので、敬遠する人はいたかもしれない。わたしのようにフラフラ生きる・口先だけの男とは全く対極のひとといっていいのに、何故あんなに気にかけてくれたのか、今もわからない。

 

 張ったりのないへたくそな生き方をしてきた、わたしのアボジとオモニを気にかけてくれていたから、そのバカ息子たちを心配していた気もする。どういう経歴なのか、本を出版されている著名な社会学者や、わたしが本の中で知っている方たちとも交流があるのだった。ときどき酒の飲めないアジュモニも、楽しそうに一緒に加わったが、よっぱらいの話に呆れて、いつも先に二階にあがってしまうのだった。わたしたち兄弟はほとんど大した返事をしないまま、ビールを排水溝に流すように飲み続けたのである。

 

 今でもわれながら信じられないのだが、Rさんが店をやめるまで、わたしたち兄弟が、ビールを持ち寄って飲んだ記憶がほんの数回しかないのだ。何も言わなかったお二人にも驚くが、気に留めなかったわたしたちも、われながら腹の立つくらい常識外れのおお馬鹿ものである。そういう気遣いを全くさせない二人だったのだ。

 

 店をやめて、神戸に戻った。その後山形に移り、オモニがまだ生きている時、数年ぶりに、岩見沢に来た。ご夫婦と、社会人になった息子さんと店に来てワイワイと楽しく飲み話し、わたしたち兄弟のマヌケなふるまいを冷やかした。

 いまさら遅いけど、あのときのビール代がたまっているのでお金はとれませんというと、アジュモニが心底気持ちよさそうに笑いながら、『そうや、あんたら兄弟のビール代で店がつぶれたようなもんやで。ず〜っと払ってや。』と言われた。いつでも本当に、おどろくくらい裏表のない、気持ちのいい二人なのであった。

 

 ひとに対する評価も独特で、他の人とは違っていた。あるとき、焼肉をやっている知り合いのことが話題になった。同業者に知り合いの少ないわたしが、「わたしと似た人間なんですよね。」と言うと即座に「いや、違う。サラ金のできた人間と、できない人間は全く違うんだ。君には絶対できないね。」と言われた。やらざるを得なくなったらできますよ、と一瞬冗談ぽく答えようとして、アジョシが真剣なので黙った。その後何年も経って、その知り合いが何軒目かの店を出した。店の名前が「元祖◎◎の店」となっていたので驚いた。元祖でも何でもなかったからだ。あの時のRさんの言葉がよみがえってドキリとした。

 

 同時代に、あのひとが生きている、と知るだけでざわついた心が落ち着くことがある。今でも社会の動きがしんどくなると、Rさんならどういうだろう、話したいなぁと思うのである。

 長生きして、これからもタダで野菜を送ってください。店の料理に使いますからね。手

 送られてきたサンチュ。子どもの頃によく食べたサンチュ(かきちしゃ)は、右のもので、4,5枚束にしてご飯を包み食べるのである。勿論いまのように市販されてはいず、在日朝鮮人の家庭で、朝鮮人社会の横のつながりで、種をもらい育てていたのだ。今の韓国のものより、ずっと苦くておいしい、夏の食べ物だった。

 ホバック(韓国カボチャ)は早速ナムルに。今では韓国でもズッキーニが売られていて、ウェ・ホバック(外来カボチャ)と言うらしい。贈られたナスはキムチとナムルにした。ダダ茶豆は枝豆で家族で食べてしまった。いつか自家製スンドゥブに使いたい……。

 

:アジョシは朝鮮語で、「おじさん」アジュモニは「おばさん」くらいの意味です。ちょっと尊敬をこめた・親しみのニュアンスもあります。お二人をどうしてそう呼ぶようになったのか、今はよく分かりません。

 

 

リムディ奨学会、初の卒業生・Yさん、卒業・就職おめでとうございます。

  • 2016.04.04 Monday
  • 00:48
 4年前に誕生した・東日本大震災の被災者の若者を対象とするリムディ奨学会で、Yさんが初の卒業生となり、3月下旬に、祝賀会が、札幌でありました。店が人手不足のため、残念ながらわたしは参加できませんでした。
 奨学生のみなさんからは毎月メールが送られてきます。それを読むのも楽しいものでした。わたしのように自堕落な学生生活を送った者には、眩しく・仰ぎ見るような・まじめな近況が書かれています。

 東北の大学で4年間学生活を送ったYさんとは、そのメールを通しただけの付き合いで、お会いしたことはありません。
 自らも被災したにもかかわらず、消防隊員として献身的に仕事をされた父親の姿を見て、4年後、彼もそのような仕事を選んだのでした。3月、卒業する彼の最後のメールには、リムディ奨学会へのお礼とともに、『大風呂敷』という、後藤新平について書かれた本のことが記されておりました。

 奨学生への返信は、学生たちの負担になるのでなるべくしないようにしていましたが、祝賀会に参加できなかったこともあり、最後のメールなので送ることにしました。

 『Y様、御卒業ならびにご就職おめでとうございます。

 
 メールを読むたびに充実した学生生活を送られていることが分かり、眩しい気持ちでおりました。最後のメールで後藤新平のことを書かれていましたね。わたしにとって後藤新平といえば、日本の生んだ巨人実業家・大原孫三郎との結びつきを、まず思い浮かべます。大原は倉敷紡績の社長で、大正から昭和にかけて、時流に逆らい、あるいは時流に先んじて、大原美術館・大原農業研究所・大原社会問題研究所・倉敷中央病院等を建てた人です。  『東洋一の病院を倉敷につくる』という思いで建てたその病院を、後藤がみた時、「こんな田舎に、こんな立派な病院が……」と絶句して、「我輩は大原君を知るに非ざる者だったな。」と語ったといいます。
 その病院は、建物は変わりましたが、現在も同じ名で存続しています。20年以上前にその病院を夫婦で訪れた時の感動は今も忘れません。

 
 病院内には大きな花壇があり、水が止まることなく流れていました。そこにドイツ語で、こう書かれていました。<Ohne Wasser Kein Leben> その病院の空気の中で、わたしはこの言葉を、「人は水なしで生きてゆけぬ」と解釈したのです。病院は普通人は薬なしで生きていけぬと思いがちです。わたしのような焼肉屋は人は焼肉なしに生きていけぬと思いがちです。 でもそうでしょうか? 社会にとって・人にとって、水とは何か? ひととひととが水のように、自由につながることではないのか。そのための薬であり料理ではないか。
 『ひとは水なしで生きてゆけぬ。』とは、民族や信条・立場を超えて、ひととひとがつながりうるということが、ひとにとって唯一の希望であり、現実であることを示しているようで、結婚したばかりの頃、夫婦で倉敷を訪れたことを感謝したのでした。

 
 リムディ奨学会およびその奨学生であるY様と、わたしはそのようなものの一つとしてつながっておりました。亡くなられた・自殺された被災者の方・いまだに仮設住宅に住まれる人々・普通に生きる人々とつながる職業に就かれたことを心からお喜び申し上げます。若いY様の、これからのさらなるご研鑽を祈っております。おめでとうございました。そしてお体、くれぐれも大切に。』

 48年前、キング牧師が暗殺された日に。

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