2017年初めての紅葉:道道141号

  • 2017.10.13 Friday
  • 11:27

 苫小牧にある超繁盛店マルトマ食堂と手打ち蕎麦店に行ってきました。飲食店をやっているので、違う業種でも食べ歩きをしなければいけません。手打ち蕎麦は、新蕎麦時期に特によく行きます。同じく蕎麦粉を使う精養軒の手打ち冷麺との食感を含めた違いを確認する必要があるからです。先日三笠高校で講演会がありました。地元農家と力を合わせて新しい食材としての魅力を作り上げる山形の奥田政行シェフです。面白く学ぶことの多いお話しでしたが、非常に身につまされる話があります。

 『夢や志を持つ調理人はいっぱいいた。けれど店を繁盛させなくてはそれを実現させることはできない。』

 奥田シェフは彼のかかわったすべての店が超繁盛店になっているそうです。

 『ひととひとのつながりを大事に。約束を守る。信頼する。』

 それについて、失敗した、ある有名なシェフの話をされていましたね。

 

 わたしは人づきあいが苦手です。精養軒は経営的に全然甘い。わたしたちのようにバックのない人間は、最低限の社交性や政治性がなくちゃだめだなぁ、と思わされたことでした。

 

 店中、天井まで、訪れた有名人の写真や色紙が貼られていたマルトマ食堂を後にして、道道141を通って、樽前山・支笏湖わきを抜け岩見沢に帰ることにしました。今年初めての紅葉を見れるかもしれません。晴れた日の紅葉もいいんですが、雨の日の紅葉もなかなか風情がありますね。モノトーンの空と雨に濡れた道路。

au1.jpg

 紅葉と一言で言えても、一つとして同じ色彩がありません。

au3.jpg

 黒い幹と枝に、対照的な色彩の世界です。

au4.jpg

 

au2.jpg

 あ〜、いい気持ち。なんて奥行きのある色彩の世界でしょう。

 右コーナーを回ったところで、道路わきに車を止めて、見知らぬ老人が、雨の中、木から次々に舞い降りる枯葉に、両手を広げて触れようとする不思議な光景に出合いました。

 一期一会のおじいちゃん、達者でね!!

元バイトのCさんのこと。

  • 2017.10.10 Tuesday
  • 22:20

 5日、大きな宴会の準備で店を休んで、特選和牛のヒレを捌いていた。もう25年くらい前に、大学生で本店のバイトをしてくれたCさんの弟さんから、突然電話があった。

 Cさんが、風邪が引き金の心不全で昨日亡くなった。心臓移植でしか治らない拡張型心筋症で数年前から闘病生活を送っていたのを初めて知った

 

 Cさんは真面目を絵にかいたような青年だった。わたしのような者から見ると、真面目すぎるとも思えた。まだ3歳くらいだったわたしたちの子どもにもやさしく、子どもも、まだよく回らない舌で、「Cシャン、Cサン」と呼んで親しんだ。

 有名国立大学を出て研究生活も送った後、焼肉屋をやることになったわたしの兄の、社会的にはずれた生き方が、堅物のCさんにとって、たぶん新鮮だったのだろう。兄と一緒に仕事をするようになって、少し吹っ切れたように、あかるくなったと思えた。

 仕事も一生懸命にやってくれたCさんは、東京に戻った後も、大雪や地震など、何かあるたびに、兄に電話をくれるのだった。

 

 亡くなる2週間ほど前の9月19日、岩見沢が集中豪雨に襲われたときもCさんから兄に電話があった。店が大丈夫か心配してくれていたのだ。本人もわたしたちも、まさか亡くなると思いもしないで。

 

 Cさんはこのブログもよく読んでくれていたらしい。わたしのへたくそな日本語訳に勇気づけられると書いてくれることもあった。そんなんふうに言われたことがなかったので、ヘタでも、年をとって英語をやってよかったと、逆にかれに感謝したい気持ちになったのだった。

 

 Cさん、あなたが生前一番気に入ってくれたブログの記事・『足の裏の声が聞こえて来るまで』を送る言葉にします。いま読み返すと、訳し直したいところがいっぱいあるけど、あなたが亡くなった以上、もう直すこともできなくなりました。

 ブログや電話だけで、長く会えないままだったけど、ありがとう。Cさん、いい思い出しかないよ、ゆっくりおやすみください。

 

『足の裏の声が聞こえるまで』

 以前映画『ヘアスプレー』の挿入歌『i know where i've been.』をこのブログで紹介しました。黒人が公民権運動に初めて参加する時に歌う曲でした。

 I know where I’ve been
わたしは わたしのたどってきた道を知っているから


There’s a light in the darkness
Though the night is black as my skin
There’s a light burning bright
Showing me the way
But I know where I’ve been

暗い闇の中にあかりがみえる
夜はわたしの肌と同じように黒いけれど
燃えるように輝く一筋のひかりが
私にあるべき道を示す
そしてわたしには分かっていた わたしのたどってきた道が


There’s a cry in the distance
It’s a voice that comes from deep within
There’s a cry asking why
I pray the answer’s up ahead, yeah
‘Cause I know where I’ve been

遠くから叫びが聞こえる
心の奥深くからの声が
何故と苦しむ叫びが
わたしは信じている まだ見ぬ応えが確かに私たちの明日にあると
なぜならわたしはずっとどこにいたか分かっていたのだから


There’s a road we’ve been travelin’
Lost so many on the way
But the riches will be plenty
Worth the price, the price we had to pay

私たちが遠く歩んできた道がある
多くをうしない続けた道が
けれどやがて 失くしたものたちは立ち上がり 希望は満ち溢れるだろう


There’s a dream in the future
There’s a struggle that we have yet to win
And there’s a pride in my heart
‘Cause I know where I’m going, yes I do
And I know where I’ve been

夢は 来るべき日々のなかに
誇りは 胸に刻まれ
ゆくてに 勝ちとるべき闘いがある なぜなら
私は自分がどこに行くのか分かっているから
ずっとどこにいたのか知っているから


There’s a road we must travel
There is a promise that we must make
But the riches will be plenty
Worth the risk and the chances we take

歩まねばならない一つの道がある
果たすべき約束が 絶望と
祈りの数だけ やがては希望が満ち溢れることだろう


There’s a dream in the future
There’s a struggle that we have yet to win
Use that pride in our hearts
To lift up tomorrow
‘Cause just to sit still would be a sin

かなたに夢はあり いまは勝利の見えぬ闘いがある
胸に刻まれた誇りが
明日へと歩みを進める 
ただそこにいるだけでは 生きてはいないから


Lord knows I know
Where I ‘ve been

あなただけは 知っている
私は 私がたどってきた道をわかっていると

Oh! When we win
I’ll give thanks to my god
‘Cause I know where I’ve been

克ちえた闘いに
私はあなたに感謝をささげよう

私は私がどこにいたのかわかっているから

                (訳:おや爺)


 非常に好きな曲でよく聞くんですが、いつも引っ掛かっていました。

 この歌のように、わたし(たち)は自分のたどった道を知っているんだろうか? という疑問です。いつも答えは、知らないよな、われながらテンでお話にならないぜ、というものでした。
 そんな折、わが子を自死で失った作家の高史明(こう・さみょん)の言葉が北海道新聞に出ていました。

 頭で知っていることが、知っていることの全てではない。死を頭で考えるな、「自分の足の裏の声を聞け」というものです。

 よく考えてみるとこれは死だけに言えることではないですよね。生まれてはじめて地上に下りた時、生まれて初めて這った時、生まれて初めて立ったとき、そこに誰がいて、何に包まれていたのか、頭では知らないことをみんな足の裏が知っているはずだというのです。足が、頭が気づかないうちに、わたしやあなたを支えてきたはずなんですよね。

 高史明が朝日新聞に書いた文章があります。

   自分支える足の声、聞いて    


 ぼくだけは
 ぜったいにしなない
 なぜならば
 ぼくは
 じぶんじしんだから

 31年前、ひとり息子の真史(まさふみ)は、人知れず詩を書きためた手帳の最後にこう書いて、自死(じし)しました。12歳でした。

 「なぜ!」という自問をくりかえしながら、息子が残した詩を妻とともに「ぼくは12歳」という詩集にまとめました。読者から多くの手紙が届き、訪ねてくる中高生も後を絶ちませんでした。

 ある日、玄関先(げんかんさき)に現(あらわ)れた女子中学生は、見るからに落ち込んだ様子でした。「死にたいって、君のどこが言ってるんだい。ここかい?」と頭を指さすと、こくりとうなずきます。私はとっさに言葉をついでいました。

 でも、君が死ねば頭だけじゃなく、その手も足もぜんぶ死ぬ。まず手をひらいて相談しなきゃ。君はふだんは見えない足の裏で支えられて立っている。足の裏をよく洗って相談してみなさい。

 数カ月後、彼女からの手紙には大きく足の裏の線が描かれ、「足の裏の声が聞こえてくるまで、歩くことにしました」と書かれてありました。

 思えば、真史が最後までこだわった「じぶんじしん」とは、足の裏で支えられた自分ではなかった。そのことに気づかせてあげていれば……。

 彼も学校でいじめなどのトラブルにあっていました。いじめは許されない。しかし、それと向き合うことで、人は今より強い自分になれます。

 命は一つだから大切なのではなく、君が家族や友人たちと、その足がふみしめる大地でつながっている存在だから貴重(きちょう)なのです。切羽(せっぱ)つまった時こそ、足の裏の声に耳を傾けてみてください。

(補注:曲は映像2分10秒から始まります。)

不思議にリアルな夢:夢の中へ 井上陽水

  • 2017.10.05 Thursday
  • 20:28

 もともと夢は見ない・覚えていない方ですが、今年に入って見た・いまもありありと思い出す、気持ちの良い夢があります。このブログの読者の皆さんはどうですか? いままでどんな楽しい夢を見ましたか?

 

 さてわたしの見た、気持ちのいい夢は、雲に乗っている夢です。えっつ、ばかばかしいですって?がーん それを言われては身も蓋もないんですが、いや、本当に気持ちがよかったんですよ、雲の上って!!火 それは、それはびっくりするぐらい温かくって、ふわふわした、リアルな肌触りでした。その雲の上で、横に誰かがいたので、思わず言いました。

 「いや〜、ほんとに雲の上って気もちのいいもんだねぇ。hirasan

 そこで目が覚めました。

 目が覚めた後もあまりの気持ちよさに、お寝しょをしたんじゃないかと思って一瞬、布団をまくりましたが、まだそこまでは呆けてはおりませんでしたな。←なさけないぞ、おや爺よ!暑い

 

 次の日、しっかり者の女子大学生バイトTさんに言ったのです、どんなに雲の上が気持ちよかったかを……。

 

 「コウさん、子供みたいですねぇ。」_| ̄|○

 そ、そですかぁ〜。_| ̄|○いや、でも気持ちよかったんですよ、ホント。

 夢みたいに。Docomo_kao18Docomo_kao18

店長出村のブログ:さっぽろオータムフェスト

  • 2017.10.03 Tuesday
  • 08:28

   9月上旬から9月末まで開催していたさっぽろオータムフェスト。毎年ちょこっとだがブラブラするのが好きである。北海道の短い夏が終わって残暑があるかないかの頃、まさに夏から秋への変わり目、自分の中では季節の変わり目は身体に現れるので、『あぁ、もう秋かぁ〜』と実感できるのである。鼻づまり、手肌の乾燥、これが秋の始まり。うんざり。皮膚科で処方されている保湿クリームとポケットティッシュが手放せなくなる季節の到来。そう思うとやはり夏が好き。

 

   大通り公園で端から端まで10丁くらいに渡り様々なブースがある。たとえば5丁目では全道からラーメン店が1杯700円に統一して地域の有名店がテナントを連なる。オータムフェスト期間中に4回に分け、1店舗5日〜6日で入れ替わる。1杯の量が少し少なく、色々食べ比べが出来る様になっているのだが、それで1杯700円なので、簡単にあれもこれもと食べ比べが出来そうで出来ない真実。これが500円ならやってみようと思うのだが。

   調理師の専門学校の同期がカジュアルフレンチバーの店長として働いていて、毎年オータムフェストに出店していて、平日の昼間でなかなか忙しそうにしていた。ちょっとお高めな商品が多く買ってあげることが出来なくて申し訳ない気持ちがある。

 

 

   この日一番行列が出来ていたのが、新篠津村のこのブース。いちごをメインに出していて、可愛くあしらっているし、流行りの『インスタ映え』する商品だからなのだろうか。若い女性が多く並んでいた。

 

   それとは別の日だが、札幌の大通り公園のすぐ近くにある居酒屋。そこの店長さんは、私と中学校時代に同級生だった友人である。なのでたまに顔を出す。1人でも行きやすい店ということもあり、30分しか時間がないけど、と、一杯だけ呑みに寄ることもある。

   自分は全く覚えていなかったが、その人は私が将来は調理師学校に行きたいと言っていたらしく、それに影響されて友人も調理師学校に進学したという。それでお互いに飲食業をしている事が嬉しいとか言ってくれるのがまた私も嬉しい。

「儲かってまっか?」「ぼちぼちでんな」

   会えばこういう会話が最初にくる。関西弁ではないけども。

   だが、そのオータムフェストの時期は「ぼちぼちでんな」の答えが返って来ない。どうしても人の流れはそっちに行ってしまうという。夏のビアガーデンが開催されている時も同じ答えが来る。それでもさすが札幌の中心街。十分混んでいるように見えるのだが全然そうでもないと言う。

   オータムフェストは出店料は高いけど、混んでる店は売り上げは相当あるみたい。なので、「イベント期間中は店を閉めてそっちに出店したいなぁー」とぼやいていた。おそらく本音だろう。そしてそれだけ良くない影響が付近のお店には襲いかかっているように思える。

 

   イベント等に参加していないなら、それに対するさほど影響されない、もしくは相乗効果で人の流れをさらに呼び込む為の店作りを考えていこうなどなど少しばかり真面目な話しをし、後はくだらない昔ばなしに花を咲かせて帰路に着いた9月の夜。

精養軒前へ編:とうとう太くする栽培方法を見つけた? 大豆もやし栽培

  • 2017.10.02 Monday
  • 02:26

 当店厨房の片隅で栽培中の大豆もやし。大手のもやしメーカーは、植物成長ホルモン・エチレン・温度・湿度で茎を太くしたり、成長の速度をコントロールし出荷します。

 

 日本全国ほとんどの焼肉店・韓国は、中国産極小大豆を使った市販の大豆もやしを使う中、現在精養軒の大豆は、岩見沢産の中粒青大豆でございます。大豆は粒径が大きくなればなるほど、何故かもやしの発芽率は低下するとは、数年前会議で会った十勝農業試験場の研究員のお言葉でございます。

 

 できるもやしの頭の豆の部分は同じサイズであっても、茎の太さは、もともとの大豆の性質・生育環境(散水温度・散水回数・環境温度・環境湿度など)によって変わります。その中で最も影響があると思われるのが大豆自体の性質でしょうか。さらに同じ大豆を使っても、茎の太さはかなり変わります。同じ大豆を使って環境を変えることでどのくらい、茎の成長に差ができるのか? いろいろ実験した結果、ようやく茎を太く(食感がいい)する方法を見つけたと思われます。(←まだはっきり断定できないけど……)勿論エチレンは使いません、って、使えないってだけだけど……。

 

 それがこの写真でございます。まず生の状態をつま楊枝と比較しましょう。

 次に茹でた状態を割りばしの先と比較してみましょう。

 割りばしの先と変わらない太さでございますね。同じ青大豆を使った以前のもやしとは太さが全く違いますね。やった〜!!手手 ついにやったかもしれません。10年以上かかって。何をやってもとろいおや爺でありますが、とりあえずやった〜、と今は喜びたい、おや爺でありますね。ちゅん(・∀・)○ えっと勿論、岩見沢産大豆を使った、手おいしい自家栽培大豆もやしです。

 

詩の旅:ふたり 大岡信

  • 2017.09.30 Saturday
  • 23:04

 結婚する前はひとりで、結婚後後数年間は二人でよく、プリントごっこを使った・手作りの賀状を書いたり、自分たちや友人の結婚式次第や本の製本作りに熱中した。

 この詩は好きな詩だったが誰にも教えなかった。何か教えてはいけない気がしたのだ。結婚することになったひと(わたしの奥さんのことだが……)に初めて教えた。大岡信が若いときに作ったものだが、かれの詩集には載っていない。貧乏な若い詩人・川崎洋が結婚する時に、かれら二人のためだけに、贈ったものだからだ。もううろ覚えだが、わたしは詩誌「ユリイカ」か何かで、贈られた川崎洋が、当時を回想しながら紹介していたのを読んだのだと思う。

 

 メモに書き写した。その後、友人や若い知り合いの結婚式に、吉野弘の有名な詩・祝婚歌と一緒に印刷してあげたりした。

 フランス・シュールレアリズムの影響も色濃く残しながら、ふたりでいる喜びを歌った、理知的で・初初しい詩だと思う。

 

 空はとりわけぼくの中にひろがるとき

 まっさおな空 澄んだ鏡だ

 きみを映す鏡 暗い洞窟の奥でも

 遠い星を手のなかによびこむ鏡だ

 

 結婚後も、空を身体に映すごとに、ふたりはいつまでも初初しく・あたらしくあるだろう。

精養軒前へ編:チョングクチャンの進化 新豆に向けて、2018年朝鮮の豆味噌造り

  • 2017.09.25 Monday
  • 22:24

 このブログの読者にはもう耳タコでしょうが、精養軒では岩見沢産大豆を使って、朝鮮の味噌2種(チョングックチャンとテンヂャン)と日本味噌を作って、精養軒の料理に使っております。

 ただ市販の日本味噌を使うのでもなく、ただ韓国からの輸入した味噌を安易に使うのでもなく、食材王国北海道に位置する朝鮮料理店・精養軒でしか味わえない料理を、根源的に作りたい。韓国でも、北朝鮮でも味わえないものを作りたい。そのためには、北海道産の食材を使って、朝鮮や日本の発酵調味料を作るのが必然的な課題でございますね。←それほどのことでもないだろう、おや爺よ。ムスっムスっ

 

 てな、考えのもとにさらに進化させたチョングックチャン(朝鮮の納豆系味噌)を作りました。初めて前野商店で購入した十勝産の大豆を使いました。まだ去年の大豆です。

 今回二段発酵でやってみました。まず、日本の枯草菌(納豆菌)で発酵させ、その後日にちを置いて、韓国の枯草菌で追加発酵させるという二段構えです。味と香りに深みが出るのではないか火という発想です。

 

 まず大豆1.5kg(いつもは1kg)を柔らかく煮て、熱い状態のところに、ヒート・ショックを与えた納豆菌液を表面に満遍なく加えます。納豆菌は好気性菌なので、空気が流通するよう手製のパイプをとりつけてラップします。その後、至適温度で発酵させます。

ta1.jpg

 ラップを開いて、4時間後の状態を見てみましょう。

ta2.jpg

 おう、うまく行っているようですね。微かに匂いがします。

ta3.jpg

 24時間後。発熱してカメラのレンズが曇ってしまいました。

ta4.jpg

 おう、菌が繁殖して白くなっていますね。この段階で二階の一番奥で発酵させているにもかかわらず、二つの扉で締められているにもかかわらず、廊下にそこはかとなくにおう得体に知れない臭いにおい。さらに韓国枯草菌をヒートショックを与えた後加えてみましょう。

 

 3日後。二階の廊下は、恐ろしいにおいが充満しておりますな。納豆がみっちり入った壺に転落したおっさんに、背後から抱き締められたような匂いでございますね。かつて二階に遊びに来た英語ネイティブの人たちをたじろがせたニホヒ。

 

 恐るべしハイブリット二段発酵。でも我がバイト諸君は、「えっ、そうですか。匂い気づきませんでした。」 ←そんな鼻で、汗のにおいを気にして制汗剤を多用するのはいかがなものかと思うおや爺でありますね。セリザワさん 恐る恐る開いてみます。

ta5.jpg

 糸引きもなくなり、素晴らしい、香ばしいにおい。←まさしく京都焼肉屋の友人が表現した、「うまいとくさいは紙一重。」個人的な好みもありましょうが……。暑い 食べてみると苦みとえぐ味も適度にあり、今まで以上、予想以上によくできたチョングックチャンであります。あとは塩を加えて、妖しく熟成させるばかりでございます。

 この独自の味噌はどこに使われるのかと言いますと、ユッケヂャンスープ・手打ちピビム麺のタレ・自家製スンドゥブチゲなどの隠し味として、精養軒の裏の味を支えております。これで精養軒の料理を食べ慣れると、他のお店の味が物足りなくなるという、腹黒いうへにも腹黒い発酵調味料の誕生でございます。お願いお願いhirasan

 

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM