イーデス・ハンソンさんのお母さんのこと:詩・谷川俊太郎 曲・武満徹 編曲・林光

  • 2017.09.13 Wednesday
  • 20:41

 イーデス・ハンソンさんは、わたしの年代でいえば、子どもの頃、テレビで大阪弁を話す面白いアメリカ人(子供の頃欧米人はみんなアメリカ人と思っていた)という印象だろうか。大人になってすっかり関心を失った頃、北朝鮮やアジア各国の人権抑圧を厳しく批判しているアムネスティの日本支部長という仕事をされて、いろいろな発言をされているのを耳にするようになった。10年以上前のことになる。新聞に載ったイーデス・ハンソンさんのインタビューが忘れられない。

  彼女の兄が第二次大戦で戦死したとき、お母さんが、アメリカの新聞記者に答えたという。

 そのときアメリカは、ヒトラーファシスト政権のドイツ・ムソリーニファシズム政権イタリアと三国軍事同盟を結んだ日本を相手に、連合軍の一員として戦って、アメリカにいた日系米人や日本人は収容所に入れられていた時代なのだ。

『わたしと同じような悲しみに暮れる母親が、日本にも大勢いるでしょう。』

 

 北海道余市では、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴の妻・リタは、日本に帰化し日本人以上に日本人になろうとしたのに、それまで親しかった者から手のひらを返したように冷たい視線を浴びたり、石を投げられたりした。その経験は戦後数年経っても外をひとりで歩くことを怖がるほどだったという。

 人は国家を背負うと、ひとを敵味方に分けて引き算をし、人権を確信すると、同じ裸の人間として足し算をするのだろうか。自分の生すら満足に背負えないわたしの様な者でも、国家を背負うと、力を得たように思いこみ、ひとを、備品や消耗品のように、自在に仕分けできる快感を得るようになるのだろうか。 

 厳しい闘病生活を、快活に送る・尊敬する若い京都の友人が書いていた。

 

 「偏見とか、固定概念とか、そういうものが人々を守っている側面も大きいと思うんです」と言ったあとで、「偏見や固定観念で、バランスをとらざるを得なかったと言う方が良いかもしれません。心底、必要なかった、と思うまではその人のバランスに必要なんだと思います。悪いとわかっている事でも、代わりにより良い事を得られる自信がないと、なかなか手放せないものなんじゃないでしょうか。

 なので、僕自身も、このフリーハグのように、より良い未来の可能性を感じさせる事にフォーカスして生きていきたいと思ってるんです。」 

 

 ひとびとがこんな時代を日々生きる上で、わたしには、どんな国の論理より、このハンソンさんの母親や、若い友人の足し算の(人権の)論理に、わたし(たち)の輝く雲の柱と絶えざる希望があると思える。

  先日、家族みんなでユーチューブを見たとき、日本のフォークの特集した番組だった。その中では、小室等が歌っていた。谷川俊太郎の詩に、武満徹が作曲し、林光が編曲した、「死んだ男の残したものは」だった。

 二度の戦争に翻弄された親を持つわたしには、このアジアで生きている人同士が殺し合う戦争が起きること自体、勝とうが負けようが、敗因としか思えない。

2017年9月、花壇の槿(ムグンファ)

  • 2017.09.11 Monday
  • 22:01

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 今年最初の槿の花が開いたのは、オモニの命日の次の日、7月31日だった。
その後温かい日が続いても、あまり咲かないまま過ぎた。8月のお盆明けに大学時代からの友人の知床の家まで、バイク・ツーリングした。夫婦とも大学同期なのだが、旦那は仕事で忙しく、遅く帰ってきた。その間奥さんのMGといろんな話をした。精養軒の木槿(むくげ)の話になって、言われた。

 『花も歳をとったらちゃんと手入れしなきゃだめよ。』
 

 木槿は斎藤眼科さんから譲り受けたものなので、斎藤さんが育ててから少なくても40年近く経っているはずだ。花壇の土は水はけがよすぎるのに、今まで肥料も与えたこともなかった。数年前、一本、幹が病気にかかり根元から切った。
 本来は、おおきく一斉に咲く8月中に、今年は小さな花を少しつけるばかりで終わった。街なかで見かける薄紫の木槿は大きな花を一斉に咲かせているから、天候のせいではない。MGの話が頭をよぎった。わたしのせいだと思った。

 

 9月に入ってからだ。その花壇の木槿に花が一斉に咲き始めたのだ。それぞれは今迄にないほど小さく、一日花の槿らしく一日だけの開花で落ちてしまう。だが、咲くかどうかは分からないが、無数の蕾が、つぎを待機しているみたいに静かに口を閉じているもの、少し開いているものさまざまに見える。なんだかまだ見ぬ・社会や国の服を脱ぎ捨てたひととひとの連帯の・新しくうつくしい真理が力を合わせて息づいているようではないか。

 

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 この花が散ったら、秋に涼しくなって堆肥をやろう。

 

 気づかずに咲き継ぐ花も木槿かな       稲畑汀子

 

 この句は助詞「も」で成立している、とおもう。押しつけがましくなく・さびしくもなく・それぞれがそれぞれに自然な槿の花の佇まいを示しているようでこころ魅かれる。

追記:槿の木の下の額紫陽花も7月に咲きました。でも例年と色が違うような気がします。
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水道凍結:共進工業の仕事

  • 2017.02.16 Thursday
  • 19:05

 正月休みを頂いた1月中旬の4日間は非常に寒い日がづづきました。最低温度ほとんど零下15℃以下、最高でもマイナス6度という状態です。雪が降らないのは非常にありがたかったのですが、店の暖房もなく2階の住居部分はあまり暖房を強くしていないために、なんと台所の蛇口が一か所お湯は出るのですが、水が出ないのです。朝は出たのに。30年前建築中で、ドアが開いていて、一度凍結して以来かもしれません。

 

 設備工事の共進工業さんにすぐ連絡しました。前日は60件以上の水道凍結(暖かい所に住む読者のための注:家の水道配管の中の水が凍ること)があって、今日は午後一番で行くということでしたが、前の案件に時間がかかっていらしたのは、3時頃。若い新人と、高年齢のベテランの二人組が来てくれました。

 やはり凍結でした。水道管が入り口横の奥にあるので、冷たいタイルに腹ばいになっての作業です。思ったより早く水が出ました。二人が帰られた後、ふと心配になったことがあって、また電話をしました。同じ二人組です。話を聞いてベテランの方は問題ないと判断したようでしたが、先ほどの若い方が、わたしが心配されているようだから、一度見てみましょうというのです。実践経験も知識もより豊富なベテランの方は、ちょっと不満そうでしたが、若いひとの判断を尊重したようでした。二人で地下に潜られて、さらに上の自動栓を操作し、わたしにどういう作業をして、なぜ問題ないか具体的に説明してくれました。

 

 わたしのようにどうでもいいことを心配する人間には、非常に気もちのいい対応でした。世界的な自動車会社ホンダの創業者・本田宗一郎氏の若い頃の話を思い出しました。本田さんは、車と飛行機が好きで好きで、10代の頃は自動車の非常に優秀な修理工でした。車の修理工は、車を直すだけではない、というのです。

 故障した車のお客さんは、同時にこころも故障している。丁寧に説明してこころも直してあげなければ、ちゃんと修理したことにならないんだ。

 

 多分共進工業の若い人は、ベテランより知識がないかもしれません。けれど知識なんていずれ努力すれば身につくのです。でもこの本田さんの若い気持ちは、持っていてもいつか失われるか、自然に持つことは難しいのではないでしょうか。知識が足りないから黙るのではなく、臆せず行動した彼にもいいぜ、と思いましたが、それをさせたベテランにも心が動かされました。

 

 考えてみれば、大豆もやし栽培の自動化を進める過程で、共進さんの一見怖そうな岩村さんがやってくれた仕事もそうでした。こちらが考えている以上に、あと後の修理のしやすさまで配慮して、でかい体を折り曲げながら、一生懸命仕事してくれたものなぁ、と思い出したのでした。

 

 あまり感動したのでその日と次の日の開店前ミーティングで、バイトの人たちにも伝えました。精養軒でも大事な気持ちですよね。お待たせしているお客様を案内する時、そういう気持ちが内にあるかどうかでは大違いな気がします。

 いい気持ちで仕事をすることができましたよ、ありがとう若い人、大事な気持ちを忘れないように頑張ります!!

 

2017年あけましておめでとうございます。

  • 2017.01.01 Sunday
  • 00:00

 水海道でホテルを経営している古くからの友人がいます。たまにメールを送ると、ときどき送られてくる返事は、冷やかしの返事が多いのですが、身近にありながら見過ごしてきた思いに気づかされることもまた多い、得難い友人の一人です。

 

 年の瀬の12月23日にクリスマスの記事をメールで送りました。多忙な彼女と旦那へのクリスマス・プレゼントのつもりでした。真夜中2時、3時に店の前と、地主がやらないので道路向かい側と、老夫婦二人で雪かきしています、と最後に書き加えました。

 二日後の25日クリスマスに返事がきました。有名な曲let it be meのわたしの日本語訳を、<綺麗な訳>と珍しく褒めてくれたあとで、「夜中に雪かきしている二人の姿も目に浮かび、ロマンティック」な訳と書かれていたので、ちょっと驚きました。彼女も岩見沢に住んでいたので、雪かきの大変さを経験しているのに、都会の人みたい、と一瞬思ったのです。でも考えてみると、わたしたちのロマンティックはそういうところにしかないのかもしれないな、と思い、すぐにリターンメールを送りました。

 「そうかぁ、夜中二人で雪かきって、ロマンティックなんだ。そうだよね、われわれの現実はそんなところにロマンティックが転がっているはずなんだ。もっと気づくべきだよね。ありがとう。いい歌だったでしょう。」

 

 ドラマとは違って、わたしたちの何気ない、些細な日常生活のなかに、気づかれずにいるロマンティックや、かけがえのない大切な出来事が隠されているのかもしれません。そう思えるとき、あっという間に過ぎ去る日々や、すれ違う人々が、新たな姿でわたしたちの前に現れてくるのかもしれません。←こう書いてから、数週間後の注:この文章どこかで見たことがある気がして、思い出しました。このブログの読者・秋田のわしさんの素晴らしいコメントです。わたしの半分ボケた頭の中に忘れられずに残っていたのです。ありがとうございます。

 

 次に載せる短い詩は、天野忠さんのものです。夫婦のことというより、一人にしろ、二人にしろ、人が生きる上で、わたしたちの日々のドラマティックやロマンスを教えてくれる詩に思えるのです。

 

 夫婦

 

四十五歳のお前が

空を見ていた

頬杖ついて

ぽかんと

空を見ていた

空には

鳥もなく

虹もなかった

空には

空色だけがあった

 

ぽかんと

お前は

空を見ていた

頬杖ついて

それを

わたしが見ていた。

  天野忠詩集『しずかな人 しずかな部分』より

 

 最後にだけある・はっきりと確かにある句点。わたしたちだれにでもある日常の・あたりまえの存在が、全体で一つの・かけがえのない、価値ある絵(たしかなこころの事実)のようです。

 あけましておめでとうございます。変わらないものを含めて、少しでも進化したい精養軒をお見せしようと思っております。本年もどうぞよろしくお願いします。

 新年は2日からの営業です。

 なお5日はお休みです。←えっ、はや!パンダ

 わたくし、2017年元旦初歩きの柴珍島犬・マリ兵衛でございます。今年もときどきブログに登場しますだ。

食べ残しとドギー・バッグ

  • 2015.11.09 Monday
  • 00:23
 NHKラジオの実践ビジネス英語を一週間遅れでただ(ストリーミング)で聞いております。先日ビニェットのテーマ<もったいない>で、ドギー・バッグについての話が出ていました。ドギー・バッグとは外食で、食べ残しがあった時、店のスタッフに求める、お持ち帰り用の袋です。家の犬(ドッグ)に食べさせるために持って帰る袋が元来の意味。でも本当は自分たちが食べますね。このミエッパリ加減の語感がおや爺好みざんす。ちゅん 基本的にはアメリカ英語ですね。

 アメリカのレストランでは、ごく普通にやります。メニューに書いていることもあります。そもそもアメリカの一人前の量がむやみに多いので、必要になるともいえます。食べ残し(レフト・オーバー)をもちかえるのは中国もそうだとビニェエットで紹介されていました。
 むかし朝鮮では、招待されたお客様は、わざと残さないと、失礼になるという風習がありました。

 ヨーロッパ、とくにイギリスでは、建前では、残り物をもちかえることができるけれども、実際はしないと言います。←ヨッ、英国的ミエッパリ!(・∀・)○ オーストラリアでは残すと二度と来ないでくれといわれることもあるそうですが、わたしがひと月ほど滞在した時はそんな光景は見ませんでしたね。←ヨッ、オージー的マッチョ!セリザワさん

 なぜこんな前ぶりをするかというと、最近の日本では食べ残しをもっていけないようになっているからです。勉強のためホテル巡りをしているのですが、一度など有名なホテルの朝食に出た大きな梅干しが食べられず持って帰ろうとしたら、その場で食べなければいけないと断られてしまいました。食中毒の心配をしているのです。梅干しすらそうなのかと驚きました。

 50年くらい前、おや爺が子供のころは、アボジが結婚式に行くと、残った婚礼料理を立派な折り詰めに入れて持って帰ってくるのが楽しみでしたねぇ。鯛の形をした砂糖の塊だけは嫌でしたが。←目のところだけ食べた。確か羊羹だったような気がするんだけど。お願い あの頃はそれで腹イタをおこしても誰も気にしなかったんだと思う。今やそんなことはホテルでは考えられない時代です。なんか世知辛い時代ですよねぇ。

 実は、近年の、飲食店や温泉施設などへの食べ物持ち込み禁止も同じ食中毒の心配が理由で、必ずしも店のものを食べさせたいからではありません。そこで食事をして食中毒をおこされると、店の食べ物ではないのに、マスコミに店の名前が出たり、店の責任を追及されるからです。
 
 精養軒でも店で残された料理のお持ち帰りについて、ここ何年かで、対応が変わっています。以前はいつでも残された料理はお客様にお持ち帰りをしていただいたのですが、いまは違います。夏場は、どんなものも、常温でテーブルの上におかれているので、お持ち帰りができない旨をお伝えします。寒い時期、よく焼かれたお肉についてはお持ち帰りできることをお伝えしています。

 食中毒についても、この社会のいわば横の許容度が狭くなってきているのです。食べ残しを持ち帰るという自己の決断(縦社会の、非難するための、自己責任とは違います)が揺らいで、社会の決断に身をゆだねているとも言えるんでしょうね。 
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フラノ寶亭留を見に行く

  • 2015.10.20 Tuesday
  • 14:00
 鶴雅リゾートホテル群見学から始まった、ホテル巡りは続いております。

 何回か書いていますが、理由は二つあります。まず同じ焼肉業界ばかり見ていても堂々巡りになってしまい、同じような流行りのスタイルになってしまう可能性が非常に高い。
 もう一つは、焼肉業界の設備費が、他の飲食業に比べてかかると言っても、ホテルのような大規模な業界の設備改修工事に比べると、ちゃっちいものです。ということはホテル建築や内装の改修にかかる膨大な費用というのは、少なくても10年、20年先を見越して、デザインなりを計画しなければその後ただの流行遅れになってしまいます。

 そういった意味では、わたし(たち)の考えより深くシビアに考えなくてはやっていけないということになりますから、失敗例も含めて、本当に役にたつことが多いのです。去年改修工事をした大衆店・精養軒のカウンター工事(お客様に好評を得ていますが)にも、それらの経験がすごく役に立っているのです。

 さて今回は、北海道でひとランク上のホテルを目指している第一寶亭留の富良野にあるフラノ寶亭留です。どんなところに目が行くのかというと、いろいろあるのですが、例えばこんな感じです。

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 部屋の窓から見えるロケーション。右下にさりげなく椅子があります。
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 遠く大雪連峰。
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 足元にはカメムシとわたし。何か近しさを感じるおや爺であります。
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 入口です。エントランスは店にとって非常に大切なので、必ず写真を撮ります、
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 椅子がどのように支えられているのか写真で保存します。これがいつか店舗の改修に役に立つのです。
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 本や美術品がおかれたスペース。入り口のドア。こういうものは高価なアンティークなのでしょうが、高価なものを使わず、大衆店がどこまでゆがんだものいびつなものを使用することができるかは、おや爺の大切なテーマです。何故なんでしょう。多分おや爺のいびつな生き方のせい??
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 取り合いのデータをとっておきます。
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 すでに終了した、画家小野州一さんの作品展示の解説が、柱の陰に片づけられていました。こういうのがなんとなく気になるわたし。

 富良野の飲食店の店主が小野さんとの印象深い交流を書いています。冬の風景を描いた作品を見て、冬なのに何だか暖かいですね、と言った店主に、答えた小野さんの言葉。
『雪の下には、スリーシーズン(春・夏・秋)が眠っているんだよ。』

 夏にふたりで森の小道を歩いた時の、小野さんの言葉も書かれていました。
『木が芽吹き、葉が茂り、落ちていくまでの色、全部が一枚の葉の中に入っている。そして長い年月をかけて土に帰っていく。ここしかない土の色なんだよ。』
 小野さんは、(知らない方だけど)わたしにむかって、生き方について語っているのだ。この言葉に出会っただけで来たかいがあった気がする。わたしはそういう確信をもって生きているのか? 60過ぎてもあっちふらふら、こっちふらふら、悲しいくらいてんでだめなのだが、全てが一枚の葉の中に入って土にかえってゆくという省察は、生きる上で救いだよな、と思う。

 <小野さんとの時間>という、小野さんが亡くなられた時の、脚本家・倉本総さんの、気品のあるユーモアとこころに沁みる文章も掛けられていた。倉本さんは好きではなかったけれど、ほんとうは気持ちの溢れた人なんだと知った。
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 夜食についていた紙ナプキン。箸袋として使われていた。デザートの盛り付け。
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 夕飯時までロービーにおいてあるスイーツ。入館して寛ぎながら、窓の外の風景をお茶とともに楽しむためにおかれていました。こういう精神のあり方も、慌ただしい精養軒に、いつか必要かもしれないから。

憧れの、異体焼肉店

  • 2015.08.21 Friday
  • 15:39
 二か月ほど前、札幌で現代美術の講義に参加し、その後めったに行かない飲み会にも顔を出した。黙って飲んでいたら、向かいで、美術家の方が横の人と熱心に話しているのが小耳に入ってきた。教育大の、美術専攻の学生やほかの現代美術家を批判している。
 僕ら、芸大出からみると、思想や思いつきばかりが前に出て美術作品にもならないものを展示しているとしか思えない、というような言い草だった。

 めずらしく、カチンときた。当方が、取り立てて自慢になる出自を持たないからなのか。
 知らない他人の話に首を突っ込むほど社交的ではないので黙っていたが、かれらの話が気になって、美術講義をしてくれた先生から話しかけられても上の空になってしまった。

 理論物理学者の武谷三男が、東大出は論文を素早くよく読み、何でも知っているが、発見する物理ではなく、流通物理学になりやすいというようなことを言っていたのを思い出した。東大を芸大に、物理を美術に置き換えるとわたしの言い分になるだろう。
 詩人の高村光太郎が、根付の国という詩を書いて、技能としての根付けに関わる日本的(アジア的?)なあり様を厳しく批判している。そこを批判することなしに高村にとっては、近代日本に生きる自分の美学を一歩も進めることができなかったほどの問題だったのだ。同時に理知の人だった高村が、なぜのちに先の戦争にあれほど熱狂し加担していったのかという問題にもかかわってくる。

 <僕ら芸大出>には、横山大観ですら、ドイツの学者から、<keine kunst, kunstgewerbe カイネ・クンスト、クンストゲヴェルベ>『これは美術(芸術)ではない。工芸だ。』と言われた深刻な意味を分かるのだろうか。

 勿論思想や思いつきだけの<美術>作品は批判されるべきだろう。かつて社会主義文学で、多くのロクでもない作品を輩出したように。
 だが、思想や<思いつき>もなく、社会的流通観念にかすめ取られた自覚すらないまま、習い覚えた手すさびの芸で美術作品が出来上がると考えるのも、同様に批判されなければ、傲慢な片手落ちというものである。

 <僕ら芸大出>がどう思うか知らないが、彼らの批判する対象と、彼らのあり方は、同一物の裏と表で、等価というべきだ。本人に自覚がない分だけ、芸大出のほうが美的スノビズムの悪臭がして、社会的価値と狎れ合う鼻もちならなさが、わたしには耐えられない。どんなに芸や技術を得るのに年季やご苦労が必要だったとしても、それだけで本来の美術(クンスト)とは呼べまい。出身から30年40年たっても、どこそこ出と言い続けるそんな連中は世の中に掃いて捨てるほどいるだろうが、何々出と言いながら、実は永遠に、思想的に卒業していない(大学を出ていない)彷徨える大学生(留年生)といっていいのだ。

 現代詩人・大岡信が激賞する、江戸末期福岡の歌人・大隈言道(おおくまことみち)の・わたしの好きな言葉。
 『わがものを詠まんとすれば異体になり、異体ならじとすれば古人のものになる。歌の難きところなり。さはれ、古人の歌のいくつ詠みたりとて、詠まざるも同じ。生涯歌なくて歌よみなるは悲しむべし』 

京都食べ歩き:ホテルビュッフェと韓国料理店 二日目

  • 2015.06.07 Sunday
  • 16:45
  本がなければおり込み新聞広告でもいいという重度の活字中毒なので、旅行の際は必ず本を持っていきます。今回の京都旅行には尊敬するロシア語同時通訳の草分け、故米原万里さんの本『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を選びました。

 つれあいの姉さんから彼女がもらったものをずっと読まずにいたものです。題名から推測して、軽いエッセイ集かと思っていたら大違い。ユーモアの中に、鋭い人間観察、とてつもなく重たい体験的思想と思想的課題が詰まった・しかもサスペンスに満ちた・素晴らしい本でした。途中で本を置くのがむずかしい、英語でいえば、まさしくreal page-turner(次から次とページをめくりたくなる麻薬本)です。
 大宅壮一賞をもらったそうですが、比較するのもばかばかしいくらい、彼の著作よりよほど優れていると申せましょう。賞が受賞者に権威を与えるのではなく、逆に真に優れた受賞者は、賞に権威を与えるものなんですねぇ。戦争に向かってひた走る今こそぜひ読んでもらいたい、実感と理屈の缶詰です。えっと、話を旅二日目に戻して……。

 初日に食べすぎたため、翌朝とても朝食をとる気になれず睡眠。つれあいは朝食バイキングに向かうのでございます。←パワーありますがな。
お願い

 ガウディの建築を見に以前スペインに行った時、一緒に旅したブリッジストウンさんと、この日、何年振りかで会う約束をしていました。あのときは独身でしたが、いまはかわいらしい奥様とお子様がいらっしゃいます。
 つれあいが花を持っていこうというので、京都で大学生活を送る娘と三人で京都の街中をゆるゆると散歩。
 途中こんなポスターが。
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 う〜ん、なるほど。このテーマのように当事者にとって<戦後はまだ…>続いているはずなのに、<戦前>に進もうというのはとんでもないことなんですよねぇ。立命館大学、がんばっております。
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 花屋の外で二人を待ちながら 、先ほど紹介した米原さんの本を立ち読み。ときどき空を見上げて久しぶりにゆったりした気分です。
 まだ20代のブリッジストウンさんに、スペインで注意された時のことも忘れられません。バルセロナの日本料理店というか居酒屋に入った時のことです。海外のその種の店にありがちな、えっ、というインスタント料理をびっくりする値段で出していました。日本から来て、本当の日本料理を知っているぞと、多分わたし(たち)は、はじめてのヨーロッパ旅行で態度が大きくなっていたのだと思います。聞えよがしに笑い批判した時でした。彼は、大声も出さないふだん穏やかな人ですが、彼より20歳は年をくったわたし(たち)に、はっきりと「聞こえますよ。」と注意したのです。
 いま思い出しても消え入りたくなる気がします。あのときの鼻持ちならないわたしの立ち位置、無意識の多数派にどっかり座りこんだ態度。海外で店を開くという苦労をなにも知らないくせに、えっらそうにふんぞり返って<正論>を吐く姿を、一言で彼はわたしに見せてくれたのです。

 F駅のすぐそばで、地図も描いてもらったのに、またしても道に迷うおや爺夫婦でありました。その日、話は20分以内と注意されていたのですが、話しやすい若い夫婦に甘えて、あっという間に2時間近くたっていました。年をとると思想的に一文の価値もない社会的地位や、一顧だに値しない文化的異差(優越感)に足元をすくわれて、友人を作ることが年と共に、びっくりするぐらい難しくなってきます。若い友人を得るのはなんて心が晴れやかになるんでしょう。

 音楽好きのおふたりらしい、壁いっぱいにおかれたCDの棚。広くはないけれど、座っているお二人にちょうど合うような部屋に吹き抜ける初夏の微風と、テーブルの上のコーヒーとお茶。若い夫婦とわたしたち夫婦の行ったり来たりの話。帰り、玄関でハグした時の心臓の響き。横で笑っている奥さんの姿。
 贅沢って何だと思う? と孫に問うたニッカ・ウィスキーの創業者・竹鶴政孝の、つらい戦争の時代に耐えた・どっしりとした答え、「それはおまえが、いまここにいることなんだよ」がなんども思い浮かびました。

 マンションを後にして南禅寺に向かいます。境内には、琵琶湖から京都に水を運ぶために作られ・現在も使われている、明治期の日本土木建築が誇る煉瓦水路があります。
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 そこを抜けて、京都学派・西田幾多郎の跡を継ぐ者と言われながら治安維持法で若くして獄死した哲学者・三木清も歩いた哲学の道を通ります。当時とは違って、日本人ばかりではなく、たくさんのアジア系・欧米系の外国人とすれ違うのでした。それが自立的思想家・三木清につながる現代日本の希望のようにも思えました。

 バスに乗って、京都駅に戻り、その日メインの夕食・ホテルブッフェです。
 

京都食べ歩き:ホテルビュッフェと韓国料理店 初日

  • 2015.06.06 Saturday
  • 02:44
 6月1から3日まで店の休みを利用して京都へ食べ歩きに行ってまいりました。3日間の休みなので、残った自家栽培もやしナムルを保冷剤にくるんで持って行きました。どのくらい味が変わるか見たかったからです。5月30日に作ったものと、旅行前日の31日に作ったもの2種類です。

 飛行機は格安のピーチでございます。朝から何も食べていないので、空港の弁当を物色して腹ごしらえ。弁当の世界も変わってきておりますなぁ。弁当もサンドウィッチもハーフサイズのものが結構売られております。小腹を満たすというところでしょうか。弁当自体があまりに高いので半額で買いやすくしているということもあるのでしょう。という訳で選んだのがこれ。結構おいしかったですね。

 有名パティシェの空港限定シフォンケーキを食べました。普通のものとの違いがわたしにはよく分からなかったです。

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 何事もなく関空に着きました。ひさしぶりに見るレンゾ・ピアノの作品でございますね。
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 思ったほど人はいません。いままでで一番多くの香港台湾本土を含めた中国系の老若男女に出会いました。さすが勢いがある人たちでございますね。おや爺見とれておりました。
 南海電車のラピートに乗って京都へ。
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 何度見てもけったいな造形。建築家ってすごい。素人にはよくわかりません。

 まずは3時過ぎに遅い昼食を韓国料理店・Mさんへ。サンギョプサル(豚のバラ肉)が有名です。う〜、あ、脂がきつすぎる。つゆだくもやしというメニューがありました。要するに冷製のもやしスープにもやしナムルを入れたものです。精養軒でいえば夏向けの冷えたもやしスープ。でも名前的にインパクトがあるのは、つゆだくもやしですよねぇ。商売下手ですわ、精養軒!
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 チヂミを食べました。はやりの中がもっちり系で表面がでんぷん質の焼いた餅感覚。玉ねぎが入っているのは現代韓国風ですか。いい悪いということではないですが、こうしてみると当店のチヂミの食感は相当違いますね。多分うちのチヂミを食べ慣れた人は、ほかのチヂミに驚くかも……。
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 つぎの韓国料理店・Pさんへ。若い在日韓国人夫婦がやっているお店です。はやっておりますねぇ。スンドゥブチゲと3種類のチヂミです。チヂミは天ぷらの様な感じです。これもいま流行りの澱粉の多い生地です。薄力粉だけでチヂミを作ったオモニの世代が食べるとびっくりするでしょう。韓国料理は日本料理以上に、この40年の間にものすごい変化を遂げているのです。味噌は韓国のスンチャン社製のテンヂャン(朝鮮の豆味噌)を使っていました。

 座っていると何やら懐かしいにおいが……。右隣の若い女性客が、タンボクチャンチゲを食べていました。結構な匂いです。コクがあって癖になると話しているのに驚きました。さすが都会は違いますなぁ。じつは精養軒のチゲも、ごく初期、自家製タンボクチャン(枯草菌発酵の朝鮮味噌)オンリーで作っておりました。オモニがそうしていたからです。ところがあまりの激烈な匂いに、店中のヒンシュクをかいあえなく撤退。岩見沢では早すぎたか。
_| ̄|○
 釜山で作っている韓国で人気の生マッコリを飲みました。結構酸味がありました。

 さらにその後8時半に友人の焼肉店・鳳(おおどり)へ。5時間の間に3食をとるという強行軍ですがな。60過ぎのおっちゃんがやることではありまへん。築30年近くたって、いかにも京町屋でございます。今でこそ町屋スタイルの高級焼肉店は掃いて捨てるほどありますが、彼の店が発祥でございましょう。当たり前のように建っていますが、在日韓国人2.5世の友人が、思想的重量をかけて作った建物です。ただつぶれた町屋の店を買い取って焼肉屋を始めるのとわけが違うのでございますね。同じようにへらへらやっているように見えて、その違いが一瞬、相貌に現れるというのが理想ですけどねぇ。

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 31日に作った自家栽培もやしナムル2種をお土産に持って行きました。後で食べてみると、30日に作ったものは保冷剤を入れていたものの食べれるけれども、味は落ちておりました。
 31日に作ったものは、豆の部分の味は大丈夫でしたが、茎が固くなっていました。塩気も相当薄くなることが判明。世の中知らないことばかりでございます。

 彼のところでナムル・3種類のサラダ類・各種キムチ、モツ煮込み・和牛ロース・カイノミ・上ミノ・テッチャンなどを食べました。う〜、お腹がいっぱいでごんす。その日食べた店の中で断トツおいしゅうおました。テッチャンに思ったほど脂をつけていません。関西はあまりつけないのかもしれません。

 と、とりあえずお腹満杯で這うようにホテルにもどりました。というところで記事は2日目に続きます。く、くるしい。
暑い暑い
 

ことしも花壇の槿が咲き終えました。

  • 2014.10.21 Tuesday
  • 00:29
 去年病気にやられて、ことしは切る覚悟をしていた槿は、太い枝を一本切ったものの、驚くほどいっぱい花をつけ、今年も咲き終えました。天候も槿にとって良かったのかもしれません。

 咲き終えた後の槿です。

 つぼみがいっぱい残っています。咲いた花以上にと思えるほど。
 花壇の前を掃除をしていた学生バイトがぽつりと洩らしました。
 「もったいないですね。」
 
 本田技研の創業者・本田宗一郎の左手の指先は、右手より数センチ短いというエピソードがあります。右手でハンマーを握り、金物を打ち据えた時、押さえている左手の指を、誤って打ってしまう。それを繰り返して指は短くなったのだと彼は語ります。華やかな脚光を浴びる者の陰で、それを支え、働いてくれた人々がいる。ライトを浴びたものはそのことを忘れてはいけない、右手以上に、そういう存在を忘れず大事にしなければいけないんじゃないですか。自分の左手を見る度にそういうことが思われる、といかにも苦労人本田さんらしい言葉を残していました。
 これが本来の選民思想(エリート主義)の歴史的意義だったと思うのです。

 咲かずに終わった、このたくさんのつぼみに支えられて、槿は咲いていたのかもしれません。

 世界はそういう無数のつぼみを忘れて存在できないはずなのに。

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