思い出の歌:朝露 ヤン・ヒウン キム・ミンギ

  • 2016.07.27 Wednesday
  • 01:53

 2003年、アメリカ・イギリスを主力とする空爆によって、大量の無差別破壊兵器を持つといわれた、イラクのフセイン政権が崩壊した。

 

 13年後の今年7月初めにいわゆるチルコット・リポート(実に7年にわたる調査、6,000ページ、12巻に及ぶ・イギリスのイラク戦争検証報告書)がイギリスで発表された。

 そのチルコット卿の誠実な発言をネットで見ることができる。

 

 その結論とは何か? 大量破壊兵器は存在せず、イラク空爆の法的根拠もなく・ただブッシュ大統領との内密の約束と、大勢にそった無責任な決断に従ったもので、軍事行動が最終的な選択肢ではなかったというものだった。わたし(たちの大半)は、当時のメディアに従い、フセインの極悪な制度も悪いということを免罪符に、イラク侵攻にこころのそこで賛成したと言っていい。

 

 フランス・ドイツ・中国・ロシアが反対したものの、率先した日本をはじめ韓国その他の多くの国が加担した戦争で、イラク全土は壊滅的に破壊され、日本のどこでも見かけるような、ただ普通の小さなこどもや、買い物をするような一般市民が10数万殺されたのだ。

 難民は200万(札幌全体の人口だ)を超えるとまで言われる。アメリカ軍が使った劣化ウラン弾の放射能は、生まれてきた赤ん坊ばかりではなく、地上戦に参加した先進国兵士まで深い障害をを与えている。街で遊ぶ子供たちや、わたしたちと同じように、日々を平凡に生きる主婦であったり、父母であったろう命や無数の名前や夢が、空爆によって、リセットできるテレビゲームの世界のように、粉みじんに飛び散ったのだ。それらすべてが、同じ時代・世界を生きるわたしたちの頭からきれいさっぱりと忘れさられるとともに、無数の無差別テロという形になって世界に散らばるのだろうか。

 

 まだ学生だった1970年代初頭、韓国はまだ軍事独裁政権で、一般市民・労働者や、大学生に、無実の・無益な罪を覆いかぶせて、激烈な弾圧を加えてていた。韓国内では数多くのデモや、蜂起が、あった。そんな時代でなければ、普通に生き、死を迎えたであろう、無名の、だがもちろんわたし(たち)と同じく・固有の名を持つ社会人や主婦や学生が拷問・虐殺された。

民主主義を求める運動の中で多くの人に歌われたいくたの歌や詩は、発禁・放送禁止処分にされ、詩人や歌手・作曲家は、投獄された。わたしのようにいい加減に生きた者でも、(同じ世代の韓国・朝鮮人にとっては)、忘れられない犠牲者や、多くの歌い継がれた曲があった、と思う。

 

 この曲はその中でも特別な存在ではなかろうか。1971年に発表・発禁処分にされたこの<アチミスル(朝露)>は、ヤン・ヒウン、19歳のデビュー曲だったことを、今回始めて知った。作曲した金民基は投獄された。放送禁止にされたものの、歌詞に政治を語る部分は何一つない。歌詞と旋律が、人々の口から、口へ、と伝わる中で、それぞれの言葉が暗喩となって、政治や生きることへの共通の想いが伝わっていったのだと言える。

 

 긴 밤 지새우고 풀잎마다 맺힌
長い、長い夜に耐え、草葉に宿る

진주보다 더 고운 아침이슬처럼
真珠よりも柔和な朝露よ

내 맘에 설움이 알알이 맺힐 때
悲しみが一粒、
また一粒 

こころに宿るときには

아침 동산에 올라 작은 미소를 배운다
朝の丘に立ち ちぃさな微笑の意味をしるがいい

태양은 묘지 위에 붉게 떠오르고
灼熱の太陽は墓たちの上を 照りつける 

한낮의 찌는 더위는 나의 시련일지라
うだるような暑さは わたしの試練か

나 이제 가노라 저 거친 광야에
わたしは行く、あの荒野へ

서러움 모두 버리고 나 이제 가노라
わたしは行く 悲しみふり棄て

       (訳:おや爺)

 

 韓国が民主化されて、30年も経っていない。けれど同じアジアに位置する先進国・日本にしたところで、1945年の敗戦後、民主主義の道を歩み始めるまで、虐殺し・された多くの・名もなく・忘れられた普通の人々がいたに違いないのだ。そして、わたしの愚かな目に触れないまま、今もアジアやアフリカや、名も知らぬ国や、世界中に、日本の中に、いるのだろう。わたしたちに忘れられた、気も遠くなるような・無名者の数だけ、世界から民主主義は遠ざかっていく気がする。

 

 韓国映画・セシボン(70年代の韓国フォーク歌手やそれを取り巻く人々の姿を描いた映画)に入れ込んだわたしの奥さんによると、牢獄に入って自分の存在意味を失い自殺を企てた者、ファンの差し入れにあったマリファナで捕まった者・アメリカに渡った者もいたと言う。ヤンヒウンもその後生き方を悩む中で、子宮癌の手術も受けたという。けれど彼らは今も自分の好きな音楽を楽しみ、世代を超えて歌い継がれている。ヤンヒウンは自分の歌を、世代を超え、国を超えて、<青春>の中にいる人々への賛歌だと語っていた。

 

 次のユーチューブは、若いころの写真をバックに歌う歳をとった彼等の歌声だ。60年代に流行ったアメリカの歌が、英語のまま歌われるのは、当時の日本と違って、アメリカの影響をより直接に受けていたせいなのだろうか。わたしのお好みは、『あなたと最初に出会った日の想い」をこめ、「いつまでもあなたをそっと見つめていたい』と祈るように歌うlet it be me (最初の曲)と、「あの夏の日のようにもう一度踊ろう」と言う・若々しいlet's twist again(52分12秒から)だ。昔サッポロビールのCMで野球応援のシーンで流れていた気がする。いつか自分で訳したい誘惑に駆られる声だと思う。

 とてもがんを経験したとは思えない現在のヤンヒウンの歌声(24分45秒から)も聴ける。

 

 学生の頃、日本社会を論じた、東京大学教授で社会学者だった中根千枝の著書『タテ社会の人間関係』が必読書の一つになっていたっけ。そういうお上を支えるタテ社会では、人々の自立的な横の連帯を、よこしまなものと見るのだろうか。横のつながりを、よこしま(邪)にみる社会は世代間をこえる歌ができないのだろうか。

出村店長のブログ:韓国研修旅行

  • 2016.07.26 Tuesday
  • 16:26

  おそらくGTO君は夜中2時ぐらいにホテルに帰って来たと思います。なかなか酔っぱらっているご様子。大丈夫だろうか、最終日の明日はお昼にカンジャンケジャンのお店に行く予定です。そんな彼がお風呂に入っている間に私はまた熟睡しました。

 

  朝、さほど早くはない起床です。起きないだろうなと思いながらGTO君を起こしましたが、割とあっさりと起きてきました。三泊したこの部屋ともさよならです。荷物を全てまとめてチェックアウトをし、重い荷物を持ち、まずはソウル駅に行きます。

 

 ロッテマートは駅直結の大型デパートと言っていいでしょう。前日までに買えなかったお土産などをまとめてお買いものをし、鞄に詰め込みます。それから事前搭乗手続きをします。

 

 このシステム、私は初めてのことでして、よく分からなかったのですが、空港まで行かなくてもソウル駅で出国審査と手荷物を預ける事ができるとのこです。GTO君は前回韓国に来た時に経験していたのですが、前回どのように行ったかを全然覚えていないと言うのです。ただ私は彼を頼っていたので、前調べもしていません。ゼロから二人で模索し、あーだこーだあっちが先だこっちに行ってみようなどすったもんだしながら手続きを進めていきます。出国審査のカウンターに行けば、先に直通列車のチケットを先に買えだの、手荷物を預ければチェックのために5分待っていてと言われ、20分待てど何も言われずこちらから聞きに行くと、完全に忘れられていたようで、なのに『まだいたの?』みたいな扱いを受ける始末。だがこれでも帰りの空港の仁川空港に行って、搭乗手続きをして出国審査をするよりも断然に早いと思います。待っている人がほぼ居ないので、すったもんだしながらもスムーズに終える事が出来ました。

 

  それから遅めの朝食兼昼食です。おそらく二日酔いであろう彼の胃袋は、もうランチ時も過ぎた時間だし食べ物を欲している事でしょう。私はすでにハラペコであります。

  なんと一緒にビュッフェに行ってくれた韓国人のビョンファさんも前夜に引き続きお付き合いしてくださいました。下調べしておいたカンジャンケジャンのお店のある最寄り駅で待ち合わせしました。予定時刻より少し遅れて彼女が来ました。昨夜GTO君とお酒を飲み過ぎたみたいで、二日酔いで頭が痛いとのこと。無理して頂いて申し訳ないです。

 

  さて、我々が目指したお店は、地下鉄3号線東大入口(トンデイック)駅から徒歩3分のところにある、『アグランコッケラン』という日本からの観光客も多く訪れるらしいお店です。この時、とっくにランチ時を過ぎていたからか、お客は私たちだけでした。

 

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 日本からの観光客にはとても分かりやすい看板です。ここまでストレートに書きますか。そしてその上に書いてあるハングルでも同じことが書かれています。

  何と言いますか、自薦他薦は問いませんが、あまりに自負しすぎているような…。

 

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  日本からの観光客向けの用のメニューと食べ方の説明書きも持ってきてくださいました。

  料理の見た目が多い様でしたので、少しずつ、多品目を注文します。メインのカンジャンケジャンは1人前でワタリガニが1杯。2人前注文しようとしたら、ビョンファさんに止められました。おそらく彼女、前日の深酒のせいで食欲がないのでしょう。察して1人前を注文します。

 

 IMG_2299.JPG  IMG_2302.JPG

  無料のおかずが出されます。ひと際目に着く緑色の料理、ニラを摩り下ろして生地に練りこんだチヂミでございます。インパクトは大ですが、味のインパクトはそれほどありません。素朴と言いましょうか優しい味です。

 

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  こちらが初対面となりましたカンジャンケジャンさんです。仲介役にビョンファさんが居たので食べ方をレクチャーされながら頂きました。写真は撮ってなかったのですが、甲羅のカニミソと身と卵をスプーンでかき混ぜ、ご飯を入れてまたかき混ぜ、添えてあるカイワレを乗せ、海苔に乗せて手巻き寿司のように食べます。足は付け根の辺りに身が付いているのでチューチュー吸って食べます。生のワタリガニを漬けてあるので身はトロトロ、においは生ぐさ…磯の香りと申しましょう。私は全然平気です。濃いめのこの出汁醤油のタレがあればご飯何杯でもいけてしまいます。

 

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  こちらは『コッケタン』です。ワタリガニの味噌風味のお鍋です。カニの出汁の効いたまるで精養軒のチゲ鍋のようです。このコッケタンは全然辛くありません。色々激辛の料理を食べ歩いてきたので、ピリ辛と感じるくらいです。サイズが大、中、小とあり、これでも小サイズ。この他にも料理を注文していたので、小サイズでも多いくらいです。

 

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  これは『アグチム』。アンコウの辛い炒め煮です。こちらも小サイズ。骨が多く食べにくいところはありますが、後引く辛さでついつい箸が進みます。韓国では割とポピュラーな料理と部類されていました。

 

□『アグランコッケラン』

    カンジャンケジャン 一人前33,000₩

    コッケタン(小) 45,000₩

    アグチム(小) 35,000₩

  ソウル市 中区(チュング) 奨忠洞2街(チャンチュンドンイーガ) 24−35

  地下鉄3号線トンデイック(東大入口)駅2番出口を出て、そのまま直進します。120mほど進むとある一つめの十字路をそのまままっすぐ過ぎてから、30mほど行くと左手にある細い路地を入ります。30mほど進むと左手にあり。徒歩約3分。看板が大きく出ているので探しやすいです。

 ご夫婦で切り盛りされていて、アットホームな店内、日本人観光客もよく訪れるとのこともあり、行きやすいお店かと思います。

 

  食事を終え、少し街並みを観光し、空港へ向かう列車に乗る時間が迫っています。時間が押してしまい、慌てて駅に行き、慌てて改札に入ります。三人とも小走りで急いでいます。改札に入るところでビョンファさんとお別れをしました。色々案内をしてくれて、とても助かりました。列車の時間までもうありません。心から感謝していて、それを伝えることが出来ず、彼女の手を取り深々と頭を下げて「カムサハムニダ(ありがとう)」としか言えませんでした。この時が一番韓国語がきちんと話す事が出来ていれば、と思う瞬間でした。

なんとかギリギリで列車に乗り、空港に着きました。

  ソウル駅で先に出国手続きをしてあるので、空港内で出国手続きをしている一般客とは別のゲートから入ります。パイロットやCAさんが通るゲートが脇にあります。長蛇の列に並んでいる人たちを横目に優雅に別ゲートから入ったのですが、止められてしまいました。

  えっ!?なにごとっ!?

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  ソウル駅で手配した航空券の名前のスペルがパスポートと違う、と指摘されました。いやいやいやいや、これは私のミスではなく係員のミスですやん!大韓航空のカウンターに行って訂正してこいとのことです。本来は『TOMOTSUGU』となるところが、『S』が抜けているではありませんか。

 

  仁川空港に行った事のある方はお分かりだとおもいますが、アジア癸韻離魯峩港と呼ばれているここは、とにかく広い!今いるゲートから大韓航空のカウンターまでは確か10分近く歩かないといけない距離です。そしてカウンターで事情を説明したところ、赤ボールペンでただ『T』と『U』の間に抜けている『S』を書き足しただけではないか!再発行するかと思ったのにまさかの手書き。また10分あるいてやっとゲートに着いたのに今度はパイロットやCAさんが並んでいて、結局並ぶ羽目になり、やっと搭乗できました。事前搭乗手続きはほんとに早くスムーズなのか疑問に残る一幕でしたとさ。

 

  前回韓国に行ったのは2年前、その前が5年くらい前で、大きく変化していることはあまり感じなかったのだが、流行の変化は日本の原宿と呼ばれる明洞に行けば少し感じる物があります。屋台で出ているフードや小物、新しい料理などの新店も若者や観光客が多く行く明洞から出るものが多いのかな、と思いました。私は初めて見たケランパンや、スープトッポッキのお店も明洞でしたし、発信はここからされるのでしょう。日本でも同じですよね。東京で流行ったものや料理が地方まで広がるのに時間がかかりますね。昔と違いインターネットやメディアのおかげで広まり方は早いと思いますが、流行り廃りのアンテナを敏感に立てとかないと商売は上手くやっていけないのでしょう。ただ流行りに乗っかるのではなく、後々まで残るモノを見極めていかなければならない事を改めて感じます。

 

長々と失礼致しました。この韓国研修旅行のレポートは以上でおしまいです。この記事を書いている途中、わたくし腰痛持ちになってしまい、パソコンの前に座ることが出来ない日が続いてしましました。それも相まって全て書き終えるのが遅くなってしまいました

_| ̄|○ 商売をする以上、自分の身体も資本であること、こちらも再確認しました。

現代美術家・川俣正さんが、とうとう岩見沢でのプロジェクトを始めます。

  • 2016.07.23 Saturday
  • 08:35

 多分世界でもっとも知られている現代美術家の一人でありながら・多分地元でちっとも知られていない現代美術家・川俣正さんの直筆ドローイング展が、7月20日からJR岩見沢駅舎内、有明交流プラザ2階で開催されています。 

 

 何のドローイングか? と申しますと、彼の北海道インプログレスという美術活動の一環として行われた三笠プロジェクト(三笠の廃校になった小学校を利用した作品)の直筆ドローイングでございますね。ベニヤと段ボールを使った作品群でございますね。はぁ〜、なんかよくわからない? そうざんすね、美術も人生も将来何が使えるのかよくわからない。なんせ、あの見慣れた段ボールが驚くべき世界的作品になるんですからね。

 

 世の価値観に流される<民意>に同調して安心したり、外れて不安になることがばかばかしい限りに思えて来ます。ならば、震災直後<政治的にも、いろんな意味で終わっている日本>と言っていた現代美術家・川俣(岩見沢4条通りを歩きながらの発言)の現代美術を見れば、先のわからない人生にわからない楽しみが生まれてくるかも……。

 

 当店の元バイトS井さんが、社会人となって会場受付をしております。サインをもらうのもいいでしょう。←信用しちゃだめ!

精養軒の白キムチ(ぺクキムチ)

  • 2016.07.19 Tuesday
  • 02:13

 ぺクキムチは、唐辛子の入っていないキムチで、朝鮮料理史の中では、唐辛子が日本から伝えられる前から存在する・もっとも初期のころからあるキムチといわれています。当店では、おや爺が店を継ぐまで、ご飯に無料でつけていた漬け物でした。醤油をかけて出していました。←日本的! 

 当時のお客様は新漬けと呼んでいましたね。今でいう浅漬けのことなんでしょうか、よく分かりません。当時辛いものが食べられないお客様に人気の・ちょっとしたおかずでした。わたしが店をやるようになってすぐ廃止したので、ひどいブーイングが来たものです。まずはキムチをお客様に試していただきたかったからです。それが今では日本の漬物生産量の第一位が、キムチだと言うんですからね。隔世の感がありますねぇ。

 

 30数年前、わたしが新しく店をやって精養軒はだめになったと言われた3大変化の一つでした。

 えっ、あとのふたつ?ですって。カルビ焼きの牛肉を、値段を据え置き(580円)で、当時焼肉店で主流だったアメリカ産ショートプレートスライスから和牛のトモバラにしたこと。えっ、いいことじゃないかですって? ショートプレートは工業規格品のようにきれいに形が同じでした。トモバラを捌いてカルビ焼きにすると、当たり前ですがいろんな形になってしまいます。脂が多い・クズ肉が入っているというのです。わたしとしては和牛の脂を楽しんでほしいという思いがありましたし、形を整えるほど整形すると高級店のような値段にしなければいけないので無理だったのです。

 

 もう一つは無煙ロースターを導入したことです。当時札幌の本格的な焼肉店で、ようやく無煙ロースターの店が出始めていました。地方では苫小牧の火山という焼肉店が1年くらい前にやっていただけだと思います。お客さんのみならず、店舗デザイナーから、焼肉に煙が出ないのでは焼肉店の意味がないとまで言われましたからねぇ。

 

 閑話休題。白キムチ(ペク・キムチ)と日本の浅漬け(新漬け)は何が違うのか? 現在の白キムチの作り方に関して言えば、ニンニクと魚醤(魚介類の塩辛)が入っているかが大まかな違いになりましょうか。朝鮮の古い書籍をひも解けば、大昔は塩だけです。その後ニンニクやら魚醤、唐辛子が徐々に加わってきました。最もオモニが若いころは朝鮮が非常に貧しく苦しい時期だったので、魚醤も貴重品で、ほんの少ししか使えず、白キムチには入れなかったと言っておりました。昔精養軒で出していた新漬け(白キムチ)も塩辛は入ってないタイプでした。若いころの味が懐かしかったのだと思います。

 

 料理も人も、時代によって変化・相互浸透していきます。日本の漬物も、キムチの影響を受けて、魚醤を入れたものが増えてきているので、もしかしたら、現在の市販浅漬けにさえ入っているかもしれません。

 

 そうなると、白キムチと浅漬けの違いは、ほとんど熟成(発酵)許容度の違いになりますね。酸味料を使わない本格的な浅漬けは乳酸発酵が初期の段階のものです。一方白キムチは、発酵段階が、初期(乳酸菌は存在するが、ほとんど酸っぱくない)から、第三段階(乳酸菌から酢酸菌発酵にいたる段階)までか可食域になります。

 

 さて精養軒の現在の白キムチは、冷麺スープに入れる水キムチ・トンチミに使われる具材をアレンジしているので、基本的に精養軒のキムチ群の中では発酵熟成度が高めです。魚醤も入っております。それに自家製柚子酢を加えて発酵を抑えてお出ししています。ややショウガが多めの爽やかな味です。まったく辛くありません。 

精養軒、前へ編:岩見沢産大豆の自家栽培もやしナムルの茹で方と味付け方法

  • 2016.07.15 Friday
  • 16:51

 どこをとっても精養軒(のはず)メニューのカテゴリーにふさわしい、金メダルの位置にあるメニューです。日本全国の焼肉店で売られている大豆もやしの9割以上は中国などの外国産に間違いありません。更に、自分の店で、外国産大豆を使わず、国産大豆もやしを栽培しているというのは、おや爺、聞いたことがありません。←業界の方とほとんど付き合いないし……。Docomo_kao18

 

 日本ひろしといえども、大豆の主力生産地帯・空知の岩見沢産大豆を使って店の中で自家栽培した大豆もやしは精養軒だけでしょう、たぶん。←もしやっている方がいたらぜひご連絡を。国産大豆愛用の、連帯のあいさつを送らせていただきます。手

 

 さて大豆もやしの茹で方で、絶対守らなければいけないことがあります。沸騰後しばらくは鍋のふたを開けないというものです。大豆もやしが青臭くなるからです。大豆もやしを一番おいしく茹でる方法は、別にあるのですが、大豆もやしがおいしくなるということは、そのもやしの茹で汁であるもやしスープに、旨味が出ないことになり、大豆もやしとそのスープを両方使うものにとっては、ジレンマに陥ることになります。今その逃げ道を見つけつつあるところです。

 そしてこれが、そのジレンマを解決し、茹であがった大豆もやしですぅ。ま、なんて美味しそうざんしょう。お願いお願い

 

 大豆もやしを味付けするときは、大豆もやしが温かいうちに味付けすると教わります。わたしのオモニや、モランボン調理師学校から習ったように、精養軒も昔はそうしていました。水分が出やすいので、今は変えています。

 

 韓国人も見たことがないと驚く、大きな粒径の・北海道の大豆もやしは、発芽大豆の旨味ともやしの味を堪能できるのです。

イングリッシュ・ガーデンで

  • 2016.07.12 Tuesday
  • 17:15

 先日、ふたりで英国式ガーデンに行ってきました。車を止めるところを迷っていたら、オーナーの息子さんに会いました。移設した年代物の建物の二階で昼食を終え、コーヒーを頂いていたら、オーナーがいらしてくださいました。案内していただきながら、お話しを初めてお聞きする機会を得ました。テレビや雑誌の取材でものすごく忙しい日々を送ってらっしゃいます。

 

 わたしは植物のことを何も知りません。高校まで生物も大の苦手。バラの品種改良原種に日本のはまなすが使われることも初めて知りました。はまなすってバラ科だったんですねぇ。どうして世界中でバラは特別のものになったんでしょうね。以前、旧約聖書で出てくる<シャロンのバラ>なんて、てっきりバラだと思っていたら、当店にも植えている白い槿(むくげ)と知って驚いたことがありました。それほど、ユダヤ・キリスト教圏の人にとって、バラが特異な地位を占めるのかしら。

 

  北海道で植物の育てる苦労や楽しみをお聞きしながら、広い敷地の中を巡ります。途中レストランで一休みして、話をお聞きします。基本的にわたしは人と会ったり、話をするのが苦手なんですが、Mさんの話しに時間の経つのを忘れてしまいました。興味があると人の迷惑も考えずずっと聞いてしまい、相手の都合を忘れるわたしの悪い癖が出てしまいました。

 

 もともとはアンティークなものや雑貨販売に関わる仕事をされていて、花は何の知識もなかったこと、30年ほど前からこの庭園造りを始められたことを知りました。体験に裏打ちされた・あぁ、ほんとにいいなぁというお話がいくつもこころに残っています。

 

 花の教科書は東京中心で、豪雪地帯ではうまくいかないことが嫌になるほどありますと、淡々とおっしゃって、蔓薔薇の、この地での育て方を話されるのです。聞きながら、東京で花を育てる人間と、花が咲いているという表面の事実は同じように見えて、見えない背後にずっしりと失敗を含めたこの地での実体験と知識が詰まっているっていうのはすごいことだぜ、って思いました。

 

 40年以上前、17歳のときイギリスに留学された・仕事柄外国人と会うことも多いMさん。最近は中国人のお客様が多いそうです。

 中国人に対するイメージっていうのは、もう全然違いますよ。今までの持っているもので見るととんでもない。日本人にもいい人間と悪い人間がいる。中国人だってそうです。国と国ではなく、いつもひととひとなんです。

 

 やめたくなることはないんですか、と聞くと、そんなことはしょっちゅうだけど、10年経つともうなにもかも風景が変わってしまうのが当り前な世の中で、風景や、その風景の中で、たとえば、おばあちゃんとクリ拾いをしたという思い出の場所を作り、残しておきたい、とおっしゃるのです。

 精養軒も、小さなお子さんだったお客様が大人になり、都会に出て、正月やお盆に帰っていらっしゃいます。季節によって建物の蔦の色は変わるでしょうが、あの子どものときと同じ店がある、と思われる店や建築にしたいと思っています。つねに変化しながら変わらない店でありたいのです。

 

 やめるのは簡単だけど、続ける意味を子どもたちに伝えたいともおっしゃっていました。続けるということで二人の言葉を思い出しました。ひとりは、本田技研研究所の所長として、グランプリレースを指揮した入交昭一郎さんです。失敗を重ねても、日本人が、組織的に耐えられるのは3年だということを、『some day we will いつか勝てる』の中で語っていました。

 もう一人は誰だったか、もし何か本気でやろうと決めたら、十年少なくとも研鑽を続ける。その前にやめたら、この世界ではタコなんだ。十年やってはじめて才能がないと骨身にわかったとしても、その後の人生で十分対価を得られるんだ。

 わたしのようにトンマで、才能のない人間にとって、ずっと救いになって来た言葉です。

 

 わたしの好きなこの言葉もおもいだしました。勿論これは才能豊かなMさんのことではありません!

<if the fool would persist in his folly, he would become wise. 無能な者がその無能さに固執するなら、必ずや、なにものかを得るはずなのだ。>←いつものように、わたしの体質で潤色した訳です、すみません。

 

 庭園をデザインするとき、数年先の樹木の成長を考えて空間を造形することを考えている。人によっては、最初からきちんと植えて、あとで余分な植物を抜いていく方法をとる人もいるけど、わたしは基本的にそうしない。いずれ完成する姿を想像しながら今を作っていきたい。

 途中で評価されるのが怖くありませんかと聞くと、しょうがないけど、最終的によくなればいいんですとのこと。

 

 これはますます難しい行為になってきているように、わたしには感じます。ネット社会になって何が詰まらないかと言って一回のツイッターの発言やブログの一記事ですべてを簡単に評価し、そして何事もなかったように忘れてしまうあり方です。小説の途中で小説総体を評価するばかげた行為のように。しかも、多数派に匿名でなびく賤しさ。いつも運動の中で人や社会を見ていたい。

 

 庭園の写真を撮りませんでした。お話しを聞いて、写真で今を切り取るより、なんどか通って、変わるものと変わらないものを、自分の目に残したいと思いました。

 

 帰りがけ、北海道の夏の爽やかな光りの中で、ルビーのように輝くカランツの実を枝からとってくれたオーナー。もちろんわたしは聞いたことがない植物名です。奥さんは料理に使われるカラントで知っているようでしたが……。

 食べると、甘く酸っぱい・陽をいっぱいに浴びた味です。本当に気持ちのいいひと時でした。へこむことが多くなったわたしに、一歩でも前へ進みたいなと自然に思えた時間を、ありがとうございました。 

男脂臭:さえないおっさん達のダンス old men grooving

  • 2016.07.10 Sunday
  • 01:58

 どこで目に入ったんだか、雑誌の広告だかに、『男脂臭を消す』というまがまがしい宣伝文句を見たのでございますね。なんですか〜、男・脂・臭? 知っていました? おっさんの皆さん。おや爺なんてどう読むのかもわからしまへんがな。仕方ないので、濃ゆ〜く勝手に、『おとこあぶらしゅう』と読むことにしました。ちゅん カレー臭、もとい、加齢臭というふざけた言葉すらもう甘いのでございますね、最近は。_| ̄|○

 

 自分の匂いで、まわりの人に迷惑をかけるんだそうな。おや爺に言わせると、そんなまわりの存在こそ迷惑です!! 人間をなんだと思っているんでしょうね。汗をかく動物だということを忘れると、地球上で、人が一番偉い生物などととんでもない妄想がわいてきたり、自分だけがキレイな存在だと誤解するんですな。臭いがするのが当たり前、しないのが特別な時なんであって、逆ではないと言いたい。火

 

 今は爺様の代議士をしている男で、昔彼が小説家だった頃、黒人を人種差別すべきはないと言っても、彼らの体臭はたまらんというようなことを書いたことがありましたな。こういう姑息な論理展開をする人間とはどういう人物なんだと憤慨したものです。人には体臭よりも耐えられない、鼻も曲がるような思想的悪臭があるということも知らん男の小説など読む気がしません。

 

 その点石坂洋次郎はエラ〜おましたな。以前にもブログで書きましたが、『若い川の流れで』に書いております。若い女性と付き合うのが苦手な主人公の曽根健助が、はじめてあった女性とテニスをし、うちとける印象的なシーンです。

『夕方まで遊んで、二人はテニス・コートから引き上げた。快い疲労が、若い二人の肉体を柔らかくほぐしていた。そして汗と一所に、初対面の気づかいまで、すっかり流されてしまったようで、健助は、ふさ子の背中に腕をまわし、肌と肌を触れ合わせながら歩いた。おたがいの髪や体臭がかすかに匂って、それが素朴な親しみをかきたてた。』

 どうですか、若い皆さん、今的ギスギスさとは無縁の・このゆったりとした感覚、憧れませんか、人間的な上にも人間的な光景。目に浮かぶようです。こういう胸ときめくシーンを8×4などという無粋な制汗剤に邪魔させてはいけませぬ。

 

 男・脂・臭があろうが、外見がさえなかろうが、ただおっさんであると言うだけでナメテはいけません。人は外部と内部が違うから人なんです。という訳でイギリスのサエないおっさん達が、英国のテレビ番組<britain's got talent>で見せるダンスをご覧ください。タレント発掘番組にでる・教師や臨時講師その他普通の職業の汗臭いおっさん達のおたのしみ(題は、オールドメン・グルービングが踊り炸裂、でも背骨爆裂かも…くらいの意味ですか)。

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