ホテルを巡る編:星野リゾート・トマム

  • 2018.08.09 Thursday
  • 23:47

 定期的にホテル巡りをしていることはこのブログでも何回かすでに報告しております。同業の焼肉店めぐりや飲食店めぐりも大事なことですが、ホテルの建築にかける投下資本は膨大なので、優れたホテルほど先を見て、資本を投下することになります。非常に勉強になるのです。単体の高級リゾートホテルや旅館の他に、北海道では鶴雅リゾート群が有名です。近年は、本州の星野リゾートも北海道に進出してきました。7月に星野リゾート・トマムへ行ってきました。

 

 トマムのリゾートホテル群は、確か仙台の風雲児と言われた関グループがバブル期計画し、バブル崩壊とともに頓挫したものでした。出来てすぐに見学に行きました。その後経営主体が何回か変わり、資金の豊富な中国資本の力を借りて、現在は星野グループが運営しているようですね。

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 星野グループに代わって間もなくしてどう変わったのか見に行きました。その時の建築施設はひどいものでした。ぼろぼろで修理もままならないという状態で、スタッフもあまり元気とはいえません。とても正規の値段では泊まる気になれないものでした。2年くらい経ったでしょうか。スタッフはすっかり若返り、活気があります。

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 建築施設も直すところは順次直され、木のぬくもりを強調した新しい施設もできつつありました。安藤忠雄の傑作・水の教会も以前行った時はひどい状態でしたが、きれいになっております。

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 勿論まだ直していないところも多いんでしょうが、いかにも変化しているホテルという感じで気持ちがよかったです。数年がかりでやり続ける精神というのはなかなかきついんでしょうね。コヒーやスパークリングワインが飲めるブック・カフェがあります。気持ちのいい空間です。そこでたまたま元諏訪県立病院長・鎌田實さんの『1%の力』が眼に入りました。確か彼は70年全共闘の有力リーダーの一人だったはずです。学生運動や政治運動に入れ込んだ人たちがその後どう生きるのか、関心を持っていました。理論物理学を専攻して、湯川に将来ノーベル賞を取るとまで言われた東大の山本義隆氏は、予備校講師をしながら、個性的な物理の本を出していて、兄が読んでいました。

 学生運動惨敗後、鎌田さんは、都落ちして長野に渡ります。地に足のついた活動をしながら本も多数出版しています。

 一通り読み切って、結局帰ってから、ネットで中古本を買い、その後北海道に来た友人に、会えない代わりに送りました。

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 トマムの敷地内に、クラブメッドがあり、超安値で泊まりました。

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 雲海テラスが有名になり、拡張されたというので早朝見に行ってきました。

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 もともとあった第一展望台。犬もいました。この雲海の下は、勿論曇り空。雲海の上はこのように晴天、当たり前ですが……。

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 第二展望台。雲海に突き出るように設営されています。この上に第三展望台がありますが、きちんとした靴が必要です。素晴らしい眺めでした。まさしく雲の海原。しかも激しく雲が動き、生成しつつある宇宙の海原って感じです。

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 帰りのゴンドラは空いている時は同じ一行ごとに乗るのですが、わたしたちは二人で、少し込み合っていたので、別のご夫婦と一緒になりました。わたしたちより少し上の年齢のようでした。お二人の話は、ベトナム語(?)と英語の入り混じったように聞こえます。

 こんにちは、どちらからいらっしゃたんですかと日本語でお聞きしたら、日本語がよく分かりませんとのこと。英語で話をしました。マレーシアから来て、今神戸に住んでいます。初めて北海道旅行をしたとのこと。雲海が思った以上に素敵だったと喜んでらっしゃいました。わたしたちが在日韓国・朝鮮人で、焼肉店をやっていることを話しました。お二人はクラブメッドに泊まっていて、今日帰るとのこと。いい旅をと挨拶してゴンドラの駅でお別れしました。

 クラブメッドをチェックアウトするときに、旦那さんがわたしに気づいたようで、わざわざ歩み寄って、お話しできて楽しい時間を過ごせましたと握手されました。自然で、如何にも裕福な立ち振る舞いのアジアの方でした。同じアジア人と言っても、スットコドッコイおや爺とはえらい違いだなぁ。

お店を始めて60数年、お客様からの嬉しい絵ハガキ

  • 2018.08.08 Wednesday
  • 10:43

 精養軒の創業は、何時かよくわかりません。保健所の古い倉庫に行けば営業許可証の記録があるそうですが、忙しい保健所の方にそげな小さいことで迷惑もかけられません。その上昔は、そういう点ではおおらかだったのでしょう、営業許可を取らずに営業していた飲食店がいっぱいあったそうなので、その記録も正確な創業日だとはいえないようです。

 まぁ、生きるためにアボジ・オモニが始めた大衆店ですからね。そういうもんでしょう。精養軒らしいと言えますねぇ。ただわたしの兄が小学校に入る前には始めていたので、とうに60年は過ぎているのは間違いないところです。

 

 先日おまかせのコース料理で、20数名様の宴会がありました。おまかせのコースはお客様の話をお聞きして作るので、責任重大です。コース料理を始めて10年以上経とうとしておりますね。

 病院のカルテのように、その度に、料理ごとのお客様の反応、残されたもの等を記録してデータとして保存し、次のご予約のときの貴重な記録として生かすことになります。

 昨日そのお客様から絵葉書きが届きました。それがこちらです。

 (写真のお肉は、特選和牛サーロインとシャトーブリアン(ヒレ中心部)の組み合わせです。精養軒で、特選和牛ポーターハウス・スペックとしてお出ししています。特選和牛史上初? 腰椎の尖突起・横突起の、わたしの肉部位説明に笑ってらっしゃいました。)

 

 う、うれし〜!! 早速ミーティングで、働いているみんなに報告しました。皆さん、自分の仕事にちょっと誇らしげ・うれしい笑顔です。絵葉書き写真付きの・おまかせのコースの礼状は精養軒創業以来初めてです。う〜、いろいろあるけど、お店をやってよかったです。G様ありがとうございます。精養軒を選んでくださった上に、こんなこころのこもった超強力ビタミン注射のような礼状まで頂いて、わたしどもの方こそお礼申し上げます。

 ありがとうございました。

出村さんのお店間もなくオープンです。

  • 2018.07.11 Wednesday
  • 10:35

 長く精養軒に勤めていた出村さんが5月に辞めて早一月半。8月初めオープンに向けて店舗の改装工事など、開店準備作業で大わらわ。札幌を行ったり来たりです。おや爺の数回にわたる新築・改装オープン経験からいうと、「建築費用は予想の最大限になる」・「建築日数は予定の最大限になる」でありますね。まぁ、予定より超えることが多いんですが……。

 

 いろいろ困難はあったようですが、出村さんの場合は、順調に、7月末の引き渡し、8月10日プレオープンということになりそうです。おや爺の体験で言えば、建築中は10圓倭蕕擦襪箸いΔ發里任垢、彼の場合、食べないと何も考えられなくなるというので、食べるようにしているとのこと。スタッフも、札幌に住む精養軒の元バイト二人・韓国留学中のKさん、世界放浪の旅を終えたばかりのAさんが参加します。

 

 さてその彼の店の名前は?

一ノ十(いちのじゅう)

 赤坂・六本木の高級和風焼肉店みてぇ!! 名前の由来がわかりますかぁ?

  分かった方は彼の店で、好きなだけただでお食事ができます!←ウソ、ウソですよ、皆さん! え〜、いずれさらなるご報告をこのブログで紹介しますね。

 何度も書いておりますが、出村さんなら、人あしらいもおや爺より数段上、その上つまらん思想的なこだわりがないので、間違いなく商売を発展させることができるでしょう。精養軒で教えた(つもりの)ことは、ふたつ。技術・味の確立した、何百年も続く老舗高級店と違って、大衆店は、いつも一歩進め、現状に満足しないで自分しかできないものを作ること。早くオゾン水殺菌装置か電解水生成装置を取り付けてや。

 

 その出村さんが辞められて、新人バイトも多い精養軒も、新たな一歩を目指して、あ〜だ、こうだと、いくつもの新しい一歩を育てております。勿論至らない点デコボコもいっぱいです。『電話がつながらない』・『いつも休みだ』と、ご予約のお客様には、御迷惑もお掛けしておりますが、先日も立て続けに、お食事を終えられたお客様から、『何を食べても美味しい。働く人が気持ちよく仕事をしている。』とお褒めの言葉を頂きました。また、初めておまかせコースをご予約された宴会のお客様からは、『みんな大絶賛。美味しいし、働く若い人たちも素晴らしい。』と、その場でさらに大人数の宴会予約をしていただきました。早速そのことをバイト達に告げると、まぁ、皆さん、それぞれの個性に合わせて、親指をあげる大学生、やった〜と、声を上げる高校生、静かに嬉しそうな笑顔を見せている専門学校生、様々な表情を見せてくれます。それぞれ違った笑顔を見るのも、いけずぅおや爺の密かな楽しみなんですよね、

 

 <発見の三段階理論>で有名な理論物理学者・武谷三男が、素粒子論グループのことで、よく言っていた、わたしの好きな言葉。

 『ささやかでも着実に一歩ずつ進めて行く。』

札幌からのお客様

  • 2018.03.25 Sunday
  • 00:00

 先日、札幌からのお客様・K様がご家族でいらっしゃいました。どうして岩見沢の精養軒を知られたのか、お子様が小さいときからいらしていただいております。そのお嬢様も今春希望の大学に入学されたとのことでした。←おや爺も歳をとるはずですがな。お願い

 お帰りになった後、お席にバッグを置き忘れていました。電話でご住所お聞きして宅配便で送りました。ご来店のお礼を添えてお送りすべきなのでしょうが、おや爺、とりわけ手紙の文章を書くのが苦手で、時間がかかり過ぎてしまいます。とりあえずバッグだけでも急いでお送りすることにしました。あまりに失礼なので、ワーズワースの春らしい詩『水仙』の最初の部分を訳したものを添えました。

 

 なんと数日後、k様からわざわざお礼のお菓子が届けられたのです。礼状も添えられて! う〜、お恥ずかしい、おや爺礼状もお出ししなかったのに……。

 「スタッフの方もみなやさしく一生懸命に働いていらっしゃるのが気持ちよく清々しく感じています。」と書かれておりました。大衆店精養軒にとって、こんなうれしいことはありません。勿論料理をお褒め頂くのはうれしいのですが、それ以上に、若い高校生や専門学校生・大学生のスタッフ・店長を褒めていだたくのはうれしいものです。

 どういうきっかけなのか、たまたま、ある時期に、学校も年齢も違う人たちが、精養軒に集まり、数年間、一生懸命仕事をして新たな世界に向かっていくという人の縁の、濃いとも薄いともいえない不思議な環を感じるのです。

 

 K様、ありがとうございました。早速開店前のミーティングで、スタッフに伝えました。きのとやのクッキーの美味しい味ととともに、K様のおこころづかいは、10代・20代の若者にもすこし誇らしい笑顔になって伝わったことがわかって、気持ちのいいものでした。

イーデス・ハンソンさんのお母さんのこと:詩・谷川俊太郎 曲・武満徹 編曲・林光

  • 2017.09.13 Wednesday
  • 20:41

 イーデス・ハンソンさんは、わたしの年代でいえば、子どもの頃、テレビで大阪弁を話す面白いアメリカ人(子供の頃欧米人はみんなアメリカ人と思っていた)という印象だろうか。大人になってすっかり関心を失った頃、北朝鮮やアジア各国の人権抑圧を厳しく批判しているアムネスティの日本支部長という仕事をされて、いろいろな発言をされているのを耳にするようになった。10年以上前のことになる。新聞に載ったイーデス・ハンソンさんのインタビューが忘れられない。

  彼女の兄が第二次大戦で戦死したとき、お母さんが、アメリカの新聞記者に答えたという。

 そのときアメリカは、ヒトラーファシスト政権のドイツ・ムソリーニファシズム政権イタリアと三国軍事同盟を結んだ日本を相手に、連合軍の一員として戦って、アメリカにいた日系米人や日本人は収容所に入れられていた時代なのだ。

『わたしと同じような悲しみに暮れる母親が、日本にも大勢いるでしょう。』

 

 北海道余市では、ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴の妻・リタは、日本に帰化し日本人以上に日本人になろうとしたのに、それまで親しかった者から手のひらを返したように冷たい視線を浴びたり、石を投げられたりした。その経験は戦後数年経っても外をひとりで歩くことを怖がるほどだったという。

 人は国家を背負うと、ひとを敵味方に分けて引き算をし、人権を確信すると、同じ裸の人間として足し算をするのだろうか。自分の生すら満足に背負えないわたしの様な者でも、国家を背負うと、力を得たように思いこみ、ひとを、備品や消耗品のように、自在に仕分けできる快感を得るようになるのだろうか。 

 厳しい闘病生活を、快活に送る・尊敬する若い京都の友人が書いていた。

 

 「偏見とか、固定概念とか、そういうものが人々を守っている側面も大きいと思うんです」と言ったあとで、「偏見や固定観念で、バランスをとらざるを得なかったと言う方が良いかもしれません。心底、必要なかった、と思うまではその人のバランスに必要なんだと思います。悪いとわかっている事でも、代わりにより良い事を得られる自信がないと、なかなか手放せないものなんじゃないでしょうか。

 なので、僕自身も、このフリーハグのように、より良い未来の可能性を感じさせる事にフォーカスして生きていきたいと思ってるんです。」 

 

 ひとびとがこんな時代を日々生きる上で、わたしには、どんな国の論理より、このハンソンさんの母親や、若い友人の足し算の(人権の)論理に、わたし(たち)の輝く雲の柱と絶えざる希望があると思える。

  先日、家族みんなでユーチューブを見たとき、日本のフォークの特集した番組だった。その中では、小室等が歌っていた。谷川俊太郎の詩に、武満徹が作曲し、林光が編曲した、「死んだ男の残したものは」だった。

 二度の戦争に翻弄された親を持つわたしには、このアジアで生きている人同士が殺し合う戦争が起きること自体、勝とうが負けようが、敗因としか思えない。

2017年9月、花壇の槿(ムグンファ)

  • 2017.09.11 Monday
  • 22:01

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 今年最初の槿の花が開いたのは、オモニの命日の次の日、7月31日だった。
その後温かい日が続いても、あまり咲かないまま過ぎた。8月のお盆明けに大学時代からの友人の知床の家まで、バイク・ツーリングした。夫婦とも大学同期なのだが、旦那は仕事で忙しく、遅く帰ってきた。その間奥さんのMGといろんな話をした。精養軒の木槿(むくげ)の話になって、言われた。

 『花も歳をとったらちゃんと手入れしなきゃだめよ。』
 

 木槿は斎藤眼科さんから譲り受けたものなので、斎藤さんが育ててから少なくても40年近く経っているはずだ。花壇の土は水はけがよすぎるのに、今まで肥料も与えたこともなかった。数年前、一本、幹が病気にかかり根元から切った。
 本来は、おおきく一斉に咲く8月中に、今年は小さな花を少しつけるばかりで終わった。街なかで見かける薄紫の木槿は大きな花を一斉に咲かせているから、天候のせいではない。MGの話が頭をよぎった。わたしのせいだと思った。

 

 9月に入ってからだ。その花壇の木槿に花が一斉に咲き始めたのだ。それぞれは今迄にないほど小さく、一日花の槿らしく一日だけの開花で落ちてしまう。だが、咲くかどうかは分からないが、無数の蕾が、つぎを待機しているみたいに静かに口を閉じているもの、少し開いているものさまざまに見える。なんだかまだ見ぬ・社会や国の服を脱ぎ捨てたひととひとの連帯の・新しくうつくしい真理が力を合わせて息づいているようではないか。

 

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 この花が散ったら、秋に涼しくなって堆肥をやろう。

 

 気づかずに咲き継ぐ花も木槿かな       稲畑汀子

 

 この句は助詞「も」で成立している、とおもう。押しつけがましくなく・さびしくもなく・それぞれがそれぞれに自然な槿の花の佇まいを示しているようでこころ魅かれる。

追記:槿の木の下の額紫陽花も7月に咲きました。でも例年と色が違うような気がします。
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水道凍結:共進工業の仕事

  • 2017.02.16 Thursday
  • 19:05

 正月休みを頂いた1月中旬の4日間は非常に寒い日がづづきました。最低温度ほとんど零下15℃以下、最高でもマイナス6度という状態です。雪が降らないのは非常にありがたかったのですが、店の暖房もなく2階の住居部分はあまり暖房を強くしていないために、なんと台所の蛇口が一か所お湯は出るのですが、水が出ないのです。朝は出たのに。30年前建築中で、ドアが開いていて、一度凍結して以来かもしれません。

 

 設備工事の共進工業さんにすぐ連絡しました。前日は60件以上の水道凍結(暖かい所に住む読者のための注:家の水道配管の中の水が凍ること)があって、今日は午後一番で行くということでしたが、前の案件に時間がかかっていらしたのは、3時頃。若い新人と、高年齢のベテランの二人組が来てくれました。

 やはり凍結でした。水道管が入り口横の奥にあるので、冷たいタイルに腹ばいになっての作業です。思ったより早く水が出ました。二人が帰られた後、ふと心配になったことがあって、また電話をしました。同じ二人組です。話を聞いてベテランの方は問題ないと判断したようでしたが、先ほどの若い方が、わたしが心配されているようだから、一度見てみましょうというのです。実践経験も知識もより豊富なベテランの方は、ちょっと不満そうでしたが、若いひとの判断を尊重したようでした。二人で地下に潜られて、さらに上の自動栓を操作し、わたしにどういう作業をして、なぜ問題ないか具体的に説明してくれました。

 

 わたしのようにどうでもいいことを心配する人間には、非常に気もちのいい対応でした。世界的な自動車会社ホンダの創業者・本田宗一郎氏の若い頃の話を思い出しました。本田さんは、車と飛行機が好きで好きで、10代の頃は自動車の非常に優秀な修理工でした。車の修理工は、車を直すだけではない、というのです。

 故障した車のお客さんは、同時にこころも故障している。丁寧に説明してこころも直してあげなければ、ちゃんと修理したことにならないんだ。

 

 多分共進工業の若い人は、ベテランより知識がないかもしれません。けれど知識なんていずれ努力すれば身につくのです。でもこの本田さんの若い気持ちは、持っていてもいつか失われるか、自然に持つことは難しいのではないでしょうか。知識が足りないから黙るのではなく、臆せず行動した彼にもいいぜ、と思いましたが、それをさせたベテランにも心が動かされました。

 

 考えてみれば、大豆もやし栽培の自動化を進める過程で、共進さんの一見怖そうな岩村さんがやってくれた仕事もそうでした。こちらが考えている以上に、あと後の修理のしやすさまで配慮して、でかい体を折り曲げながら、一生懸命仕事してくれたものなぁ、と思い出したのでした。

 

 あまり感動したのでその日と次の日の開店前ミーティングで、バイトの人たちにも伝えました。精養軒でも大事な気持ちですよね。お待たせしているお客様を案内する時、そういう気持ちが内にあるかどうかでは大違いな気がします。

 いい気持ちで仕事をすることができましたよ、ありがとう若い人、大事な気持ちを忘れないように頑張ります!!

 

2017年あけましておめでとうございます。

  • 2017.01.01 Sunday
  • 00:00

 水海道でホテルを経営している古くからの友人がいます。たまにメールを送ると、ときどき送られてくる返事は、冷やかしの返事が多いのですが、身近にありながら見過ごしてきた思いに気づかされることもまた多い、得難い友人の一人です。

 

 年の瀬の12月23日にクリスマスの記事をメールで送りました。多忙な彼女と旦那へのクリスマス・プレゼントのつもりでした。真夜中2時、3時に店の前と、地主がやらないので道路向かい側と、老夫婦二人で雪かきしています、と最後に書き加えました。

 二日後の25日クリスマスに返事がきました。有名な曲let it be meのわたしの日本語訳を、<綺麗な訳>と珍しく褒めてくれたあとで、「夜中に雪かきしている二人の姿も目に浮かび、ロマンティック」な訳と書かれていたので、ちょっと驚きました。彼女も岩見沢に住んでいたので、雪かきの大変さを経験しているのに、都会の人みたい、と一瞬思ったのです。でも考えてみると、わたしたちのロマンティックはそういうところにしかないのかもしれないな、と思い、すぐにリターンメールを送りました。

 「そうかぁ、夜中二人で雪かきって、ロマンティックなんだ。そうだよね、われわれの現実はそんなところにロマンティックが転がっているはずなんだ。もっと気づくべきだよね。ありがとう。いい歌だったでしょう。」

 

 ドラマとは違って、わたしたちの何気ない、些細な日常生活のなかに、気づかれずにいるロマンティックや、かけがえのない大切な出来事が隠されているのかもしれません。そう思えるとき、あっという間に過ぎ去る日々や、すれ違う人々が、新たな姿でわたしたちの前に現れてくるのかもしれません。←こう書いてから、数週間後の注:この文章どこかで見たことがある気がして、思い出しました。このブログの読者・秋田のわしさんの素晴らしいコメントです。わたしの半分ボケた頭の中に忘れられずに残っていたのです。ありがとうございます。

 

 次に載せる短い詩は、天野忠さんのものです。夫婦のことというより、一人にしろ、二人にしろ、人が生きる上で、わたしたちの日々のドラマティックやロマンスを教えてくれる詩に思えるのです。

 

 夫婦

 

四十五歳のお前が

空を見ていた

頬杖ついて

ぽかんと

空を見ていた

空には

鳥もなく

虹もなかった

空には

空色だけがあった

 

ぽかんと

お前は

空を見ていた

頬杖ついて

それを

わたしが見ていた。

  天野忠詩集『しずかな人 しずかな部分』より

 

 最後にだけある・はっきりと確かにある句点。わたしたちだれにでもある日常の・あたりまえの存在が、全体で一つの・かけがえのない、価値ある絵(たしかなこころの事実)のようです。

 あけましておめでとうございます。変わらないものを含めて、少しでも進化したい精養軒をお見せしようと思っております。本年もどうぞよろしくお願いします。

 新年は2日からの営業です。

 なお5日はお休みです。←えっ、はや!パンダ

 わたくし、2017年元旦初歩きの柴珍島犬・マリ兵衛でございます。今年もときどきブログに登場しますだ。

食べ残しとドギー・バッグ

  • 2015.11.09 Monday
  • 00:23
 NHKラジオの実践ビジネス英語を一週間遅れでただ(ストリーミング)で聞いております。先日ビニェットのテーマ<もったいない>で、ドギー・バッグについての話が出ていました。ドギー・バッグとは外食で、食べ残しがあった時、店のスタッフに求める、お持ち帰り用の袋です。家の犬(ドッグ)に食べさせるために持って帰る袋が元来の意味。でも本当は自分たちが食べますね。このミエッパリ加減の語感がおや爺好みざんす。ちゅん 基本的にはアメリカ英語ですね。

 アメリカのレストランでは、ごく普通にやります。メニューに書いていることもあります。そもそもアメリカの一人前の量がむやみに多いので、必要になるともいえます。食べ残し(レフト・オーバー)をもちかえるのは中国もそうだとビニェエットで紹介されていました。
 むかし朝鮮では、招待されたお客様は、わざと残さないと、失礼になるという風習がありました。

 ヨーロッパ、とくにイギリスでは、建前では、残り物をもちかえることができるけれども、実際はしないと言います。←ヨッ、英国的ミエッパリ!(・∀・)○ オーストラリアでは残すと二度と来ないでくれといわれることもあるそうですが、わたしがひと月ほど滞在した時はそんな光景は見ませんでしたね。←ヨッ、オージー的マッチョ!セリザワさん

 なぜこんな前ぶりをするかというと、最近の日本では食べ残しをもっていけないようになっているからです。勉強のためホテル巡りをしているのですが、一度など有名なホテルの朝食に出た大きな梅干しが食べられず持って帰ろうとしたら、その場で食べなければいけないと断られてしまいました。食中毒の心配をしているのです。梅干しすらそうなのかと驚きました。

 50年くらい前、おや爺が子供のころは、アボジが結婚式に行くと、残った婚礼料理を立派な折り詰めに入れて持って帰ってくるのが楽しみでしたねぇ。鯛の形をした砂糖の塊だけは嫌でしたが。←目のところだけ食べた。確か羊羹だったような気がするんだけど。お願い あの頃はそれで腹イタをおこしても誰も気にしなかったんだと思う。今やそんなことはホテルでは考えられない時代です。なんか世知辛い時代ですよねぇ。

 実は、近年の、飲食店や温泉施設などへの食べ物持ち込み禁止も同じ食中毒の心配が理由で、必ずしも店のものを食べさせたいからではありません。そこで食事をして食中毒をおこされると、店の食べ物ではないのに、マスコミに店の名前が出たり、店の責任を追及されるからです。
 
 精養軒でも店で残された料理のお持ち帰りについて、ここ何年かで、対応が変わっています。以前はいつでも残された料理はお客様にお持ち帰りをしていただいたのですが、いまは違います。夏場は、どんなものも、常温でテーブルの上におかれているので、お持ち帰りができない旨をお伝えします。寒い時期、よく焼かれたお肉についてはお持ち帰りできることをお伝えしています。

 食中毒についても、この社会のいわば横の許容度が狭くなってきているのです。食べ残しを持ち帰るという自己の決断(縦社会の、非難するための、自己責任とは違います)が揺らいで、社会の決断に身をゆだねているとも言えるんでしょうね。 
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フラノ寶亭留を見に行く

  • 2015.10.20 Tuesday
  • 14:00
 鶴雅リゾートホテル群見学から始まった、ホテル巡りは続いております。

 何回か書いていますが、理由は二つあります。まず同じ焼肉業界ばかり見ていても堂々巡りになってしまい、同じような流行りのスタイルになってしまう可能性が非常に高い。
 もう一つは、焼肉業界の設備費が、他の飲食業に比べてかかると言っても、ホテルのような大規模な業界の設備改修工事に比べると、ちゃっちいものです。ということはホテル建築や内装の改修にかかる膨大な費用というのは、少なくても10年、20年先を見越して、デザインなりを計画しなければその後ただの流行遅れになってしまいます。

 そういった意味では、わたし(たち)の考えより深くシビアに考えなくてはやっていけないということになりますから、失敗例も含めて、本当に役にたつことが多いのです。去年改修工事をした大衆店・精養軒のカウンター工事(お客様に好評を得ていますが)にも、それらの経験がすごく役に立っているのです。

 さて今回は、北海道でひとランク上のホテルを目指している第一寶亭留の富良野にあるフラノ寶亭留です。どんなところに目が行くのかというと、いろいろあるのですが、例えばこんな感じです。

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 部屋の窓から見えるロケーション。右下にさりげなく椅子があります。
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 遠く大雪連峰。
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 足元にはカメムシとわたし。何か近しさを感じるおや爺であります。
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 入口です。エントランスは店にとって非常に大切なので、必ず写真を撮ります、
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 椅子がどのように支えられているのか写真で保存します。これがいつか店舗の改修に役に立つのです。
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 本や美術品がおかれたスペース。入り口のドア。こういうものは高価なアンティークなのでしょうが、高価なものを使わず、大衆店がどこまでゆがんだものいびつなものを使用することができるかは、おや爺の大切なテーマです。何故なんでしょう。多分おや爺のいびつな生き方のせい??
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 取り合いのデータをとっておきます。
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 すでに終了した、画家小野州一さんの作品展示の解説が、柱の陰に片づけられていました。こういうのがなんとなく気になるわたし。

 富良野の飲食店の店主が小野さんとの印象深い交流を書いています。冬の風景を描いた作品を見て、冬なのに何だか暖かいですね、と言った店主に、答えた小野さんの言葉。
『雪の下には、スリーシーズン(春・夏・秋)が眠っているんだよ。』

 夏にふたりで森の小道を歩いた時の、小野さんの言葉も書かれていました。
『木が芽吹き、葉が茂り、落ちていくまでの色、全部が一枚の葉の中に入っている。そして長い年月をかけて土に帰っていく。ここしかない土の色なんだよ。』
 小野さんは、(知らない方だけど)わたしにむかって、生き方について語っているのだ。この言葉に出会っただけで来たかいがあった気がする。わたしはそういう確信をもって生きているのか? 60過ぎてもあっちふらふら、こっちふらふら、悲しいくらいてんでだめなのだが、全てが一枚の葉の中に入って土にかえってゆくという省察は、生きる上で救いだよな、と思う。

 <小野さんとの時間>という、小野さんが亡くなられた時の、脚本家・倉本総さんの、気品のあるユーモアとこころに沁みる文章も掛けられていた。倉本さんは好きではなかったけれど、ほんとうは気持ちの溢れた人なんだと知った。
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 夜食についていた紙ナプキン。箸袋として使われていた。デザートの盛り付け。
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 夕飯時までロービーにおいてあるスイーツ。入館して寛ぎながら、窓の外の風景をお茶とともに楽しむためにおかれていました。こういう精神のあり方も、慌ただしい精養軒に、いつか必要かもしれないから。

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